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春梅――結局は言葉の魅力か

 久しぶりに、ジェイムズ・ディーンになった。

 いや、大学生のころ、雑誌か何かに「映画館から出てきた人は、みな映画の主人公になったような歩きかたをしている」というようなことを書いてあるのを読んで共感したことがあり、それと同じような現象が、40年ほどの歳月を経て、久しぶりに起こったということを言いたいのだが(たしかに、40年ほど前には、『エデンの東』や『理由なき反抗』を見たあとで赤いジャンパーをさがしに行ったし、ロバート・レッドフォードの『ホットロック』のエンディングで逃げるレッドフォードが「逃げる人のお尻」をみごとに表現しているのを見たときは、あれはどこにどう気を配ったらできる表現なのだろうと思い、お尻に意識を集中しながら歩いたものだが)。

 5月の末に台湾で『春梅』(はる)というドラマをやっていることをLINEで教えてもらった。毎週月曜日から金曜日まで、1日1集、計54集で、この7月21日に最終回を迎えた。日本統治時代の1925年から1959年まで、おもに旧台南州北門庄や台南の町を舞台に男女6人の人生が絡み合って展開していく(撮影場所には、海辺に山のあるシーンもあったので、エンドロールから判断すると、台南とは反対側の宜蘭なども利用されていたのだろうが)。

 まあ、わがままな視聴者から見ると、テレビドラマということで予想されていたこととはいえ、ひと口に言って「粗い」面は随所にあった。日本人「役」の役者さんの日本語のセリフが、ちょっと、いくら台湾に渡ってあまり日本語を使わなくなっていた人の言葉でも、そこまではならんやろ、と言いたくなるものになっていたことは前にも書いたが(おもしろいことに、こちらは日本語ネイティブで、端々だけでも何を言っているかを理解できるせいか、この点は見ているうちにほとんど気にならなくなったが)、蔗畑は蔗畑でも、明らかに春梅さんのご両親が亡くなった蔗畑とは違うと思われる場所で線香をあげたりしているのを見ると、なんぼテレビドラマかて、もちっと映像の連続性や一貫性に気を遣わないかんやろ、と思ってしまった(おそらく、「線香」のシーンでは、その連続性や一貫性を犠牲にしてもあの「広々感」を出したかったのだろうが)。

 ところが、ところが、である。あちこちに粗さが見えて、林先生の家の前の、どうもひた隠しにしようとしていたように思える舗装道路と思える道がワンカットだけちらりと画面にのぞいたり、はなはだ共感の持てる飲んだくれの大金さんの着ている服に、まるでオフィス街のサラリーマンのワイシャツのようにきれいに折り目がついているのに気づいたりするのに、気持ちは逆に、どんどん、どんどん引き込まれていく。毎日、「線上看」に動画がアップされるのは日本時間の午後11時ごろ。だから、何日かその時刻にアップされた動画を見ているうちに、あ、もうアップされたかな、いや、まだかな、と、こちらの生活もその時刻を中心に回転していくようになり、さらには、各回の動画を見るときの集中の度合いも日増しに高まってきて、見終わったときには、もう頭がもぬけの殻状態になってとても深夜の仕事に集中できる状態ではなくなったものだから、しかたなくついFacebookなどで「春梅」を検索したりするようになったし、「線上看」の動画にはランダムにCMが挿入されていたが、ドラマの流れのなかでいきなり挿入されるそのCMで西洋人がねちゃねちゃと笑っているのが見えたりすると、つい「このバカづら! とっとと消えろ!」と悪態をつきたくなったほどだった。

 なんだろう。主役の林春梅さんを演じた子ども時代の林建萱さんや成人後の林予晞さんになんとも言えない魅力があったのは明らか(林予晞さんのほうは、Facebookをたどっていくと、ふぅん、うちの次女と同い年なのになあ、と思わされるものも見えてくる(まあ、次女も同じようなものなのを、親が知らないだけなのだろうが))。「あひゃあ」(兄さん)の韓宜邦さんや「阿泰」の楊子儀さん、「剛」の邱凱偉さん、それに、昔から日本のドラマでもおなじみの「悪役特高」でありながら、単なる「悪役」の枠には陥らず、背後に「心の問題」があることを演じていた李沛旭さんも、みな若いのによくこれだけのもの、あるいは時代感が表現できるなと感心させられたからかもしれない(玉音放送のあれだけ長い音源がいまだに残っていることを教えられたことも驚きだったが)。

 でも、最後のほうになって、なにかでその若い出演者たちが現代の台湾の言葉、つまり北京語で話す動画を見たときに、あら!?――と、なんだかはしごを外されたような気分になり、そのとき、わたしの感じているものの少なからぬ部分が劇中の言葉、つまり戦後になって中国の言葉を押しつけられる前の台湾の言葉に関係しているではないかと気づかされた。

 何年か前、渋谷の駅の近くの台語を教えてくれるところへ通っていたころ、若い宜蘭出身の女の先生がときどきテキストを読み間違えていた。テキストには台語が書かれているのに、先生はそれを無意識のうちに、頭のなかに優先的に位置していると思しき北京語で読み、それでも、こちらが指摘するまでそれに気づかない。どうやら、いまの台湾では、台語はかなり分が悪い立場に置かれているのだなと思わされたものだが、その分の悪い言葉のセリフの世界に、こちらはどっぷりと引き込まれていたのかもしれない。台語を習ったといってもほとんど解することのできないわたしが言ってはいけないのかもしれないが、それでも、どういうわけか、あの言葉には、いや、広く一般に、人が本や何かによる教育などではなく、暮らしの中で身につける言葉には、強い強い、人をひきつける魅力があるような気がする。今回のドラマに出演した若い役者さんたちも、台語の特訓を受けなければならなかったみたいだが、それでなにかを感じたとしたら、ぜひその魅力を残す努力をしていってもらいたいものだと思う。

 あ、そういや、どこかに、誰か若い人が「うちのおじいさんとおばあさんが夢中になって見ている」というようなことを書き込んでいたか。そう、その昔、世界中に無数にいた「映画鑑賞後のジェイムズ・ディーン」のひとりだったこのわたしも、気がつけば「うちのおじいさん」になっている。もしかすると、この共感は世代的なものでもあったのかもしれない(とはいっても、わたしたち戦後のテレビ第一世代は「戦争」やなにかをじかに体験しているわけではなく、なにもかもdistantlyに感じつつ、そこから不変・普遍的なabstractを抽出していくしかないのだが)。


# by pivot_weston | 2015-07-23 02:53 | ブログ

おじさんたちの耕作放棄地

 関東平野某所。学問の畑や、芸術の畑や、いろんな畑で活躍してきたおじさんたちが集まって文字どおりの畑をやっているところがある。

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 いまはやりの「耕作放棄地」。というか、かつてはランニングシャツ姿の腕白少年たちが元気に走りまわっていたと思しき豪壮な二階建ての住宅ごと放棄されたところを、その多彩な分野の先生がたのおひとりが買い取って、そこへ仲間の先生がたも「おれも」「おれも」と集まってきて、ふたたびおっとりとした生気がよみがえっている丘陵地の一角。

 サトイモ、トマト、ソバ、ブルーベリー、トウモロコシ、ナス、カボチャ……「あれもやりたい」「これもつくりたい」で集まってきたおじさんたちの畑は、面積のわりに作目が豊富で、しかも、あ、ここにちょっとあまったところがあるから、あの種も蒔いちゃえ……式に、分画が人間味あふれるテキトーさで細かく入り乱れているところが、またおもしろい。

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 久しぶりに続いた長雨が、今度の週末はどうも途切れそうだというので、「おれも」「おれも」のさらにその外側からのぞきに行かせてもらっているこのおじさんも、次女と孫を連れておじゃまさせてもらったが、7月12日は父の25回目の命日。朝、東京駅の八重洲口で高速バスに乗るときに、わっ、25年前も、喪服に身をつつんで「今日は人類史上最高に暑い日じゃないの」と思わされた、とんでもなく暑い日だったが……と思ったその予感そのままに、みごとに記憶が再現された一日だった。

 ブルーベリーの低木のまわりで這いつくばって草を取っていると、誰かが背中をたいまつであぶっているのではないかと思えるくらい暑い。お昼ごはんのときにも、いまは引退して好々爺然としているえらい先生がたに勧められる固形物の食品を食べる気にならず、昔の「ワタナベのジュースの素」の話などもしながら糖分たっぷりのジュースばかり飲んでいたが、ま、まだ保育園の孫がひとりで電気ノコギリのスイッチを入れて、「あっ、こらっ!」と驚かせてくれたり、好々爺先生がたに石臼でソバひきの体験もさせてもらったりしながら、随所にわたしの同年代のころの内面の動きを思い出させくれるいたずらをしていたし、帰りには、古河のいとこのうちにも寄って、なんとも見晴らしのいい涼しい部屋で一服させてもらったので、よしとしよう。ほかの若い仲間たちに予定されていたブルーベリー1.5kgの収穫も先にいただいて帰っちゃったしね。真失礼(ジンシッレイ)!

おじさんたちの耕作放棄地_f0196757_545326.jpg


# by pivot_weston | 2015-07-13 05:50 | ブログ

時空を呼び戻し、濃くする歌

 世田谷区某所。狭い、薄暗い空間に白くなった頭が対容積比でたくさん集まっていた。みな私生活でなんらかのつながりのある人たちらしい。

 わたしは同業者から「こんなことをやってる」という話を聞き、「じゃ、行きますよ」と言って、出かけていった。それも、一度目は、それでいったん話がつきながら、その直後に「申し訳ないけど、今回は……。またやりますから、次に来て」と言われての出直し参加だったが、その理由もその空間の狭さを見て、よく理解できた。

 折しも「ジュライ・フォース」。当地よりは半日ほどフライングしての独立記念日だったが、その記念日を祝う国で、半世紀ほど前にはやった、情けない失恋の歌や失業の歌のオンパレード。それを、その半世紀ほど前に、ラジオかなにかで聴きながら、いいと思って学校の体育館の陰かなにかでギターをかかえてやっていた仲間たちが、またやっていた。誘ってくれた同業者は「ボーカルをやる」と聞いていたから、まあ、まんなかのほうか、前のほうにはいるんだろうなと思っていたが、なんのことはない、彼ら3人の、その体育館の陰時代からの仲良しグループのコンサートで、背後はプロのピアニスト、ベーシスト、ドラマーの人たちがかためていた。

 ほんとかうそか知らないが、同業者のボーカリストが歌詞の意味を説明すると、身内から「え、初めて知った」なんて声も返っていた(半世紀も意味を知らずにいたのかなあ、わたしも他人のことばかりは言えないけど)。集まった白い頭の人たちも、曲が進むにつれて、体を揺らしだし、そのうしろ姿を拝見していると、ああ、この人はこういう青年だったのかな、ああいう学生さんだったのかな、という想像を誘われる。

 作家の芦原すなおさんの「デンデケデケデケ」の話も出たが、要するに、あの時期、うしろを振り返ることなく、前方に開けてきた世界を自由に模索することを許されていた(もしかすると、そう仕向けられていたのかもしれないが)世代の、半世紀ほど経た上での、「もういっぺん、あのころはできなかったことをやろうぜ」のコンサート。肉体的エネルギーやなにかは低下しているだろうが、世のなかや自分の人生のありようを見てきたせいで、歌詞に対する理解や、あえて声を出す、あるいは出したい切実さは増している。

 そのムーブメントより少し遅れて走ってきたわたしにも、ひとつ、「あっ」と思うことがあった。わたしのとなりにいた人のリクエストでうたわれたオーティス・レディングの『ドック・オブ・ザ・ベイ』。ボーカルの同業者の人が歌う前に「これも情けない歌。ジョージアからサンフランシスコまで来たのに、仕事もない、なにもうまくいかないと思って港に腰かけて……wasting time」と説明するのを聞いたあとで歌を聴いたとき、あ、これ、少し遅れた世代のわたしたちも中学時代に聴いていた、サンフランシスコ出身なのにミシシッピ風の歌ばかりうたっていたクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのベースになった歌かな?――とちらりと思った。

 正確ないきさつなどわからない。ああいうイベントは、ひとりひとりがそれぞれにそんな思いにぶつかり、自分の人生に自分なりの肉付けをしていくことができるところに意味があるのだろう。誘ってくれた同業者の先輩に多謝、多謝(でも、シュープリームズみたいに3人のメンバーが知り合いのお客さんから50cmも離れていないところに並んで立って、いかにも職人さん風のプロのミュージシャンのかたたちをバックにうたう姿はなかなかのものでした)。


# by pivot_weston | 2015-07-05 12:29 | ブログ

温室効果ガスインベントリ

 少し時期がずれたかもしれませんが、4月に国の温室効果ガスインベントリ報告書が発表されていますので、リンクで紹介しておきます。

 日本のインベントリ報告書
 米国のインベントリ報告書

「気候変動」だ、「地球温暖化」だ、「CO2」を減らさなきゃ、「温室効果ガス」の排出量を減らさなきゃ、と言うときの「減らさなきゃ」いけないものとは、ここで報告されている「排出量」の総量のことをさします。

 見るからにとっつきにくい大部の報告書です。まだ人類が始めてからそれほど間もない取り組みなので、「法」だの「制度」だのというものをひとつひとつ、慣れない手つきで、忘れないように、抜かさないように、たどたどしく縫い込むようにして作られていますから、「生硬」の観もぬぐえません。

 しかし、欧州のように自然の自活能力の疑わしい地域の人たちは、またいつものようにエシックスロンダリングしながら、こういうものを、わかりにくいのをいいことに、わかりにくいまま特権化・専門化し、自分たちの生きていく手立てにしようとするのかもしれませんが、それでは、わたしたちが長く生きていけるようにするために人間の経済活動のむだを省いていこうとしているこの取り組みのそもそもの目的に反しますから、日本の若い人の、とくに時間のある学生さんなどには、ぜひこういうものに、難しくても、片隅からでもとりついてもらって、少しずつでも自分たちの日常言語で語れるやさしいものにし、究極的には、どの家でもおとうさんやおかあさんが子どもに語って聞かせられるようなものにしてほしいと思います。そうしないと、こういうものは利権争奪戦に飲み込まれ、結局はなんの意味もない、あるいは逆効果のものになってしまうでしょう(もちろん、「土壌」あるいは「農地管理」の持つ意味にもご注目いただければと思います)。


# by pivot_weston | 2015-06-18 20:19 | ブログ

温室効果ガスインベントリ

 少し時期がずれたかもしれませんが、4月に国の温室効果ガスインベントリ報告書が発表されていますので、リンクで紹介しておきます。

 日本のインベントリ報告書
 米国のインベントリ報告書

「気候変動」だ、「地球温暖化」だ、「CO2」を減らさなきゃ、「温室効果ガス」の排出量を減らさなきゃ、と言うときの「減らさなきゃ」いけないものとは、ここで報告されている「排出量」の総量のことをさします。

 見るからにとっつきにくい大部の報告書です。まだ人類が始めてからそれほど間もない取り組みなので、「法」だの「制度」だのというものをひとつひとつ、慣れない手つきで、忘れないように、抜かさないように、たどたどしく縫い込むようにして作られていますから、「生硬」の観もぬぐえません。

 しかし、欧州のように自然の自活能力の疑わしい地域の人たちは、またいつものようにエシックスロンダリングしながら、こういうものを、わかりにくいのをいいことに、わかりにくいまま特権化・専門化し、自分たちの生きていく手立てにしようとするのかもしれませんが、それでは、わたしたちが長く生きていけるようにするために人間の経済活動のむだを省いていこうとしているこの取り組みのそもそもの目的に反しますから、日本の若い人の、とくに時間のある学生さんなどには、ぜひこういうものに、難しくても、片隅からでもとりついてもらって、少しずつでも自分たちの日常言語で語れるやさしいものにし、究極的には、どの家でもおとうさんやおかあさんが子どもに語って聞かせられるようなものにしてほしいと思います。そうしないと、こういうものは利権争奪戦に飲み込まれ、結局はなんの意味もない、あるいは逆効果のものになってしまうでしょう(もちろん、「土壌」あるいは「農地管理」の持つ意味にもご注目いただければと思います)。

 すみません、日本の報告書のほうへはうまくリンクしないかもしれないので、その場合は国立環境研究所の温室効果ガスインベントリオフィスのページにアクセスし、「和文」の報告書をダウンロードしてください。


# by pivot_weston | 2015-06-18 20:19 | ブログ