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池、池、池……池

 誰の人生にも、その人生の「キーワード」のようなものがあるだろう。

 2回にわたって「土壌」のことを書いたところで、どういうわけか、そうか、やはりおれの場合は「池」もキーワードのひとつなのかな、という思いが頭をもたげてきた。

 わたしのまわりには、大、中、小と、3つの池があった。「大」は、このブログのロゴ画像に写っている、真っ黄色の菜の花に彩られた池。その昔、山からの自然な水の流れが選択的にえぐってできた谷を見た日照りの国の住人たちが、ここに土手を築いたら具合のいい水だめができるわいな、と考えてつくった池。そこいらじゅうの谷から水を集めて流れ込む4本の川が合流し、しかも、閖(ゆる)とは別に吐き出し口がひと筋あるものだから、ちょうど左手を伏せたような形になっている。

 ちなみに、ネット上には、「閖」には少々卑猥な意味もあるという解説があるようだが、これは、わたしも一時住んでいた横浜の保土ヶ谷の「ほと」などと同じで、その場所を遠くからながめると、その地形や機能などからなるほどと思わされ、昔の人がいかに素朴に遺伝子の命を永らえる使命に埋没していたかを考えさせられるが、それを「卑猥」という、なんとも薄っぺらな表現で総括するようになった時代の退化も思わされる。

 大きなものは概して大味で、多くの人の手あかがついて、個々人の感懐は薄れていくのが世のつねなのだろうが、この大きな池はわが家の場合、そういうわけにもいかない。子どものころに両親を亡くし、親類の家に預けられて育った祖父が、手に指物の職をつけ、弟・妹を養い、弟子も何十人か住まわせていた家が「閖」の真上の土手上にあった。だが、大きな池であるためにそこにたまった水の圧力もすさまじく、昭和17年(1942年)の大雨のときに、その土手が閖の上でまっぷたつに割れて下流の村や町が海まで水につかった。朝のうちに、となりのおじさんが、土手の中腹からちょろちょろと水が流れ出しているのに気づき、村人たちも集まったみたいだが、その段階ではもうどうすることもできず、午後には、それまで池の下の村人たちの視界をふさいでいた土手がぱっくりと口をあけ、そのできたての崖の上に、祖父の人生の作品だった大きな家の半分が流れ残って引っかかり、その光景を顔もそむけずに気丈に見つめる祖母のかたわらで、祖父がうつむいて頭をかいている――という写真を、わたしも一族のトラウマとして深く胸に刻みつけながら育った。

 その池の、いまでは地域の幹線道路になっている土手を隔てて、となりには、そんなに近くにあるのに水路でつながっているわけでもない、考えようによっては中途半端とも言えそうな「中」の池があった。だが、ここはその中途半端さがゆえに逆に、利用者が限局されたりなにかしたものだから、近隣の生活者のわたしたちにとっては、もっとも身近な池でもあった。家を流された直後に次男もインドネシアで戦死させた祖父は、洪水で流れ残った大工道具や材木に囲まれた「細工場」で生活をしながら、自分からはもう「大工」とは名乗らず、自分で小舟をつくり、投網を編んで、格好の助手になる孫息子が生まれてきたのを幸いに、その助手がランドセルを背負って帰ってくる時刻になると、その投網をかかえて小舟を肩にかつぎ、「ほれ、行くぞ」と言って、その「中」の池の、中の分だけ簡素なつくりの土手まで上がる小さな坂道をのぼっていった。

 職人というのは、専門とする職に向き合っていないときでも職人なのかもしれない。助手は小舟のなかに染み込んでくる水をかい出しては、舟べりの鏡のような水面やその無定形なものの上に浮かぶ不安定な自分の存在がいだかせる不思議な思いにひたっていたが、自称「漁師」となった祖父は、家に戻り、とってきたフナを庭の濠や防火水槽に移すと、助手にはどこにほころびが生じたのかもわからない投網を、やはり手製の道具で繕いながら(助手は、そんなん、また明日にしたらええやん、と思っていたが)、その日の反省点や明日の課題などを口にしていた。そして、その「漁師」がまな板を出してきたら、助手は七輪を出して火をおこす。それを、かたわらで助手と同い年の三毛猫のタマがおもしろみがないくらいに理知的な表情でじっと見ていて、まな板の上や水槽のなかでぴちぴちとはねるフナなどには決して手を伸ばさない。

「漁師」は「料師」となり、その役どころが終わると、魚を焼いたりするのは助手たちにまかせ、また、のそのそとものぐさな老人に戻る。助手にはまだまだ仕事がある。まだ水道も通っていないころだったから、台所(かまや)の井戸から別棟の風呂場までバケツで水を運び、近くの神社でひろってきた薪をその五右衛門ガマの下に組み上げ、まだかすかに青さの残る空に突き出た煙突を見上げながら、薪といっしょに突っ込んだ新聞紙に火をつける。

 夏の暑い時期には、そんな面倒な手間ははしょり、「料師」がフナをさばいた庭に大きなたらいを出して、そのまま行水。目の前に見える「中」の池の土手に人が通りかかっても、どちらも着衣かどうかなど気にせずに大きな声で話をし、家族がみんな帰ってくると、またその庭に出した縁台の上でみんなで食事をし、井戸水で冷やしたスイカを食べ、あとはそこに仰向けに寝転がって満天の星空を見上げ、月の表面にきねを持ったウサギの姿を思い浮かべていた。

「小」の池は、ほとんど生活には顔を出さない。少し離れた神社の裏手にあり、墓地の丘とみんなの生活の場を区切る境目にも当たっていた。池といっても、神社の雑木林の奥の窪地にできた小さな沼のような水たまり。でも、そのほとりの雑木林のなかにすわり、ふだんは農家の人もほとんど来ることのない墓地の丘を前にして、大きな葉叢にふくらんだ茅の下にたまったその沼の水の、とろりとした、大風の日でもほとんど揺らぐことのない水面を見ていると、「神座(じんざ)池」という、いかにもその場にふさわしい幽玄な響きのある名前がついていたせいもあるのか、その隔絶された空間がとても安らぎを与えてくれた。

 土手も、この「小」の池の場合は神社のわきの小さな窪地を堰き止めるものだから、長さといっても2~3mしかなく、幅も人がひとり通るのがやっとくらいで、だから、そこは丘の農地へ行く人の通り道として利用されるくらいで、墓地へ行く人もそこから眼下に見下ろせる集落の手前の平地のあぜ道を通っており、最初にわたしに「人の死」を体験させてくれた祖母も、やがて妻と同じような桶に入れられることになった「大工」あらため「漁師」兼「料師」も、みなその道を通って村人たちの葬列に送られていった。その、いつまでも消えることのない野辺送りの記憶が焼きついた光景が見渡せることもあったのか、「助手」が大人になってエマソンやソローを読みだしたころには、その小さな小さな沼が自分にとっての「ウォールデン池」、世界でいちばん大切な場所のようにも思えた。

 だが、大学に入学して家を離れ、東京に出て働くようになるうちに、たまに帰ったときに見るその3つの池の光景がどんどん変質していった。「大」はまず、水がどうしようもなく汚くなった。なにより、秋になって閖から水を抜いたときには、アドベンチャーワールドを求める子どもたちがあっちの村からもこっちの村からも散開していた一周4kmほどのその池の領域に人影がなくなった。「中」は、ただのコンクリートの水槽に変わった。そして、「小」の、神が座していたはずの池は、完全にあとかたもなくなり、「神社の奥の」と表現するのも意味を失う、ただの森のはずれのどこだか特定しようもないところへ消えてしまった。

「助手」の後継世代でも、どうにか時代が変わる前に間に合った長女だけは、もちろん本人に記憶はあるまいが、一度だけわたしたちといっしょに、ベビーカーに乗ってその幻の沼のちっちゃな土手まで行ったことがある。長女の乗ったベビーカーをかたわらに止めて、東京育ちの妻とその土手にすわり、「いいところだろう」「おとうさんのウォールデン池だよ」と言いながら、遠くの集落をながめたときには、まさかその存在までが消されるとは夢想もしなかった。

 ともあれ、そんなふうに「池」といろいろとやりとりをしてきた隠遁生活者がいまは東京のビルの谷間で隠遁生活を送っている。でも、実はここも地名が「池の下」。かつては水面の上に柳が垂れ、花柳界の紅の灯がともっていた。だから、かつてソローの世界に共感し、『大いなる勇者』のジェレマイア・ジョンソンの生きかたにひかれた隠遁生活者も、ここの生活に抵抗なく溶け込めているのかもしれない。

 お、そうか、今日も一度もお会いすることのできなかった人生のだいじなお師匠さんの命日だった。

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by pivot_weston | 2014-07-26 09:09 | ブログ

国際土壌年がやってくる!

 すごいタイトルやなあ――と思い、つい反射的に、ここでも復唱させていただくことにした。

 先の記事「フォーカス・オン・アース」をアップしたら、さっそくキャプテンMから新しいサイト、ソースの紹介があった。

「国際土壌年2015応援ポータル」だって。

 ここなら、小中高生のみなさんも「国際土壌年2015応援団」にとっかかって、食らいついていけそうだ。なんつったって、子供向け教材「土壌の観察・実験テキスト」の紹介もあるし(お、Webからダウンロードもできるんだ!)、「高校生ポスター発表会」の案内もある。

 ぜひみなさん、一度のぞいてみてください……と、書いたところで、「東京農工大小金井キャンパス」の文字が目にはいった。

 農工大のキャンパスにおじゃましたことはなかったけど、ここ、実はわれわれ夫婦の段ボール箱をテーブル代わりにした新婚生活の地。おもしろいところだった。

 妻とふたりでアパートさがしをしていたら、「武蔵小金井駅徒歩2分」という物件を紹介された。小金井というのは行ったことのないところだったけど、「お~、2分ならいいじゃん」と言いながら、その物件を見に行ったら、いきなり駅前(というか、駅前の少しわきのほう)に木ばかりが植わったところがあった。どうやら、大きな植木屋さんかなにかだったらしいが、紹介された物件はその陰、というか、奥。駅前の通りの裏手の自転車置き場のわきの板柵のあいだをすり抜けていくと、ほんとうに2分(いや、もしかしたらそれ未満)で行けるとても便利なところだったが、大地主の大家さんの敷地のなかにあったので、車もほとんどはいってくることのない静かなところだった。

 で、毎日夕方になると、その大家さんの大きなお屋敷の裏手のほうから煙があがる。まだおばあさんがかまどでご飯を炊いていたのではなかったか。西の空がほんのり代赭色に染まるころ、ベランダから駅前の西友や長崎屋を見上げる視界の片隅に、その暮らしの煙が奥ゆかしく立ちのぼる光景がなかなか胸に染みてよかった。

 みんなが窓をあけはなつ夏には、近くからピアノの音が聞こえてきて、裏の畑では悪がきどもが野球をやっていて、うちの窓も一度、ガチャンとなつかしい軟球で派手に割られたことがあったか(はは、いまから思えば、まだ『オバケのQ太郎』なんかの、土管を積み上げた空き地のあった時代だ)。

 生まれたばかりの長女を座布団の上かどこかに寝かせていると、田舎育ちのわたしにも意外だったが、天井のどこかからヤモリがぽたぽたと落ちてきて、テレビから欽ちゃんたちの「めだかの兄妹」の歌が聞こえるなかで、「わっ、またヤモリだっ!」パチンッ!――とやっていたのを思い出す。週末になると、そこへ翻訳学校の仲間たちが集まってきて、そうなると長女にはどこかへ撤退願い、同じ座布団の上でまたパチンッ、パチンッ、「よしっ、イノシカチョー!」「マツ来い!」などとやっていた。

 長女が通いだした保育園も、駅の南側(農工大の側)の、バスで行くような遠いところにあったが、そちらにはまた、途中にニワトリを飼っていた農家があり、そこまで行くと決まって長女が「トットちゃん」「トットちゃん」と言ってしゃがみこむものだから、毎日、「トットちゃん」の時間こみで早めにバスに乗っていた。

 冒頭の話とはなんの関係もない話だけど、つい思い出すままに……。小金井は文章や言葉の世界の人もけっこう住んでいて、地べたからいろんなものの染み込んだそういうものを吸い上げる土壌が整っていたところでもあったような気がする。

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by pivot_weston | 2014-07-23 06:52 | ブログ

フォーカス・オン・アース

 年頭の記事に(といっても、ずいぶんサボッていたので、ほんの5つ前の記事だが)「今年は「土の年」に」と書いた。

 記事のなかで触れた「学問」の分野の仲間たちがサイトを立ち上げた。「Soil Survey Inventory Forum(SSIF: 土壌調査インベントリーフォーラム)」というグループのサイト。

 ちょ、ちょっと、どっからとっつけば……と思わないでもないが、ま、ま、そこはそれ、学問の分野のコアグループからの情報発信サイトだから、やはりその個性には、変更する必要のない意味がある。

 わたしが夢想しているのは、こういう芯のあるサイトと別の分野(とくに農業分野)の人たちや子どもたちがつくった、それぞれに独自の発想力や表現力のこもったサイトやメディアが結びつき、それがどんどんひろがって、日本、いや、世界のみんなの意識や毎日の暮らしのなかに「ソイル・コンシャスネス(土壌意識)」が浸透し、定着していくこと。

 だって、そうだもん。わたしたち人間は武器がなくても生きていけるけど(いや、ないほうが生きていけるのか)、土がないと「ひとりも」生きていけないんだもん。

 たとえば、(日本発信のメディアで、お、これは――と思うものがなかなか目に飛び込んでこないのが悔しいのだが)YouTubeをざっと検索しただけでも、こんなメディアがある。

Let's Talk About Soil
Soil Stories
The Great Soil Discovery
Dirt: Secrets in the Soil

 とくに、最後の「Dirt……」のユタ州の取り組みなんかには、子どもたちが(ま、大人にしゃべらされているのだろうが)一所懸命に土壌のことを語るのを見ているうちに、感動させられてしまった。

 日本でも、夏休みに入ったことでもあるし、小中学校のみなさんが、人間を狭い知識の枠に閉じ込めて融通のきかないばかにする受験勉強などに一所懸命にならずに、「土」のことを勉強して、(夏休みの自由研究としてでもいいけど)思い思いにこんなメディアをつくって発信してくれたらうれしい。

 で、最終的には、そういうメディアが前記のSSIFのサイトなんかを経由してでも経由しなくてもいいけど、世界の土壌との取り組みのセンター、国連世界食糧農業機関(FAO)の「地球土壌パートナーシップ」の事務局などにつながっていったら、少しは「ソイル・コンシャスネス」が世界に浸透したことになるだろう。

 ここには、Ronald Vargasという大男のごっついおにいさんがいる。ボリビアからパラグアイ、ソマリアを経由してローマのFAO入りした心やさしいおにいさんで、本気で「土はだいじなんや」「土がなかったら、人間は生きていけへんのや」と思い、世界の人の意識喚起に取り組んでいる。

 最初は「Mr. Vargas」「Mr. Vargas」と呼んでいたけど、途中でつい「Ronald」と呼んだら、とたんに「おお、そうだよ。もうRonaldでいいよ。そう呼んでくれ」と、眉をひそめて言うものだから、「んじゃ、いっそのこと、もっとくだけて、Ronyにするか」と言ったら、「……と、と、そいつはちょっとなあ……」と言い、そのときのちょっとあわてた表情に生真面目な人柄がよく表れていたのだが(彼はこちらのFAOのメディアに登場している)。

 ともあれ、世界の文明はひとつのクライマックスを迎えている。これまで世界を引っ張ってきた西欧の人たちは「持続可能性」というキーワードを生み出したが、残念ながら、契約や株式など、自然界の貧しさを糊塗して富や力を維持するための(プランテーション経営を成り立たせていた)仕掛けに頼って生きてきた彼らの生きかたそのものが「持続可能」なものではなく、これからはアジアやアフリカや中東や中南米などからの知恵と世界観の注入がなければ、世界は壁にぶち当たって自爆するしかないピンチに直面している(いまの中東情勢などもそのひとつの兆候だと思う)。なんとかひとりでも多くの人が自分の「足もと」、「土」に目を向けてくれるといいのだが。

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by pivot_weston | 2014-07-21 05:16 | ブログ

W杯のひとコマ

 ほんとうに久しぶりの顔出し。いつのまにか季節が変わっている。

 相変わらず机の前でちまちまと密室自営業暮らしをしながらサッカーのワールドカップのアルゼンチン対ドイツの決勝戦を見ていると、とても印象的なシーンがあった。

 どちらかのチームの選手が右サイドをドリブルで駆け上がった。そのすぐ横(内側)には、相手のディフェンスの選手がぴたりと並走していた。

 ドリブルしていた選手がペナルティーエリアのわきまで行ったとき、急に反対方向へ(つまり、自陣方向へ)ターンをした。まず速度を落として、立ち止まり、しかるのちに反対方向へ向かってドリブルを始めたのではない。高齢の素人の目には、相手のゴールラインの方向へ向かって一目散に駆け上がっていた選手が、一瞬にして反対方向への動きに転じたように見えた。さすがは世界の最高峰で闘うアスリート。脚には何Gがかかったかと考えたくなるようなシーンで、幾何学的にはとても単純な動きだが、凡人には、若いころの肉体の記憶までまさぐっても理解のしようがない。

 だが、もっと驚いたのは、その内側をぴたりと並走していた選手の動きだ。おそらく、並走しているあいだに相手の呼吸や微妙な体や脚の動きなどからなにかを感じ取っていたのだろうが、ドリブルしていた選手がみごとな切り返しをすると、それと同時にターンをした。いや、厳密に測定すると、零コンマ何秒かの遅れはあったのだろうが、くどいようだが、テレビの画面越しに見る素人の、それも視力の低下した肉眼には、「同時」に見えた。

 なんであんなことができるのか?――しばらくはその後のボールの動きはそっちのけで、そのふたりの世界最高のプレイヤーが見せてくれた驚異的な一瞬のことを考えた。

 でも、そこで、まったく違った角度からの似たような現象に関する思いが浮かんだ。

 わたしたちの暮らしのなかでも、全力疾走するときはある(実際に「走る」ということはではなく、気持ちのうえでの「全力疾走」だ)。スポーツは相手がいて、その相手を阻止したり、出し抜いたりするものだから、上記のようなストップ&ターン能力などに人間の粋が見られるが、世のなかでは逆に、ストップできない状況、ストップすることなど考えてはいられない状況、あるいは自分以外のなにかや誰かのために絶対にストップなどしないぞという気持ちになるときがある。自分の全力疾走能力がいかに低くて、また、脚がもつれたり、体がよろけたり、場合によったら一回や二回はでんぐり返しをしても、目の前に時間と空間があるかぎり、とにかく自分のなかにあるエネルギーをすべて出し切って全力疾走するときだ。

 そして、そういうときはサッカー選手たちとは逆に、並走している人がぷっつりといなくなることを恐れないことを求められる場合もある。サッカーのディフェンダーは、ドリブルしている選手がターンして横からいなくなってもひとりでどこまでも全力疾走していたら変だ。「あの人、ひとりでなにやってんの? クツクツクツ」ということにもなる。おそらく、世のなかでもその点は同じなのだろうが、でも、人生では、そんなことは屁でもないという気概を求められることがある。たとえ観客スタンドにぶつかっても、あるいはそこを突き破って競技場の外まで飛び出すことになるとしても(Tom & JerryのCartoonを見過ぎかな)、並走している人がいるかぎり、フェンスの前だからといってひるんだりしているわけにはいかない状況だ。

 おそらく、70年前にインドネシアのアンボイナ島の沖で藻屑と消えた伯父なども、マラカナンスタジアムの観客スタンドを突き破ることくらいがなんだ――という気概で飛行機で飛び立ったのだろう。兵庫県の川西の飛行場から熊本の連隊に移るときに彼女の自宅の上空を周回していったというから、伯父の場合には、並走している人の存在を自分から消して、もうあとは壁にぶち当たるだけとわかって全力疾走していったのだろう。

 伯父は残念なことに「クツクツクツ」という冷ややかな笑いを浴びせられる目には遭えなかったが、それは、遭えたとしてもそれでいいのである。自分が問題にしている時間と空間が過ぎてから起こることは関係ない。とすると、なにも瞬時のストップ&ターンだけが人間の粋ではないのだな、とも思わせてくれたW杯のひとコマだった。

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by pivot_weston | 2014-07-15 18:14 | ブログ