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国際土壌年2015公式日本語ロゴ

 前からこのブログでお伝えしている、国連が定めた「国際土壌年(IYS)2015」の公式日本語ロゴが完成しました(ちょっと時間がとれず、お知らせいただいてから3日遅れての掲載、情報リレーとなりましたが)。

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 明日(2014年10月25日)午後7時からは、NHK Eテレで「土の不思議」という番組も放送されるそうです。

 IYSがスタートするのは、国連採択のさきがけとなったタイ国王の今年の誕生日、世界土壌デー(12月5日)です。

 先日(9月23日)の国連気候サミットで米国のオバマ大統領が「わたしたちは気候変動の影響を最初に感じた世代であり、それに対してなにかができる最後の世代」と言いましたが、さて、この1年でわたしたちはどこまで「足元の宇宙」の感覚を思い出せるでしょうか。これからもわたしたちの種が長く生きつづけるためには、だいじなだいじな1年になりそうですね。

by pivot_weston | 2014-10-24 10:59 | ブログ

秋祭りの季節

 デング熱騒動でちらりとニュースに登場したこの西新宿の中央公園の熊野神社の秋祭りはもう終わったが、テレビを見ていると、まだあちこちの秋祭りの宣伝をやっている。線路の向こうの歌舞伎町からも神輿が来る熊野神社の秋祭りには、けっこう人が集まり、窓の外がにぎやかになる。このところ、土壌がらみの書き込みを続けているが、研究者のみなさんがよく口にするように、都市土壌ももちろん大切なものだ。人間にとって土が大切だからと言って農地しか見ないのでは、地球の環境を見ていることにはならない。

 テレビで再放送されている『太陽にほえろ!』を見ていると、わたしが20歳前後のころの西新宿の風景がよく出てくる。京王プラザというホテルがぽつんとできて、大学受験のころにそこに受験生が泊まり、「近ごろは受験生がこんなホテルに泊まるようになった」というのが驚きのニュースになっていたころの風景だ。

 近くの店に行くと、昔から土地っ子のあいだでリーダーとして慕われていると思しき若大将が、戦後の西新宿の変遷を物語る写真を見せてくれる。お大尽さまたちが十二社(じゅうにそう)の池のほとりの料亭だかなんだかに集まり、若き日の女優さんたちが通っていた精華女子高もあったころだ。近ごろ、夕方によく道端に腰かけて話をする昭和23年生まれの近所のHさんの話も、おもにその時期に集中する。

 ちょっと足を延ばして、町内の古くからのお宅の当主のかたにお話をうかがうと、「昔はね、このあたりに井伊直弼さんの屋敷があって(たぶん、近郊の別荘のようなものだったと思うが)、松林があったんだよ」という話も飛び出す。

 そう、そう言えば、いまではごみごみした街なかの裏路地のようになっているわが家の前の細道も、もとは江戸から内藤新宿や追分を過ぎたところにひろがるのどかな丘陵地帯の幹線農道で、少し行ったところで左にカーブして丘をのぼっていくと、のちに、関東大震災のあとで下町の職人さんたちが大挙して移り住んでくるまで、玉川上水の通るのどかな田園地帯だった渋谷区の不動通りのほうへと抜ける。わたしもときどき、夕暮れに多少見通しのきく山手通りを通りかかると、ビルのあいだにひろがる赤らんだ空を見上げて、そのころの農村の人たちが、鍬を肩にかついで夕空に見とれているところを思い描くことがある。丘のふもとの淀橋には、現在ご存命中のかたがたの昔話にも語られる「水車」もまわっていた。

 ここに初めてはいってきた人は、氏神さんの名前「熊野神社」が物語っているように、「紀州の鈴木さん」だったという話が「定説」として語り継がれている。メインストリートの名前に残る「十二社」も、いまでは世界遺産になっている紀州・熊野地方の十二の拝みどころに由来するらしい。

 その鈴木さんが、どういうわけがあったのか、西から大陸文化とともに発展してきたこの国の(いや、それで追い出された人は、そうは思わないだろうが)当時の先進地だった関西からわざわざこんな遠国まで来て、最初に土に鍬かなにかを入れたときの風景も、ときどき思い浮かべることがある。20世紀に、この国では末代を養えないと判断した国の政策で勧奨され、南米に移住した人たちは密林や荒れ地を前にして途方に暮れたというが、西新宿の鈴木さんもそんなものではなかったか(南米の土地も、武蔵野台地の土地のように、その多くは、手を入れることによってなかなか恵み豊かな土地になることが判明している)。

 東京の人はかわいそうだと、若いころから思っていた。地方に生まれ育ったわたしのような人間は、自分で「動こう」という意思を持たないかぎり、生活の糧さえ確保することができれば、そこで暮らしていくことができ、「おれは……の人間」と言って自分のアイデンティティを変える必要はない。しかし、東京で生まれた人は、親から子へ、子から孫へと生活の基盤を受け継ごうとすると、相続税を払えと言われる。単に上の世代が下の世代へ生活の基盤を受け継ぐ行為に対して賦課するのにふさわしい金額ではない。いまのわたしのように、多くの人が地方から仕事を求めて出てくることによってつり上った地価とかいうものに連動してつり上がった金額だ。

 自分が生まれ育ったところに住みつづけられないなんて、こんな差別はない――若いころは、そう思った。このブログでは何度か書いているが、まだ20代で小金井に住んで渋谷に勤めていたころ、地方から大勢の人が東京へ出てくる4月のある日、山手線の、体が宙に浮くような満員電車に乗っていたときに、車両のなかほどのどこからか聞こえてきた「イナカモーン、カエレー!」という、乗客のなかに埋もれていると思しきおじさんの悲痛な叫びも、いまだに鮮明に耳の奥に残っている。

 しかし、いまではもう、この鈴木さんの西新宿も人が土とつながる場所ではなくなっている。単に、東京に生まれたというだけの理由で代替わりのときに国とかいう組織から高い金を払えと請求された人たちが、しかたなくその自分の少年時代や少女時代が染みついた土地を処分したりして払った金は財務省の懐へ行き、土を守ることよりゲンナマになる仕事のほうがほしいと言って陳情に上京してきた人たちに配分され、その予算と票が取り引きされるかたちで戦後のこの国の経済や政治はかたちづくられてきた。

 なんだか、くるくるくると螺旋を描いて国やその経済が宙に浮いていっているような印象を受ける。遠い将来の子孫の時代まで見通しのきく人が政治や行政の現場にいたら、国が宙に浮くのは絶対にいけない、それこそいまはやりの「持続可能性」に反する行為であって、宙に浮いたものはいつか必ず吹き飛ばされるときが来ると考えそうなものだが、そういう考えが出てきているとも聞かない。いま、世のなかでは危険ドラッグというものが問題になっているみたいだが、世のなか全体が「金」という危険ドラッグにのめり込んでしまっているのではないかということも考えてみる必要があるのではあるまいか。金は人間の頭のなかにしか価値の存在しないもの。地球や宇宙の前では、それを山ほど差し出しても、なにも返ってこない。「土」は、地球や宇宙の前でも、蝿や蚊ほどもない人間が大切にすれば、少なくとも、この地球というちっぽけな命の舞台が爆発やなにかを起こさないかぎり、当面の命はつないでいけるもの。金は環境とコミュニケーションをしないが、土は環境とのコミュニケーションそのもの。そのあたりの格の違いに、早くわたしたちが気がついたほうがいいのではないかと思っている。

 ちなみに、わたしも先に書いたおじさんの悲痛な叫びなどを念頭に地方に戻っていたが、いまはまた東京に舞い戻り、地価を押し上げる一因になっている。ただ、仕事場はまだ地方にそのまま残っており、このブログに書いてきたように、池に囲まれた土と密着した場所で樹木の葉に埋もれている。妻を見送った場所でもあるし、そのままそこにいつづけるつもりでいたが、あるとき、地元の市がいきなり(母親には事前に説明していたようだが)畑だったその仕事場の裏手をアスファルトの駐車場に変えたのを見たとたん、理屈ではなく、自分でも劇的な変化だったが、帰ろう、帰りたい、という気持ちがまったくなくなったのを感じた。そうか、東京の人たちはみなこういう思いをしながらやってきたのだな、と思いつつ、いまはその東京の人たちと道端にすわって四方山話をしながら、土にアイデンティティを感じることもなくなったと思われる小学生の子どもたちの下校姿などを見送っている。


by pivot_weston | 2014-10-03 16:43 | ブログ