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なつかしい宴の一夜

 この暮れはやや体調不良気味(トシかなあ)で、ある晩も、横になっていたら、近所の会社の20歳ほど下の営業マンから電話がかかってきて、「これから行きますから、家の外へ出て待っててください」と言う。

 なんだ、どうしたんだ、年末に一度飲もうかという話はしていたけど、そのあと、やっぱり無理です、というメールが来ていたので、その時点ではまったく予期せぬ連絡。ともあれ、指定されたとおり、「家の外へ」出た。

 ペニーとルイスが待っている。モンプチをやり、ふたりがそれをポリポリと食べるのを見ていると、また電話が鳴り、「これから行きますから、家の外へ出て待っててください」と言う。

「おう。だから、もう出てるよ」と答えたが、いつも消え入りそうな彼の声が迫力満点だ。なんじゃろなあ、と思いながら、裏小路に立っていたら、そのうちその小路の入口に3人の人影が現れた。おやおや。たぶんいっしょに来るだろうと思っていたわたしと同年代の営業マンのほかに、久しぶりに会う女性ライターもいる。

 やあやあ――というわけで、すでに社内で一次会をすませてきていた3人の二次会につきあうことになった。

 ははははは。ひゃはははは。笑いが絶えない。ふだんおとなしいそのtwenty years youngerくんが、わたしよりもさらに人生の先輩のおでん屋のおばさんにことあるごとに、きれいだの、なんだのと言ってからんでいく。「わあ、どーしたの? そんな……さん、初めて見た」と女性ライター。われわれふたりのおじさん族は、ひひ、おもしれえや、んじゃあ、もっとからませちゃろ、と思って、「おお、そうだ、そうだ、もっと飲め」。

 しばらくその店でおばさんを???の困惑のきわみに陥れていたら、今度はまた彼が「カラオケ、行きましょ」と言う。ほかのふたりも腰が引けてきた気配はない。なんでもいい、今夜はこいつの内なる噴流の行く手にまかせるか、という気分になり、みんなで「おお、行こう、行こう!」ということになって、雨のなかを近所のカラオケ屋さんまで歩いていった。

 わたしは「近所」だが、ほかの3人は、会社を引ければ、あとの寄る辺は電車の線路の先。終電の時刻を気にして時計を見たところで「まあ、1時間かな」「1時間ね」と口々に言う。カラオケイニシアティブの提案者くんは、ひとり終始、寄る辺がどこだろうが時間なんて気にしないモードのなかにいる。

 愉快、愉快。彼の最初の1曲目は故郷の言葉・中国語の歌だったが、あとはカラオケの「カラ」をいいことに、次々と、日ごろの不満やなにかを吐き出す即興詞を当て、踊りまで添えて替え歌カラオケを展開していく。

 久しぶり。狂喜乱舞する、ふだんはおとなしい彼の姿を見ているうちに、ああ、おれたちの若いころはこれがふつうだったよな、と思い、なんだかなつかしい気分にもかられ、気がつくと、あとのふたりも楽しくなっていたのだろうけど、とうに「1時間」を過ぎていた。


by pivot_weston | 2012-12-30 20:44 | ブログ

有名人のおかげ

 MLBの松井秀喜選手が「区切り」をつけたという。

 昨日は動いている途中で大塚の「ひょうたん島」(30年以上前から立ち寄っているバッティングセンター)に寄り、野球をやっていると思しき中学生くらいの男の子が、ボールにバットを当てて飛ばす、というより、スイングでボールを跳ね返しているように見えるのを見て、ああ、なるほどな、野球をやっているなら、バッティングセンターのボールを打ち損じてちゃいけないんだ、と思っていたところだった。

 松井選手は1974年6月の生まれらしい。

 わたしが大学にはいって、広瀬川のほとりの下宿に住み、下駄をはいて大学まで、4kmほどの道を歩いて通っていたころだ(そういや、先日、近所で演奏を聴かせてくださったサトーさんという若い男性チェリストが、仙台出身だというので、仙台のどこ、と訊いたら、同じ「南警察の裏」だったので、ひとしきり話が盛り上がったことがあった)。

 わたしがいた下宿でも、娘さんに赤ん坊が生まれた年だった。「お名前はどうしたんですか?」と、いつも食事をつくってくれていたおばさんにたずねたら、「マユコ」と言うので(当時の仙台の言葉では「マ」ではなく「ユ」にアクセントがあって、その発音がいまでも強く印象に残っている)、あちゃ~と思った記憶がある。NHKの朝の連続ドラマで「繭子ひとり」というのをやってまもないころで、なるほど、そうやって名前をつける人たちもいるのか、と思ったのだが、いま調べてみると、あ、「繭子ひとり」というのは宮城県の鳴子温泉も舞台になっていたのか。だから、「マユコ」とつけていたのか。なるほど。ずいぶん簡単な名前のつけかたをするものだな、と思っていたのを少しあらためないといけない。

 あの女の子もいまは松井選手くらいの年代になっているわけだ。大きくなって、と表現する時期はとうに過ぎている。それに、松井選手が甲子園に出て、世間を驚かせていたころも、そのマユコさんは彼と同じくらいになっていたわけだ。わが家の子どもたちが神社やどこかでちょろちょろしていたころだ。ふぅ~ん。

 有名人の人生には、5月5日にキズをつける柱のような役目もあるのかもしれない。


by pivot_weston | 2012-12-28 18:50 | ブログ

絶望稼業

 そうなんやなあ――と思って、深夜に仕事をしながら笑ってしまった。絶望するように、あるいは絶望しなければならないようにできているんだ、と思って。

 先週の初めに受けた仕事。最近では多くの仕事がそうだが、非ネイティブの書いた英語。概論のところをやり始めると、お、今回はけっこうマシな英語だな、と思って珍しくゆったりした気分になった。懐の都合があって、1社の仕事だけには専念していられない。よかった、これなら、(ほかの仕事もこなしながら)ま、懐の現状はともあれ、気分は少し安らかに年が越せるかなと思い、ちょっと一服したくなったら、ごろんとなって1時間ほど、韓流にはまる余裕もあった。

 ところが、本論にはいるとほどなく、雲ひとつなかった晴天にどこからともなく薄雲がかかってくるようにして、こちらの無意識の領域あたりに「ん!?」「ん!?」の感覚が忍び込んできた。でも、まあ、まだなんとかなるやろ、と楽天的。薄雲は薄雲のまま消えて「ほしい」とまでは思わないが、「くれるやろう」くらいには思って進めていたら、あっ、と、不意に自分の足がセメントのなかに突っ込んだような瞬間が襲ってきた。

 初見では、まったく理解不可能。いまは世のなかの仕組みが恐ろしく複雑になっていることもある。概論では、非ネイティブの英語力でも対応できていた筆者も、本論の、それも細かいところになると、もしかすると、自分でもその仕組みがよく理解できていないのではないかと思うが、まったく、わたしが会話で使う英語のように、ブロークンもブロークン、主語も動詞もあったものではないブロークンの極みになってしまった。

 頭の上にうっすらと薄雲が広がる程度の、基本的には青空を想定していたのに、うっ、と息を詰めてあらためて頭上を見ると、今年の夏にときどき見られた、いまにも竜巻が起こりそうな真っ黒な空が見えたようなものだ。

 進めない。進みたくても進めない。「わかりません」はプロには許されない。それでも、どうしてもわからないことはあるが、そのときもその禁句を使うのではなく、自分なりに現実との妥協の結果を言葉にして「なんだ、この訳はっ!」と怒鳴られる潔さをもたなければならない。

 推論である。もうそうなると、英語が読めるとか、英語が得意とか、そういうレベルの話ではない。何語であろうと関係なく、そこにブツ切りのような言葉を並べた筆者の心理を、その人を取り巻いていたと思しき周辺事情なども勘案しながら読み解く作業になってくる。

 もう韓流の息抜きもアウト。ほかの仕事も、そちらのほうがまだ時間に余裕があれば、申し訳ないけど、いったんアウト。ひたすら非英語圏に住む書き手のことを想像し、目の前の言葉を安易に英語と規定したりせず、動かぬ壁を手で押して動かすような作業になってくる。

 納期までにあった日にちも、1日1日と減っていき、あと1日くらいになって、まだとても1日ではこなしきれない量が残っているのに気づいたとき、表題の言葉が頭に浮かんだ。絶望的、なのだが、考えてみると、なんや、20代のころから30年あまり、こんなことばかりの繰り返しやないか、と思ったのだ。

 でも、そのとき、そんなふうに思って沈みかける気持ちがなにかに当たって跳ね返ってきたみたいに、あ、おれたちの仕事は「超」がつく強固な楽天さをもった人がやっているのではあるまいか、とも思った。

 絶望感を覚え、ほんとうに絶望したら、それまでだ。なのに、わたしのように何十年もこの仕事をやっている人たちが大勢いる。人を理解することなんて土台無理、不可能――ということはテレビドラマなんかでも言われているのに、まあ、ある種、頭が悪いのだろうが、そういう作業を何年も、何十年も、懲りずにやっている。それは、間違いなく希望があるからだ。きっと相手の人になにかは伝えられるはずだという希望。またいつか青空のもとに出られるはずだという希望。希望がないと絶望は繰り返せない、だから、希望、希望と、明るくふわふわした方向ばかりめざしている人より、絶望的な曇天の下で立ちすくむことがあっても、それを性懲りもなく繰り返している人は、ふわふわどころじゃすまない、抜けて、抜けて、抜けまくるような青空を見ているのではないか、ということをあらためて考えた。

 だいたい、長くやっている人は誰でも原点にそんな体験があると思う。わたしも20代のころに、英語が苦手で日本語もうまく書けなくて、怒られてばかりいながら、ただ生きていかなきゃいけない、ここしか自分の生きていける道はないという気持ちで絶望を繰り返していたころ、農業関係のかたがアルゼンチンへ出張に行って持ち帰った文書を訳させてもらったら、「あれはよかった」と言ってもらえたことがある。何度も、何度も、こちらが実務文書だということも考えてもういいよと思うくらいまで言ってくれた。そういうときは自分にも手ごたえがあるものだが、やはり客観的な評価に勝るものはなく、以後、壁に当たるたびに思い出し、当然、今回の壁の前でも、人生で何百回目かに思い出した。

 もしかすると、わたしはこの「絶望」と「希望」のサイン曲線人生にはまっているのかもしれない。連休明け朝イチmustの締め切りの前夜はおもしろかった。夜になった時点で、気持ちを緩くかまえたらギブアップしてしまいそうな量が残っていた。母の夕飯用の米をセットしてから、もうよけいなことはなにも考えるまいと思って、重戦車で驀進していくような気持ちで進めていったら、夜半には「お、もしかしたら」という気分がわいてきた(まあ、前述のような楽天家だから、どうせそうなるよ、と心のどこかでは思っていたのだが)。ところが、そこでまた「壁」。ここから先は一歩も通さないというように立ちはだかる壁。ひとつの目安にしていた午前3時になるころには、もうダメか、朝になったらどう言って電話をしよう、という思いもよぎりだした。こういう思いは、このさい、自分で排除するしかない。客観的に、誰かがはたで見てそれが妥当と思えたとしても、不合理でもなんでもいいから、自分では排除するしかない。つまり、もう計算しない。ゴールがどこかも考えない。できるとか、できないとか、そういうことも考えずに、ただ目の前の言葉を見て、自分なりにこういうことを書いてるよ、と思えることを日本語にしていく。そしたら、次の目安の午前6時になるころには、ほぼ経過時間に相当する程度の前進があった。つまり、夜半にぶつかった「壁」の記憶も生々しいので、まだまだ気持ちを緩めるな、そのまま進め、ということだ。あとでふり返ってもほとんど記憶が残っていない時間帯だ。で、mustの10時まであと30分ほどを残したところで、どうにかゴールにたどりつき、ファイルを送信した。

 やあ、寝るぞ、もう寝まくるぞ――と思うが、そういうときは神経が興奮しきっていて、ごろんと横になったのに、結局、TBSでやっていた「ビッグ」とかいう韓流を最後まで見てしまった。ほんと、絶望ばかりしているド楽天おっさんや。きっと、この刺激がたまらない体質になっているのだろう。


by pivot_weston | 2012-12-27 09:53 | ブログ

野球少年

 昨日、コンビニから帰ってきていたら、ビルの前で野球のバットをもって「素振り」をしている子がいた。

「お、野球やってんだ?」とたずねると、まだ小学校のせいぜい中学年くらいにしか見えないのに「はい」との返事。

「少年野球かなにか?」とたずねると、また「はい」。都会の野球少年の特徴だろうか、妙にかしこまっているようすもなければ、戸惑って不審そうにするわけでもない。

 近づいていくまでに、いかにも力のない子どもらしく、顔の前でバットをもち、そこから手をいったん下に落としてうしろへ引いてから、シーツかなにかを引きずりまわすようにしてバットを振っているのが見えていた。

 だから、「どれ、バットを振ってごらん」と言って、もう一度その動作を再現してもらった。

「あんね、なんでも無駄がないのがいいんだよ。よし、打とうと思ったときに、いつでもすぐに打てるようにね」

 そう言って、手は、最初は自分がバットでボールをいちばん強くたたける位置(まあ、野球のバッターは横へ向いてボールを待っているから、ふつうは頭の横あたり)に置いといて、そこから斜め下へ最短距離で振り下ろしたほうがいいことを教えてあげた。

 ほんとうなら、もっと踏み込みたい気持ちがないわけでもない。よしっ、じゃあキャッチボールをやろうか、と言ってみたい気持ちがないわけでもない。

 でも、ねえ。20年ほど前に息子とキャッチボールをしていたときも、すでに肩に変な筋肉がついていてボールがスライドばかりしていた。イメージを体で実現させようと試みてもいい時期と、頭のなかで思い出しているだけにしたほうがいい時期があるということか。不可逆的に順を追って訪れる時期なので、もう「体で実現」を試みられる時期は来ないということでもあるのだが。


by pivot_weston | 2012-12-22 19:46 | ブログ

70年

 長いと思うだろうか、短いと思うだろうか。わたしはまだ実感では測定できない。先ごろ、世界最高齢になった115歳の木村さんからすると、45歳のころからこれまで、と思い出のなかでその長さを感じとることができる。

 今月の2日は、エンリコ・フェルミがシカゴ大学のフットボール場の観客席の地下で初めて核分裂の連鎖反応を人工的に起こす実験に成功してから70年目の記念日だったらしい。

 まあ、そこまで詳しくわからなくても、だいたいそんなものだろう、ということはこれまでも頭のなかにあったはず。でも、アルゴンヌ国立研究所があらためてその事実を発表しているのを見ると、軽く「えっ!?」と思った。

 その実験の成果が広島、長崎で試されたのが3年後、試された日本がその成果を取り入れた(東海村に日本原子力研究所ができた)のが15年後、福島第一原発が運転を開始したのが約30年後、その約10年後に成果を利用していた側が試された側の恐怖を味わうスリーマイル島の事故が起き、チェルノブイリでいよいよその恐怖が現実のものになったのが約45年後、そして、70周年の記念日を1年後に控えて、実験成功のわずか3年後にその成果を試されながらも素早くそれを利用する側にまわっていた国でも決定的な事故が起きたわけだ。

 なんか、オウムをそんなに異様な存在として対岸視していていいのだろうか、という気もする。わたしたちもただマインドコントロールされた状態に陥っていただけではないかという思いだ。人類史上でたった70年ぽっちしか存在していない技術を「なければ生きていけない技術」と判断するのは、ためらうのが当然だろう。

 ただ、問題なのは、この技術がわたしたちの暮らしとは切り離された独立した時間のスロットを生きてきたわけではない点。まるでわたしたちの体のなかの隅々にまで行き渡っている毛細血管のように、わたしたちの暮らしの全身にからみついている。70年のマインドコントロールがいかに強度なものであったかがわかる。いまだにオウムの影響下にある人たちに、そんなものはきっぱり、なかったことにすればいいじゃないか、とは思う。でも、それをわたしたちと核のケースに置き換えると、たとえば、お国のために死ぬのが最高の自己実現のように思われていた世界に、絶対に戦争はしてはいけないという世界をつなぐような行為になり、臓器移植後の拒絶反応のようなものが起こることは避けられないだろう。

 それに、外国に目を転じると、「きっぱり、なかったことに」しようとすると、とたんに70年前の悪夢がよみがえってくるような気もする。日本にとって風上にある中国にそれを依頼し、聞き入れてくれたとすると、公称人口13.5億のほかに未確認人口が何億かいると推定されているその総人口を養うために、紛争地域の資源を見る目がいま以上に熱を帯びてくるのは間違いないだろう。

 いったんマインドコントロールに陥っていた人たちが立ち直るのは、想像以上に難しいということなのかもしれない。


by pivot_weston | 2012-12-21 08:57 | ブログ

銃とTPP

 CNNで銃規制について賛成の人と反対の人が論争、というか、言い合いをしていた。

 たぶん、対岸の問題ではないと思う。TPPの市場統合が進めば、経済の問題と治安の問題もいつまでも切り離しておくことはできないだろう。市場統合で、あの、口角泡を飛ばして銃所持を擁護する人たちの論理がはいってくるのだとしたら、さすがに考える。

 TPPが究極的な統合市場をめざしているのだとしたら、治安の問題も究極的にたどりつきたいところを想定して、早めにそこをめざす動きを起こしたほうがいい。もしかしたら、多くの人はみんなでバンバン銃を撃ち合う社会を究極として思い描いているのかもしれないが、わたしは平和な社会のほうがいいと思うし、たぶんそれは、このまま世界がふたたび壊れることなく進んでいけるとしたら、当然、戦争で人を殺すのもダメ、というところに行く着くだろう。

 もちろん、オバマさんがいくらcourageを奮うと言っても、すでに1億数千丁も出まわっていると言われるアメリカ国内の銃をいますぐぴしゃりと規制するなんてことは非現実的だろう。しかし、遅々とではあるが、核ではアメリカもそれをやりだしている。流れを止めないためには、さしずめこの分野にこそ豊かな経験と実績がある日本あたりがオピニオンリーダーとしての役割くらいは担ってあげればと思うが、次の政権は逆の方向をめざしているようにも思う。

 TPPは推進するが、デフレは認めない、というのもよくわからない。これまでの日本の物価と外国の物価の違いをそのままにして市場が統合されるなんてことがあるのだろうか。必要なのは場当たり的戦術と官民の官僚機構(変な表現だけど)のスリム化ではないだろうか(一本芯を通さなければならないのは「戦略」、つまり、よりよい市場統合のほうであって、「戦術」のほうは「場当たり」で十分、というよりそれがあたりまえではないだろうか)。オリンパス騒動のときの経営陣などを見ていたら、いまの日本企業がむだなところにお金を払いすぎているのは明らかだ(組合活動が衰微しているから、組織に対するチェック機構がはたらかなくなっている。組合活動を弱めるなら、上層部に全面的に責任を負わせないと、バランスがとれず、ふわふわでむだにお金ばかりとりたがる甘えん坊の経営者ができてしまう)。

 温室効果ガス対策がめざしているのも、究極的には、アジア・アフリカなどのまだ引き上げたほうがよい経済を引き上げつつ、全体の経済を小さくすること。使わせてもらう紙を増やすことだけが豊かになることではないと思う。

 いずれにせよ、TPPを考えるなら、銃のことも考えたほうがよい。


by pivot_weston | 2012-12-20 15:18 | ブログ

韓流からの思考

 まさか、と思っていたけど、最近、韓流ドラマにはまっている。

 6年ほど前にホ~ドガ~ヤのあひるのママが、わたしたちがカウンターにならんでいても、仰角15度の方向に取り付けたテレビで録画したドラマを見ていたころは、またまた、そんなもん、どこがおもしろいねん、と思っていたけど、ある晩、仕事に疲れて寝ころがり、テレビをつけたときに、たまたま、ひと目で、あ、これは――と思う画面が映し出されたのがきっかけになった。

 もちろん、その「あ、これは」も「またまた、そんなもん」につながる感懐である。チョビひげのおにいちゃんが出ていた。え、この子が主役かいな、やっぱり国が違うとえらく感覚が違うもんやな、と思い、すぐにリモコンで別の局のボタンを押そうとしたのだが、その「えらく感覚が違う」の思いが「どれどれ」の姿勢を引き寄せたのか、自分のなかでつい、ボタンを押そうとした指に、しばし待たれい、の指令を出してしまった。

 で、見ているうちに、ついつい最後まで見てしまい、それから1週間ほどがたってから、また仕事に疲れてごろんとなったときに、あ、もしかして、あれやってんのとちゃうかな、と思ってまた見てしまい、そのうち、え~と、あれは何曜日の何時からだっけかなと、逆に、それが始まる時刻に合わせて仕事のしかたを調整するようになった。

 なんでじゃろ? いまはその謎について考えている。

 最近では、テレビドラマはまったく見なくなっていた。やはり、ああいうものは誰かといっしょに妥協しながら見るものなのか、少し前には、それでもときどきチンさんのお店でおすすめのドラマを見ることがあったが、いまはまったく見ない。

 具体的には、どこがつくっているかなんて調べたことはないが、シンボリックに言えば、どれを見ても、デンツーロジックのようなものを感じてしまう。スポーツのニュースなどを除けば、お笑いタレントのような人がただ椅子にすわって世間話をしているだけのように思えるバラエティ番組にしても、背後にいる制作者の「これ、おもしろいでしょ。おもしろいと思って」という意図のようなものを感じ、うっとうしくなる。

 押しつけがましいのはきらい。こんな父親をもった子どもたちにはかわいそうだったけど、ディズニーランドに行ったときも、あまりの押しつけがましさに頭に来て、途中から子どもたちに同行するのをやめてしまった。

 なんか、最近のテレビ番組は、ほとんどどれを見ても、そういう、価値観を押しつけてくるような印象を受けるものばかりになった気がするので、できるだけ制作者のそういう意図がはいり込む余地の少ないものだけを選んで見るようにしている。

 だから、チョビひげのおにいちゃんのドラマを見てしまったときも、もしかしたら背後にいるのが(あくまでシンボリックな意味で)デンツーじゃなくて、韓国の広告代理店だからかな、と思ってしまったが、調べてみると、どうやら、あのドラマも日韓共同制作らしい。

 日本の芸能界にも、韓国系の人たちが大勢いるらしいので、出演者ひとりひとりの醸す雰囲気のせいでもないだろう。筋やディテールが日本のドラマより細かいわけでもない。でも、見てしまう。よくわからない。まだその謎を考究中である。

 ただ、昨夜もそのドラマを見ていて、ふと思ったこと。ときどき思っていたことだが、あらためて、そうか、やっぱりJPNとNKは似ているんだな、と思った。

 選挙が近づいたころから、テレビをつけて安倍さんの顔を見ずにすむことは珍しくなった。なんか、うっとうしい。もちろん、彼自身がうっとうしいわけではなく、まわりの人が、わたしから見てうっとうしく感じる現象を起こしているのだろうが。なぜうっとうしいのか、最初はよくわからなかった。

 それが、昨夜の再放送ドラマを見ているうちに、ふと、ひらめいた。ああ、遺伝子か、と。いまの若い人たちにとっては、安倍さんは新鮮なリーダーなのかもしれないが、昭和30年代や40年代を生きてきたわたしからすると、子どものころからずっと見せられてきた遺伝子の顔だ。ああ、それでうっとうしいのか、と思ったところで、韓国のドラマを見ていたせいか(いや、たぶん韓国のドラマのなかにそんな思考の筋道が隠れていたのだろうが)、ああ、その点もNKと同じなんやな、と思ってしまった。どちらの国の国民もともに、同じ遺伝子の顔をずっと見つづけたい国民なのかもしれない。

 そういや、先日見ていたAl Jazeeraの特集番組では、その遺伝子に、逆に新鮮な驚きを覚えさせてもらった。重信さんの娘さん。かっこいい。ご存じのかたはとっくにご存じだったのだろうが、わたしは初めて拝見した。あんなにかっこいい人は、モデルさんなんかもよく歩いているこの西新宿の街でもそう見かけない。


by pivot_weston | 2012-12-19 21:54 | ブログ

深い井戸の誘惑

 やっと少し回復してきた。

 いつもばかなことばかりやっているので、ばかなことをやること自体は珍しくないのだが、ここまでばかは初めてかな、と思えるケース。

 ある会社からある関係の調査レポートのお仕事をいただいた。テーマがいくつもあって、そのうちのいくつかがわたしに割りふられている。シーズナル、またピアリオディカルな仕事で、これまでもそのつどいくつかいただいていたので、あ、あれね――という調子で引き受けた。

 近ごろ、目が少し衰えてきているのも災いしたかもしれない。割り当て表を見て、自分の割り当てのところをやってくれ、とのことだったので、割り当て表のファイルを開いたが、その表の文字をずっと追っていくのが少し苦痛だったし、逆に、目で順に追っていくことで見落としもあるかもしれないと思ったので、ついソフトウェアの機能に頼ってわたしの名前で検索してしまった。

 あ、5件ね。で、締め切りは15日だから、だいたい何日くらいから始めて、1日どれくらいのペースで進めて――と自分の頭のなかで終了までのイメージづくりをした。

 4件目までは予定どおり。いいペースで進んでいた。で、最後の1件。そのテーマはふだんから追いかけているテーマ。いろんな思い入れもある。悪いくせで、だいたい人さまに読んでいただくものをつくるときは、深ぁ~い井戸にひそんでいるようなことでも、一時的にその井戸のなかにはいるのはいいにしても、最終的には井戸から出てきて、読んでくださるみなさんがいるところ、つまりお天道さまの下の地べたの上に立って、そこをわたる空気やなにかも感じながら、その井戸のなかの仕組みがどうなっているかを表現したほうがいいのに、深ぁ~い井戸のなかにはいって、いつまでもごそごそしてしまう。

 あれ、これは終わらないぞ――と思ったのが、締め切りの前々日くらいだったか。そこでそう思ったのなら、いっぺんお天道さまのもとへ出て、大きく深呼吸でもしていれば、あ、だらだらと長くしても読む人がたいへんなだけだから短くしよ、と思っていたかもしれないのに、ただひたすら井戸のなかで、あれ、まだ奥がある、あれ、まだ奥がある――とやってしまった(わたしの場合は、ありがちなことなのだが)。

 で、1日、2日と、ほぼ寝ずの作業。ともあれ、深夜になったのであまり意味はなかったのだが、15日は15日のうちにできたレポートを送った。

 やれやれ。そう思って呆然としていたら、翌日になってその仕事をくださっていた社長さんからメールが来て「これ、頼んでないよ」ときた。そう、その5件目、2日間、ほとんど寝ずに掘りつづけた井戸のこと。

 え、んなばかな、と思って、もう一度割り当て表に当たってみたら、そう、確かに検索するとわたしの名前が5つ拾われてくるのだが、4件目まではそれでよくても、5件目は横に「⇒」のマークがあって、そのとなりに別の人の名前がはいっていた。

 あっちゃぁ~と思うと同時に、徹夜仕事で凝り固まっていた体のほうはフニャフニャフニャ~。ほんと、どーしてこーも間抜けなのか、とも思うが、これはもう死ぬまで直らないのかもしれない。


by pivot_weston | 2012-12-18 22:36 | ブログ

洗礼

 今日、ある民主党議員の事務所の人と話をする機会があった。

 たいへんな選挙戦だったらしい。「今度ばかりは……」という話が、ため息交じりに出た。だから、昨夜の話をしてあげた。

 ネット上でNHKの開票速報を見ていた。NHKは地図に見立てた図で、当選者を赤や青の大きなドットで表示していた。自民党の当選者を示す赤いドットがびっしりとならび、日本の国土のようなかたちができていて、近畿地方には維新の会の当選者を示す黄色いドットもさみだれ状にならんでいたが、民主党の青いドットはその真っ赤な日本のところどころにちらほらと見えるだけだった。でも、そこにはっきりとひとつのパターンが表れていた。青いドットは、そのほとんどが右端、すなわち太平洋岸にならんでいた。左側、すなわち九州や四国や中国のほうは、ほぼ真っ赤に染まっていた。だから、「みなさんは震災対策がどうのと言って批判されてきたけど、どちらかと言うと、被災地のほうで評価されたんですよ。メディアの情報を見聞きするだけだった西日本の人たちにはまったく評価されなかったけど、当の被災地のかたがたのほうがみなさんを評価してくださったんですよ。それは忘れてはいけないと思います」と話してあげた。結果的に、民主党は57人の小さな集団になったけど、当選者の一覧を見ると、「洗礼」を受けたことで、これまでとは違い、能力の高い若手たちが集まった引き締まった集団になったように思う。これからひとりずつ、ふやけることなく、自分たちと同じような人たちを補強していくのが、これからの彼らの課題になるだろう。

 ともあれ、かくして、福島第一原発事故という世界に迷惑をまき散らす事故を起こしたこの国は、その原発を40年近くにわたってまじめに安全対策も施さずに運営してきて、いまなお、その点をつかれると、「では、民主党はなぜ1年半のあいだに対策をとらなかったのか」と、まるで非現実的な抗弁をしている政党を選んだ。頼りない政権と怪しげな第三極とのあいだで選択肢がなかったと言われればそうなのかもしれないし、わたしもそんなこの国の一員なので、また真っ赤な国で生きていこうとは思う。

 でも、菅さんの選挙戦中の街頭演説の姿をとらえた映像は哀しかった。あの人の政治がよかったかどうかはよくわからない。でも、1年半前のあのとき、いまにも原発が爆発しようかというとき、この国の責任を一手に引き受けてくれたのはあの人だった。怒鳴り散らしたとかなんとか、いろんなことを言われたけど、一国の最高司令官が怒鳴り散らすことくらい、なんのことがあるだろうか。あのとき、彼が内面でかかえていた重圧の大きさを思いやる大人げもなく、それくらいのことでピーピー言うまわりのほうがよほど問題だ。怒鳴り散らさず、あんな、自分たちが原因で世界中に影響がおよぶような大事件が起ころうとしていたときにも、のらりくらりとお役所仕事をしていた東電や経産省があのままになっていたらどうなっていたことか。

 わたしたちはかつて東条さんも切ってきた。なにかあると、誰かを悪者にして切ってきた。そんなことを繰り返しているだけでいいのだろうか。失敗してもしかたがない。その人がやったことを一部なりとも評価できる国民にならなくていいのだろうか。オバマさんをはじめ、世界のリーダーたちは理想と現実のはざまで闘っている。そこを評価できない国はいつまでたっても世界のリーダーにはなれないと思う。


by pivot_weston | 2012-12-17 23:52 | ブログ

国会見聞記・再開

 選挙が終わりましたので、前に書いていた「国会見聞記」シリーズを「非公開」からふたたび「公開」に戻します。

 もちろん、そんなに影響力があるとは思わなかったけど、近くにいる人を語る言葉が、遠くにいる人から見ると別の意味をもってくることも考えられたので、これまでは、次の選挙が終わるまでと決めて、「非公開」にしていました。


by pivot_weston | 2012-12-16 22:19 | 国会見聞記