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ツイン・イシューズ

 週刊メールマガジン『米国政府情報』第83号「大統領が見学者に入口で「カモン!」」は、このあと23:30配送予定です。

 オバマ政権も2期目にはいって徐々に色が変わりはじめているなかで、1期目の最後に、目の前に逃れようもなく大きく立ちはだかった深刻な課題「銃規制」と、例によってどこか「気のいいおやじ」的なバイデン副大統領が、その近づきやすそうなキャラを前面に出して取り組んでいます。

 ……と、それを見ていて頭に浮かんだこと――もしかすると「体罰」は日本の「銃規制」のような一面があるのではないか、ということ。

 このところ、体罰の問題を考えていくと、その裾野の広がりのあまりの広大さに暗然とした気分になっていました。決して学校だけ、教師と生徒だけの問題じゃない。この国の社会は「体罰」を通過した人たちが構成している社会。誰も発言しない村の寄り合いにも、個性のない年功序列型の企業風土にも、いろんなところにその通過儀礼が影を落としているような気がしてきて、そういうものの上に、差別や排除を舞台の裏や袖に隠した平和な「どうも、どうも」の社会ができあがっていたような気がしてきました。

 米国の銃社会も、銃社会という側面だけを見ると悪一方みたいだけど、かつてはそれと、いまの大統領を差別するような仕組みやなにかが合体した基盤の上に、「スーパーマン」や「パパは何でも知っている」や「ディズニー」や「アメリカン・グラフィティ」のような世界ができていたわけです。

 世のなかは対流するもの。日本の周辺で台風がいっぱい発生してはいけないからといって、かりに日本周辺の気候を力ずくで、人工的に台風が発生しないようなものに変えたとしたら、ほかの地域でそれと連動して、そら恐ろしい気候変動が起こることが予想されるように、すべてのもの、分子や原子は相関しています。

 ということは、体罰の風土を変えるということは、一般にこの国の美点とされているものも変えていくことになります。たぶん、この風土をほんとうに変えていこうとしたら、べリベリベリと、全身の皮膚をはがしていくような大手術になるのでしょう。でも、それをしないと、21世紀の国際環境のなかで外国とコミュニケーションする能力を失っていくのではないかという気もします。

 折りから、27日は国際ホロコースト記念日。また世界ではドイツと日本の違いが語られています。いろんなところに影を落とす体罰、もの言わぬ文化、インタラクションせず、ひとりで是非の結論を出してしまう風土……こりゃ、ほんとに大手術が必要だなと思うと、とても暗然とした気分になってきたのですが、ひとつ、ちらっと見かけただけですが、アルジャジーラのニュースを見ていたら、お、いいなあ、と思う光景もありました。どうやら、アフガニスタンで子どもたちがアフガニスタン・ナショナル・オーケストラを結成して練習に励んでいるらしいのです。その音が、また、うっとりするような――と言いたいところだけど、現実には、もちろんそういうわけにはいかず、でも、そんな音よりもっと貴さを感じさせてくれる、とても愛らしい音色なのです。いいなあ、ああいうの。日本は真っ先に呼んで、いちばん立派なコンサートホールで演奏してもらうといい。それがわたしたちにできる、いちばんわたしたちらしいことではないかと思うのですが。


窓にとまるネコ――ペニーとルイス(11)

 弱った弱った。

 昨日の夕方、買い物に行こうとして階段を降りかけたら、下からネコの声が聞こえてきた。

 実は、この前の「東京で言う大雪」の日のあと、しばらくペニーの姿もルイスの姿も見えなくなっていた。ビルの外へ出ても「ニャ~」の声が聞こえてこないと、物足りないような、寂しいような、しばらく足をとめて周囲をキョロキョロしたくなる気分にかられたが、想像力をはたらかせて、さては、この雪じゃあんまりだと思った誰かが保護してくれたのかな、と考えると、懐に軽い負担を与えていた扶養家族が減って、安堵感のようなものも覚えていた。

 そのふたりが、二日ほど前から、またビルを出ると外で待っているようになった。

 動かない仕事だから、少しでも足を使えるときは使おうと考え、いつも降りるときはエレベーターを使わないことにしている。だから、ふだんどこかに身をひそめているふたりも、あ、あの足音が聞こえてきたらあの人間が降りてくるんだな、という関連付けができ、最初はわたしが玄関まで降りていくと、そこで待っているようになった。「ニャ~」の声は外。でも、そのうち、その声がなかから、つまり、ガラスや壁の向こうからではなく、staircaseの空間をじかに伝わってくるようになった。ビルの玄関のドアがあいていると(夏場はたいていあいたままになっている)、わたしの足音を引き金にパブロフの犬になって、空腹感を覚え、ほんとはビルのなかにはいっちゃいけないことになっているのに、待ちきれなくて、はいってきて、階段の下から「こら~、はよ降りてこ~い、ニャ~」と鳴くようになったのだ。

 昨日も、そのダイレクト・ニャ~。大雪以来しばらく聞かなかったので、おゝ、また始まったか、といろんな感懐をこめて思う。まあ、ちと待て、そうせかすな、と心のなかでつぶやきながら降りていくが、気のせいか、どこか以前より声が大きいような気もする。だから、反射的に、頭のなかには、ペニーが2階くらいまで上がってきているところが浮かぶ。まずいなあ、このビルには、ネコは入れちゃいけないことになっているのに、この分だとそのうち大家さんに怒られちゃうなあと思い、少し急ぎ足で2階まで降りた。

 ありゃ、いない。ほんの少し、いつもより大きい声を聞いてわたしのなかで起きた感覚と現実のずれ。感覚はすぐに現実に合わせて修正される。あゝ、なんだ、気のせいか、と思い、今度はあとふたつ、踊り場をはさんでくの字に階段を降りていったところでペニーが待っている姿を思い浮かべる。で、1段か2段、階段を降りたとき、いきなり視界の正面に、カッと見開いたペニーの目が飛び込んできた。踊り場の壁の窓に上がり、閉まったガラス窓の前からこちらを見て、いつもの「おなかすいた~。はよエサよこせ~」とは明らかに異なる「ニャ~」を発している。えっ、なんでおまえ、そこにいるの?――と、当然最初は思うが、かりにその疑問に答えられる言語能力があったとしても、答えられる状態ではない。

 理由はすぐに推測がついた。たまたまビルの玄関のドアが開いているときに、おなかがすいてかなんでかは知らないが、ついチョロチョロとなかにはいってきたものの、冬場だから、すぐに誰かにドアを閉められ、出られなくなったのだろう。ともかく、いくら毎日エサをやってきたからといって、そんなつまらない事実など斟酌している余裕をなくすほど怯えていて、近づいたらいまにも、あのワンスイングでさっと赤い血をにじませるネコの強力な爪をふるいそうな剣幕だから、その、やや見上げる位置についた窓のほうへ向いて、顔では笑いながらも、そっと、のけぞるようにして踊り場を通過して、残りの階段を降り、玄関のドアの状態を確かめると、案の定、ぴしゃりと冬場の設定になっていた。

 なら、話は簡単だ。それをあけて、そのうえでもう一度1階と2階のあいだの踊り場に戻り、手をダウンジャケットの袖のなかに引っ込めるくらいの防御策はして、ペニーのお尻をトンと突いてやればいい……と思い、そう、ダウンジャケットの袖を近づけたらフンギャ~と言って歯をむき出すペニーのお尻をトンと突き、1階へ向けて脱兎のごとく(という比喩はあえて必要としない存在だが)駆けおりさせるところまでは計算どおり。ところが、やれやれ、とひと息つこうとしたら、ありゃ、そのペニーがまた脱兎のごとく駆け上がってきた。え、なんで――と思っていると、階段の壁の陰からこのビルのどこかに入居している妙齢のご婦人が現れて、にこっと微笑まれた。あ~りゃ、妙齢のご婦人の微笑みはいいのだが、なんとも間の悪いことに、ペニーちゃんが一目散に出ていこうとしたときに、よりにもよって、その「一目」の正面に、玄関からはいってくるそのご婦人の姿が見えちゃったものだから、オートレースのオートバイさながらにUターンをして、また一路階段の上へと向かっちゃったのだ。

「はは、いつのまにかはいってたみたいで……」とかなんとか言って、ご婦人の手前をつくろいながらも、気持ちは完全に階段の上。でも、狭いビル。要するに、最後は玄関のドアをあけたうえで、いちばん上の階まで上がり、順々に下へ向けて追いつめていけばいいだけの話だと思っていた。だから、そのとおり、ご婦人がお行儀よく閉めたドアをあけ、(階段を上がっていくとまたどこかで遭遇してややこしくなるので)エレベーターで最上階まで上がった。ちょっと時間はロスさせられたが、そんなに焦りもいらだちもない。

 ところが、エレベーターで最上階まで上がり、さあ、かわいそうだけど下まで追いつめるか、と思ったとたんに、思わぬ光景が目に飛び込んできた。

 窓にとまるネコ。

 誰かがその階と下の階のあいだの踊り場の窓をあけていた。行き場に困ったペニーはその窓に上がり、外へ飛び降りようとしている。でも、ネコでも、その高さは飛び降りたら危ないということが視覚的にわかるらしく、飛び降りようと腰は浮かしても飛び降りはしない。それでも、こちらが近づこうとすると、またなんとかして飛び降りようとする。ん~、人間でもこういうケースはあるなあ、と思いながらも、はて、どうしたものか、と考え、結局は玄関のドアはまだ開いたままだと想定し(また確かめに降りるのは面倒だから)、そのまま放置してみることにした。

 ところが、動かない。気になるから、ちょこちょこと見に行くのだが、夜になっても、夜なかになっても、恐怖の記憶がよほど強烈に焼きついたのか、動かない。窓にとまったネコのまま、わたしが壁の陰から顔を出すと、こちらを見て、少し気持ちは落ち着いてきたのか、おい、早く降りろよ、と通じない言葉をかけると、いつものように「ニャ~」と鳴くのだが、そのときはもう深夜も深夜。毎晩夜なべ仕事の変なおじさんでもなければ寝静まっているころなので、「シーッ!」と口に指を当てるが、そしたらまた「ニャ~」と闇にこだますかわいい声で応えようとする。

 やれやれ、体に突き刺す、ところまではいかないが、染み込むような寒さではあるのに、仕事の途中でコーヒーをいれに行ったりトイレに行ったりするたびにその窓をのぞきに行ったが、いつまでたっても窓にとまったネコのまま。あの寒い外気のなかで体を縮めてこらえている内面を思うと、それがいくらわたしたちの想像できるような内面とは違うと思っても、なにやら自分の幼時の似たような体験も思い出す。

 結局、彼女は寒い窓の上で、あったかい部屋のなかで夜なべ仕事をするおじさんに朝までつきあってくれた。でも、これ以上続くと、さすがにこのおじさんもそんなあったかい気持ちのままではいられそうにないので、先ほど、また玄関のドアが開いていることを確認したうえで、窓にとまったペニーがまた立ち上がって飛び降りる姿勢を見せるのもかまわずに、一気に内側へひったくるようにして階段に下ろし、あわてて窓を閉め、一気にキャトルドライブならぬキャットドライブで、彼女がいちばん落ち着く戸外の環境に帰してやった。

 やあ、疲れた。仕事どころじゃない。


めっけもの

 いい動画を見つけた。アメリカのPBS(公共放送サービス)制作の動画America Revealed。Copyrightが2011年や2012年になっているので、ご存じのかたはとっくにご存じだろうが、小学生のお子さんなんかが地理の勉強の代わりに見るにはもってこいのように思える。たぶん、わたしが小学生のころにこんな動画が見られたら(ようやくテレビ放送が始まったばかりの時代だったから、そんな仮定はあまりにも非現実的だが)、もともとそっちのけだった学校の勉強をもっとそっちのけにして、何十回も、いや、もしかしたら何百回も見ていたかもしれない。少なくとも、娘や息子が小さいころに見つけていたら、やい、こら、見んかい、と温厚な親らしくやさしく見せてやっていただろう。

 もちろん、PBSはアメリカの宣伝放送をしているようなところ。見ていけば、たとえば、なんや、われわれは鯨に大海原で自由に泳ぎまわる時間を与えてから、殺生を消化する仕掛けとして必要な宗教もからめて、ありがたくその肉をいただいていただけなのに、牛に檻のなかでしか生きる時間を与えずに、そのうえ、工場設備でバラしてしまう連中がつける文句にどんだけの正当性があんねん――というような疑問を感じるところは多々あるが、たぶん、お子さんは、これを全画面表示にして見せてあげたら、これから世界を生きていくうえで感じておいたほうがよいことのひとつは感じとれるだろう(はるかかなたまで伸びる畑の畝(とは言わないだろうが)などは、前から紹介しているダイヤモンド社の『食の終焉』という本の書き出しを読んでから見ると、いまのわたしたちの「食の危機」がどういうものかも、より明確に実感できると思う)。

 やはり、こういうものをつくるアメリカのパワーには感心する。わたしたちもわたしたちの国のこういうものをつくっていかなければいけない(わたしが知らないだけで、あるのかもしれないが)。結果として悪い影響をおよぼしているかどうかはともかくとして(わたしたちは人類の歴史の途中にいる身だから、悪い影響をおよぼさない行為などできないだろうが)、あのスタインベックの『怒りの葡萄』の世界がこうなったんだよという主張。彼らも(おそらく子どもたちに見せて)彼らなりにそうして感慨にひたっているのだろうから、わたしたちもわたしたちなりにひたれる感慨の世界があるはずで、それを表現していかなければならない。

 アルジェリアの事件も、アメリカ政府の銃規制の動き(バイデンさんががんばっている)も、さらに言えば、最近の日本周辺のもめごとなども(そういや、台湾のチンさんが教えてくれたが、そのもめごとのひとつを忍者とパンダが争うアニメにしているNext Media Animationというのもあるらしいが)、わたしたちの世界を彼らの世界に近づけたら、世界の人がうらやむわたしたちの世界のよさが崩れるのはあたりまえ。世界で起きているどんなもめごとも銃火器をつくる会社がつぶれたら起きなくなるかもしれないのだから(もちろん、このインターネットを始めとするさまざまな現代の技術が基本的に軍事研究から生まれているのは人間の歴史のまぎれもない真実だが)、必要最低限の守りは固めるにしても、わたしたちに期待されている戦いは、銃をもっての戦いではなく、銃をもたない戦い、銃をもつにも等しい、いや、それ以上の強い気持ちをもっての軟派の戦いだと思う。アルジェリアの一般の人も、アフガニスタンの一般の人も、銃社会アメリカにいながら銃をいやだと思っている人も、中国にいながらもうそんなに昔みたいにテッポーもって戦うことないじゃんと思っている人も、もっともっと日本が世界を相手にそんな戦いを進めてくれることを期待していると思う……なんて、またいつものように妄想はふくらみにふくらんでいくわけだが。

 でも、PBSでフィードロットのなかに押し込められて工業製品のように育てられている牛を見て、鯨のことを思い出しているうちに、ふと、C・W・ニコルさんのことを思い出した。日本のよさをよく理解、というより、もう同化してある面ではわたしたち以上にそのよさを体現している人のひとりと言えるのかもしれない。お会いしたことはなかったが、わたしが手伝っていた国会議員キミちゃんが国際舞台で理不尽な反捕鯨の主張に反論しようとして援軍を必要としたとき、若いころにお世話になった安井さんという編集プロダクションの社長がニコルさんの代理人をしていたことを思い出し、連絡をとったら、快く会ってくださり、いろいろ話をしたうえで「がんばって」と言ってくれた。そのとき、「安井さんは……」と言ったら、急に顔をしかめて、安井さんのことを思い出しているようすだったが、そのときの表情にニコルさんの内面のありようだけでなく、わたしがお世話になった安井さんの人柄も表れているような気がして、ちょっと、うれしいような、胸を打たれる思いをしたことも思い出した。

 平和は、ひたっているだけでも、単純にまわりの国に合わせて戦うだけでも崩れていくだけ。ひとりひとりが、身のまわりから、できることから、意識をこめてアピールしていかなきゃね。無関係な人、なにもできない人なんて、ひとりもいないはずだもの。


by pivot_weston | 2013-01-26 08:49 | ブログ

不思議な広告

 まだ妻が生きていたころ、たしか、ウガンダのとんでもなく恐ろしい内戦の実態が報じられていたころだったか、3人も子どもを育ててきたけど、でも、なんか、子どものいる暮らしというのはやっぱりいいものだから、もうひとり育てようか、ウガンダがあんなことになっているから、あそこの子で行き場のない子がいたら、4番目の子として育てようか、なんて話をしていたことがあった。

 1週間ほど前、ぼーっとTOKYO MXテレビを見ていたら、またアフリカの、なんとも切なくなるような光景が映し出されていた。タンザニア。画面の外に、なにか、あゝ、そうなのか、と思えるような事情でもないかぎり、幼な心に見た光景までしか知らずに人生を終えていくしかないように思える子どもとその家族が映っていた。

 気持ちが動いた。出資者ひとり当たり月に4500円くらいの援助を求めているのだという。わたしの口座にあるお金も、似たようなものと言おうと思えば言えるかもしれないが、つい、妻との会話を思い出し、あ、これならできるかもな、と思った。

 珍しいこと。仕事でほんとに、いやになるほどネット検索をしているので、個人的な目的でネットを検索することはほとんどない。それなのに、次にデスクの前にすわったときには、待てよ、どれどれ――と、仕事のファイルを開く前にTOKYO MXの番組をやっていた慈善団体のWebサイトを開いた。

 Googleで検索をしたら、検索結果の表示画面にちらりとその団体の「採用情報」かなにかのページが引っかかってきたのが見え、ほんの1秒ほどのあいだのことだから、正しいかどうかはわからないが、ともかく、そのとたんに、え、なんで、ふうん、ま、そうなのか、と、ふくらみかけていた気持ちに、なにか違った風が当たってきたような感覚を覚えだした。

 当然、団体のWebサイトを開くことは開いても、もうその場ではアクションは起こさない。ま、とりあえずはいいや、それより、仕事だ、仕事、と思って、おそらく、全国の翻訳者の8割がたから9割がたのかたは開いているのではないかと思われる、遠い昔の勤務先のサイトを開いた。

 ありゃ――そう、やはり1秒ほどのあいだに通り過ぎようとしたので、自分の視野の隅に映ったものがなにかをきちんと認識できたわけではない。でも、サブリミナルとはああいうものなのだろう。なにかを感じた。で、画面の隅に目を移すと、あれ、どこかで見たような、というより、ついさっき見たばかりの画像が表示されているのが見えた。

 そう、先の慈善団体の広告。ますます腑に落ちない思いがしてきた。ああいうところに出す広告の広告料金はどれくらいなのだろう、という気持ちが、それほど確かに認識するわけでもなく、頭のどこかをよぎる。でも、ともかく仕事を始めて、やっているうちに通貨の換算が必要になったものだから、今度は自動的に現在のレートで換算をしてくれるサイトへ移動したら、ありゃ、そこにもまた――。

 おいおい。その広告には、「1日ン百円でいいんです」みたいなことが書いてある。待てよ、もうはっきり、納得がいかなくなってきた。「1日ン百円」と言ったって、その何千倍も、何万倍ものお金を自分たちは広告に使っているのではないか。そんな金があるなら、なにより先に、そのお金をTOKYO MXの番組に映っていた子どものために使ってやればいいじゃないか、と思った。

 世界規模で起こっている問題に現実的に対応するには、必要悪、ならぬ必要矛盾なのかもしれない。だけど、あの番組に映っていたあの子とその家族のあの姿がほんとうにあのとおりなのだとしたら、ほんとうにかわいそうなことだと思うが、もう気持ちは、あの子の姿を見る前の気持ちに戻ってしまっていた。ちぇっ、やっぱりまだ世界には、一方では武器を売って金もうけをしながら、一方では「環境」を言い、「慈善」を叫ぶような、ヨーロッパの貴族式の「いやしさのロンダリング」のようなものがはびこっているのか、という、やや冷静さに欠ける思いまでしてきた。

 近ごろ、若いスポーツ選手がなにかというとやたらに「感謝」という言葉を口にするようになっているのも気持ち悪いが、それと並行して、なにかいいことがしたい、人に喜んでもらえることがしたい、と言って、介護の仕事がしたい、ボランティアがしたい、というようなことを言う若い人の姿もよく目にするようになったが、そういう若い人を見たときにもいつも、そら違うよ、と思う。自分がいい人と呼ばれる人になりたいというのがホンネにひそんでいるのなら、それならそれで正直でいいのだが、ただ人に喜んでもらえるようなことがしたいというだけの動機なら、そういう職業や活動にかかわらず、悪態をついたり、つかれたりしながらでも、どこかの現場でせっせと働いて、せっせと税金を払うこと、それであなたの目的は達成されるんだよ、と思う。


by pivot_weston | 2013-01-24 23:37 | ブログ

語られることと語られないこと

 おかしな風潮が起きているように思える。

 大阪の体罰高校の問題は制度の議論に変化している。ふつう、事件が起きたら、まず問題なのは当事者をどうするか。あの場合、30~40発もなぐったという教師は、完全に精神科の治療が必要な状態だと思われる。わたしは専門ではないが、かつて専門にしていた娘がよく口にしていた「共依存」の状態に当たるのではないだろうか。つまり、教師とは言いながらも、無抵抗に自分の体罰を受け入れ、反省し、改善しようとしてくれていた生徒に依存し、甘えていたわけで、共依存となれば、亡くなった生徒さんのほうも依存はしていたことになるのだろうが、どう見ても、その甘えの度合いは教師のほうより軽かったように思える。

 前に、大津のいじめがあったとき、「暴力の系譜考」(1)~(4)という記事を書いて、もうはるかな昔のことになるが、わたしの中学時代を振り返ったことがある。あそこにも書いたように、わたしも3年間変わらなかった担任教師から、なにかあると代表してなぐられる生徒にされていた。わたしの場合は、今回の事件で亡くなった生徒さんのようになぐられてもまじめに思いつめるタイプではなかったので、わけもわからずになぐられると、クソッ、なんでおれや、と思いながらも、まわりで女生徒が「なんじゃろ。あのセンセ、今日は奥さんとけんかしてきたんじゃろか」と話しているのが聞こえると、そうか、そういうことか、そんなら、あわれなやっちゃ、こっちがシンボーしたろか、と思っていた。

 生徒の世界が荒れていたこともあった。わたしではなく、ほかの「実力派」の生徒がなぐられていたら、それこそその教師のほうがあとで痛い目に遭う可能性があるのは目に見えていて、それは、それだけで終われば、ご本人さまたちだけの問題なので、こちらは関係なかったのだが、そうなると結局、生徒たちの世界がますます荒れてきて、こちらも難儀な毎日を過ごさなければならなくなる。だから、そうなるのを食い止めるためにも、なんやらわけはわからないけど、おれがなぐられていればいいのならそれでよしとするか、と思っていた(どうやら、いろいろと話を聞くと、今回の生徒さんも、必ずしも自分のせいばかりでなぐられていたわけではなく、「代表」の役目をになわされていたらしいが)。

 そうして、中学3年生も終わりになって、受験を間近に控えていたころ、どういう経緯だったかはもう忘れたが、ある日、ふだんはわたしたちの教室に来ない家庭科か保健体育科の女の先生が来て、「なんとなあ、このクラスは大丈夫かいな。受験も近いというのに、みなニコニコしよる。締まりのないこっちゃ」と言った。わたしの思惑からすれば、「満額回答」のような言葉で、じわーっとうれしさがこみあげてきたことがあった。

 もっとも、それでも一度、その困った教師もわがクラスの「猛者」たちに手を出したことがあった。あ、いかん、これで辛うじて保っていた均衡も崩れるかなと思い、それからはとにかくその「猛者」たちの行動に注意を払い、なにくれとなく話しかけ、ふとなぐられたときのことを思い出し、荒ぶる気持ちが頭をもたげてきたりすることのないように気を配っていた。その「猛者」も、こちらの気持ち、思惑を理解してくれているように思えた。なりは大きくて、暴れだしたらとても手に負えないように思えたが、内面には、わたしのように人を人とも思わないようなひねくれ坊主と違い、ずいぶんやさしい、まっとうな心を持っているようにも思えた。

 わたしは、自分の持ち物でもない空気中の粒子を勝手に揺らす暴走族がきらいだが、そんなわけで、どうにか「みなニコニコしよる」「締まりのない」クラスを卒業し、春休みに自宅でとろんとしていたら、家の前で大きなオートバイの音がした。なんじゃ、と思って表に出ると、当時はとても大きく見えたオートバイにまたがった「猛者」がいて、すっきりした笑顔を浮かべて、おう、ちょっと乗せちゃろか、と言う。ふだんなら断るところだったが、その彼の笑顔があまりにもいい感じだったので、ほんなら、乗せてもらうか、と言ってうしろの座席にまたがり、草も刈っていない田んぼのあぜ道でけっこう爽快なスピード感を味わわせてもらった。

 10年ほど前に新聞をひろげていたら、その彼の名前が載っていた。ローカル新聞にはよくある「お悔やみ」の欄で、お父さんが亡くなっていた。だから、家もそう遠くないこともあり、15のときにオートバイに乗せてもらってからまったくつきあいはなかったが、自転車に乗って、すでに葬儀の終わっていた彼の家へ弔問に行った。もちろん、大柄な図体にそんなに変わりはなかったが、お父さんの看病がたいへんだったのか、ずいぶんやせているように見えた。中学生のころは、相手になりたいやつはかかってこい、と言うように分厚い胸を突き出していたが、それが世慣れるということなのか、拍子抜けするほど物静かで、やんわりしていて、腰の低い応対をしてくれ、少し前までお父さんがいた仏間に上がり込んで、しばらく話をさせてもらった。

 いいやつだ、と思った。中学を卒業するころには、自分の努力でクラスを平穏に保ったような気分になっていたこともあったが、それから30年ほどを経て、そうか、おれはただクラスメイトに恵まれていただけやったんやな、と気づいた。

 みな、いろんな事情や思いをかかえて子ども時代を過ごし、大人になり、年をとっている。そういうなかで、わたしたち子どもに甘えて暴力をふるわせてもらっていた教師は、案の定、その後、精神科に入院したと聞いていたが、妻ががんで闘病していたころ、たまたま同じ病院にかかっていて、本屋で出くわしたことがあった。「ああ、どうも」程度の応対。向こうも「ああ、どうも」程度。近況も少し話したが、じきにその教師が店を出ていくと、驚いたことに、妻がとたんに「とんでもない教師ね」と語気を強めた。ただわたしの担任教師だったということくらいしかわかっていなかったはずなので、意外に思い、どうしてそう思うのかをたずねてみると、わたしのようによく知っている者には気がつきにくい、ちょっと意外なところに目をつけて、その教師の異常さを感じ取っていた。

 今度の大阪の教師も、遠くでニュースを通して話を聞いていると、どんどん自分の目の前を通り過ぎて大人になっていく子どもたちのひとりにすがりついて、甘え倒してしまったように思える。制度の改革も必要かもしれないが、まずその前に必要なのは、その教師の治療のように思える。

 アルジェリアの事件もそう。いつのまにか制度の議論になっている。そういう議論をしている人たちを見ると、死んでいく仲間たちの手前で、だって、決まりで行っちゃいけないことになっているんだもん、と言っているようにも見える。今回はどんなにあわてても間に合わなかったかもしれないが、それでも、そういうことではないだろう、と思う。テロリストとの戦いに怯え、人命尊重の願いを聞き入れてくれなかった外国政府に文句を言う風土が確かにあるのなら、国のトップ自らが決まりを破ったとしても、果たして批判する人がどれくらいいるだろう。「人命尊重」というのは、命を決まりよりも上に置くことも意味しているのではあるまいか。日揮ではないが、若いころには、アルジェリアなどで仕事をしていたプラント会社へもよくおじゃましていた。現場タイプで、細かいことは気にしない(仕事のことでは、むちゃくちゃ気にするのだが)、話の通じやすい人たちがいたような記憶がある。大阪の事件といい、わたしたちの世間にも官僚主義がひろまっている兆候でなければいいが、という気もする。


by pivot_weston | 2013-01-23 17:30 | ブログ

たまには考えること

 昨日はちょっと三島由紀夫さんのことを考えていた。

 あの人の作品を「小説のなかの小説」のように言ってほめそやす人は少なくない。わたしも、ほんの少し読んだだけだが、まあ、なんとも、ここまで美しく文章をまとめられる人がよくいるものだ、と感心したのをおぼえている(冊数は少ないが、たいていの小説は読みかけても途中でやめてしまうわたしが、あの人の作品はとにかく読みはじめたものはすべて最後まで読了しているので、とても引き込まれたのは確かだろう)。でも、何冊か読んでも、そのたびに、あとで、あれ?――と思い、物足りなさを感じたので、結局はあの人の作品も、何冊か読んだだけで、あとは読まなくなった。

 わたしが受けた印象は、舞台の緞帳のようなものにたとえることができるかもしれない。それはそれは、狩野派の絵のようにみごとな世界が一分のすきもなくそこには展開されている。でも、芝居小屋でも、みごとな緞帳に感心して、それで帰る人はあまりいないと思うが、わたしも小説を読むからには、その緞帳が上がったときに、舞台の奥の壁になにが描かれているのか、あるいは、その奥の壁と緞帳が下りていたところとの中間、すなわち舞台の上でなにが展開されるのかが知りたくて読んでいたのに、ただただきらびやかで美しい緞帳を微に入り、細をうがって見せられているうちに、次のページをめくったら、いつのまにかそこは最後のページになっていて、あれ、ここまで?――と思わされたような感じと言えばいいだろうか。

 あれだけ精緻に、美しく組み上げられた世界を読まされたので、わたしもどこかあの人は(文章のうえでは)とても饒舌な人だったような印象をいだいていた。でも、昨日、前記のような読後感を思い出しているうちに、あれ、もしかすると、それは逆で、あの人の場合には、あの美しく織り上げられていた一分のすきもない緞帳が内なる自分を表現するのを阻むスクリーンになっていて、結局のところ、なにも語らなかった、いや、なにも語れなかったのではないか、という気がしてきた。だから、わたしたちが中学3年生のころのあのうそ寒い秋の日に、あんな、子ども心には、唐突このうえないかたちでテレビの画面に登場してきて、まるで、さめた観客の前で自分だけ熱くひとり舞台を演じるようにして、内面にたまりにたまっていたものを破裂させるようにして死んでいったのかもしれない。

 小説になんて、なにが正しいとか、なにが間違っているとか、そんなものはいっさいないはずだ。書きたい人が書きたいように書き、読みたい人が読みたいように読み、その結果として、たまたまそれぞれの内面でなにかがコミュニケートされればそれでいいのであって、みんな思い思いに感想を口にすればいいはずなのに、わたしたちの若いころには、誰の作品についても、ある読後感を主張する人がいて、それに賛同する人たちがいると、異なる読後感を口にするのはためらいたくなる雰囲気があった。とくに、私の場合は、本なんてほとんど読んだことがなかったのに本の世界にはいっていったものだから、やたらといろんな小説を読んでいたまわりの人たちに対する劣等感もあって、よけいに口にしづらかったのかもしれないが、そんなことも思い出しながら、三島さんのことを考えてみた。


by pivot_weston | 2013-01-21 13:29 | ブログ

デスクトップの風景

 毎日、決まった手続きの途中でちらりと見ているものは、ついつい意識の外へ抜け落ちがち。

 でも、ときにはなにかの拍子に、今日みたいに、あ、そういや、この景色――と思って、ふと次にクリックする指を止めてしまうこともある。

 7年前まで住んでいた実家の裏。ちょっとしたものでしょう。泊まるところも遊ぶところもないけれど……。

 このブログのロゴ画像と組み合わせて見ていただくと、だいたい180°くらいの視界の感じはつかめるでしょう。ロゴ画像の菜の花の咲く土手の上が67番札所と68番札所をつなぐお遍路道。その下には大蛇の巣「蛇(じゃ)が淵」があり、うそかほんとかわかりませんが、200年ほど前には、あの伊能老もこの土手まで立ち寄られたという言い伝えがあります。

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by pivot_weston | 2013-01-20 18:23 | ブログ

高校サッカーの喚起力

 鵬翔と京都橘の高校サッカーの決勝戦はいい試合だった。

 高校サッカーはあまり見たことがないので、よくわからないが、ぶつかって倒れた相手チームの選手を気遣ったりする、あの「あ、ごめん」「大丈夫か?」という声の聞こえてきそうな光景はふつうなのだろうか。俗に言う「きたない反則」を犯す選手もほとんどいなかったみたいだし、それでいて、視野やひらきめに高校生らしいスコープの狭さは感じられたものの、試合時間中はとにかくニーズとひらめきに応じて走りまわりながら、その瞬間その瞬間の状況への対応を積み重ねていく現代の電子回路的サッカーのハイレベルさも感じさせてくれたし、こんなおじさんが拝見していても、とても語りかけてくれるものの多い試合だったように思えた(もっとも、スポーツの試合のあとで負けたチームが泣くのは、どうしてもしっくりこないが)。

 ああいう映像こそ、日本は世界に輸出すればいいのに、と思った。

 多くの人が感じていることかもしれないが、プロの、それも世界のトップレベルのサッカーはおもしろいけど、ときに、あまりのきたなさにげんなりすることがある(アルジェリア系フランス人のジダンが言葉で刺激されてつい頭突きをした試合などは最たるものだろうが)。去年のロンドンオリンピックでは、決勝トーナメントではいるスロットを意識してわざと引き分ける試合が驚きをもって伝えられていたが、あんなものは、わたしが初めて見たスペインW杯のころは常識中の常識、疑問を呈したりしたら逆に軽蔑されるくらいの常識で、マラドーナのゴッドハンドまで持ち上げられるのを見ていると、これはなんちゅー競技や、という思いもしないではなかった。

 そんなときに、自分を納得させる材料になったのが、サッカーは民衆のスポーツだということ。階級差別のあるヨーロッパでも、ブラジルでも、アルゼンチンでも、アフリカでも、サッカーは「這い上がる」ための手段。そんなら、まあ、しゃあないか、日本でも、戦後の焼け跡時代はそんなものだっただろうし、その当時の暮らしのスタイルを残す現代の満員電車にも似たようなところがあるし、と思い、日本のプロ選手がファウルを「必要悪」みたいに語るのも、そうなのかな、と思いながら聞いていた。

 でも、昨日の高校生の決勝戦を見ていると、日本にはもっとできることがあるのではないかという気がしてきた。世界の、日本よりもっとレベルが高いとされる地域の子どもたちは、ああしてファウルもせず、相手を気遣うゲームを見ると、こいつらバカか、と思うのだろうか。かりにそう思う子がいたとしても、ああいう光景こそが、わたしたちがこれまでの暮らしのなかで培ってきた、未来の世界のために伝えられるものではないかと思うし、国単位で見れば、それができるところは日本のほかにないようにも思う。

 アルジェリアの事件やアフガニスタンのことばかりでなく、身近な尖閣の問題を考えてもわかるが、世界にはまだまだ危険な要素がたくさんある。危険だから戦うのか? いや、「尖閣」で表面化した反感も、70年くらい前まで戦っていたから生じているもの。また戦ったら、またそういうものが70年残る。そういうことをわかっていて未来の世代に残すのはバカの先祖だ。だから、わたしたちは戦う前に、戦わなくてもいいようにするために闘わなければならない。世界に知れわたったアニメのなかにはけっこう好戦的なものもあるのかもしれないが、日本には、そのための道具や手段がたくさんある。サッカーも、関係者のみなさんの努力によって世界的に認知されるところまで技量が向上してきたのだから、もういつまでもヨーロッパスタイルや南米スタイルを追いかけるばかりでなく、語りかけるもののある日本スタイルを追求する人が出てきてもいい。

 残念ながら、朝日が相変わらず商売のためにしきりに妙な純真さを強調している高校野球のほうは訴求力が落ちている。球速が何kmで、打球がどこまで飛んだかということくらいを見れば、あとはそんなに見るところはない。昔の、昭和30年代くらいの甲子園には、プレーしている選手の自然な気持ちと気持ちが交わされる、示唆に富んだシーンもけっこうあったような気がするのだが。

 それにしても、優勝した鵬翔高校という学校の名前。四国にも注目のサッカー選手がいるということで、新居浜工業高校時代の元日本代表・福西崇史さんの試合を新聞の片隅で追いかけていたころから目にするようになったのだが、どうしても昭和30年生まれだから、この校名を見るたびに、同じ「鵬」の字がある大鵬さんのことを思い出していた。その鵬翔高校が全国優勝した日に大鵬さんが亡くなるとは、とも思う。

 テレビのニュースの扱いを見ていると、これが年をとるということかと思う。連勝が続いていたころは、朝から晩まで大鵬さんのことばかり考えていたこともあった。小学校からの下校途中も大鵬さんの話。帰宅してテレビのスイッチをつけても、ほかの取り組みを見ながら大鵬さんの話。でも、6時前になり、結びの一番が近づくと、それとなく探し物をするようなふりをしてコタツのなかへごそごそ。テレビからワーッと湧く声があがって顔を出したら、「おまえ、どきどきして見ておれんのやろ」と意地悪な姉に痛いところを突かれたこともあった。東土俵下だったか、開隆山さんに突き出されたときの光景は、いまでも当時の白黒画像で記憶に残っている。わたしなどからすると、24時間ぶち抜きでニュースをやってもいいくらいの人。若い人たちには、そういうことはお伝えしておこう。

 大鵬さんも、王さんも、力道山さんも、わたしたちに子どものころに画面の前でぎゅっとこぶしを握り締めさせてくれた人の多くは、大人になって知らされてみると、外国系のかただった。人間の営みの方便に過ぎない国が違うくらいで、鉄砲を持った戦いなどしてはいけないのだ。政府も国策としてアフガニスタンにアニメを輸出すればいい。


by pivot_weston | 2013-01-20 13:02 | ブログ

ほのかな喜び

 このところ、得体の知れない疲労感をおぼえながらも、その一方で、ある、ほのかな喜びも感じている。

 年末に、あるデータの収集を頼まれた。どこから、どうやって収集したらいいかわからない。というより、その前にわかっていなければならない「なにを」あるいは「どんなデータを」というところも、雑談をしながら仕事の依頼を受けているときにはわかった気分になっていても、いざ収集するとなると、よくわかっていなかったことがわかり、ほんとうに五里霧中を手探りで進むような気分で、毎日の夜明けと夜の到来を、カチッ、カチッという時計の音を聞く思いで過ごしていた。

 ようやく、少しずつ霧が晴れかけている。でも、そうして手もとに目を落とし、いま自分がしていることをあらためて考えると、なにやら「自縄自縛の愚かしさ(10)」に書いた、20歳のころにしていたことと変わらないではないかという気がしてきた。機械的な入力作業だ。意識はおのずとそこから敷衍して、この前の選挙でひとりで400万票以上もとった(選挙結果が正しければの話だが)人のデータを翻訳していた時代のこともよみがえってくる。自分が昔と同じことをしていることに気づいたときには、多くの人は、なつかしいなあ、と思ったり、なんやら進歩がないなあ、と思ったりするものだろう。わたしもその後者の思いにとらわれかけていた。

 でも、そんな気乗りのしない気分でともかく模索をつづけているうちに、ちょっとよくわからないことがあったので、そのとき目の前にあったデータを作成した人に電話をかけて質問をした。携帯電話の向こうから聞こえてくる要領の悪そうな福島訛り。それを耳にしたとたん、冒頭の「ほのかな喜び」の素が芽生えた。

 たぶん、そのデータを記録していた2年前には、大混乱を来していただろう。その大混乱の気配は、不規則なデータの記録されかたなどからも伝わってくる。その気配を感じ取り、当時の現場のようすなども想像しながら、手では規則的にクリック、クリックを重ねているうちに、そうや、これは彼らが大混乱のなかで仲間をしかりつけたりしながら収集してくれた大切なデータや、おれの役目はそれをリレーすることや、実際にやっていることはただの「クリック、クリック」だけだったとしても、また、こちらでまとめたものを受け取った人に、こんなものでは使いものにならんと一笑に付されるとしても、ここは気合いを抜いてはいかん、と思うと、そう、どこからともなくその「ほのかな喜び」が湧いてきた。

 やはりわたしはこういうタチなのかもしれない。俗に言う「上に立つ」人には、ありゃりゃ、というところばかり感じてしまう。いつも書いていることだが、年俸何億かのスポーツ選手なども、それがいまの世のなかの成り行きなのだから、それはそれでいいのだが、原理を忘れて、それを絶対的価値と勘違いし、ひとりで、自分の力だけでその価値を手に入れていると思っていたらアカンで、と思う。すり鉢のようなスタジアムがあって、その傾斜した壁面に大勢の人に群がって見てもらえるような仕掛けがあって、きれいにならされたグラウンドに立てるから、宣伝効果も加味して、成り行きとしてその価値がソロバンで算出される。どこかの河原で球遊びをしている分には、たとえ180kmの速球を投げても、「へえ、すごいなあ」のひとことで片づけられ、人はみなそれぞれの営みに帰っていく。

 王様にせよ、将軍様にせよ、大勢の人を代表する特定の誰かがいい気分になればそれでよしとするしかなかった時代を抜け出し、やはり、大勢の人がみんないい気分になれる時代をめざそうとして社会構造の転換を図っている時代に、少し壁にぶつかったくらいで、中途半端に豊かになった人たちがノスタルジーにかられ、その壁を誰かのせいにして、自分たちの闘う務めを忘れていたら、世のなかはまた、絶対的な「バック」を背景として、自由の名のもとに世界でもっとも社会主義の実験に成功した時代へと戻ろうとしてしまう。でも、そこにはもう、絶対的な「バック」の存在する世界はない。ノスタルジーの心地よさにひたって自分たちの足で立つのをためらっていたら、No.2からNo.3への変化はさらにどんどん進行していくだろう。

 アルジェリアの事件も、リビアやマリと線でつないで、アフリカ、あるいはイスラム圏の問題に限局してとらえていたら、根本的な対策は見えてこないだろう。さらに、ニジェール、チャドをつなぐと石油資源で分裂したスーダンにつながるし、南へ中央アフリカを経由するとコンゴにつながり、日本の路上で多くの人が見とれている携帯端末にもつながってくるし(わたしのメルマガを読んでくださっているかたはおわかりのとおり、すでに中央アフリカでも紛争が激化していて、アメリカが軍人を派遣している)、では、その源流はどこかと、33年戦争が続くアフガニスタンのほうへ目を移すと、風船につまった空気が口をふさがれて押しつけられたら、反対側を破裂させて外へ出ようとするように、争いはもうパキスタンの枠も越えようとしており、かつてインドをはさんで同じようにパキスタンと呼ばれていたバングラデシュといま注目のミャンマーの国境での宿怨を残すイスラム教徒と仏教徒の対立も視野にはいってきて、これまではキリスト教徒対イスラム教徒の対立ばかり強調されてきたけど、これは、油断していたら仏教徒対イスラム教徒の対立にすり替わってくる可能性もあるのではないか、とも思ったりする。

 世界はたえず流動し、変化している。ノスタルジーに逃れようとしても、絶望的な階級差や差別の上に成り立っていた過去の時代の安定など戻ってはこない。だから、大阪の橋下さんの判断も、世間では非難ゴーゴーみたいだが、わたしは悪くないと思っている。誰かが「子どもの一生がこれで変化するかもしれないんですよ」と悲鳴のような声をあげて非難していた。変化しない一生など、どこにあるのか。もしこれまで、受験なんていう、子どもの世界の通過儀礼で固定化されてしまう一生があったのだとしたら、それこそがアメリカの傘と未開の世界を背景に成り立っていた不自然なものであり、目の前でどのような変化が起きてもフレキシブルに対応できる子どもを育てることこそが、これからの時代の課題だと思う。無責任で、利己的で、劣等感むき出しのおじいさんと結びついたときには、やっぱりなあ、とも思わされたが、最近、この人は地方自治となると冴えてくるなあ、と感心もしている。

 そういや、昨日、在日コリアンの辺真一さんがテレビでわたしと同じ夢を話していた。いや、彼の夢はわたしのよりさらに壮大で、釜山と福岡あたりを海底トンネルで結ぶらしいが、わたしも満鉄‐シベリア抑留組の父の話を聞きながら育ったので、いつか釜山で電車に乗ったらロンドンまで行けるようにならないかなあ、と思っている。ヨーロッパの準備はできている。あとは東アジアだけ、と思うのに、相変わらず東アジアでは、民意を無視、あるいは操作する統治者、ないしはその背後にいる誰かの思惑によって争い状態が継続されている(人の営みはみな例外なく誰かが幸せになるために行われるものだと思う。人と人が殺し合う争いなんて誰も望まないはずなのに、という点が子どものころから不思議だったが、それはすなわち、背後のどこかに、それで幸せになる人がいるからだと思っている)。

 2年前の春から、もしかしたらゴーゴーという非難を浴びながらだったかもしれないが、あるデータをこつこつと集めてきてくれた人たちの成果を別の人たちにリレーするためにまとめながら、そんなことを考えている。


by pivot_weston | 2013-01-19 11:56 | ブログ

ペチカの日

 年をとると何度も同じことばかり言う、と言われるかもしれないが、やはり、この日(成人の日)にこの窓の外の景色(一面の雪景色)を見せられると、どうしても意識が「雪の日の思い出」に戻ってしまう。

 いまではもう、ああ、あのときはああだったね、こうだったね、とシェアすることのできない思い出。年寄りは昔話をよくするというが、それも、もしかすると、なにも年寄りが昔にばかり意識を向けているからではなく、「あれーっ、昨日、ああ言ったじゃない」「うそコケ、バカっ、んなこと、言っちゃねーよ」と、何気なく時間を共有できる相手がまわりから少なくなって起こる現象にすぎないかもしれない、とも思う。

 ダムにたとえる。若いダムの上にも、年ふるダムの上にも、同じように雨は降る。でも、その経てきた年数だけ累積雨量は多くなっているのに、ダムの底にはヘドロがたまってきて、容量が少なくなり、あふれやすくなっているだけではないか、と。

 だからといって、別に、わびしいことでもなんでもあるまい。最近の体罰事件の話を見ていても思うが、わたしたちの誰もが生まれてきてまずいちばんの基本として学ばなければならないのはリーダー論でもなんでなく、みんな生まれた瞬間からカウントダウンが始まっているということ。語れる相手が広がり、狭まるのはあたりまえのことなのだから、自分の人生を受け入れるつもりなら、それはそういうものとして受け入れていけばいいだけのこと。その分、「すごい子」に書いたYちゃんのように、世間の通念を超えてそういう変化を受け入れた子はやはり「すごい」と思う。

「夢の跡」――昔の人の言葉もすごい。この言葉にも、「栄華の跡」や「武勇の跡」のように限定的な解釈がつけられているみたいだが、「夢」にはもっと漠然とした、意味のふくらみをもたせてもいいのではないかと思える。

 そうだ。「雪の日」にはこんな日こんな日もあったか。今日あたり、また誰かが48号線の真ん中に大の字になり、その体験を誰かとシェアするかどうかはともかくとして、一生残る記憶を焼きつけているかもしれない(あ、降雪量不足で車がブーブーと走っている場合は、大の字になっちゃダメだよー)。


by pivot_weston | 2013-01-14 15:46 | ブログ