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余韻の残る言葉

 3日前の夜、携帯電話が鳴った。

 先日、衆議院が解散された日に、午後になって野田さんが解散を宣言するとは知らず、衆議院の農水委員会での活躍ぶりをこのブログでも紹介したキミちゃん、こと玉置公良議員、あ、いや、いまとなっては前議員からだった。

「おう」

 いつもなら、そのあとに、間髪を入れず、元気のいい大きな声が聞こえてくる。でも、その日は、一瞬にして電話の意図が伝わってくる、ほんのかすかな間があって、

「もうわしはやめとくことにしたからな」

 と、思ったとおり、ためらいのある、またどこか、照れや恥じらいや悔しさも交じっているような声が続いた。

「そうか」

 予想はしていた。

 少し前には、メディアで少し騒がれたらしいが、「維新」への鞍替えを試み、組合出身を理由に断られていたらしかった。またまた、なにをやっとんねん――と、その話を聞いたときは思った。

 それに、いろんないきさつもあった。3年前の9月、初当選して上京してきて、「おう、飲もか」と言って永田町から飯田橋へ行こうとしたときには、国会議員になったくせにトコトコと地下鉄の駅へ降りていき、背広のポケットをチャリチャリいわせながら切符を買おうとしたものだから、そのうしろ姿を見て、つい「あれ、(国会議員の)パスは?」と思ったが、すぐにその光景の意味に気づき、いやいや、このままでええんやな、このまま4年間行ってくれたらええんやと思い直したものだが、その後、見る見る昔ながらの「センセ」のパターンにはまっていったし、いつも自分のすぐそばにいる人たちのほうではなく、よくわからないどこか別のほうを見ているように思えるようにもなったし、こいつ――と思うことはいっぱいあった。

 でも、冒頭のためらいのある言葉を聞くと、そんな思いはどこへやらで、二十数年前に町役場の職員からいきなり衆議院選挙に立候補し、あと少しまで行ったあと、「和歌山の白浜におもしろいにいちゃんがいるから、本をつくってやろうよ」と言う先輩に誘われて潮の香りのする温泉町まで出かけていき、1週間ほど家に泊めてもらって、あちこち案内してもらいながら話を聞かせてもらったときのことがよみがえってきた。

 東京へ帰る前の晩には、当時の自宅の入口の(どこやら「に~じゅ~ういっせえき~(21世紀)の~うちゅうのと~び~ら~(宇宙の扉)。ど~んと、どんとどんと、どんとどんとどんとどんと、ど~んとた~た~け~(たたけ)」という主題歌が流れていた昔の二木てるみさんのドラマを思い出すような)セメントの床に大きなストーブを据えたようなところで、「おお、クエ、食えよ」と言って、生で食べてもおいしい白菜のいっぱいはいった鍋をしてくれたことも思い出す。

 とうちゃん、かあちゃんともに早く亡くしていた。ほんとうに(こう書いたら、彼だけでなく、いろんな人に失礼かもしれないが)どこから見ても田舎の町役場(公民館)のにいちゃん。会う人みんなに「おお、キミヨッさん」「キミヨッさん」と言って(たまには「キミヨシッ!」と言われることもあったが)かわいがられていた。そういう関係によけいなスケベ心やなにかが混ざっていると、声をかけてくれる人の表情にそれがのぞくものだが、彼の背なか越しに見える相手の人の表情は、みな、誰の顔もすっきりしたものだった。キミちゃんがそういう人たちに「ありがとな」「ありがとな」と答える姿に、とうちゃん、かあちゃんのいない空白を満たそうとする気持ちが交じっていないわけでもないような印象も受けた。テレビに出て理屈ばっかり言っているような人から見れば、たりないところだらけの政治家だろう。だけど、理屈ならわたしでも言える。二十数年前の彼は町役場のにいちゃん以外のなにものでもなかったような気がするが、この3年間に見せてもらった彼には、何度か、おゝ、やっぱり政治家やな、と思わされるところがあった。

 あと、たりないのは、どんなところへ行っても気後れしないことか。今度の選挙の報道でよくメディアに登場する人たちを見ていても、ひそかに心のなかにかかえるコンプレックスをバネにしてがんばってきた人たちが大勢いるのがわかる。またどこかで栄養補給をして、(性格はいまのままでえ~から)もう一段恰幅を増し、堂々とした政治家として戻ってきてもらいたいものだ。

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by pivot_weston | 2012-11-30 14:00 | ブログ

日米連綿

 いまは切迫感が多少薄らいできたが、3年前、アメリカ政府から16億ドルの融資を約束されてアメリカ再生の期待をかけられた日本企業があった。いやもう「日本」なんていう枠には収まらないし、収める必要もないだろうが、電気自動車LEAFのNissan。

 自動車産業はアメリカにとって、ただのひとつの産業ではない。かつて、本家ヨーロッパから「田舎者」のニュアンスも含めて「ヤンキー」と呼ばれていたアメリカの人たちが、その「大いなる田舎」を自由に走りまわり、途中でドライブインに寄って大きなハンバーガーやホットドッグを思い切り口をあけて頬張りながら、世界のどこの国より伸び伸びと生きられる「自由の国」をアピールし、逆に、ヨーロッパの人たちから垂涎の眼差しで見られるようになったのも、ヘンリー・フォードが一気に拡大させたモビリティのおかげであり、つまり、それを可能にした自動車産業はアメリカという国そのものの一面も持っていた。

 それが、リーマンショックでつぶれた。あの、アメリカという世界で唯一になった超大国そのもののように君臨していたGMがつぶれた。同じ国が7年前の2001年に経験した史上まれに見るショックは、直接の原因が外国にあり、外国を憎み、軍隊を派遣することによって、とりあえずは乗り越えた気分になることができた。でも、今度は内なる緩み、内なる増長、放埓が原因。昔から「困ったときの戦争」と言われていても、その戦争をしかける相手もいなかった。でも、国そのものとも言える自動車産業を崩壊したままにしておくわけにはいかない。そこで登場した、別の面でもエポックメイキングなオバマ政権が、なりふりかまわぬ自動車産業の再生に乗り出した。地球温暖化対策が求められる時代。オバマ政権は、それに対する対策すらのんびりとかまえて怠っていた緩みっぱなしの国内自動車産業に発破をかけながら、同じく再生への闘いのなかでレバノン系ブラジル人でフランス育ちのゴーンさんに未来を託し、よそから見れば「やめとけば」と思えるような電気自動車で先行していたNissanに再生の願いをこめた巨額の投資をすることにした。

 そのNissanの北米本社があるのがテネシー州フランクリン。音楽の都ナッシュヴィルの南どなりだ。アメリカ再生の願いをこめた16億ドルでその東どなりのスマーナに建設されたNissanの工場で、いよいよ12月からLEAF本体の生産が始まるみたいだが、本社のあるフランクリンでは明日、カーターハウス・キャンドルライトツアーという催しが行われるらしい。

 1864年(この数字を目にすると、すぐにわたしは東京オリンピックを思い出す。東京オリンピックが開催された1964年と下2桁が一致しているからだが、それくらいあのオリンピックの開催は少年の心に大きなインパクトを与えたということだろう)。南北戦争末期のころだ。映画『風と共に去りぬ』のなかでヴィヴィアン・リーさんの髪がほつれだしたころ、オバマ政権誕生につながるリンカーンの奴隷解放宣言の翌々年、「オブ・ザ・ピーポー、バイ・ザ・ピーポー、フォー・ザ・ピーポー」のゲティスバーグ演説の翌年。その11月30日に、この町では戦争の行方を左右する大きな戦いがあった。

 わたしも小学生のころには鼓笛隊の先頭で指揮棒をふるのにあこがれていた時期があったが、あの鼓笛隊も、南北戦争のころには、にらみ合っていざ戦闘を交えるというときに双方の軍の先頭に立って進む兵士たちだった。半ば、殺されるのはあたりまえ、日本の特攻隊のように死を覚悟した兵士たちだったので、いまだにヒーローとして受け継がれているわけだが、その鼓笛隊を先頭にした兵士たちが、南軍といわず、北軍といわず、大勢負傷して野戦病院が数多くできた。その日の戦いを偲んで、11月30日と12月1日の両日に、午後6時から9時半まで、3時間半をかけて当時から残る古い建物をまわって歩くのだという。

 そこで、またふと。

 いまの日本は「維新」「維新」の大はやり。黒船来航で遅れていたことに目覚め、国の改革に着手した時代を想起させようというねらいらしいが、その黒船来航は1858年。そのときにわたしたちの先祖が見たペリーさんたちは、進んだ国の落ち着きを漂わせていたかもしれないが、実はその3年後に国を二分しての大動乱に巻き込まれたわけで、まだ国が国として成り立っていなかったと言える。銃で撃ち合いをした人たち同士があらためてひとつの国としてまとまることにした遅れた国と、その国に遅れを気づかされながらも、ひとつの国としてのコンセンサスはとうにできていて、その国の行方をどうするかで戊辰戦争などを起こした国の違いが、その後の銃社会の残存につながったのだろうか。それとも、昭和の時代まで生きた西部劇の英雄「保安官ワイアット・アープ」に象徴される西部開拓時代が銃社会の残存につながったのだろうか。

 それはともかく、そうして19世紀の半ばには先進国の仲間入りができていなかったふたつの国が、20世紀の半ばに先進国を舞台にして起きた大戦争もテコにして、その後の時代に同盟を組み、いままた、助け、助けられながら、新しい時代に対応していこうとしている。人間の歴史だ。

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by pivot_weston | 2012-11-29 08:16 | ブログ

申し訳ないけどのどかな話

 わたしたちにとっては懐かしい世界。

 子どものころの「村の鎮守のお祭り日」。神社に行くと、境内を取り巻く屋台の一番前にコルト45がならんでいた。ガンベルトがぶら下がっていることもあった。貧乏だったから、ガンベルトはぼーっと見上げるだけにして、ならんでいるコルト45のいちばん安いやつを買うことができたときは、ズボンの右のポケットをガンベルトからぶら下がったホルスターの代わりにして、友だちと早撃ちを競った(あくまで銃声は口で間に合わせるので、抜く前に銃声を立てるやつがいて、「おれのほうが早かったぞー」と言われると、おまえ、人間性が出とるぞ、と思って、少し弱ったものだが)。

 アメリカのネブラスカ州はプラット川の流れる州。それをロッキー山脈に向かってさかのぼれば、「ラァラミィ~」の歌声で始まった番組のなかでかっこいいロバート・フラーさんがいた牧場の舞台にもたどりつく。テキサスからカナダとの国境のモンタナのほうへ向かうキャトルドライブ(牛追い)の経路にも当たっていて、ダーティハリーになる前のクリント・イーストウッドさんが「ロディ」として、フェーバーさんやウィッシュボーンのおやじさんといっしょにチャックワゴンの車輪をかたかたといわせて行ったり来たりしていたところでもあり、近ごろでは、そんな雄大な世界を下で支える世界最大の地下の水がめ、オガラーラ帯水層が干上がりそうだと言われているところでもある。

 そんなところで、この前の水曜日、30歳のティファニーさんという女性(わたしから見ると「女の子」だが)が事故に遭ったという。プラット川のほとりのコロンバスという町の東36番アベニュー(ニューヨークでは南北に通じる道をアベニューというが、ここでは東西に伸びる道をアベニューというらしい)。「東」ということは、大平原のなかの人口2万人ちょいの町だから、要するに町の東のはずれの大平原のなかの道なのだろう。

 時刻は夜の9時10分。運転していたのは2010年型三菱ギャラン。ちょいとけがをして、車の損害は、ま、1万ドルと見積もられた。相手の損害は5000ドル。なんだ、相手の車はそんなに壊れなかったのか、と思われそうだが、これは「壊れた」のではなく「けがした」損害。ん!? では、大平原のなかの道に歩行者がいたのか? いやいや、まさか、雪も降っている昨今。ぶつかったのは人ではなく馬、エンリケさんの馬なのでありました。けがして、愛車の三菱も壊れたティファニーさんには悪いけど、なんとなくほんわかして、ポケットホルスターの時代を思い出してしまった(でも、そ、あくまで実話は実話ですぞ)。

 そういや、昨日はお昼にフランスのボルドーから80のシャトーの人たちが来て、営業のためのワインテイスティングの会があった。有力シャトーのオーナーとなると、みなさん有名人。よく拝見するお顔だなと思いながらあいさつをしていたら、「あなたとは会ったことがあるわよ」と言われて「えっ!?」。すぐに頭のなかで、大急ぎで過去をひとっ走りして、9年前に一度お会いしていたことを思い出したのはよかったが、自分の記憶力の衰えかたに少し不安になりながら、相手のかたの記憶力のすごさに驚いていたら、そばにいたかたから「あら、2年前にもお会いしていますよ」と言われて、またまた「えっ!?」。加齢とはもう少し真剣に向き合わなければいけないのかもしれない。

 ともあれ、聞くと、そのシャトー様ご一行は、夜はもう韓国なのだとか。で、そのあとは一週間中国。なんと「半日」と「一週間」の違い。いやいや、そこまで日韓と中国のあいだには経済力の差ができたのかと思いながら、ぼーっと会場のホテルの入口に立っていたら、ややうつむき加減につかつかとなかに入ってきた、どこかで見覚えのある背広姿の人がいて、よく見ると鳩山さん(元首相のほう)だった。エスカレータで上に上がったから、地下で開かれていたワインテイスティングに来たわけではなかったみたいだが。

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by pivot_weston | 2012-11-28 11:38 | ブログ

日中仲裁サミット

 週刊メールマガジン『米国政府情報』第74号「日中仲裁サミット」は、本日13:30配送予定です。

 日中のあいだにも、そろそろ流れができてきたのでしょうか。ASEAN米国首脳会議とそのあとの東アジアサミットの情報が多かった先週のホワイトハウス情報を見ていると、そんな印象を受けました。

 いわゆる「バイ」、二国間首脳会談の前のあの絵撮りはなんなのでしょう。

 オバマさんは、野田さんと向かい合ったときも、温さんと向かい合ったときも、相手に向けて言っている言葉なのに、カメラのほうへ向いてしゃべりたがる(例の、今回の大統領選挙にひと揺れを起こした第一回のテレビ討論会のときも、ロムニーさんのほうを見ずにカメラのほうばかり見てしゃべっていましたから、あれはそういう習性なのでしょうか)。それで、自分の言いたいことを言い終わったら、あとは野田さんと向かい合ったときも、温さんと向かい合ったときも、相手のほうをじっと見ている。

 野田さんは、ほとんど目をそらさない。わずかに通訳を介した会話に「間」のとりかたの難しさを感じている気配はあるけど、基本的には「……ね」「……ね」という感じでオバマさんのほうを見ながら話している。

 でも、温さんはその「間」が苦手なのかな。自分が話す番になると、中国語で話をしたあと、通訳が英語でしゃべりだすとすぐにオバマさんのほうから顔をそむけてしまう。

 三者三様の特徴が出ていて、今回のホワイトハウス動画はなかなかおもしろいものでした。

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選挙の思い出

 古いビルに住んでいる。

 昨日、下へ降りようとしたら、エレベータが止まっていた。まあそういうこともあるだろう、きっとそのうち直っているだろう、と考えた。

 今日になって髭をそろうとしたら、今度はお湯が出ない。ありゃりゃ。さすがにたまりかねて、各方面に電話をかけた。そこでようやく、土曜日の夕方にそれなりの地震が来たので、エレベータもお湯もそれで止まっていたのだとわかった。

 慣れは怖い。金曜日の夜も、木曜日の夜も、深夜(あるいは明けがただったか)に軽いグラリが来た。震災後、いっときは福島の浜通りないしは沖から茨城沖に集中しているように思えた余震の震源域が関東地方の内部に切れ込んで、しだいに東京湾中心に集中しかけている。こんなにのんきにかまえている場合ではないかもしれないのに、危険信号かもしれない「軽いグラリ」が来れば来るほど、半世紀以上しぶとく生き抜いてきた初老の脳には油断域がひろがってくる(これも、せいぜい生きられる時間を楽しく生きる知恵、仕組みなのかもしれないが)。

 選挙がある。

 去年の震災のひと月ほどあとにも地方議会の選挙があり、思いも寄らぬことだったが、いろんな流れがあり、半年ほどではあったが国会に通ったりしていたこともあって、志をいだいてその選挙に立候補したある20代の若者の選挙対策本部長なんてものをやった。そのせいか、なんとなく、わたしの頭のなかでは、別に論理的なつながりなどはなくても、地震と選挙がつながってしまったような感覚がある。

 苦労していた若者だった(ま、自分の考えがあって生きている人はだいたいそんなものなのだろうが)。だけど、一度は拒否していた大学制度が、あらためてそこへ入ろうとしたときに諸手をあげて迎え入れてくれたみたいだから、そうとうに優秀な若者でもあったのだろう。苦労しただけ大人と接する機会も多かったからか、大人の話もよく聞いていた。だから、よし、がんばれと、応援を引き受けた。

 地方議会でもどこでも、議員になるのは0歳からその地域の最高齢のお年寄りまで、すべての人の代表になることを意味する。若いからといって若者の代表しかできない人は、当選したらその全住民の代表という役目を果たせず、一部の人の声しか吸い上げられない詰まったパイプのような存在になってしまうので、結果的にはその若者議員に支払う給料が税金の無駄遣いになる。議員というパイプは、そのつくりが若ければ丈夫でいいのかもしれないが、流すものはすべての流れでなければならない。そうでなければ、システムは機能しない。

 去年のその若者の選挙でも、少し対応に窮するような人まで含めて、大人の人、高齢の人が少しずつ応援に来てくれるようになった。ところが、選挙戦が進むにつれて、心配な現象が起きてきた。選挙戦を戦ったのは、その立候補した若者だけではない。応援の若者も来た。すると事務所が高校か大学の文化祭かなにかの会場のような雰囲気になってきた。当選したら地域の働く人みんなが納めている税金から給料をもらって地域のために働くことになるから、選挙戦の期間はその気持ちを候補者の体にたたき込む、あるいは、染み込ませる期間にしなきゃいけないのに、運動をしている若者たちが変化せず、ただ若さをアピールして票を求めるだけでは、公共工事をアピールして票を求めていたかつての自民党候補と変わらない。

 だから、本部長のくせにおかしな行動だったかもしれないが、何度か苦言を言い、最後には、一部の若者に「引き締めるために言うからな」と断ったうえで「おれはもう応援しない」とも言って、彼らのいないところで、ひとりで地域内の知り合いのところをまわった。それなのに、流れは変わらなかった。案の定、結果はもうひと息のところで残念でしたということになったが、それで応援してくれた人たちに集まってもらい、慰労会のようなものを開こうとしたとき、中高年の応援してくれた人たちも来ていたのに、いきなり、事務局長のような役目をしていた若者が「まず先にこれをやらせてください。これだけは譲れないので」みたいなことを言って、「青春のメモリー」のようにまとめられた選挙戦中の映像を見せられたときには、さすがにあきれた。

 若者は柔軟だという。わたしはそうは思わない。自分の若いころを振り返ってもよくわかる。経験が乏しいことにも気づかず、なんでもものごとをひとり決めし、あとになっていろんな経験をするにつれて、あ、そうか、そうなのか、と赤面するような思いを何度もしてきた。ああいう時期には、目に見える光景を短絡的あるいは通俗的な思考で整理し、自分ではわかったような気分になっていても、そんなようすを大人の目で見ると、経験の乏しさからいろんなオプションがあるのが見えず、狭い視野のなかで右往左往しているのが俯瞰できることがある。一方、大人は頭が固いといわれるが、それはただもとから思考に柔軟性の欠ける人か、特定の経験の記憶がひときわ強く胸に焼きついている人を見ているだけで、実際に思考の背景を検証してみると、経験を重ねた大人のほうが柔軟性をもっていると思う。

 ともかく、あの選挙は、なんかなあ、と思う体験。ま、それも大人が積み重ねていく経験のひとつになっていくからいいのだが、候補者の若者は「これからもこの地域で地道に活動をしていきます」と言っていたので、「おお、そうだよ、みんなが向けてくれた気持ちをむだにするな」と言っておいたが、昨日、その選挙戦中に行ったおでん屋さんに寄ってみたら、その若者がその後も顔を出している気配はなかった。ふむ。

 なお、今度の選挙については気になることをひとつ。民主党はマニフェストを守れなかったので「ウソつき」呼ばわりされている。でも、そのマニフェストとはなにだったのかが忘れられている。過去の選挙では、どこの党も正式な公約など掲げず、そういう時代には、党ではなく政治家が「ウソつき」と言われ、また、政治家が「ウソつき」なのはあたりまえだと思われていた。そういう時代を変えようとして作られたのがあのマニフェストだった。それが完全に守られなかったのは事実だから、民主党がウソつきだと言われるのはしかたがないのだろうが、そうしてウソを検証できるようになったのだから、時代としては半歩前進ととることもできる。

 アメリカの大統領選挙では、ロムニーさんがオバマさんのジャブジャブのクリーンエネルギー政策をぼろくそに非難していると、冷静なメディアが「そうかもしれないけど、それはブッシュさんの時代に始めたことだよ」と指摘して、戦いの舞台をフェアにならす役目をしていた。日本のメディアには、そういう役目を果たすところがない。流れにまかすだけの日本のメディアはただ表層を吹く風のような存在でしかない。だから、せっかく将来における消費税の引き上げを決めたのに、不景気を理由にまた借金を増やして景気対策をするという主張が勢いをつけている。いつまでも世界は甘えさせてくれないよと思うけど、そんな無責任な政治でいいのだろうか。

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by pivot_weston | 2012-11-26 15:01 | ブログ

フツーのこととフツーでないこと

 自衛隊を国防軍にしようという話になっているらしい。

 わかりやすい。日本もなにかあったときに武力で対抗する組織を「軍」とすれば、見た目がほかの国と同じになり、考えかたを整理するのも議論をするのも楽になる。かつて小沢さんが唱えたという「フツーの国」に近づくワンステップなのかもしれない。

 でも、それでは「フツーでない状態」を「フツーの状態」に変えるのは「楽」一方、いいことだらけかというと、そうでもないような気がする。たいてい、多くの人たちの意見を総合してできあがっているものには、それなりのわけがある。

「氷山の一角」という表現がある。海の上にちょこんと突き出ている氷山も、実はもっとはるかに大きな氷のかたまりの一部で、海面の下にその氷山を海上に現出させるだけの現実が隠れているというこの世の原理の一端を伝える表現だ。その原理でいくと、これまでの自衛隊が世界に例を見ない「フツーでない」組織だったとしたら、この日本の海面下には、そんな異形の氷山を浮かばせるものが隠れていたわけだ。

 ひと口には言えない。昔のように「戦争に行く」こともなく決まった給料をもらえるようになるのはありがたい、というような実利的な理由まで含めると、いろんな理由がこれまでの自衛隊という存在の陰には隠れていたはずだ。でも、なかでも大きかったのは、やはり「過去の体験」ではなかったのか。

 人間は積み木のように単純な図形を組み立ててできている存在ではない。ほんとうは、科学者的な視点からとことん微視的に見ていけば、単純な図形の組み立てなのかもしれないが、日常感覚で見ると、とてもそんなふうには思えない。なんでそんなことをしているのかと思える行動や、なんでそんなふうになるのかと思える状態も、多々見られる。わけがわからない。だから、人間なんじゃん。だから、小説を読もうよ――ということにもなる。

 つまり、「フツーでない状態」を「フツーの状態」に変えてすっきりさせるのは、一面とてもよいことのように思えるが、フツーでない氷山をちょん切ってすっきりした海面にしていこうとするのなら、そのフツーでない氷山を現出させていた海面下の氷のかたまり、つまり「過去の体験」やなにかも消化し、吸収していかなければ、バランスはとれないよ、と思う。

 逆に言えば、海面下の氷のかたまりが時間の経過とともに徐々に融けて、消化され、吸収されたときには、どんなにフツーでない氷山でも、わざわざ「あの氷山をちょん切っちまえ」なんて言わなくても自然と消えるということだ。

 だいたい、いつの時代でも「わかりやすくしよう」「すっきりさせよう」なんていう議論は、長くわけのわからない時代を過ごしてきた末に、過去を知らないか忘れた若い世代から出てくる。そして、重い荷物を背負って生きているわたしたちの営みの流れが途絶され、人間はまた同じ過ちを繰り返すという歴史を紡いでいく。そんなものだと思う。

 わたしも世のなかをすっきりとわかりやすくするのはいいことだと思う。でも、それと同時に、満州で入隊し、シベリア(現実には中央アジア)に抑留された経験をもっていた父の無言の表情も思い出す。その経験から、語ってもらえることはいっぱいあったと思う。でも、実際に息子に語り伝えたのは、「満州では、タオルをぶるんぶるんとふりまわしたら棒みたいにこちんこちんになる」「バイカル湖の海鳴りはなあ……」「カラガンダでは、コサックのほうがひどかった。白系は案外やさしかった」ということくらいで、あとは半ばほころんでいるように見えた口もとや、遠くを見る目でしか自分の体験を伝えようとしなかった。

 ああして言葉にすることのできないものを体験してきた人たちが、積極的にせよ、消極的にせよ、長く保持してきた体制。それを能天気に「これが自然だから自然にする」と言う苦労知らずの坊やたちの言うことに従って変えてもいいものか、という疑問は感じる。国会議員の秘書をしていたときも、40歳前後のある若手議員が、靖国参拝の話をしていたときに「わたしは(民主党の議員だから反対派がいっぱいいると思われるかもしれないが)賛成派、というか、すべきやと思っているほうですからね」とうれしそうに言い、つい、内心、坊や、そういう単純なことではないんだよ、と思ったのを覚えている。

 子どもに苦労させないという、かつての焼け跡・買い出し時代に絶対的に肯定された前近代的思考(中国の多くの人はいままさにこの思考のなかにいる)がまだ定着して盲目的に受け継がれているせいか、いまの若い人たちを見ていると、わかりやすくなってすっきりしてきているのはいいことなのだろうが、かつての時代に沈黙のなかで受け継いでいた「理不尽」「不条理」がごっそり欠落しているようにも感じる。国を大切にするのは国民を大切にすること。国民を大切にするのは国民がかかえているものすべてをトータルで受け継いでいくことだとも思う。わかりやすいが、その精神に欠けてきて、なかが空洞のような若い人たちがシステマティックに武力を保持し、行使するのだとしたら、もう少しよく考えてからにしたほうがよいのではないかとも思う。

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by pivot_weston | 2012-11-24 12:25

やめられない止まらない

 地図をつくりだした。

 頼まれた仕事ではない。誰もわたしに地図づくりなど、頼んできたりはしない。でも、ある地域を盛り上げるプランを考えるのに、とりあえず「たたき台」になるような地図がないとどうしようもないような気分になった。それで、勝手につくりだした地図。

 ただでも食いつなぐのがやっとの暮らし。頼まれてもいないことに時間をさく余裕はない。そういうときにかぎって、また別の方面からヘビーな仕事がはいってきたりもする。最初は、まあ何日かかけてちょぼちょぼとつくっていこうかと思って始めた作業。今日はもうこのへんまでにして、あとはまた明日――と思うのに、手書きで描いた道路で囲まれた区画のひとつを埋めたところでそう思っても、そのとなりの区画がまだ空白なのが気になって、気になって、いったんは仕事に戻っても、また地図に戻ってしまう。

 困ったものだ。結局、明け方までの時間をほとんどその作業に費やして、とりあえずの「たたき台」的地図をでっち上げた(でっち上げられるのだから、コンピュータ時代というのはありがたいものだとも思うが)。

 なんなのだろう、こういうときの制止のきかない心のはたらきって。Addictそのものだ。別の方向にはたらくと、いろいろとやっかいな現象をもたらしたりする人間の心理だ。

 でも、素朴に、地図をつくるのもおもしろいと思う。ああ、あの人たちはあのへんでああいうことをしているのかと、いろんな人の営みを想像する。全体を俯瞰する視点に立っているので、そうか、江戸時代のこの地域はどんなだったのだろうと、経てきた時間も想像する。そして、それが、なるほど――と現在の配置を理解する手掛かりになったりすると、またそれがおもしろくなって、ますます点をプロットしていく作業に夢中になる。

 こんなふうにして世界中の地図をつくれたら、おもしろいだろうな。やっぱりいつか、世界中の村々の紀行文を書くようなこともしてみたいな――そんなことも、ふと思ったのでありました。

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by pivot_weston | 2012-11-23 18:52 | ブログ

ついつい

 昨日の夕方、母親と話をしていると、つい「アオキさんのカツ」を思い出した。200円でおなかいっぱいになる大きな大きなカツ。つい食べたくなってアオキさんちまで行き、話をしながらそのカツをあげてもらい、あつあつのできたてのカツを紙の袋に入れてもらって帰ろうとしたところで、となりのカレー屋さん「コチン・ニヴァース」をのぞいたら、ありゃ、いつもお客さんでいっぱいの店内が珍しくすいている。だから、ついガラガラと引き戸をあけ、ビールを一杯。なぜかここのビール、よそのビールと変わりはないはずなのに、いつもわたしにとってはとてもおいしい。と、またまたお店のマスターやイシイさんと話し込んでいるうちに、ワインの話が出て、インドのワインの話になったところで、イシイさんがどこか少し恥ずかしそうに最近仕入れたばかりのSulaというインドワインを出してきた。グラス売りはしていないという。でも、見たらなんだか飲みたくなったので、つい「じゃあ、残ったやつはもって帰るから、それちょうだい」と言って飲みだした。近ごろはやりの言葉で言うと「まったり」。種々さまざまな香りがあふれ出してくるわけでもなければ、グラスをのぞく顔面を直撃してくるようなパワーがあるわけでもない。でも、あ、これはちょっとなあ……と思わせるところや、物足りなさを感じさせるところがあるわけでもない。どこか、一面にあったかい絨毯を敷き詰めた平原のような印象があり、飲めば飲むほどその絨毯敷き平原の居心地がよくなってくる。だから、ついつい、もって帰るはずだったボトルのなかのワインをその場で全部飲んでしまった。

 うむ、インドのワイン、なかなかのもの。シリコンバレーで働いていたIT技術者がムンバイの近くの故郷に帰ってそこの気候をあらためて肌で感じたところで、なんでここにワイナリーがないねん、と思って起業したワイナリーらしい。道理で「ジンファンデル」なのか。起業したのが1999年。それであの、真っ平らな平原にあったかい絨毯を敷き詰めたようなワインができるとしたら、これはいずれ、もしかするのかもしれない。

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by pivot_weston | 2012-11-22 06:43 | ブログ

バレエ随想

 日曜日に「白鳥の湖」のバレエ公演を見てきた。

 武蔵野市民文化会館大ホール。「武蔵野シティバレエ定期公演」としては27回目になるという。さすがは「住みたい街No.1」の吉祥寺をかかえる武蔵野市。文化的なイベントもいろいろやっている。

 大勢の一般公募の出演者たちの中心で、ゲストパフォーマーの副智美(そい・さとみ)さんと浅田良和くんという英国ロイヤルバレエスクール出身のふたりの若手バレエダンサーがオデット姫とジークフリート王子を踊っていた。

 ふぅん、なかなか。ドイツの童話がベースにあるらしいが、19世紀後半のチャイコフスキーの時代の人たちがああいう舞台設定やストーリーや振り付けを選択するにいたった背景のようなものを想像しながら拝見し、十二分に満足して帰ってきた。

 で、見ると、副さんと浅田くんは2013年のお正月から東京新名物スカイツリーの下あたりで「シンフォニーバレエスタジオ」というバレエ教室を始めるという。

 いやいや、まさか。わたしも中学時代にあのジーン・ケリーの『雨に唄えば』を見た直後あたりにおふたりの華麗な舞いに接し、それを知っていれば、「行きたいっ!」と思ったかもしれないが、いつのまにか81歳の母親と歩いていても「夫婦」と間違えられることがあるじいさんになり下がっている。まあ、聞くところによると、いまの中学校ではダンスが必修になっているらしいので、ロイヤルバレエスクール出身でKバレエカンパニーも経由してきた若いプロフェッショナルの彼らに肉体表現を教わりに行く子もけっこういるだろうから、いくら「50才~の脳や体の活性化体操など」という文言が目に入っても、遠い日々を懐かしみ、いまその日々を過ごしている子どもたちをうらやむことしかできない。

 ただ、公演を見ている最中に思ったこと。案外、若いビジネスマンやビジネスウーマンにはいいかもしれない。かわいらしいタイのインラック首相を見ていてもよくわかるが、これからの人はみな英語のコミュニケーションくらいできないといけない。でも、そう言うとすぐに言葉のことばかり考えられそうだが、案外、英語でコミュニケーションをするのに言葉そのものはそれほど完璧でなくていいかもしれない。いくら口では流暢な英語を話しても、体では日本式ににこにこしながらお辞儀ばかりしていたら、変な人だと思われる。ビジネスマンやビジネスウーマンの人たちも、バレエを通してヨーロッパの人たちのボディランゲージを身につけておけば、英語でのコミュニケーションが楽になるかもしれない。そんなことも思った。

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by pivot_weston | 2012-11-21 10:52 | ブログ

「黒船」以前の時代に戻るアジア

 週刊メールマガジン『米国政府情報』第73号「「黒船」以前の時代に戻るアジア」は、本日13:30配送予定です。

 いやいや、なにもアジアがアナクロニズムに陥っているというわけではありません。逆です。いろんな国が力をつけて、どんどん前へ進もうとしているアジア。そんな地域と結びつくことで、崖っぷちに立たされている自国に推進力をつけようとしているオバマさんは、今回のタイ訪問でしきりに「タイは米国がもっとも早く修好通商条約を結んだ国」「アジアにおける米国のもっとも古い同盟国」というフレーズを連発しています。半世紀以上前に、米国が共産主義の拡大を食い止めるという、まあ、広い太平洋を隔ててみれば、よけいなお世話とも思えるような理由で戦争を起こしたころには、こんな、アジアの国を持ち上げるようなセリフなど口にしなかったでしょうが。

 もちろん、今回も建前だけ(あるいは、政府だけ)共産主義の国・中国の拡大を食い止めることが目的のひとつにあるとはいえ、いまの米国のアジアとの連携の強化の動きは、ラオス国内のジャングルのなかに当のラオス政府も知らないうちに勝手に軍用機の離発着基地をつくっていたような時代とは、まったく違ってきているように思えます。

 TPPの問題も、いま日本で問題にされているのは「交渉」に参加するかどうかなのだから、さっさと参加して堂々と交渉すればいいのに。安い農産物を恐れ、円高を恐れ、あれもこれも恐れて閉じこもっていたら、ほんとうにアジアの国々にも置いていかれるかもしれません。みんな、日本が米国の懐でぬくぬくとしていた時代には、恐れてもどうしようもなかった状況のなかで厳しい現実を乗り越えてきた国ばかりなのだから(もちろん、日本も少なからずその手助けをしてきたのですが)、日本も特権的な地位を守ろうとばかりせず、みんなとフェアなグラウンドに立って苦楽をともにしていけば、もっと信頼される国になれると思うのに。

 それにしても、タイのインラックさんを見て、ミャンマーのアウンサン・スーチーさんを見て、今年の初めの台湾の総統選挙で蔡英文さんが大健闘して、札束の力で台湾を自分のものにしておこうとする巨大国家・中国の思惑をもう少しでひっくり返せそうなところまで行った姿などを思い出すと、15もの政党が乱立して総選挙をやろうというときに、女性のリーダーがほとんど見当たらないこの国には、やはりどこか考えなきゃいけないところがあるような気がします。日本は進んでいるのか遅れているのか――もしかすると、ある角度から見ると、すでに世界のビリに分類される国になっているのかもしれません。

 それと、ついでにインラックさんの選挙のときの動画も見て、蔡英文さんの選挙のときのようすも思い出して感じたこと。みんな、笑顔なんだ。しかめっ面で選挙をしていない。日本の選挙も、世のなかの現実は厳しくても、みんなが楽しく盛り上がれるものになるといいですね。

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