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母親のテレビから

 作曲家のゴーストライター騒動が話題になっていた。

 母親がつけていたテレビでやっていたのを「なんじゃ、そりゃ?」と言って見せてもらって驚いた。

 作曲家氏のインタビューシーン。別に最先端機器を使って声を厳密に分析してみたわけではないが、その人なりに完璧な発音、発話のように聞こえた。ちょっと笑った。

「こんなん、ちょっと見たら、耳聞こえてるって、誰でも思うじゃろ」

 と、ついわたしも度を超したことをあっさり言ってしまった(ま、家庭内のことなので、ご容赦を)。

 聴力に障害のあるかたにとって、なにより大変なのは音の再生だと思う。ベートーベンは聴力を失って作曲をしたというが、音符という記号を通して音を再生する音楽の場合は、おもに記憶力やなにかの問題になるのだろうから、まだ比較的容易なほうではないかと推察する(それでも、もちろん、大変なことは大変なことで、それがまた多くの人を聴き入らせるだけの素晴らしい作品になっていたから、ベートーベンはベートーベンたりうるのだろうが)。

 言ってみれば、ひとりひとりの聴覚障害者のかたのほうがもっと大変なことをしていると言ってもいいのかもしれない(いや、もちろん、ベートーベンもそのひとりなのだが)。音符という記号なしに、それを再生してくれるオーケストラの人もなしに、ご自分の口や喉やあごの筋肉やなにかを使ってご自分の気持ちや意思を伝える音を再生している。ひとつひとつの単語を完璧に発音するだけならまだ難易度はやや低下するだろうが、誰かとコミュニケーションしようと思えば、その単語を無数につなぎ、しかもそこに抑揚、調子もつけていかなければならない。

 わたしたちがそんな離れ業を難なくこなしているのは、聴力という確認手段があるからだ。話をしながらも、無意識のうちにリアルタイムで再生される音を基準に微調整をしたり、強めたり弱めたりをしている。つまり、あの作曲家氏がほんとうにまったく聞こえていないとしたら、作曲したという音楽よりもあのインタビューシーンのほうがはるかに偉業と言っていいかもしれない。

 それなのに、10年以上もおおやけの場で活動していながら、その偉業に驚いたり、疑問を感じたりする人がいなかったとは。あの作曲家氏のことをまったく知らなかったわたしは、母親のテレビを見たあとで、いちばんそこに深刻さを感じた。

 もうテレビメディアはただの宣伝媒体と化している。NHKのニュースも、どこかの国の、つねにみんなに笑いの種を提供してくれる国営放送のニュースと大差はない。世間の人が美談をほしがっていると思えば、美談を「取材する」のではなく「つくる」(いや、つねに「取材」という行為に求められる批判精神を意図的に圧殺しているか、あるいは、そもそも持つ気がないか、持とうとしても持てないだけかもしれないが)。

 別に、自然発生的な美談を否定するつもりはない。でも、わたし自身も一度、自分が疑問を感じた美談をメディアに無理やり押しつけられそうになった経験があるので、そのあたりの仕組みはなんとなく想像がつく。

 でも、まだ美談がほんとうに美談のレベルだけにとどまっているのなら、それほど深刻とは言えないかもしれない(だから、今回の作曲家氏も、ほんとうに聴力がどうなのかはわからないが、こうなったらメディアはすべての責任を彼ひとりに押しつけてくるだろうが、平気の平左でたくましく生きていってもらいたい)。そんなことより、どこかの国のエージェントとしてスポーツチームを通して長年この国の世論操作をしてきたメディアもあるようだが、そのうしろ暗い操作も世界情勢の変化で行き詰まろうとしている。消費税増税で軽減税率の導入が見送られようとしているときに、たまたま行われている都知事選挙で、どれだけの候補が軽減税率の導入を叫んでいるのか知らないが、「世界一の福祉都市に」という声は聞こえる。「世界一の福祉都市」で年金生活者が大根一本買うのに一割の税金を払わされることになるとしたら、これはもう、どこかの国の国営放送を超える笑いの種かもしれない。なにもかもが、地べたから生きていない連中の虚言妄言で流れていくようになったら、糸の切れた凧と言うしかなく、クラッシュの日が訪れても不思議はない。


by pivot_weston | 2014-02-08 10:26 | ブログ