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「土壌等中の放射能含有実態調査業務」の迷路

 いつにもまして長くなりそうですが、少し無謀なことに挑戦してみます。

「平成24年度土壌等中の放射能含有実態調査業務(単価)」という農林水産省の入札項目を見つけました。土壌の放射能汚染対策を担当している知り合いがいるので興味をひかれましたし、いつも、いろんな人に「機会があったら政府の入札に参加したらどうですか。国家予算はみんなのものだから、一部の特定の事業者だけに流れるようにしておくのは変ですよ」などと言っている手前、こういう入札業務がどうやって落札されるのかを知るために、一度ちょっと「追っかけ」をやってみます。

 まず農林水産省の「入札等の情報」の「調査」のページに行き、「件名」の欄の「平成24年度土壌等中の放射能含有実態調査業務(単価)(PDF:94KB) 」をクリックします。

「入札公告」というPDFファイルが表示されます。

 うわ~、文字がびっしりならんでいて、ここでまず「めんどくせ」という気持ちが頭をもたげてきます(もう少し行間をあけるかなにかして、読んでもらいやすくする工夫をすればいいのにね)。

 いちばん気になっているのは「資格」なので、とりあえず「1」は飛ばして「2」に行きます。

=================================
2 競争入札に参加する者に必要な資格等に関する事項
( 1 ) 予算決算及び会計令第7 0 条の規定に該当しない者であること。なお、未成年者、被保佐人又は被補助人であって、契約締結のために必要な同意を得ている者は、同条中、特別の理由がある場合に該当する。
( 2 ) 予算決算及び会計令第7 1 条の規定に該当しない者であること。
( 3 ) 平成2 2 ・2 3 ・2 4 年度農林水産省競争参加資格( 全省庁統一資格) の「役務の提供等」において、「A」、「B」又は「C」の等級に格付けされている者であること。
( 4 ) 入札説明書6 に示す書類を提出できる者であること。
(5)6の提出書類の提出期限の日から、7の入札執行の日までの間において、農林水産本省物品の製造契約、物品の購入契約及び役務等契約指名停止等措置要領に基づく指名停止を受けていないこと。
=================================

 とあります。

「予算決算及び会計令」というのは、ここにあります。

(1)(2)にある「第70条」「第71条」を見ると、次のようになっています。

=================================
(一般競争に参加させることができない者)
第七十条  契約担当官等は、売買、貸借、請負その他の契約につき会計法第二十九条の三第一項 の競争(以下「一般競争」という。)に付するときは、特別の理由がある場合を除くほか、当該契約を締結する能力を有しない者及び破産者で復権を得ない者を参加させることができない。

(一般競争に参加させないことができる者)
第七十一条  契約担当官等は、一般競争に参加しようとする者が次の各号のいずれかに該当すると認められるときは、その者について三年以内の期間を定めて一般競争に参加させないことができる。その者を代理人、支配人その他の使用人として使用する者についても、また同様とする。
一  契約の履行に当たり故意に工事若しくは製造を粗雑にし、又は物件の品質若しくは数量に関して不正の行為をしたとき。
二  公正な競争の執行を妨げたとき又は公正な価格を害し若しくは不正の利益を得るために連合したとき。
三  落札者が契約を結ぶこと又は契約者が契約を履行することを妨げたとき。
四  監督又は検査の実施に当たり職員の職務の執行を妨げたとき。
五  正当な理由がなくて契約を履行しなかつたとき。
六  この項(この号を除く。)の規定により一般競争に参加できないこととされている者を契約の締結又は契約の履行に当たり、代理人、支配人その他の使用人として使用したとき。
2  契約担当官等は、前項の規定に該当する者を入札代理人として使用する者を一般競争に参加させないことができる。
=================================

「参加させることができない者」と「参加させないことができる者」に分けて規定しているあたりがなかなか法律っぽくておもしろいですが、このどちらにも該当しなければ、今回の入札に参加するための第一ハードルはクリアしたことになるわけですね。

 さて、(3)ですが、「平成2 2 ・2 3 ・2 4 年度農林水産省競争参加資格( 全省庁統一資格) の「役務の提供等」において、「A」、「B」又は「C」の等級に格付けされている者」ということで、少しさがすのに手間取りましたが、ここにある情報がそれに当たるのでしょうか。

 でも、「A」「B」「C」というのがよくわからないなと思って、ずっと下のほうへスクロールしていったら、いちばん下のほうに次のような記述がありました。

=================================
(2) 物品の販売及び役務の提供等      
① 90点以上 :A      
80点以上 90点未満 :B      
55点以上 80点未満 :C      
55点未満       :D      
=================================

 しかし、90点とか、80点とか、学校のテストの点数みたいなのはなんじゃ――と思い、少し上へスクロールバックしていくと、「別記4 付与数値」というのがあり、どうやらこれのことらしいと思ったのですが、そこを見ると、次のようになっています。

=================================
 (1) 年間平均(生産・販売)高       
200億円以上 : 60、 65
100億円以上 200億円未満 : 55、 60
50億円以上 100億円未満 : 50、 55
25億円以上 50億円未満 : 45、 50
10億円以上 25億円未満 : 40、 45
5億円以上   10億円未満 : 35、 40
2.5億円以上   5億円未満 : 30、 35
1億円以上 2.5億円未満 : 25、 30
5,000万円以上 1億円未満 : 20、 25
2,500万円以上 5,000万円未満 : 15、 20
2,500万円未満        : 10、 15
 (2) 自己資本額の合計      
10億円以上       :10、 15
1億円以上   10億円未満 : 8、 12
1,000万円以上    1億円未満 : 6、 9
100万円以上 1,000万円未満 : 4、 6
100万円未満 : 2、 3
.........
=================================

 ありゃ、やっぱり大きい会社組織じゃないと入札にも参加できないのかと思い、まずはここで1回目の「ガクッ」。

 でも、まあ待てよ、と思い、引き続き(4)を見ると、「入札説明書6」とあり、これがなにをさしているのかわからなかったのですが、下を見ていくと、4のところに次のようにあります。

=================================
4 契約条項を示す場所、入札説明書を交付する場所及び日時
( 1 ) 場所農林水産省大臣官房経理課調達班契約第2 係( 別館3 階ドアN o .別3 1 7 )
(2)日時平成24年2月28日~平成24年3月14日(ただし、行政機関の休日を除く。)
午前1 0 時~ 午後5 時
(3)入札説明会
① 場所農林水産省大臣官房経理課入札室( 本館1 階ドアN o . 1 1 8 )
② 日時平成2 4 年3 月8 日午前1 0 時
※ 説明会参加予定者は事前に入札説明書を入手し、持参のうえ参加すること。
=================================

 あれ、ということは、入札参加資格に「入札説明書6 に示す書類を提出できる者であること」とあるのに、その入札説明書の中身はわざわざ霞が関の農林水産省に行かないとわからないということでしょうか。

 やれやれ、もういいかげん「や」になりましたが、そこでふと、あれ、放射能を測定するのに、測定装置はどうするのだろう?――と思い、もう一度「入札公告」の上のほうへ戻ると、「1 競争入札に付する事項」に「仕様書」とあったので、なんじゃ、この「仕様書」とは?――と思い、もう一度入札情報のリストに戻って「仕様書(PDF:147KB)」のリンクをクリックすると、業務の内容を記載している仕様書が出てきたのですが、それをずっと読んでいくと、いちばん最後の最後に「(4)ゲルマニウム半導体検出装置を複数台所有していること」とありました。

 ぎゃっ。結局、いっぱい売り上げをあげている大きな組織で、しかも検出装置ももっている専門集団じゃないと入札も落札もできないのか――ということを思い知らされただけなのでありました。

 しかし、ねえ、放射能を検出器で測定したからといって、測定者が被曝するわけではないでしょうし、被災地では多くの人が職業を失っていることでもあるし、この事業の「履行期限」も「平成25年3月29日」となっていて、1年間は雇用を確保できるわけですから、こういう事業は、誰かが器具や枠組みを確保して、被災者で失職なさっているかたのなかから希望者のかたに研修を受けてもらってやってもらうようにすれば、国家予算がいちばん効率的に必要なところへめぐるような気がしたのですが、ダメなのでしょうか。

 ともあれ、わたしも今回はじめて入札の手続きを細かく確かめてみたのですが、国家予算を流す手続きはほんとうにこういうことでいいのでしょうか。いつまでたっても大手が受けて下請けに流すという構図が続いていきそうな気がしますが、長らくそういう構図で(多額の債務の累積と引き換えに)平和と虚構の豊かさを保ってきた国内ではそれでよくても、これから世界と均質化していく上では、もっとむだを削減し、潜在的成長力を秘めた中小業者こそ伸び伸びと国家予算を生かして成長できるようにする必要があるように思うのですが、どうなのでしょう。

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by pivot_weston | 2012-02-29 18:37 | ブログ

雪の日の思い出

 あゝ、この角筈(つのはず)村(現西新宿4丁目)に引っ越しといてよかったな、と感じる朝だ。

 窓をあけると、どこもかしこも真っ白。おまけに、まだまだ、まだまだ、もろもろと雪が舞い落ちている。

 引っ越してきてから、何度か地元の人にたずねてみたことがある。でも、おぼえている人はひとりもいなかった。

 14年前(1998年)の、まだ固定式だった成人の日(1月15日)も、こんな雪の日、いや、もっとすごい雪の日だったか。

 まだあのころは四国に住んでいたけど、その日はちょうど、この東京の角筈村にいた。

 ダイヤモンド社の故・江種敏彦さんが「せっかく四国から出てくるのに、一泊だけじゃあんまりだから」と言ってとってくれた宿。

 新幹線に乗るお金もなく闘病していた妻と(その甲斐性なしの夫の)わたしに、「電車チンを出して一泊の宿もとってあげるから、おいで」と言って、テレビ東京の草野仁さんがやっていた『追跡!テレビの主役』という番組が呼んでくれたときだ。

 東京に実家のある妻に、がんに追いつめられていたのに里帰りもさせてやることができずにいた甲斐性なしの軽薄亭主のわたしは「お、ラッキーっ!」と、すぐにその話にノッた。

 まだ新幹線に個室があった時代。脊椎全体が乳がん骨転移に冒されていた妻には、上体を起こした姿勢で電車の揺れにさらされることにも怖さがあったので、「わたしの姉も骨が悪いんですよ」と言って、個室のなかににわか仕立てのベッドをつくろうとして車内を走りまわってくれたやさしい車掌さんのお世話にもなりながらの上京だった。

 テレビ東京の「一泊」は収録の当日だったので、その日は妻と同じようにがんと闘っていた江種さんのとってくれた、この角筈村のホテルにはいった。

 そのときは、いつもの東京。雪なんて、かけらもなかった。軽薄亭主も、やさしさのかけらもなく、久しぶりの東京で、仲間に誘われるがまま、新幹線でもベッドをつくってもらわなければならないほど体調の悪い妻をひとり宿に残して、飲みに行った。

 帰りは、もう朝になっていたか。ありゃ、大雪だ。どこもかしこも、そう、ホテルの真ん前にある新宿中央公園の樹木すら判別がつかないほどの大雪だ。

 うぃ~と上機嫌の酩酊状態ながら、ホテルに朝帰りした亭主に気づいて、用心しながらベッドから体を起こそうとした妻を見たときには、さすがに「ごめん」と謝ったか。

 それでも、少し寝て、さあ、テレビ局へ行こうとしたときには、まだまだお酒が残っていても、もう冗談ではなかった。タクシーに乗っても、途中でタクシーが立ち往生するのではないかと思えるほどの大雪。妻が足をすべらせるようなことは、絶対に、絶対に、あってはいけなかった。

 ホテルの前はまだよかったが、ずっと、ぎゅうぎゅうとタクシーのタイヤが雪を踏みしめる音を聞きながら、一面の銀世界のなかを進んでたどりついたテレビ東京の車寄せには、あちゃ、屋根がない。妻は、警察に逮捕された凶悪犯のように、迎えに出てくれた番組制作会社の若い人とわたしに右腕と左腕をかためられ、さらには、背後にもひとりがついて、そろり、そろりと局内にはいった。

「やれやれ」と思って控室にはいったら、その若い人のひとりがわたしの顔を見て、「あれ、ちょっと赤いみたいですね」と言う。ありゃ、自分が酔っぱらっていることまで忘れていたが、収録の開始時刻が迫っていたので、よし、水だ、ということになり、グラスにくんできてもらった水を一気にあけて、「すんません、もう一杯」。

 スタジオで草野さんや坂口良子さんや島崎和歌子さんの背後にずらりとならんでくださる予定のかたがたも、半分ほどは雪のために来られないということで、スタッフのみなさんはカメラの向けかたもいろいろと工夫しようという話し合いをしていた。

 妻のいちばんの楽しみは、少しでも貧乏を脱出するための本(闘病記)の宣伝。ところが、「いちおう番組ではそういうことはしないことになっています」という若いスタッフさんのひとことで、ありゃ、なんのために東京まで――という気分になりかけていた。ところが、収録がはじまり、闘病の再現ドラマなどが流れたところで、急に草野さんがわたしたちの闘病記の話を出し、あれ、それはなしじゃないの、と思ったわたしが「まあまあ」くらいに適当に流そうとしたら、もう一度、はっきりと本の話題に戻してくれ、となりにすわっていた妻が「よし、いまだ」とばかりに元気になるのがわかった。

 あとでいただいた録画のビデオを見ると、どうやら軽薄亭主の赤い顔も、内面的にはけっこう克服するのがたいへんだったが、外から見ると、それほど問題になるほどのものでもなかったみたいだ。

 江種さん、新幹線の車掌さん、番組制作会社の若いスタッフのみなさん、草野さん……いろんな人のやさしい心遣いに接した旅だった。心残りだったのは、妻を目黒の実家まで帰らせてやることができなかったこと。自分が育った家だ。病状、先行きを考えると、もうチャンスはいましかないと思えたので、無理して挑戦してもよかったかもしれない。でも、結局、無理はせず、おとうさん、おかあさんに六本木のホテルまで出てきていただくほうを選択した。

 いろんな人のやさしさ、自分のダメさ、みんなのおかげでできたこと、雪のせいでできなかったこと、でも、こうして14年後に同じ場所で、いまだにもろもろと舞い落ちる雪を見ていると、(自分のダメさはともかくとして)みんななつかしいなと思えること、いろんなことを考えさせてくれる朝だ。

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by pivot_weston | 2012-02-29 11:38 | ブログ

政府情報チラ見

 それぞれご関心のあるかたはすでにウォッチなさっているのでしょうが、雪の朝、どういうわけかひと晩ぐっすり眠れて、ぼーっとマシンに向かっているうちに目に飛び込んできた情報を少し紹介しておきます。

●エルピーダメモリの倒産で影響を受ける企業に関するもの

経済産業省が相談窓口を設けているみたいです。

http://www.meti.go.jp/press/2011/02/20120228001/20120228001.pdf

●アレルギー表示が欠落した食品

ふだん、あまり注目していませんでしたが、こんなにあるんですね。影響を受ける恐れのあるかたは継続的に閲覧なさっているのでしょうか。

http://www.caa.go.jp/foods/index.html#m05

●財務省調達(業務発注)情報

こういう仕事は、だいたい決まったところが受注するようになっているのかな。まだ少し時間があるみたいだし、関係者を排除する縛りもあるみたいだから、業者登録みたいな手続きが素早くできるのなら、どんどん新しい会社がはいっていったほうがいいのではないでしょうか。高い専門性が要求されるのかもしれないけど……。

http://www.mof.go.jp/procurement/seihutyoutatu.htm

●食品関連の放射性物質のモニタリングデータ

これは、あちこちの省庁から発信されているから、どれを紹介したらいいかわからないし、みなさんもとっくにウォッチされているのでしょうが、考えてみると、このモニタリング作業は当分必要でしょうから、これでまた国の固定費がかなり増えますね。もう役所ではやっているのかもしれないけど、いまのうちに誰かが「向こう20年間の固定費試算」みたいなものを出しておく必要があるのではないでしょうか。で、いまもすでに民間委託なのかもしれないけど、民間委託できるものは民間委託して、ひとつの産業として位置づけていくくらいの視点があってもいいのではないでしょうか。新産業の誕生としては、あまりめでたいものではないかもしれないけど、なんでもプラスに考えていかないとね。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000023p4a.html
http://www.maff.go.jp/j/kanbo/joho/saigai/s_chosa/kome_kinkyu_chosa.html

●原子力安全・保安院/緊急時情報ホームページ

これはちょっとびっくり。「原子力安全・保安院からのお知らせ」に「チリ中部沿岸を震源とする津波に対する各地の原子力施設の影響について(28日21時00分現在)」とあるから、今日が29日ということもあって、あれ、またチリで地震かいな、と思ってのぞいてみたら、平成22年の2月28日の「お知らせ」だった。いまでもここに出しておく必要がある「お知らせ」なのかもしれないけど、ちょっと、なんか、「えっ」と思い、「えーっ!?」と思う「お知らせ」。

http://kinkyu.nisa.go.jp/

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by pivot_weston | 2012-02-29 08:24 | ブログ

玉置宏さんになったオバマさん(メルマガ配送予告)

 週刊メールマガジン『米国政府情報』第35号「玉置宏さんになったオバマさん」は、本日15:30配送予定です。

 タイトルはちょっと若い人には通じないものになっちゃったかな。

 日本のテレビ番組でもちらりと紹介されていたみたいですが、先週のオバマさんのお宅、ホワイトハウスはしばしホームコンサートの会場と化してしまいましたが、とはいっても、そこに集まったのは、B・B・キング、ミック・ジャガー、ジェフ・ベック、バディ・ガイ、ケブ・モーという、まあ、なんというか、ここでなきゃ、絶対にホームコンサートの会場なんかにはそろわない顔ぶれで、オバマさんもあまりにうれしくなったのか、ちょいとブルースをうなったのですが、日本のテレビはその一場面しか取り上げないものだから、ただホワイトハウスがブルースを楽しんでいるようにしか見えなかったのだけど、これは「アフリカ系米国人歴史月間」の一環。今度、ワシントンDCのスミソニアン博物館に「アフリカ系米国人歴史・文化館」を建設することになったので、ホワイトハウスでも、少人数だけどスケールはでっかいコンサートをぶち上げたのでありました。

 オバマさんの地元シカゴは、その昔、ミシシッピから北へのぼったブルースロードの終着地。かつてその道をのぼったマディ・ウォーターズのことを話して、ブルースのなんたるかを説き、最後に「ロッテ、歌のアルバム」の玉置宏さんみたいに「B・B・キングで~す」とやったオバマさんのあいさつも、なかなかにブルースしていたのだけど、動画で紹介されているケブ・モーの『America, the Beautiful』がすごい!

 そう、あの「アンメーリカッ、アンメーリカッ」というサビの盛り上がりのフレーズが印象深い歌ですが、ホワイトハウスの一室にすわっているのに、どこか南部のブルースロードの乾いた日差しを浴びた道端にすわっているように、とんことんこと足でリズムをとりながらギターをかき鳴らしてうなるケブ・モーの、そのサビの盛り上げかたが……。

 ああ、このメルマガをつくっていてよかった、と心底思える今週の第35号でありました(欲を言えば、大学時代によくラジオに耳をくっつけて聴いていたB・B・キングの泣くギターも聴きたかったのだけど、まあ、こっちはタダのオーディエンスだから、そこまで望むのはやはり厚かましいというものでしょうか)。

 で、ひとつ思ったこと――米国では、かつて差別されていた人たちの代表が大統領になっている。それは、ただ漠然と抽象的に論じられる国の状況ではなく、紛れもないファクト。日本は、その漠然とした抽象論では、米国より平和でいい国みたいに言われることがあるけど、さて、ファクトとしてはどうなのか? これからの時代、ただ自分たちだけの思いこみのボディイメージに閉じこもって立ちどまっているのではなく、他者との違いや対立を恐れず、どんどん自分を出して、他者とのインタラクションのなかで自分の存在をファクトとして浮かび上がらせていく国にならなくちゃいけないのではあるまいか(もう、青い目やいろんな目の日本人もいっぱいいることだし、ね)。

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国会見聞記(10)

(これは不定期連載でお届けしている記事です。流れがわかりにくい場合は、右の「カテゴリ」の「国会見聞記」をクリックし、前の記事を参照してください。)

 秘書の資格をとった経緯は前にも書いた。

 ある日、旧議員会館の彼の事務所へ行き、入口の秘書さんたちがいた部屋にはいったら、地方の党組織から東京へ出てきて、国政の場で新たな自分の活躍の場をさがしていて、その場が見つかるまで彼の事務所の手伝いに来ていた、誰からも「優秀」と評判の若者がつぶやくように、なにか言った。最初はよく聞き取れなかった。

「……大西さんやったら、すぐにとれるんとちゃいます」

 という言葉あたりから、はっきりと認識できたのだったか。で、その若者が奥の部屋にいた彼に「ねえ、そうですよねえ」とかなんとか、そんな言葉をかけたら、奥の部屋から出てきた彼も、いつものように笑いながら「おお、やってよ、やってよ。なんでもやってよ」と言ったのだったか。

 そのへんでようやく、あ、おれに秘書の資格をとれという話なのか、と認識できたのだが、それまでそんな話は一度も出たことがなかったので、面食らった。前にも書いたように、わたしも「スピーチライター」の仕事には興味があった。いや、世間でよく耳にする「国会議員の政策秘書」という仕事にも、好奇心くらいはあった。でも、なんと言ってもこちらは自営業歴30年だ。翻訳という職業柄、つねに誰かをサポートする立場にいたとは言え、たぶん、自営業者のなかでもとくに「一匹狼度」というか「アメーバ度」が高く、会社の「課長」と「部長」の違いもよくわからないこんな人間に、どうしてそんな、背広を着て他人に仕えるような仕事ができるだろう、という思いがあった。

 それに、現に、彼のところにはれっきとした秘書さんがいた。前にも書いたように、応援ブログを書いていたわたしに「ネタ」を流してくれないのは、なぜかよくわからなかったが、それ以外の面では、話しにくいわけでもないし、仕事ができないわけでもないし、なんの不足もなさそうだった。だから、ほんとうに、なんでおれが秘書の資格を?――という思いはあったが、たしか、「別に秘書になるならないはともかく、資格をとっておくだけとっておけばええじゃないですか」というアドバイスがあったこともあり、んじゃあ、国会議員の秘書がどうやって選ばれるのか、そのプロセスをのぞいておくだけでものぞいておくかと思い、逆にこちらも「おお、やってよ、やってよ。なんでもやってよ」というような気分になり、まるで他人事のように、その優秀な若者に応募やなにかの手続きはすべてまかせたのだったと思う。

 で、ほんとうに、その若者が言うように、資格はすぐにとれた。

 若い秘書志願の人たちからすると「ズル」になるのだろうか。みな誰か国会議員について勉強しているのだろうか。そして、学科試験というのか筆記試験というのか、一次試験を受けて、それに合格した人が二次の面接試験を受け、それで衆議院なら衆議院の面接官の人から「可」と判断されて資格をもらう。でも、わたしのように著書や訳書がある場合は、それを提出して見てもらい、「ま、よかろう」ということになれば、一次試験を免除してもらえる。

 だから、ほんとうに、わたしの場合には、資格試験といっても、「面接においで」と言われて衆議院別館まで出向き、面接官の人と5分くらい「おしゃべり」をしたような実感しか残っていない。もちろん、「おしゃべり」と言っても、あくまで「政策のおしゃべり」なのだが、わたしの場合には、すでに彼の政策を文章にまとめる作業をしていたので、それをしゃべれと言われればいくらでもしゃべれる状態にあり、3人の面接官のまんなかにすわった人が「まあまあ、もうそれくらいで……」と言って制止するまで、調子に乗ってしゃべりまくった。

 で、思ったこと。このシリーズを書いておこうと思った動機のひとつだ。

 世間では、「永田町の常識は世間の常識とは違う」などと、よく言われる。たしかに、わたしもそれは実感した。でも、それはすべて政治家のせいなのか、とも感じた。

 見ていると、永田町の政治家のもとへは、世間で「素直なよい子」と言われそうな若い人たちが政治を勉強しに来ていた。そして、政治家を「先生」「先生」と言って慕い、また政治家からもかわいがられているそういう「素直なよい子」のなかから、よし、おれも、と思った人が秘書の資格試験を受けて秘書になり、またさらに「先生」のもとで政治を勉強し、場合によったら、そこから新たな「先生」が誕生するというような構図ができているような気がした。

 それはそれで、古い時代、あるいは、ほかと関係のない世界でのできごとならいいのかもしれない。でも、いまは「永田町の常識は世間の常識とは違う」というクレームの出る時代だ。世間をはるか裾野に見渡し、政治は政治の世界の常識だけでやっていればよかった昔の時代とは違う。世間と同じ常識を共有し、世間といっしょに効率的に回転しないと、いくら国政の場かなにか知らないが、そんな世界はいらない。存在意義のない世界、というより、世間のじゃまをする世界になる。

 常識の違う世界と世界をつなぎ、相互の常識をならしていくのはインタラクション、相互作用だ。わたしが見た政治の世界は、なりは立派かもしれないが、インタラクションには著しく欠けているように思えた。国会議員会館にも、いろんな人が陳情やなにかに来る。だから、政治家や秘書もいろんな人と会い、いろんな人の話を聞いているのだが、「あ、どうも、どうも」と言って頭を下げ合って体よくあいさつするだけで、お客さんが帰ったら、「常識」を一にする者同士でひそひそやっているようでは、なかなかインタラクションの効果は表れず、「常識」も変わってこない。

 驚いたのは、ある組合の人たちがあいさつに来たときのことだ。民主党が組合の人の支持も得て政権をとったことくらいは、政治にうといわたしでも知っている。つまり、代議士制度で言えば、組合も民主党議員のよって立つところのひとつだ。ところが、その組合の人たちが帰ったとたん、ある議員の私設秘書のひとりが「ああいう組合の人たちって、なんだかいやですね」と言った。要するに、3年前には民主党から出たら当選できそうな空気があり、必ずしも考えを一にしないのに民主党から出た人がいて、そのまわりにも、そういう人たちが集まってきていたということだろうか。政治家と世間とのインタラクションがうまく機能していないひとつの典型的な例だと思う。

 政治家本人もあまり理解していなかったみたいだが、わたしがしばらく体験した公設秘書は国が政治家に提供する国政遂行装置の一部だ。衆議院議員の公設秘書になったわたしの給料は、衆議院から「歳費」として支払われていた。いま問題になっている、国から国会議員に支払われる経費の一部だ。

 これまでは、その国政遂行装置も国会議員が自分色に染まったものだけを使用できるようになっていたのかもしれない。でも、それでは国会議員が「外気を吸う」機会がなくなる。そうなれば、「永田町の常識」が世間の常識から遊離してもしかたがない。国が国会議員に提供する国政遂行装置は、原則として、政治家のものではなく、国のもの、国民のものだ。政治家にとっての「外気呼吸装置」のひとつでもあると思う。だから、わたしは、ま、仕事のできもあまりよくなかったからだろうが、ほんの半年あまりで議員からお払い箱にされてしまったが、ほかの人もどんどんこの領域にはいっていき、国が国会議員に提供する国政遂行装置を国会議員が健全に外気を呼吸できるものにすればよいと思う。

 まあ、若くて素直な人たちに遠慮して、自分の著書や訳書で一次試験をパスしたことを「ズル」と書いたが、わたしの著書や訳書もわたしが自分の人生を悪戦苦闘しながら真剣に生きてくる過程で生み出してきた産物であり、いくら若い人たちが鉢巻きを締めて一所懸命に一次試験の勉強をしているか知らないが、その努力と比較して劣るものなどではないはずである(本音を言えば、そんな机上の勉強なんて、ナンボのもんやねん、と言いたいところはある)。

 あるとき、党内の選挙戦術の講習会に出席すると、ある大臣経験者の国会議員が「わたしは公設秘書は雇わない。彼らはわたしたちが雇ってやるから仕事がある。わたしたちは苦労して選挙で勝ってきているのに、(そのプロセスを体験していない)あんな連中に偉そうにされたらたまらない」というような趣旨のことを力説していた。

 もちろん、公設秘書を雇うか雇わないかは個々の議員の勝手だろう。公設秘書が国から支給される仕事の補助装置であるとすれば、公用車の運転手さんや国会の衛視さんや、さらに言えば、ただで乗せてくれる電車の運転手さんや飛行機のパイロットさんもみな同じだろう。ま、衛視さんの世話にならない国会議員はひとりもいないだろうが、ほかの運転手さんやパイロットさんに世話になるかどうかは自分の意思で選べばいい。

 だけど、問題は「わたしたちは苦労して選挙で勝ってきているのに」というところだ。そりゃあ、選挙で勝つのはたいへんかもしれない。でも、それがさもほかの国民の生きんがための苦労より勝るもののように言われると、ちょっと待てよ、と言いたくなる。内輪の選挙戦術の講習会ではそんな本音を口にするくせに、公の場では、「国民が」「国民のため」と語る。そういう欺瞞を許さないためには、わたしたちもじっと遠目に政治の世界をながめているだけでなく、どんどんできる人から政治の世界に乗り込んでいき、彼らに「外気」を吸わせてやればいい、いや、吸わせてやらなければならないとも思う。

 現に、全体を見渡すと、秘書さんのなかにはおもしろそうな人たちがけっこういた。わたしがあまりにも「アメーバ体質」がひどいものだから、ある議員の女性秘書さんに「だめですね、こんなアメーバ人間は」とこぼしたら、その秘書さんは「大丈夫ですよ。ここで秘書をやってる人は、みなそれぞれなにかある人たちばかりですから。世間でふつうにやっていける人なんていませんから」と言って大笑いをした。

 あとで、秘書になってから、いろんな局面に遭遇したときには、おまえはどこまでやるつもりだ、と内心自問自答することがよくあった。そのたびに、脳裏によみがえってくる光景があった。

 中学2年の夏休みに、いきなり学校から「幹部合宿訓練」に参加せよとの命令を受けた。なんのこっちゃ。「かんぶ」という言葉の意味すらよくわからない。でも、ほかに参加する人が3年生の生徒会長と生徒会のおねえさんで、わたしもそのおふたかたと同じ生徒会で書記をやっていたので、なにか生徒会の集まりなのだろうと思って、言われるがままに参加したら、会場だった女子高に同じ郡内のすべての中学から、やはり生徒会の人たちが集まっていて、一泊二日だったか、二泊三日だったか、ともかく事前に予期せぬできごとだったので、なにがなんだかわけがわからないうちに真夏のひとときをすごしたことがあった。

 別に「おまえらは特別な存在だ」みたいな意識を植えつける催しではなかったと思う。でも、それまでは存在すら知らなかった離れ小島の中学校の人たちと同室になり、いろんな話をし、彼らの行動や、それ以外の参加者の言動も観察しているうちに、これは準備なんやな、ということは感じた。世のなかは分業制になっている。いろんな人がいろんな役目を分担している。そんな世のなかを少しでもうまくやっていくためには、どの役目につく人も、それぞれ準備をしておいたほうがいい。うちの祖父のような指物大工の世界にも、弟子入りの期間がある。世のなかをまとめる役目につく人も、できることなら準備をしておいたほうがいい。だから、おまえらは将来なにになるか知らんが、もしかしたら世のなかをまとめる役につくかもしれないので、こんなことをしてどこまで効果があるかはわからんが、ともかく準備をしておけ――そんな主催者の意思を感じる集まりだった。

 もちろんわたしの意思ではなく、学校の先生か誰かが勝手に決めてやっていたことだし、歩留まりをごくごく低く設定し、ほかにも大勢の人が同じ訓練を受けてきたのだから、別に自分なりの生きかたを選んで生きてきたわたしがそんなに過去を負担に感じる必要はないだろうが、また一歩、また一歩と、政治の世界に深く踏みこむかどうかの判断を求められるたびに、あの真夏の女子高での体験がよみがえり、あゝ、おれもああして育てられたんだよな、機会があったらお返しをしておかな、世のなかの効率が悪いやろ――と思っていた。

 人を十把ひとからげに語るような非人間的なことをしてはいけないが、いまいろいろ言われている官僚のなかには、あのころ、まわりにいた人たちのなかでもある特定の種類の人たちが大勢含まれているような気がする。現に、国会議員会館の内外で官僚の人たちとお会いしてみても、その印象は変わらない。わたしたちはあまりにも多くのことをほかの人たちに託しすぎてきたのかもしれない。わたしのようにあぶれ者体質で、悪逆非道な内面を宿している人間はともかくとしても、世のなかのまとめ役をやる組織にも、いろんな人たちがいていい、というより、いなければならない。だけど、それがまるで一色のような組織になっているのは、彼らだけの責任ではなく、参加しなかった側の責任もあるのではないかと思う。もしかすると、参加しないという判断を下した側にも、米国やなにかへの甘えがあったのかもしれない。

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by pivot_weston | 2012-02-24 12:07 | 国会見聞記

先週はバイデン・ウィーク!(メルマガ配送予告)

 週刊メールマガジン『米国政府情報』第34号「先週はバイデン・ウィーク!」は、本日21:30配送予定です。

 前から、なんかかっこのええおっさんやなあ――という印象はいだいていた。もしかすると、オバマ政権はこの人でもっているんやないか――とも思っていた。

 おゝ、やっぱり――の思い。

 いつもはオバマ大統領の背後あたりにいるジョー・バイデン副大統領のことだ。

 NHKのニュースキャスターなどは、ワシントンを訪れた中国の習近平副主席の歓迎昼食会で中国の(人権問題などの)状況がむしろ悪化しているように「言ってしまった」ことを、あわてたような面持ちで伝えていた。

 そら、ごく一部だけを伝えたら、そうなるかもしれない(ああいうニュースの伝えかたをしていたら、ある意味、日本のニュースも北朝鮮のニュースと大差はないことになり、この国は、大人の外交ができないからああいうニュースが流されるようになってしまうのか、国内に大人の外交ができない土壌があるから、ああいうニュースが流されるようになり、その結果、外交担当者も大人の外交ができなくなるのか、いずれにせよ、とても深刻な問題なのではないか、とふと思った)。

 要するに、「かっこええおっさん」ジョー・バイデン副大統領はこういうことをやっていただけだった。

 まず、4年前の大統領選挙の予備選挙での自分の敗北をネタにして習近平さんをもち上げる(同時に、昼食会に出席していた共和党の米中国交回復の功労者・キッシンジャー元国務長官を茶化してもいるのだが)。それで昼食会の出席者たちの気持ちがほぐれたところで、いまの米中関係は重要なんやで、おれとオバマは米国の重点地域をアジア太平洋にシフトさせるためにホワイトハウスに来たんやで、と言って、いまの中国がいかに驚くべき発展をとげているかに触れ、話をひとつのピークにもっていく。

 で、そこで、「だけど」と来る。すごいのは確かだけど、そのすごい中国も国際ルールがあったからここまで来れたんやで、と話を転換する。そして、まあ、NHKのニュースも触れた、まだまだ中国にはいっぱい問題があるわなあ、うちの国なんかと合わんとこがいっぱいあるわなあ、というくだりに移っていく。

 そして、最後にはまた習さんに対して、ほんでも、なんでも思っていることを率直に言い返してくれるあんたはたいしたもんや、ほんま、よう来たねえ――という流れにもっていき、またちらりとキッシンジャーご老公を茶化して終わる。

 なんや、若い習さんは、何度も喉をごくんごくんといわせて、目もたえずぱちくりさせていて、緊張感がありありだけど、別に米中の副大統領と副主席はNHKのニュースが伝えていたように悪口を言い合うことに主眼があったわけではなく、世界はおれたちの国の協力関係にかかってるんや、お互いに言いたいことは言い合って、競い合い、楽しくやっていこうぜ――というムードのなかでお昼ごはんを食べたのだな、ということが伝わってくるあいさつだった。この昼食会のあとも、バイデンさんは米国のあちこちを見て歩く習さんにつきあったみたいだから、そのふたりのうしろ姿を見たら、さぞかし仲のいいおじいちゃんと息子の姿を見るような光景が見えたのではあるまいか、と思えるあいさつでもあった。

 オバマさんもそうだが、バイデンさんも、子どものころから決して楽な人生を歩んできたわけではない人。人と人とがうまくやっていくには、ただ表面でにこにこしているだけではいけないことがよくわかっているのかもしれない。

 という先週のホワイトハウスの動きを見てきて思ったこと。大阪の橋下さんは首相を公選制にしたら政治の判断が早くなるようなことを言っているけど、あれはなにを根拠に言っているのだろう。大統領直接公選制の米国でも、いまはなにも決まらない状況に陥って困っている。そんな状況を見ていると、要は有権者の問題ではないかとも思う。投票権を行使した有権者はその自分の投票行動に対して責任をもたなければおかしなことになる。投票した政治家が、あとでろくな人間ではないことがわかったとしても、それでその人を選んだ人の責任が免除されるわけではない。わたしたちの前には、とうていパーフェクトとは言えない現実と歴史がある。それを少しでもよい方向へ変えられるかどうかは、選ばれた政治家だけの問題ではなく、その人を選んだ有権者ひとりひとりに対しても(分担する責任の量は軽くなるだろうが)等しく問われる問題だと思う。ブームで選ばれた民主党の若手政治家のなかに人間的に未熟な人が大勢いるのはわかる。しかし、いまや彼らが四散分裂して制御不能の状態に陥ろうとしている背景には、誰ひとりとして責任を負わずにはいられないこの世のなかで、わたしたち有権者がそのわずかばかりの責任をどこまで果たしてきたかも再検討しておく必要があると思う。

 ジョークも交えながら言いたいことを言い、そのなかに目の前にいる相手に対するちょっとひやりとするような悪口が交じっていても、なんだか聞いたあとで心が弾んでくるようなあいさつをしたバイデンさんに、すぐ背後にいた国務長官のヒラリー・クリントンさんが、ちょっと上目づかいにその愛すべきおじいちゃんの顔を見上げながら、少女のように口をとがらせてなにかひとこと言ったシーンも印象的だった。

 日本を変えるために考えなければならないのは、公選制とかなんとか、そんな制度の問題ではないと思う。人にせよ、制度にせよ、ものにせよ、なにかに頼ろうとする心のありようを変えないと、なにも変わらないと思う。

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久々の新刊のお知らせ(Design Basics改訂版)

「2月下旬発売」ということでもありますので、本日お知らせいたします。

 昨年の春から取り組んできた本です。甲斐性なしの情けなさが災いし、ひとりでは最後までやり通せない見通しになったものですから、古くからの仲間の二階堂さんと小川さんにあとのほうを手伝ってもらいました。

 旧版をいっしょにやった編集者の国井さんともまたいっしょにやれるとよかったのですが、美しい絵画やおもしろいデザインがたくさん盛り込まれていますので、絵やデザインがお好きなかたは、かたわらに置いておき、おひまなときにちらちらとごらんになるだけでも、けっこう楽しめる本だと思います(旧版と同じ記述が少なからずありましたが、訳も旧版出版からの年数分だけ老獪に、世慣れして、大胆になっていると思います)。

 版元(BNN新社)のWebページ(下のリンク先)に掲載されている文言と同じみたいですが、せっかく今度の編集者の石井さんがメールにペーストしてくださったので、ここでもその紹介文をペーストしておきます。

 よかったら、楽しんでください(個人的には、Francesco Salviatiの「聖母子と天使」の甘美な肌と表情がとても印象に残っています)。


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DESIGN BASICS[改訂版] デザインを基礎から学ぶ
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本書は、デザインの原理と要素を、その基礎となる美術・芸術の例からじっく
り学べる教科書です。世界の名画・秀作を事例に挙げ、作品の思想的背景や技
術的裏付けを検証しながら、作品が生まれるプロセス、まとまり、強調と焦点、
スケールとプロポーション、バランスやリズムといったデザインの原理、また
線、シェイプ、パターンとテクスチャ、空間、動き、明暗や色といったデザイ
ンの要素を、丁寧に解説しています。アートやデザインに対する理解を深め、
知的好奇心を満たしてくれる1冊です。初版から内容を大幅にアップデートし、
全編フルカラーに改訂。※本書は、2003年にトムソン・ラーニング 株式会社
(現:センゲージ ラーニング 株式会社)から刊行された同書籍の改訂版とな
ります。

■2012年2月下旬発売予定


ISBN:978-4-86100-781-1
定価:3,990円(本体 3,800円+税)
仕様:A4判変型/320ページ
著者:デービッド・ルーアー、スティーブン・ペンタック
発売予定日:2012年2月24日
翻訳:大西央士、小川晃夫、二階堂行彦

商品の詳細はこちら↓
http://www.bnn.co.jp/redirect/r/69n.php

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by pivot_weston | 2012-02-20 06:00 | ブログ

夏至まで3分の1の日差し

 いい天気だ。

 日が長くなった(もう冬至から夏至までの3分の1が経過しようとしている)。

 方南通りを西へ向かって歩いていると、15:00ごろでもまだ中空にとどまっているようになったお日さまが、「お日さまだよ」と自己主張するような日差しを浴びせてくれて、まぶしかった。

 歩きまわっていたころを思い出した。

 たとえば、『名犬ノップ』。原題は“Nop's Trials”で、翻訳にとりかかる3年ほど前に最初に読ませていただいたときには(製本されていないタイプ原稿だったが)、なんの話か、すんなりとは頭にはいってこなかった。

 牧羊犬(ボーダーコリー)の話。遠くの丘の上あたりで放たれる羊の群れを、飼い主のもとから「それ行けっ!」の合図でスタートした牧羊犬が、飼い主のホイッスルを参考にしながら、ひとりで追い立て、群れにまとめ、飼い主の近くに設けられた柵のなかまでつれてくる。そのスピードや手際を競う競技会。

 いまでは日本国内でも開かれていると思うが、翻訳を担当させてもらったころは、そんな競技会の話など、聞いたことがなかった。1980年代後半だったか。

 神田の古本屋を1軒残らずまわったけど、関連書籍はどこにもなかった。だから、もうあきらめた。いろんな競技会関連用語が出てきたが、もう全部自分で勝手に考えて訳語をつくるしかないかとあきらめて、翻訳を進めていった。

 当然、フラストレーションや自己嫌悪やなにかとの葛藤の毎日。

 ある日、別の用事があって東中野のアパートから自転車で高田馬場の駅前の(いまではもうないらしいが)ビブロスという洋書屋さんまで行き、その「別の用事」の関連書籍をさがしていた。そちらも、ない。呆然として、「また時間をむだに使ってしまったか」という後悔の念を胸にかかえて書棚の前に立ちすくんでいた。当然、目の焦点はどの本のどの活字にも合っていなかった。

 Sheepdog...

 気がつくまでに、3度くらい、目の前にならんでいたその本の背のその活字を無意識に目で追っていたと思う。

 えっ! えっ! えーっ!

 静かな店内で、静かに胸の内で驚きを発散させた(表立って発散させたところで、誰にもわけがわからなかったことだろうし)。

 手にとって開いてみると、それまで“Nop's Trials”の原文を読みながら、闇のなかで少しずつ自分なりの解釈で描き出していた「牧羊犬競技会」の会場の模様が、くっきりと目に見える線で描かれていた。

 単純だから、またすぐに「奇跡だ!」と思った。

 人生はこれだからやめられないよな、とも思った。

 いまなら、不安やなにかにさいなまれることもなく、Google検索でものの30秒ほどで解決することか。便利になったけど、みんなつまんなくなったんじゃないのかな――方南通りの夏至まで3分の1の日差しに目を細めながら、そんなことを思った。

 もちろん、原書が見つかっても、会場の模様がはっきりと理解できただけで、訳語はどうしていいかわからなかったが、あのときはマザー牧場のまだご結婚前の若い職員だったクドーさんにいろいろと相談に乗ってもらった。フォードのピックアップのことでも、新橋かどこかの日本フォードのかたにカタログをいっぱい送ってもらった。羊の飼育場の鉄柵のことがわからなくても、札幌のその業界のかたにカタログを送ってもらった。みなとても親切なかたばかりだった。Google検索でかたづくようになると、ああいうかたがたとのやりとりも必要なくなったわけだ。

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by pivot_weston | 2012-02-18 17:02 | ブログ

自営業者のつぶやき

 昨日はちょっと疲れた。だから、正直に、少し眠った。このところ、いつも絞り切った雑巾状態。絞り切って稼いでも、緩められる余裕はできないから、絞ったまま、また絞る。いまの自営業者は、ほかの人もこんなものか。

 消費税や年金のニュースを見ても、いまの日本では会社勤めの人が標準で、自営業者は標準外らしい。不思議。夜、戸外に立って空を見上げると、自分がこの地球上にひとりで生きているのを実感する。それが基本だと思っているし、今度の震災の被災地の人もそんな気分になったことがあるのではあるまいか。

 組織はひとりでやりくりするのがたいへんだから人間が外界とは別に便宜上つくった仕掛け。そんな仕掛けを基本とするところに、なにかがゆがんでいる印象を受ける。

 硬直した公務員制度は問題だ。でも、改めるべきは公務員だけか。オリンパスを見ると、社保庁を思い出す。どこが違うのか。野田さんは先輩たちがこの豊かな国を築いてきたと言うが、どちらも1000兆の借金を生んだ虚構の国づくりの一環のように思える。

 心地よさへの甘えか。わたしたちに与えられている空間を四角い酒の升にたとえる。なかに風船がある。内側にはいったら外にいるより雨風を避けられるので、ひとり、またひとりと、そのなかへはいる。外を取り巻く現実はなにも変わらないのに、はいれば豊かな気分になれたので、いつの間にかそれが基準となり、みなが当然のごとくに風船のなかで自分の空間を確保しようとする。風船はモコモコとふくらみ、外にいる人がひしゃげそうになっても、誰もかまわない。

 心地よい風船現象はいろんなところに見られる。大地震が起こって、原発事故が起こると、義援金を送り、やさしい人になり、もたもたしている政府を非難するけど、ガレキが自分たちの近くに来るとなると断固拒否。快適な暮らしを維持しながら自分をやさしい心の持ち主にするのがいちばん心地よい。普天間の問題にも似たところがある。

 なんとなく読み流していたが、オバマさんが「スモールビジネス」「スモールビジネス」と言って、地方の個人事業を経済の基本として大切にし、全米でひとりひとりの起業を促しているのも、この国との違いを表す現象か。虚構にせよ、わたしたちの豊かで平和な日本社会は、何人かの犯罪者がいただけで全員が犯罪者のように扱われるあの国の海兵隊やなにかが守ってくれたからこそできあがったものだ。

 若いころは絶対に思わなかったこと。でも、最近、そうしないと正常な感覚を保てないのなら、日本も自衛隊を正規軍にしたほうがいいのではないか、と感じることがときどきある。橋下さんはハシゴの横桟を減らして世のなかを本質に近づけようとしている。わたしはそもそもハシゴそのものをとりかえてもいいような気がしている。

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by pivot_weston | 2012-02-17 17:08 | ブログ

いまになって「義援金が……」とは

 近ごろときどき、テレビに出ている人が、義援金がまだ被災地に行っていないようなことを言っているのを耳にする。

 そんなこと、テレビに出ている人なら最初からある程度は予測がついていたはずだし、また、予測がついていなければならないことではなかったのか。

 昨年の被災後、世のなかの余裕のある人たちが義援金に走り、あっちでもこっちでも、さらには国会議員までが独自の義援金の受付窓口を設けていたころ(その窓口に集まったお金を一本化するための事務処理にも手間と時間がかかることはわかっていただろうに)、明かりの消えた東京の街で疲れ切った顔を青黒く沈めて「こんなことなら、もう商売をやめるしかない」と言っていた人を何人か見た。

 復興に必要なのは強力なエンジンだ。組織のどこかが傷んだときには、すぐに別のところに元気なところをつくっておかないといけない。それなのに、みんな「いい人」になりたいのかなんなのか知らないが、一時的な死に金を大量につくり、被災地以外での暮らしでは「自粛」をしている人までいた。

 頭に来たから、タクシーに乗ったときには、運転手さんといっしょに「いま必要なのは“バブル”くらい、いや、“バブル”のとき以上にみんなで金を使いまくることだよなあ。パァーッと金を使いまくろうぜえ」と、使う金のないビンボー人の遠吠えばかりを繰り返していた。

 いつもは悪者になるのを厭わないフリをしている都知事さんも、「そこまで自粛しなくてもいいと思うけどな」程度の発言で、歯切れが悪かった。ああいうときのリーダーは、みんなに総スカンを食ってもいいから「みんな、パァーッと金を使おうぜ。それがまわりまわって被災地に行くんだ」とぶち上げるくらいじゃなきゃ(現に、義援金がまだ被災地に行っていないとしたら、被災地以外の景気が好転し、税収増加の見通しが立ち、予算を増額できていたほうがよほどわたしたちのお金は早く被災地に行っていたはずだ)。

 テレビも少々、被災地の現実のほかに、「いい人」になりたい有名人を伝えすぎてきたきらいがあるのではないか。

 少し前にも有名な歌手が出て、被災地の人に向けて書いたのかなんだか知らないが、歌をうたい、「いい言葉ですねえ」と司会者に歌詞をもちあげてもらっていた。あら、この人が主役じゃないだろう、と思うのに。

「逆に元気をもらいました」という、スポーツ選手かなにかの言葉も引っかかる。それはあなたの問題、あなたが元気になろうがどうしようが興味ない、勝手にすればいい、こちらが知りたいのはあなたのことではない、被災地のこと、と思ってしまう。

 ボランティアとは、ひとつには、助けを必要としている人を主役にすることではないのか。かつて、病院のホスピスでボランティアをしていたときにも、ご自分が中心になってみんなで歌をうたっているときは、にこにこしているのだけど、患者さんからリクエストが出て、別の歌をうたいだし、ご自分が輪の中心からはずれたら、おかしな顔をする人がいた。

 過ぎたことは過ぎたこと。この経験は冷静に振り返って生かしていかないといけない。発災当初、政府の発表が「大本営発表」みたいだと批判する声が上がっていたが、「大本営発表」に振り回されるようなわたしたちの体質も変えていかなきゃいけないのではないかと思う。被災地や被災地の人が誰かに利用されているように見えるのは、わたしのひねくれた性格のせいかもしれないけど。

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by pivot_weston | 2012-02-15 11:07 | ブログ