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ベトナム戦争50年

 ベトナム戦争の開戦から50年なのだという。

 早いのか、なんなのか。遠くにいたわたしの戦争進行中の記憶は、小学校への行き帰りに毎日のように頭上を飛んでいたB-XX(爆撃機やなにかに詳しい子は見たらすぐにその「XX」のところがわかったみたいだが、わたしは見てもさっぱりわからなかった)のこと、それに、夕方まで外で遊んで家に帰ったときにテレビをつけたら、ぐるぐると地球がまわる映像とともに始まった野村証券提供の『国際ニュース』で毎日のように「ダナン」とか「ユエ」とかいう地名とともに伝えられていた「ベトコン」との戦況や「北爆」のことか。

 でも、50年と聞いて最初に頭に浮かんだのは、ピッツバーグの山だった。

 20年ほど前、友人のトムさんにつれられて彼の実家があったオハイオ州のヤングズタウンの近くのウォレンという小さな町に行った(トムさんによると、わたしたちにも子どものころからなじみの深い、あの、学校などにあるウォータークーラーの発祥地らしい)。ある日、彼が「ピッツバーグのおじさんちに行くよ」と言いだした。イーストパレスティナ、カルカッタ、イーストリヴァプールという町を通って(もちろん、みなアメリカの町です)、オハイオ川に出て、ペンシルヴェニア州にはいったら、右側の川向こうに、間近に山並みがそびえてきた。

「あれ、ここ?」と言って、まさか、と思う気持ちから、少し間を置いたかもしれないが、「もしかして、『ディアハンター』の舞台?」とたずねた。

「そうだよ。よくわかったね」トムさんはこともなげに言った。

 そういや、主人公の東欧系移民の息子たちは鉄の工場で働いていたか、ということを思い出し、なるほど、あれはピッツバーグの話だったのか、ということを初めて理解した。頭のなかで映画の映像が巻き戻ったせいか、6月なのに寒々としていた山肌が記憶に焼きついている。トムさんも東欧系と言えば東欧系(ハンガリー系)なので、ますますそのときのピッツバーグ行きで目にした光景と『ディアハンター』の映像がかぶってきたのかもしれないが、ピッツバーグで行ったおじさんちにいた、発話のできないトムさんのいとこが、うれしそうに笑いながら、鬼のように両手で頭に角をつくっていたので、なんだろう、と思っていたら、わきからトムさんが「パイレーツだよ」と助太刀してくれたので、「ああ、そうか、ピッツバーグだもんね」と言って笑い合った記憶までが、記憶のなかではどこか『ディアハンター』のベトナム戦争の世界とつながってしまっている。

 このときは、トムさんの娘さんが夏期研修に行っていたオハイオ州立大学アセンズ校にも寄り(いや、まるで日本人の大学かと思うくらい日本人の研修生が大勢いたが)、そのアセンズの町でも「ドラフト」(徴兵制)の受付事務所のようなところを目にしたし、そのアセンズからウォレンへ戻るときに、オハイオ川沿いのドライブインに寄ったら、オハイオ川の広々とした川面が窓の外に見える薄暗いレストランの片隅で、ベトナム出身と思しき家族づれが肩を寄せ合って食事をしていて、トムさんといっしょにいるわたしのほうを少し怯えたような目で見ていたこともあった(それでわたしは、アメリカへ渡ってタクシー運転手になったという南ベトナムの元大統領を思い出した)からか、戦争が終わってもうずいぶんたってからの旅だったのに、あの旅には「ベトナム戦争」がオーバーラップするところが少なからずある。

 そのベトナム戦争について、オバマさんは「あのときはわたしたちが戦ってきた人たちに敬意を払うのを忘れていた。そういうことは、もう二度とあってはならない」と総括している。ま、大統領だから、そう言うしかないのはわかる。でも、そんなに単純な話ではなかったよな、とも思う。ペンシルヴェニアの山間の、オハイオ川沿いの鉄の町で、そんなに大きな未来も思い描けずに過ごしていた若者たちが、大人たちの第二次世界大戦中やなにかの昔語りを頼りにまったく未知の世界だった東南アジアの湿地帯に来て、水と泥のなかで殺さなかったら殺される戦いをして、心だけはその現実から逃れる手段も覚え、なんとか帰れた人もズタズタのボロボロになって帰っていったら、「ラヴ・アンド・ピース」の世界になっていたわけだ。

 それからのアメリカは、たとえばニューヨークも『スーパーマン』のころのニューヨークではなくなり、かつてはのどかな郊外を走る通勤電車の上をスーパーマンになったクラーク・ケントが飛んでいたサウスブロンクスも「ウォリアー」たちの世界になってしまった。

 50年。いろいろあったことを思うと、あ、たったそれだけのあいだにあれだけのことがあったのか、と思わないでもない。

 週刊メールマガジン『米国政府情報』第48号「TOHOKUが世界にひろがっている」は、本日13:30配送予定です(タイトルは、去年、大竜巻に襲われたミズーリ州ジョプリンの高校でのオバマさんの卒業式演説から考えたものです)。

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「前」も「うしろ」もあったものか

 好事魔多しということか。それとも、老親介護のお決まりのパターンということか。

 いろいろあって、少し気持ちが伸び伸びしてきたかなと思っていたが、一昨夜、帰宅したら母が倒れていた。床で足をすべらせたらしく、どこを打ったのか、そのときは本人もよくわからないらしかったが、ともかく痛くて痛くてしかたがないみたいで、おそらく倒れたままの姿勢だったのだろうが、天井を仰いで「おーっきょい音がした(大きな音がした)」と言って目を大きく見開いては、またすぐに「いたたたたっ」と、その目をつぶっていた。

 身勝手な息子は、ほら見ろ、またじゃないか、と思う。このところ、血糖値のコントロールがすこぶる以上にうまくいっていたので、本人も少しは元気だったころを思い出し、こんな、80年の人生のうち79年間も無縁だった新宿になどいられるか、という気分が頭をもたげてきたのだろうが、「いまはちょっと忙しいけど、あとひと月待ってくれたら、わたしも……」と息子が言うのに、そのひと月が待ちきれず、よたよたする足で四国へ帰っていた。

 去年も、四国へ帰るたびにどこかの具合が悪くなり、入院していた。そのたびに病院通いを強いられ、納得いかない思いをかかえていた身勝手な息子からすると、今回も四国で風邪をひいて戻ってきて少しふらふらしていたのを思い出し、だから言ったじゃないか、ということになり、となりの部屋で母が「いたた」「いたた」と痛がっていても、そんな母のほうへは気持ちが向かず、そのまま朝が来るまでまた仕事に没頭してしまった。

 で、朝、どうにも痛いと言うので、近所の外科へ行ってX線写真を撮ってもらうと、あら、上腕骨の付け根がポッキリだった。

 週が明けたら大きな病院へ行くことにして、戻ってくると、いつも口を開くと癇にさわることを言う母が布団の上にすわって、向こうを向いたまま悄然としている。

 ああ、自分の老いを受けとめようとしているのかな、と思った。若いころから病気がちだった人は、自分の体の不如意と長くつきあってきているので、その体が老境にはいったときにも、案外、それとじょうずに折り合いをつけ、比較的スムースに老いの世界を構築していけるのかもしれないが、79歳になるまで女性事務員を使い、仕事をしては喫茶店で仲間とわいわいやってきた人の場合には、知らず知らずのうちに体のなかに染み込んできていた老いの現実と間欠的に、あるいは階段状に邂逅を重ね、そのつど内面に少なからぬ衝撃を受けながら、しだいにハードランディングしていた自分からソフトランディングする自分へと変化していくのではあるまいか……などと思いながら、その悄然としたうしろ姿を見ていると、まだわたしが幼稚園にも通っていなかったころ、日曜日に鉄工所の「日直」に行く母についていき、いったん鉄工所の事務所の奥にはいった母が再び現れたときの事務服姿を思い出した。あのころの母は、いまの娘と同じくらいの年ごろだったのか。

 世のなかでよく「前向き」とか「プラス思考」とかいうものがもてはやされることがある。なんでそんなにそんなことにこだわらなければならないのか、と不思議に思うこともある。そういうもので商売をしようとしたり、自分がなかなか前向きになれないものだから、「前向き」「前向き」と念じようとしたりしている人もいるのだろうが、なかには、自分から見て前向きでないように見える人を打擲しているような人もいて、そういう人を見ると、またテレビや雑誌や本がつくり出す迷惑な現象だな、彼らはなんだかんだ、自分がいいことをしているようなことを言いながら、実際には、少なからぬ人を苦しめているのではないか、とも思う。

 妻のホスピスでの最後の3か月間に伴走したときもそうだったが、人間には誰にも、そんな無神経な前向きさんたちの言うことには耳をふさぎ、自分たちの歩いてきた道や先に見える無と向き合い、そこへ収束していく生きかたを模索しなければならないときがある。だからといって、そのプロセスは決して誰かに「前向きじゃない」と言ってののしられなければならないほど意味のないものとも悪いものとも思えない。

 ……などと考えていると、またある日のことを思い出した。妻が亡くなるひと月ほど前のことだったか。モルヒネで苦痛を鈍らせるようになってから、いちばんしんどかったのは、決まった時刻に運ばれてくる食事を前にして、そちらへまったく手を伸ばそうとしない妻をじっと見守っている時間だった。もうたぶん、そういう時間からは抜け出すことなく最期を迎えることになるのだろうと思っていた。ところが、あるとき、お医者さんだったか、看護師さんだったか、病院の誰かが妻の口のなかが白くなっているのに気づき、「ああ、これでしょう」と言った。最初はなにが「これ」なのかわからなかった。カンジダ菌だ。あの段階を迎えると、口のなかなどにびっしりと繁殖することがあるらしい。それで味覚がわからなくなり、食事をとらなくなっているのだろうと言うのだが、それはそうだとしても、それを取り除いたところで、それほど劇的な変化が起こるとも思えなかった。

 ところが、そのお医者さんだったか、看護師さんだったか、また、どういう方法でやったかも忘れたが、ともかくその人が妻の口のなかを真っ白にしていたカンジダ菌をきれいにすると、たしか、モルヒネでもう目が十分に開かなくなっていた妻が、いきなり「おせんべいが食べたい!」と大きな声で言った。思考の流れがついていっていなかったのだから、当然、理解もついていかない。とっさには、ただ妻が大きな声を出したということしかわからず、それだけでも十分に感激する価値はあったのだが、まわりにいた人たちがそれどころではなく「おおーっ!」と大きな歓声をあげたものだから、はじめて、直前の記憶も手繰り寄せ、なんと言ったか理解した。

 そうとなりゃ、よしっ、売店だ。すぐにせんべいを買ってくると、それをぽりぽりと食べて「おいしい」と言ったあと、今度は「チョコ」と言う。よしっ、それもオッケー。で、お次はなんと言うかと思ったら、「ラーメンと餃子」だって。

 あら、そこは「さぬき」の病院だ。近くにうどん屋はあっても、ラーメン屋は……と考えていたら、歩いて少し行ったところの国道沿いに1軒あったのを思い出した。すぐに野道を歩いてそのラーメン屋さんまで行ったが、店の近くまで行ったところで、待てよ、こんな田んぼのなかの店なら出前なんかしていないだろうと思ったし、持ち帰りもしていなかったらどうしよう、ということにも思いがいたった。だから、病院を出るときは勢い込んで歩きだしたものの、店の自動ドアの前に立ったころにはおずおずとした物腰になっていて、「あのー、すんません、こちらでは出前は……?」ときいたが、やはり「いやあ……」の返事。でも、「さぬき」だ。ここであきらめたら次はない。だから、「実は、あそこの病院のホスピスにいて、妻がいまはこういう状態で、その妻がラーメンと餃子を……」とわけを説明すると、さっき「いやあ」と言った人が「いいよ」と言う。いやいや、出前とか、持ち帰りとか、そういうことではない。ちゃんとラーメンのどんぶりにラーメンをつくり、餃子も焼いて、それを製麺屋さんが麺をいっぱい詰めて持ってくる大きなプラスチックの容器に入れて、その容器を持たされたわたしを軽トラで病院まで送ってやると言うのだ。「こっちもラーメン屋やから、麺が伸びるのはちょっとアレやからな」と、いかにも職人らしい照れ隠しも言う。

「うおっ、送り迎え付きのラーメン屋さんや!(いや、「迎え」はなかったけどな、などと思いつつも)ありがとう! ありがとう!」と礼を言い、そのラーメンと餃子ののっかったプラスチック容器を肩にかついで(学生時代に出前をしていたころも思い出し、すっかり顔なじみになっていた院内の人たちの冷やかしも受けながら)ホスピスの病室まで行くと、いや、チュルチュルとおいしそうに食べたこと、食べたこと。いろんな人の思いやりにつつまれ、おれたちはいま最高の時間を過ごしているな――と思ったものだ。

 もちろん、あとで振り返って分析すれば、このなかにも「前向き」の要素はたくさんあると思う。でも、つまるところ、「前」も「うしろ」もあったものか、そんなことを気にするのはむしろ雑念というもので、人間はもっと、そんな、響きのよさそうな言葉ばかりをならべるコマーシャリズムなどには振りまわされず、落ち込むときには落ち込んで、沸き立つときには沸き立って、自分に与えられている時間を無心に生きていったほうがいい、と思っている。

 そう、身勝手でやさしさのかけらもない息子には、これからもっと、老いとなじむ心構えが求められるのだろう。

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by pivot_weston | 2012-05-27 12:28 | ブログ

20年目の初対面

 本日は、20年も前からお世話になっていたのに、まだお会いしたことのなかったかたとお会いしてきた。

 同時通訳者兼バレエダンサー。息子さんはニューヨークの弁護士で、娘さんはニュージーランドの映像クリエイターとか。

 でも、やはりこの世界は狭いみたいで、修業なさったのは、わたしとも浅からぬ接点のある先生のもとだった。「ありゃ、なんだ、それならわたしとも……」という驚きは、わたしたちの世界ではよくあることだ。

 Michigan、Detroit、Lansing、Ann Arbor、Noviの話がおもしろかった。

 昨日はElgin, IA。

 ますますアメリカへ行きたくなった。

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by pivot_weston | 2012-05-25 23:25 | ブログ

見果てぬうどん

 あるものはすべて、いつかはなくなるというけど、このところ頭のなかをときどき、たぶんもうなくなったと思しき「うどん」がよぎっていく。

 香川の名物が「うどん」だと知ったのは、中学生のときだったか。

 あるとき、担任の英語のオッサン先生が「あしたはNHKののど自慢を見ぃよ」と言った。その週末にわが町に来たのど自慢に自分が出るということで、しゃあない、見てやるか――と思って見ていたら、あれは、なんという歌だったか、修学旅行のときにもバスのなかでやった「チャンリッチャン、スナボコリ」とかいう歌詞のある歌をやって笑いをとったと思ったら、予想外にも保健のブクブクの女先生までが出てきて、いやぁ、恥ずかしい中学校やなあ――とあきれていたら、今度は司会の人(宮田輝さんだったのか、そのあとの人だったのか)がうどん鉢にはいったうどんをもってきて、参加者の男の人に「早食い」をやってもらうというひと幕があった。で、そのときに「香川の名物はうどんですよねえ」みたいなことを言っていて、ちっちゃいころからうどんばかり食べていたくせに、中学生になってはじめてそんな言葉にぶつかったわたしは、へえ、そうなんか、と思った。

 そのころには、わたしの思う「うどん」があった。あっちの店にも、こっちの店にもあって、日曜日に町へ出て、適当にうどん屋さんの暖簾をくぐったら、そのうどんが食べられた。

 でも、いまは食べられない。どこへ行っても食べられない。いや、別に東京に移ったから食べられなくなったわけではなく、数年前まで香川で暮らしていたころにも食べられず、いろんな人にそれをこぼしていた。

「さぬきうどん」が名物になって、うどんはすっかり立派になってしまった。「太くてコシがある」なんていう評しかたが災いしたのだろうか、わたしの大好きだった「讃岐のうどん」は、あんなに太くてツルツルでもヌルヌルでもボッテリしたやつでもなかった。そりゃあ、いまのうどんに比べたら粗末は粗末かもしれないけど、そう、ベトベトしない人間のようなさっぱり感があった。化学調味料がふえて、ほんとうのイリコだしがなくなったからだよ、と言った人もいたが、やはり、わたしにとっての問題は、まずあの麺の歯ごたえだ。

 少し前までは、四国のわが家の上に、まさにそのうどんを食べさせてくれるお店があった。でも、製麺機が壊れてしまったらしく、それで店を閉めてからは、そこをやっていたおじさんに道で会うたびに「もうやらんのですか?」と言って、口のなかに唾液をためながら、頭のなかでその幻と化したうどんを反芻するだけになった。

 死ぬまでにあと1回くらいは食べたいね、あのうどん。若いうどん屋さんたちは、ご自身も知らないだろうから、よみがえることはないのかもしれないけどね。

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by pivot_weston | 2012-05-25 09:54 | ブログ

クリップアートのおつきあい

 アメリカのアイオワ州エルギンの公立図書館でボランティアのライブラリアンをしているMarylyn(あるいはMarlyn(ご本人が両方書いている))さんからメールをもらった。

 ライブラリのWebサイトを拡充する仕事をしていて、そこへインターンで来ている学生がわたしのWebサイトの英語版のほうを見つけて、「センセ、いいよ」と言ってくれたらしい。

 そう、わたしのWebサイトは(もう10年以上メンテナンスをサボッてて、内容はナンだが)、クリップアートはすばらしいのだ(いまでは、いろいろあって閉じてしまったみたいだけど、わたしがまだマメにメンテナンスをしてたころ、それはそれはみごとなクリップアートのページをつくっていたHoxie High Schoolの作品を使わせてもらっているからだ)。

 おかげでネット上でまたひとつ、別の脳細胞とつながることができた。よかった、よかった。

 アイオワかあ。行ってみたいね。

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by pivot_weston | 2012-05-24 10:07 | ブログ

MangaとMagna

 いや、世のなかは思った以上に動いているな――と思ったこと。同時に、最近ちょっと多いな――と思って気になったことでもある。

 Amazonからメールが届いた。

 いつごろからだったか、Amazonのメールもスマート化されていて、過去に本を買った作家さんの新刊が出たりすると案内のメールが届くようになっている。

「件名」のところに「ジェイムズ・パタースン」とあった。

 おお、なつかしい、と思ってそのメールを開いたところで、「はっ!?」と思った。

 いや、あれ、すみません――と、なつかしいお店を思い出してなかにはいったら、店主が代わっていたうえにすっかり模様替えもしていて、ついおたおたしてしまったときの気分にも似ているか。なんだ、別の「ジェイムズ・パタースンか」と思ったような記憶もある。

 いくらなんでも、わたしの頭のなかに、この画像につながるようなジェイムズ・パタースンのイメージはなかった。

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 でも、この、本の表紙と思しき日本の少女マンガ然とした絵をよく見直すと、たしかにそこには「JAMES PATTERSON」の名前がはいっているし、メールの下にならんでいた「ほかのジェイムズ・パタースンの関連商品」にも、たしかにわたしがお世話になったジェイムズ・パタースンの作品がならんでいる。

 え、え、どういうことだ?――と思い、表紙をクリックしてAmazonのサイトへ行ってみた。

 あ、なるほど、パタースンが梶原一騎になったというわけか。もともとコピーライターで、最初は自分で書いていたのかもしれないが、わたしが担当した3作は、すべて異なる共著者がついていて、文章の質もすべて違っていたので、そのころから梶原一騎さんをイメージしていたが、いよいよ梶原さんみたいに劇画の世界にも進出したというわけか。

 残念ながら、わたしは劇画も少女マンガも梶原さんの『巨人の星』以降はほとんど読んだことがないので(なぜか若いころから苦手なので)、おお、じゃあ、パタースンさんのために1冊買ってあげよう、という気にはならないのだが、それにしてもパタースンさん、『スザンヌの日記』を出したときにも軽く驚かされたけど、自由に、伸び伸びと、世界中で起こっていることを対象に芸域をひろげようとする人だ。わたしもそういう点にはとても共感できるのだが、これを見ると、そうか、世のなかは思っている以上にどんどん変化しているんだな、もっともっと、機会があったらいろんな世界に躊躇せずに挑戦していかないとだめだな、と思わされた。

 で、もうひとつの「最近ちょっと多いな」と思ったこと。

 実は、Amazonのサイトへ飛んだあとで、いったんさっさとそのページを閉じていて、ほかのことをやっているうちに、いや、待てよ、あれ、ほんとにあのパタースンの作品か?――という気分が頭をもたげてきたものだから、あらためてGoogleで検索しようと思い、"James Patterson"と"Magna"というキーワードを入れてみた。

 そう、まだ現実がよく理解できていなかったのだ。「Daniel X: The Manga, Vol.3」というタイトルにある「Manga」を「Magna」と取り違えていた。最近、こういうことがちょっと多い。老化か? うん、それもあるだろうが、むしろ、その老化の時期を迎えている本人としては、自分の頭が時代についていっていないことの表れととらえて、内なる馬に鞭を入れたほうがいいだろう。よしっ、類まれなるフレキシビリティを発揮しているパタースンおじさんに負けないように、こちらももっともっとアメーバ化を心がけるとしよう。

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日本のなかのギリシア

 はは、女に逃げられた。同居している女に逃げられた――といっても、もちろん、ひと昔前に天国へ逃げた人のことを言っているのではない。80歳にして、あっちもこっちも病気になって、足もともおぼつかないながらも、その人生の79年を暮らしてきた地への思いやみがたく、「もーシンボーできん」「ちょっと行ってくらあ」式に、体にふつりあいなわたしのリュックをしょって一時的に脱走した老女の話だ。

 まあ、無理もないか。向こうの同居人、つまりわたしは、365日、朝も、昼も、晩も仕事。起きているあいだはずっと(息抜きで寝ころがっているときを除いて)机に向かっていて、それだけ仕事をしたらさぞかし、そろそろどこかでゆっくりできるたくわえも――と思われそうだが、そんなことはまったくなく、どうにかそれで日々をしのいでいるありさまだ。

 脱走老女の頭のなかにある世界は、こちらもその80年の人生のうちの60年近くをそばで生きてきたので、だいたい想像がつく。文化の違いだ。わたしの遺伝子には、正反対のふたつの文化が混ざっている。一方の文化の担い手、つまりその老女のパートナーは、わたしのパートナーが天国へ逃げる10年ほど前にそちらへドロンしていて、そのときに部屋に残っていたガマ口をさかさにしたら、100円玉も出てこず、10円玉が何個かころがり出してきただけで、「いや、さすが。あの人らしいな。こら、まいった」と言って、みんなで笑いあった。

 老女もそのパートナーといっしょになってからの60年ほどの経験で、そんな文化に対する共感も持ち合わせているのだが、やはり、そうはいっても、いつでもすぐに実家へ行ける地で過ごしてきたものだから、基本的にはかたときも自分を育んだ文化が頭の底から消えたことがない。お役人文化だ。「おまえ、ナンボもろとんや?」を合言葉とする。「公僕」という言葉の定義とはかけ離れていると思うが、その公僕という立場を暮らしの安寧の手段とする。だから安寧に暮らせたのか、3人の兄弟はみな元気で、そろっていま、長年の公僕生活をねぎらわれて(老女の言によると)月々30万を超える年金だかなんだかをいただいている。

 老女の頭には、人間はみな、年をとったらそうやって安楽に暮らすものだという観念が染みついている。いや、兄弟のほうからすると現実はそうでもないかもしれないが、異なる文化に飛び込んでしまい、そちらをあこがれの気持ちで振り返りながら生きてきた老女のなかでは、いつまでたっても、そこにこそ安楽な生活があるという思いが消えない。それでつい、机の前であくせくするばかりの息子のもとがいたたまれなくなる。

 わかる、わかる、わたしも半分混ざったハーフだから、その気持ちはわかる。でも、いま、若い、たとえば20代の人たちは、平均してどれくらいの収入があるのだろう。老女の兄弟くらいの収入があるのだろうか。テレビなどを見ていると、騎馬戦かおみこしみたいな絵を出してきて「現役世代×人でひとりの老人を支えるんですよ」みたいなことを言っている。支えている側が10万そこそこの収入で、支えられている側が30万だとすると、異様というか、異常というか、まるで奴隷制度の絵のようになってしまう気がする。

 いつも言っている。いまの世のなかは、日本が高度経済成長を遂げたとされる昭和30年代や40年代に若い時代を過ごした人たちの勝手でできている。遠い将来の見通しにもとづいて建設された世のなかなどではない。公務員だけではない。国庫を頼りに、選挙の票と引き換えに、必要かどうかもわからない公共工事を捻出してきた人たちもそうだろう。問題は多くの人が、実際の肩書はともかく、親方日の丸、親方アメリカの一念で、「実質公務員」をやってきて、国庫に借金をさせて金を稼ぎ、次代の稼ぎ手もその金でスポイルし、とにかく狭い了見でわがまま放題をしてきたところにある。そして、それこそがいまのギリシアの姿でもある。

 昨日、イギリスの格付け会社が日本国債の格付けをまた「AA-」から「A+」に格下げしたらしい。戦後「奇跡の復興」を遂げたと言われ、「世界第2位の経済大国」を自慢してきた日本も、もう「A」がひとつしかない国だ。街頭で、どこまで苦しいかわからない年金世代の話を聞いて消費税値上げに疑問を呈している場合だろうか。「国家非常事態宣言」を出してもおかしくないような状態なのに、いつまでもギリシアの人たちのように目の前の安寧にすがっている。

 突破のカギは「起業」だと思う。若い人たちが起業をしやすい環境を整え、若い人たちには、起業の心意気をもってもらうことだと思う。起業は景気がいいからするものではない。もうかりそうな仕事があるからするものでもない。経済の基本はひとりひとりの起業で、当然、サバイバル競争で生き残れる人はかぎられてくるだろうが、不況だからといってその経済のエンジンを停止していたら、経済はしぼんでいく一方で、いずれはその土台にある借金に飲み込まれていくと思う。

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by pivot_weston | 2012-05-23 08:01 | ブログ

日蝕の日の雑感

 やはり、日蝕の醍醐味は下界の光景――と感じた。

「金環」も見るには見たが、向かいのビルの白い壁の、いつもの朝とはほのかに違う明るさを見ながら、場合によったら太陽そのものは曇天に隠れていてもよかったのではないか、と思った。

 先日の竜巻の日も、かなり暗くなったが、漆黒の闇にはならなかった。どんなに暗い曇天の日で「金環」なんて見えなくても、わたしたち、太陽が降りそそぐものによって生まれてきた存在にとっての日蝕の意味、太陽の意味を考えるには十分だったのではないか。

 なんてことを思いつつ、考えたことを少し。

 わたしも安易に使ってきたかもしれない。でも、ずっと疑問に思っていた。だから、もう使わないように気をつけるとしよう。

「国民」という言葉。

 メディアも政治家も、なにかというとすぐに、便利に使っている。でも、その言葉が意味するものって、なに? そうか、麻原クンもそう考えているのか――と、聞くたびにいつも思う。

 先日、英語の文書を読んでいて、その文書が同じようなニュアンスでtaxpayer(納税者)という、少しは焦点を絞った言葉を使っているのが目にはいったときに、あらためて、やっぱりpeopleなんて、そんな大ざっぱな言葉、あまり使わないよな――ということに思いがいたり、上記のように考えた。

 メディアの人は、駆け出しのころから先輩に「おまえ、裏とったか?」と問いつめられているはず。それなのに、「国民」という言葉にかぎっては、なんの裏もとらなくても、先輩のおとがめもなしということか。メディアの人ならメディアの人らしく、ちゃんと裏をとった言葉を使ってほしい。漠然とした言葉を使うことがどんなに危険なことか、メディアの人なら教育を受けているはずだから(でも、商売第一、人気第一の広告で成り立っているメディアの人たちには、そういう「裏」のさらに裏に、もっと別の原理原則があるのかもしれないが)。

 現実を踏まえるのもだいじ。

 前にも書いたように、原発の稼働と稼働停止の違いはそれほど大きくない。福島第一原発の4号機の状態を考えてみるといい。あそこは当然もう稼働していない。でも、あそこの建物がこの先さらにどうにかなったら、首都圏もアウト。去年の3.11直後の放射性物質の分布図の揺らぎを見た印象から言うと、南向きの風が吹いていたら、数分、あるいは、もしかしたら1分くらいで「副首都」にも「分都」にも動きだしていない首都圏に放射性物質は蔓延し、日本の首都は、そう言ったら怒られるのかもしれないが、「死の町」と化す。稼働を停止しているからといって、安全なんて、とんでもない勘違い。そして、その状態は、少なくとも、いま生きているわたしたちに関して言えば、死ぬまで続く。それはもう決まったこと。動かない現実。それが、稼働を停止してさえいれば逃れられると思うところに疑問を感じる。そういう逃げの姿勢こそ、安全神話と同じで、わたしたちがいちばん反省しなければならないことではないのか。

 例の「(再稼働は)専門家が判断するのが当然」という、ちょっと聞けばもっともらしく聞こえる意見も。この、たとえば「日蝕」のような現象が起こる宇宙を前にして、そういう意見を言う人が期待しているような絶対的安全を判断できる人なんていない。物理学者にこの世の真理を訊くようなもの。みな、わからないから学問しているのではないのか。

 だいいち、この国の「専門家」のなかにいわゆる「原子力ムラ」の住人でない人なんてほとんどいない。反対運動をしている専門家も、たいていもとは「ムラ」の住人。科学者としての「なんでもあり」の想定より、行政が浮き世のあれやこれやのほうを重んじて設定した想定のほうを重んじてやってきた人たち。なのに、どこかに、不偏不党でとてもバランスのとれた「専門家」あるいは「科学者」がいると期待しているような、安全神話の時代となんら本質の変わらない世論のありかたにこそ、原発問題の本質は隠れているのではないか。原則として、最終的に判断しなければならないのは「専門家」でも「首相」でもなく、わたしたち自身だと思う。

 どうしてこんなことになってしまったかを追及するにしても、いまの政治家や官僚を追及していても、それはただ表面をほじくるだけの行為だと思う。いま、歴代の通産大臣の名前を見ると、「中曽根」という人を筆頭にして、「安倍」という人もいる、「渡辺」という人もいる、震災後、いつの間にか引退を決めたもうひとりの「渡部」という人もいる、「森」という人もいて、近くは「二階」という人もいる。せめてこういう人たちには、なにか話を聞いてみないと、なにも見えてこないのではあるまいか。

 なんて、いつものようにエラソーなことを書いたけど、わたしも人一倍ナマクラでナマケモノのオヤジなので、人間、そうは言っても、たとえば今日の日蝕のような現実を正面から受け止めるのなんて土台無理で、誰だって逃げたくなるし、逃げてしまうのはよくわかる。でも、逃げるときは自分たちが逃げているという自覚を忘れてはいけないのだと思う。そうでないと、現実との接点を忘れた世のなかは暴走してしまう可能性が出てくる。

 震災直後、全部自民党や自社体制がやってきたことの責任をひっかぶらされることになった民主党の若い政治家の人たちを見て、フェアじゃないなと思ったけど、これはやはりチャンスなのかもしれない。これまで何度も何度も、なにかあるたびに言われてきたことだけど、今度こそほんとうにわたしたちは戦後の甘えから抜け出し、「戦後」にケリをつけるチャンスを迎えているのかもしれない。原発問題の背後に見える甘えが社会保障問題の背後に見えるものとだぶって見える。

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by pivot_weston | 2012-05-21 19:41 | ブログ

なつかしい日蝕の歌

「日蝕」なら思い出さなかったけど、そうか、「エクリプス」か――と思ったとたんに思い出した。

 John DenverのEclipse。

 大学時代に買ったLPレコードにはいっていた。

 どれどれと思って検索したら、YouTubeで聴けた。

 聴いてみたら、そうか、serenityという言葉をはじめて知ったのも、この曲でだったか、ということも思い出した。

 ジョン・デンバーの声がなつかしい。いくらなんでも早く死にすぎた。

 でも、この曲、いまみたいにコンビニで眼鏡を買えなかった、昔の「日蝕」の感じが出ている。けっこう印象が強かったみたいで、そのころしきりに、いろんなところで「エクリプス」という言葉を使っていたことも思い出した。

 たしか、わたしたちが小学生くらいのころにも、一度、昼なのに暗くなったことがあった。家の窓から外を見ていると、軒の下が暗くなった。粒子の粗い映像を見ているみたいに、どこか夕方の暗さなどとは違う、モワーッとした、なんとも不思議な暗さ。

 明日の日蝕も、またいろんな人の気持ちを刺激して、曲を書かせたりなにかするのだろうか。

 そうか、どんなレコードだったかな、と思い、そちらも検索してみると、見つかった。これだ。「バック・ホーム・アゲイン」

 よかった、よかった。いい日蝕イヴ。そういや、20年ほど前の部分日食のときには、ライターで眼鏡にススをつけようとしていてフレームを焦がして眼鏡をダメにしてしまった。それでも日蝕を見ようとする夫の姿を、妻があきれて遠目にながめていたか。

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by pivot_weston | 2012-05-20 13:34 | ブログ

CG世代はがんばんなきゃ

 今日もYouTubeでミッキー・マウスやドナルド・ダックを見た。昔の手描きのアニメだ。

 もちろん私見だけど、まったくダメだね、いまのCGアニメは。前にCG版ミッキーも見たけど、情報量がまったく違う。極端に言うと、CGアニメの直線や規則的曲線部分は情報量が「1」しかないと言ってもいいのではないだろうか。CG版アニメは、いかに複雑な形状を描いていても、いかに挑戦的な動きを表現していても、ひと目見て動きや形状が理解できたら、「はい、それで?」と思ってしまう。そこへ行くと、手描きのアニメはとてもとても「はい、それで?」なんて思えない。無数の情報がこめられている。ストップさせて静止画にしたとしても、いつまでも考えるよすがを提供してくれる。アニメだけど、人間なんだ、手描きのアニメは。無数の細胞でできている人間と同じだ。

 CGアニメの人はいっぱいお金をもらっても安心してちゃだめだね。アーティストとしては、手描きアニメーターと雲泥の差がある。

 それにしても、すごいな、あのミッキーやドナルドの表情は。ウォルト・ディズニーの愛情が女の人に向かわなかったのもうなずける。向けられるほどの「あまり」がなかったんじゃなかろうか。

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by pivot_weston | 2012-05-19 22:11 | ブログ