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もうひとつの争点

 もうひとつ、たぶんこれからの東京の課題になると思われることを書いておこう。先の「分割」「冗長化」にも関係すると思うが、「満員電車の解消」である。

 あれはそうとう異常な現象だと思う。昔から、なんで変わらないのだろう、なんで変えないのだろう、と思っているが、この前誰かに「まだ続いてんの?」とたずねても、「相変わらずですよ」との返事が返ってきた(わたし自身は密室型自営業者なので、そういうものには乗らないから知らない)。たぶん、日本でも、昔からああいうことが行われていたわけではなく、戦後の混乱期あたりから、生きていくためにやむなく始まったことではないかと思うが、それがいまでもそのまま続いている。

 40年前、初めて東京で途中下車して退勤時刻の中央線に乗ったときには、驚いた。「満員電車」という言葉は聞いたことがあったが、実際にその現実のなかに身を置いてみると、わたしのような田舎の人間よりきれいに身なりを整えた人たちが平気で知らない人と体をくっつけ合っているのは、ある意味、衝撃的な光景だった。ドアが閉まる直前に乗り込んできた人が、いくら自分に都合があるとはいえ、平気で、背なかでなかの人を押し込んでいる姿も信じられなかった。なんだ、ほんとうは田舎の人のほうが繊細で、都会の人のほうが無神経なのではないか、とも思った。

 だから、田舎の学校をやめて東京に出てきたときも、独身のうちは満員電車に乗らなくてもいいように都心にアパートを借り、通勤するとしても「反対方向」の電車ですむようにした。でも、結婚するとそうも言っておられず、やむなく武蔵小金井から渋谷まで通勤電車に乗ることになったが、そしたら4月の入学・入社シーズンに原宿のあたりで体が宙に浮くような思いをしていたときに、車内の奥のほうから「いなかもーん、かえれー!」という、まるで海でおぼれているようなおじさんの悲痛な叫び声が無数の人たちの頭の上の空間を切り裂いた。それで、そうか、別に東京の人が無神経なわけではなく、仕事があると言って出てくるおれたちが悪いんだなと思ったのだが、幸いにして、わたしは1年あまりのその渋谷の会社勤務時代にも二度ほどクビを宣告されて結果的にいまの「フレックスタイム」のようなかたちになったので、満員電車にはあまり乗らずにすんだ。

 で、東中野に引っ越し、自営業が板についてきたころにも、また「満員電車」のことを考えさせられるできごとが起きた。仕事の関係で、夜の8時ごろだったか、イギリス空軍出身のGさんと山手線に乗っていたときのことだ。そのときは体が宙に浮くようなことはなかったが、それでも、立っている人と人の間隔が20~30cmになる程度には混んでいて、わたしは大柄なGさんと向かい合って車両の左右のドアとドアの中間に立っていた。すると、ときどきGさんの表情が険悪にゆがみだした。なんだろうな、と思い、彼の背後を見ると、まあ、ふたりだけの夢の世界にひたっていたのだろうが、若いカップルがゆらゆら揺れて、ときどき彼の背なかに寄りかかっていた。

 気の短い人だ。おまけに「空軍」の腕力もある。だから、なだめるつもりで、ほんとうに困ったものだよな、というように笑いかけようとしたが、彼の不愉快さはすでにそんなことでなだめられるレベルをとっくに超えていたらしく、笑いかけるこちらの顔もろくに見ずに、いきなり肘鉄で背後にいたカップルの男性のほうを突き飛ばした。フォークランド戦争を戦った「空軍」だ。その男性の体は、となりの車両との接続口までのあいだにいた人たちを将棋倒しにするようにして、その接続口のあたりまで吹っ飛んだのではなかったか。

 あちゃ、やりすぎだよ、と思い、肘鉄を食らわしたまま背後を見ようともしないGさんに注意をしようとしたが、その前に、そのようすを見た、突き飛ばされた男性がGさんに文句を言うのかと思いきや、意外にも、わたしのほうへ向かってまったく思いも寄らない言葉を口にした。「なんだ、あんたは。日本人のくせに、ガイジンの味方をして」と。へっ!?――だ。あきれて苦笑してしまった。Gさんをなだめる気持ちも萎えてしまい、なんだよ、おれは日本人である前に人間なんだよ、知らない人間に寄りかかられたら不愉快なのはこいつと同じだよ、と思い、そのまま知らん顔で電車を降りた。

 Gさんの出身地であるロンドンで行われた先のオリンピックからは、オリンピックにも人が快適に、無理なく過ごせるサステナブルな環境の整備が求められるようになり、競技会場までの公共交通機関にもずいぶん配慮が払われたと聞いている。東京の前回の1964年のオリンピックのときには、おそらく海外から来た人たちも原宿の選手村など、山手線の内側くらいにとどまっていられたのだろうが、今回はそうもいくまい。2020年にオリンピックを開催するのであれば、せめて「満員電車」くらいは解消しなければならないのではあるまいか(満員電車だと困ったことが起こるからといって「女性専用車両」などというものも考案されているが、あんなのは異常の上塗り以外のなにものでもなく、あの無神経さに対する根本的な対策はなにも打たれていない)。

 オリンピックの招致決定以来、メディアではしきりに「おもてなし」という言葉が使われているみたいだが、あの「満員電車」のどこにおもてなしの心があるというのだろう。ついでに書いておくと、8年前に10日ほどヨーロッパのスロベニアというところへ行って戻ってきて、成田エクスプレスから夕方の横須賀線に乗り換えたときも、予想もしない衝撃を覚えた。「毒々しい」という言葉が最初に頭に浮かんだ。別にスロベニアという国も明るい国という印象はなかった。それなのに、その電車に乗ったとたんにほんとうに面食らってしまうほどの毒々しさを感じ、その印象が乗っている人たちの表情や放つ空気から来ていることに気づき、なんだ、日本はこんなに不幸な国なのか、とすら感じさせられた。

 日本によさがあることはわたしも知っている。でも、自分で「地震が来ても安全です」と国会答弁した原発が事故を起こし、まだ国際機関などが1970年代ごろの工事の状況を精査中だというのに「アンダーコントロール」だと言ったり、「おもてなし」という言葉を強調したり、あまりにも根拠のない言葉が宙を飛び交いすぎている。事実の裏付けのない宣伝文句は、あまりいいものとは言えず、単なる思い込みで突き進んでしまうと、逆に日本のいちばん悪いところが出てしまう可能性もある。なんでも、最終的な結論はあとで出るものとして、まずは謙虚に現実と立ち向かうことが大切ではないのか。満員電車を解消するとしたら、7年という期間はあまりにも短いような気もする(最終的に満員電車を解消するのは東京を構成する人ひとりひとりの意思表示、意思のある行動でしかないと思うが)。

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by pivot_weston | 2014-01-19 21:29 | ブログ

ひとつの争点

 東京はいつまでも思い込みのなかで生きていくつもりだろうか。

 原発は重要なこと。東京が考えなければならないこと。いまの福島第1原発4号機に事実上むき出しの状態でたまっている使用済み核燃料の大半は東京が使用したもの。電力を好きなだけ利用しておいて、発電の結果生じた排泄物はよその地域にあるから関係ないと言うのでは、自分たちのし尿処理場をよその地域に作らせておいて、よそにあるから関係ないと言うのと同じで、あまりにも民度が低すぎる。単に安全かどうか、再稼働すべきかどうか、エネルギーの供給構造をどうするかということだけでなく、あのような施設を(当然、事故が起こる可能性があるという「想定」があったからだろうが)金にものをいわせてよその過疎の地域に押しつけてきた過去のこの国の政治のありかたまで含めて争点にしたらよいと思う(最近はわたしのまわりにも、原子力発電所を安全だと言って作るのなら国会の地下に作ればいいと言う人がぽつぽつ出てきて、楽しい。やはり、理屈は筋が通っていなければいけない(わたしはそこまで過激なことは言わず、福島の低レベル放射性廃棄物は国会の地下に貯蔵するのがいいと言っているのだが))。

 でも、いまの東京には、原発よりもっと重要、というか、切迫している可能性のある問題があると思う(事故を起こしてむき出しの原発以上にそう言わざるをえない問題があるというのは、そうとう深刻な状況だと思うが)。それは、世界に対して、主要都市としての責任を果たすことであり、地震が来ても首都機能、あるいはアジアのひとつのセンターとしての機能を維持できる体制を築くことであり、それはすなわち、東京を分割すること、つまり、東京は小さな国の予算レベルを上回る巨大都市というような、責任ある自治体としてはなんの意味もないようなことを言っていないで、東京を東京ではなくすことだと思っている。

 3年前の地震のあと、あの地震で生じた地殻中のひずみを調整する余震がいまも続いていて、その余震の震源域は早くから、岩手・宮城・福島沖から茨城県あたりで内陸に切れ込んで千葉県北西部や東京方面へ延びてきそうな傾向を見せていたが、最近の地震の発生のしかたを見ていると、また一段と地殻の調整現象がその余震回廊の終着点、東京に近づいているような印象を受ける。

 東京は世界的に見てもきわめて複雑な地殻構造の場所にあると推定されている。だから、3年前の地震の余震域のデッドエンドにも当たっているが、ここに想定されている地震の要因はそれだけではない。

 基本的には、ハワイを供給源とする巨大な太平洋プレートがシベリアなどを含む巨大なユーラシアプレートを押しているところに当たるが、もとはハワイの噴き出しかたがそれほどでもなかったのだろうか、そのふたつの巨大プレートのあいだに北米プレートの先っちょが舌を突き出したようなかたちではさまっていて、しかも、南からも、フィリピン海プレートが押し上げてきている。その4つのプレートがぶつかり合い、ひしめき合うところに東京‐東海地方はあるわけで、紙粘土かなにかでシミュレーションしていたら、ぐちゃぐちゃになりそうなところなので、東京に大地震を引き起こすと予想される力は無数に存在しているように思える。

 いま、テレビなどでもときどき話題になっている「首都直下型地震」というのは、このような地下のプレートのせめぎ合いの結果、表層にひずみがたまって起こるもののことを言っているのだろうが、表層型の地震となると、相対的な規模や影響の範囲は限定されるが、神戸の地震でもわかるように、直上への影響はすさまじい。建設会社がどんなにすぐれた耐震構造や制震構造を考えても、真下が割れたらひとたまりもない。高い東京都庁の建物だって倒れる可能性はある。地球の自然現象を前にして、人間のレベルで絶対に大丈夫と言えるものなどひとつもない。

 だから、3年前の地震のあと、やはりああいうことは現実に起こるのだと思い知らされたのだから、日本は大急ぎで東京を分割するのだろうと思っていた。どこまで備えれば十分かという問題ではない。たとえ当面はかすり傷ひとつ負わずにすんだとしても、責任ある都市としては、つねに自分たちの都市が完全に崩壊することを想定し、できるかぎりのことをしておかなければならない。

 かりに地球全体が爆発し、人類がひとり残らず宇宙の藻屑と化すなら、東京が瓦解しようがどうしようが、そんなことはどうでもいい。でも、局所の巨大地震程度の災害の場合は、ほかの世界はそのまま残る。関東大震災の時代には、局所の瓦解がほかの地域におよぼす影響は限られていた。だが、現代は世界の経済がひとつにつながっている。なかでもアジアのひとつのセンターと言える東京が崩壊したときのよその地域におよぼす影響はかなり大きくなる可能性がある。かりに東京の機能停止期間が1週間だったら、その影響はどれくらいだろう。かりにひと月だったら、どれくらいだろう。

 保険などもかなり細かなところまで計算されている現代なので、当然そのような試算は行われているだろうが、だとしたら、首都機能や都市機能を分割または分散し、現在の東京の機能が巨大地震に遭遇しても完全にマヒしないような体制を作るのが、わたしたちの責任だろうが、それができる方法は東京分割・首都の冗長化以外にないように思える。なのに、いまの政治家の発言を聞いていると、東京をいまのまま災害に耐えられるようにしようと言っている。三陸に防潮堤を築いてよしとしていたような姿勢を思い出し、暗澹とした気分になる。何度体験したら自然の力がわかるのか、と思う。そんなことで、東京は日本の首都やアジアのセンターや世界の主要都市としての責任を果たせるのだろうか。

 かりに、いま1000万人と言われる東京の人口を半分にして、街を低層化し、空隙を広くし、地下構造も少なくし、建物そのものも強化すれば、影響はかなり小さくすることができるだろう。そして、そのような首都をもう1か所、別のところに作り、首都の機能を冗長化すれば、かりにどちらかで巨大地震が発生し、そこが完全に崩壊したとしても、日本の首都の機能やアジアのセンターの機能は1日も休むことなく、持続して果たしていけるだろう(別に3か所でも、何か所でもいいのだが、日本全国が巨大地震の巣なので、東京の街をそっくりそのまま国内の別の場所へ移すというのは意味がない)。

 最近は、中国の経済成長などもあって、アジアオフィスを開くときに東京ではなく北京や上海やソウルに開く企業も少なくないが、世界の企業も都知事選挙の機会などに説明責任を求めればよいと思う。東京都に地震に対する備えに関する説明責任を求め、納得がいく説明が得られなければ、資金や資本を引き揚げたらいい。首都を分割しないとしたら、その代わりにどのような対策を考えているのか。その説明が納得のいくものでなければ、どんどん資本を引き揚げて、東京を見放していっていいと思う。

 3年前の地震のあとでも、海外から救援や支援に来た人たちが、日本の人たちが「この国はいい国だから」という根拠のない思い込みをもとに行政やボランティアに説明責任を求めようとしないのを見て驚いたと聞かされたが、いま予想されている首都直下型地震についても、同じようなことが起きているのかもしれない。結果的にたまたま安全だった期間の生活の記憶をもとに、まあ安全だろうと決め込んで対策を怠り、ことが起きると大騒ぎをするという構図はもう見飽きた。

 3年前の地震や津波も決して「想定外」のことではなく、あれくらいのことが起こると警告していた人たちの話を「ばかなことを言うな」と笑い飛ばしていた人たちがいただけのことだ。思い込みから抜け出せない行政官やマスコミの言うことに流されていたら、いつまでたっても暗愚な時代に終止符を打つことはできない。もっと率直に多くの人たちがあらゆる可能性を議論し、国や都市のかたちを考えていくのが、いちばん本質的に経済を活性化させる方法でもあると思う。わたしはいますぐにでも首都を分割すべきだと考えていて、ただの人気取りやなにかのためではなく、「東京をぶっ壊す」と言う候補者が出てきたらいいなと思っている。

(ちなみに、原子力から再生可能エネルギーへの転換を主張している人たちにとっても、東京の小型・分散・冗長化は必要だと思う。原子力が低コストというのはまったくの人為的なでっち上げで、非現実的な「再処理」の想定を除外し、筋から言えばわたしたちが死んだあともえんえんと続けていかなければならない福島の人たちに対する補償を考えれば、お笑い草の論理だが、出力に関しては、やはり原子力がいちばんだと思う。つまり、原子力から抜けたいのなら、都市や生活の巨大化の方向を改めなければならないのも確かなのだと思う。)

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by pivot_weston | 2014-01-18 14:11 | ブログ

久しぶりの新発見

 久しぶりに『ときは流れる』という歌を思い出していて、意外な新発見があった。

 俗に言う「はやった歌」ではない。学生時代に高石ともやさんのレコードを買ったら、はいっていて、以来、当時は、『受験生ブルース』というある種のコミカルソングで一世を風靡した高石さんが、実はとてもきれいな声の持ち主であることもあって、マイ・モウスト・フェイヴァリット・ソングになっていた。ほかにも、自分の気持ちに活を入れるために、売れだして間もなかった松山千春さんの『大空と大地の中で』もよくうたっていたが、まだカラオケなんて普及していなかった時代に、全部で15名ほどのこぢんまりした結婚披露宴で「なにかやれ」と言われたときに、自分の人生のエポックを意識しつつ、まったくのア・カペラでやったのも、この歌だった。

 題名のとおり、「ときは~ な~が~れる~」というフレーズで始まる。

 で、そのあとでそれを受けるフレーズとして、以下のような歌詞が用意されている。

    とまってほしい やさしい愛のひとときも
    いつかは消える 苦しいころの思い出も

 もしかすると、もうひとつあったかもしれないが、思い出せない。ともかく、上のフレーズが「1番」で、下のフレーズが「2番」か「3番」の受けのフレーズだったと思う。

 当時の若造のわたしは、その順番にとても納得していた。わりあいオーソドックスな流れと言えるだろう。「ときは流れる」という現象を表現するときに、「いいこと」と「悪いこと」を並べる。そして、「いいこと」、つまり、甘くかぐわしきほうを先に出し、だよな、だよな、という気分を引き出しておいて、あとで「悪いこと」と言ったらおかしいが、より現実に強く感じているであろう「苦しいころ」も過ぎていくんだよとうたい、胸にささやきかけた言葉を肚にたたき込んでいる。どこか、「やさしい愛」なんて、そんなチャラチャラしたものは……という意識にも通じるかもしれない。

 でも、これも、そうか、もしかすると逆でもいいかもしれないな、いや、ほんとうは逆なのかもしれないな、と思えてきた。多くのことがそうだ。若いころはハードに思えていたことが、実はなんでもないことで、ソフトに思えていたことがとてもハードなことであったりする。若いころは、明日生きていけるかどうかが不安で不安で、どうしても「とき」の認識として「苦しい」が先に立ってしまうけど、それは実は、少しカメラを引いて俯瞰して見ると、単に、そのときどきでやることをやっているだけのことかもしれない。それに対して、「チャラチャラ」のほうは、ほんとうにただの「チャラチャラ」だけのことも多いけど、自分の人生の思いとして存在することもある。自分という人間が生まれてきて存在し、ほかの誰にもないその内面が環境に反応し、作動したために生じたものであり、だとすると、最終的には「単に、そのときどきでやることをやっているだけ」のことをやり過ごしてきた感懐より、そちらを見送る思いのほうが強くなるのはあたりまえのことかもしれない(詞は大阪の大野正雄さんという人の作品だと聞いているが、たぶん、大野さんも若かったのだろう)。

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by pivot_weston | 2014-01-12 16:06 | ブログ

「土」の年に

 初夢の時期に書いておこう。

 今年は「土の年」になってほしいと思っている。

 世界的には、来年がそうなることが決まっている。おととしの12月5日に国連の世界農業機関(FAO)がローマで「地球土壌パートナーシップ」という枠組みを立ち上げ、去年の6月11~12日に開かれたその最高決定会議の第1回総会で、パートナーシップ発足の日の12月5日を「世界土壌デー」とし、2015年を「国際土壌年」とすることを決定した。

 この動きを、日本が先頭に立って推進できるようにしたい、と願い、行動している仲間がふたりいる。学問と政治のそれぞれの分野で、どちらも小器用なハンドルさばきができないものだから、ぐんぐんぶっ飛ばしたい気持ちはあっても思うようにぶっ飛ばせない気持ちを我慢しながら、自分の考えを曲げずに、思う道を進んでいる。

 去年の「世界土壌デー」の前日にも、ある巨大企業の社長室の人に支援をお願いしたが、色のよいお返事はいただけなかった。要するに、土に投資してどれだけの見返りが得られるのかがわからない、ということらしい。

 簡単な話、貨幣のドメインを広げようという話なのだ。現行の貨幣のドメインで土に投資をしたらどれだけの見返りがあるか、という小さな話ではない。

 Wikipediaの「貨幣」の項にならうと、わたしたちは物々の等価交換だけで交流・交際しようとしていたら効率が悪く、いざこざも排除できないものだから、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」の手段になるものとして貨幣というものを編み出した。そして、その流通の範囲が地球全体を包み込むかたちで広がるうちに、この世の「価値」の基本を、誰もが高貴なものだと思える「金」のようなものに置く考えかたが浸透した。いま、わたしたちが「貨幣」を通して表現している価値観も、基本的にはその当時と変わっていない。「貨幣のドメイン」は、自然や宇宙の原理のように一定不変のものではなく、わたしたちその利用者の恣意で決まっているものなのだ。

 それが「気候変動」という現実にぶつかっている。わたしたちがこれまで恣意で生きてくる過程では、環境になど配慮する必要はないと思われていた。視点を変えれば、暗愚な時代で、環境にまで視野や思考がおよばなかったものだから、そちらのことは宗教やなにかにまかせて埒外に置き、甘えていた時代とも言えるかもしれない。

 でも、もう自然界が、このまま好き勝手にやるのなら、人類全体を生きていけなくするよと言っている。だから、従来の経済の枠組みを見直し、そこに環境に配慮した枠組みをつけたそうとしている。

 わたしの仲間たちが言っているのは、そうではなく、姑息的に従来の経済の枠組みのあちこちに部分的に環境に配慮した枠組みをつけたすのではなく、経済全体を包含する「貨幣のドメイン」をもっと足もとにも拡大しようということなのだ。

 温室効果ガスの排出がわたしたちの人類としての生命の持続可能性を脅かしているからと言って、工場の煙突にふたをするだけで、わたしたちの生活圏である陸地の表面を覆っている「土」を無視していたら、なんにもならないよ、だから、新たに陸地の表面を覆う「土」まで取り込み、そこまで拡大した「貨幣のドメイン」を構築しようじゃないか、世界でそんな大事業を先頭に立って推進できる国は日本しかないよ、ということなのだ。

 このブログでは何度か書いてきたが、世界でももっとも恵まれた土壌を持つアジアのなかでもひときわ豊かな土壌を持つ日本では、昔から土壌調査・改善事業が地道に行われてきていて、この国は世界中の国がうらやむような土壌に関するデータベースやノウハウを持っている。だから、「食糧」や「持続可能性」やなにかに危機感を感じた世界やアジアの国がこの国のリーダーシップに期待して行動を起こそうとしたのに、この国は逆に、古くさい土壌調査事業なんてものは経済効率化のために行政改革で切ってもいいものだと見なしてやめてしまい、世界からの期待が集まっても、本来ならただ通信チャネルの役割を果たしさえすればいいはずの官僚機構が勝手に判断をして、その期待や呼びかけに十分に応えようとしていない。

 貧しい土壌しかない欧州では、人類の未来に強い危機感をいだいたドイツあたりが躍起になって土壌への取り組みを推し進めようとしている。マイクロソフトの創業者のビル・ゲーツの財団も世界土壌電子地図の作成を後押ししている。これまで目先の文明や繁栄にうつつを抜かしていた人たちがあわてて人類生存の原点に帰ろうとしているときに、目立たないけれどもわたしたちの生命にとってきわめて重要なことに地道に取り組んできた国が、その人たちの気持ちを汲んでひと肌脱ごうとせず、いつものように頭をすっこめて、模様眺めをし、外圧が高まるのを待っている。

 先見性のない懐古趣味の大昔のような政治を取り戻そうとするひまがあったら、この国にも人類全体のために世界の先頭に立って地球の未来をリードできる能力があるのだから、どうしてそうしようとしないのかが、正直、疑問でしかたがない。いまはさまざまな企業や個人が「環境にやさしく」などというセリフを半ば従来の貨幣のドメインのなかでの営利目的に使っているが、その貨幣のドメイン全体を「土」や「森」にまで(将来的には「海」にまで)拡大すれば、わたしたちは怪しげな宣伝文句など使わなくても、また伸び伸びと「持続可能な未来」を目指して存分に生きていけるのだ。

 どうか今年は、そんな壮大なグランドプランを描いている仲間たちの努力が少しずつ実っていく年となり、来年の「国際土壌年」を胸ふくらませて迎えられるようになってもらいたいものだと思っている。「土」はわたしたちが生まれてきて、帰っていくところでもあるのだから。(みなさんも、わたしたちの取り組みをご理解いただけるのであれば、どこかで仲間たちを見かけたときに応援してやってください。)

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by pivot_weston | 2014-01-02 11:46 | ブログ