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きわまりゆく世相

 70年ここにきわまれり――の観がある。

 70年前、この国が連合軍の占領下に置かれたのは、明治以降、その連合軍の主力を成していた欧米諸国のマインドコントロールにかかり(かかりだしたのは織田信長や豊臣秀吉の頃だと思うが)、「列強」などという、別に真似しなくてもいい、貧しい国が遠隔地に食べていくための土地を確保するためのスタイルを真似ようとして、まんまと、彼らにおだてられ、利用され、彼らの手のひらで踊らされたあげくに、それとなく仕向けられた争いに負けてしかたなくだった。しかし、またいつか独立した国へ――と思った人は、当然、少なくなかったと思う。

 旧満鉄時代に志願して満蒙国境へ赴き、敗戦後しばらく現在のカザフスタンのカラガンダの炭田に抑留されていた父は、戦争のことも、抑留時代のことも、ほとんど何も語らなかった。父の長兄の伯父もイルクーツクあたりに抑留されていたと聞く。次兄の伯父は、インドネシアのアンボイナ島から飛び立った直後に撃墜されたので、戦後10年生まれのわたしは、遺影とは毎日顔を合わせていたが、実際に会ったことはない。祖父も戦争中は近くの飛行場(わたしが生まれた頃にはすでに廃墟になっていた)に徴用されていた。

 子どものころには、呆然とした思いが生き残った3人の背中からにじみ出していた。それを見ていたわたしも、普及しだしたばかりのテレビで米国の番組ばかりを見せられて、それはそれで楽しみながらも、頭の上を沖縄だかベトナムだかへ向かって飛んでいく飛行機の爆音を聞かされると、いつも不愉快な思いがしていた。たとえソ連の助けがあったにせよ、そんな米国を倒して自国を守ったベトナムの人たちはすごい人たちだ、といまでも思っている。米国の敗戦が決まった1975年には、日本にもいつかあんなときが来るはずだと思ったものだ。

 ところが、近頃、世の中から聞こえてくることを耳にしていると、いまのこの国は、独立へ向かうどころか、自らこの70年の占領体制をいよいよ決定的で動かぬものにしようとしているように見える。違憲だ、改憲だと言っているが、判断の軸にするこの国の基本法が日本国憲法でないことは、この間の経緯を見ていると、よくわかる。憲法に修正の必要があるというのが国民の総意なら修正すればいいと思うが、実質的なこの国の基本法になっている日米安全保障条約に合わせて修正しようというのなら、「(憲法が)他国から押しつけられたものだから改正する」というのは、まったく筋が通らない。日米安保条約を柱としてこの国のあらゆる法律ががっちりとアラインされてしまったら、自分たちのことは自分たちで決めるなんていうのは夢のまた夢で、自国の決まりのすべてを他国の都合に委ねることになる。

 明らかに米国の一部の、自分たちの旧態依然とした世界観を金の力や兵器の力でごまかそうとしている完全に時代遅れの人たちの戦略の間違いだ。最近のウクライナなどの例でもわかるように、米国は戦後の冷戦下で自国の味方につけておきたい他国の中に大勢のスパイやマインドコントロールにかけた人材を放ち、彼らにいい思いをさせることでさも米国に追随することがいいことであるかのように思い込ませてきた(かつては、リビアのカダフィやアルカイーダのオサマ・ビン・ラディンなどもそういう思いをさせられたひとりだった)。しかし、そんなことをしても自分たちの国がいい国になることも、永遠に栄える国になることもないのは、いまのあの国の状況を見ればよくわかる。

 最近も大統領自らがほんとうにわが身が危険な局面に陥る前に危険を見越して先にパンパンと武力行使をする警官の姿を見て、「こんなことでは、この国は先進国と言えるかどうか」と言って顔を曇らせていたように、残念ながら、もうあの国は、一面では「後進国」と位置付けてもいい状態になっている。そもそも、あの国が欧米の都合のよい用語ではなく、字義どおりの意味で「先進国」と言えた時代など、なかったのかもしれない。ただ人類が麻薬中毒のように物質文明におぼれた20世紀後半の異様な時代に最もgreedyな姿勢をさらしたというだけで、1600年代にあれだけ豊かだった国土を、カリフォルニアも水が涸れ、大平原からも水が涸れるまでに疲弊させてきたこれまでの国家運営のありかたは、たとえその前の、欧州人という貧しい出自があったからだと言っても、弁解できるものでも、取り返せるものでもない。

 あの国があんな状態になってしまったのは、時代の変化などを的確に伝える友人と言える存在がなかったからだろう。ただ一部の国民が巨万の富をがつがつと集めて豊かさを装っても、そんな国を「豊かな国」とは言わない。そんな国に人類の未来も、日本の未来もあるわけがない。そんな国による占領体制を固めるようなことをしたら、客観的に見ると、欧米の「列強」マインドコントロール下の悲しい存在だったとはいえ、70年前に生きられる時間を奪われた人たちも、わたしたちの犠牲は何だったのかと思うしかないだろう。独立国として、いまいちばんにすべきことは、改憲よりも何よりも、よけいな条約を解消して、ひとつの独立国としての素朴な輪郭を取り戻すことだと思う。憲法をどうするか、軍備をどうするかなんてことは、そのあとで考えればいい。

 といって、別に、昔のように米国と争う必要もない。となりの家と仲たがいせず、ふつうにやっていきましょうと言うだけだ。どちらの国も独立国として、ふつうにつきあっていけばよい。米国は、単独の国家であって単独の国家でない一面も持ち合わせている。現在も、これまでも、世界中からいろんな国籍の人が集まり、その集成として単独の国家らしきものを形成している。前から書いているように、ホワイトハウス周辺やハーバード、MIT、スタンフォードなどの論文作成者には、中国人、韓国人が大勢いる。でも、日本人は、仲がいいと強調しているほどには見かけない。おかしな優越感の温床になっている条約を解消すれば、そういう面にも自然な競争心が芽生えて、バランスがとれてくるような気がする。

 仮定の話だが、独立して、正常に周囲に意識がはたらいていたら、4年前の福島第一原発の事故も起きていなかったかもしれない。独立していたら、あの事故で大きな損失を被った東芝のような企業の粉飾経理に対して、「体質が古い」などというまやかしの批判も起こらなかったかもしれない。

 以前、近所で料理屋をやっている元台湾陸軍のコックさんに、「日本の失敗は米国を追い出さなかったことだよ。追い出せばいいんだ。おれたちは追い出したぞ」と言われたことがある。やはり近所の連さんも、もうかれこれ半世紀、自国の独立を願って新聞を出しつづけている。独立というのは、どの国にとってもたやすいことではない。でも、目指すとしたら、やはり人間である以上、まず独立ではあるまいか。

 そういえば、謝ることが「卑屈」につながるという意見もあるらしい。でも、謝ることは自分に誇りがあるからできることであり、ふだん駅の雑踏を歩いたこともない人の意見だからしかたがないのかもしれないが、駅の雑踏で体がぶつかっても謝らない人の姿などを見ると、別に外国人でなくても、ちょっとなあ、と思い、つい、あちこちで「すいみません」という言葉が飛び交っていた昔の日本の光景を思い出してしまう。ひとりのおじさんの素朴な感覚としては、隷属の卑屈さのほうがいやだ。せめて黙して語らなかった3人の子や孫や甥として、自分を隷属の時代を生きたひとりのままにはしたくないのだが。

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by pivot_weston | 2015-08-16 12:42 | ブログ