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アメリカ時間の観音寺暮らし

最近、何人かのかたとのあいだで
わたしが2005年4月から2006年3月にかけて
香川県の四国新聞に連載した記事のお話が出ました。

「アメリカ時間の観音寺暮らし」というタイトルで、
田舎のため池のほとりで
夜ごとごそごそと仕事をする翻訳者のつぶやきを
書きつらねたものです。

そういや――と、
わたしもなつかしくなり、
四国新聞社の赤松さんにお願いして、
原稿ファイルをいただきましたので、
Webサイトのほうにのっけてみることにしました。

よかったら、ご笑覧ください。

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あふれるふたつの経済の受け皿

米国の連邦債務の累積額が現在設定されている上限値
14兆2940億ドル(本日11時40分現在約1158兆円に相当)に迫り、
いったんは連邦職員の年金制度にお金を出すのをやめて
その危機を回避しようとしていたが、
その一時しのぎの措置も8月2日に期限が迫ってきた。

借金を返さずに、借金できる額をふやすというのは
決していいことではないのだろうが、
この期におよんではそうするしかないから、
1962年3月以来75回目の連邦債務上限の引き上げが
画策されている。

一方では、
日本の「リアルタイム財政赤字カウンター」を見ると、
日本の借金も1138兆210億円あまりに達し、
刻一刻と雪だるま式にふくらんでいる。

わたしたちが享受している文明生活は、
高いビルも、きれいな服も、おいしい食べ物も、楽しいスポーツも、
みなこの借金の上に成り立っている。

この砂上の楼閣が
一気にその現実を暴かれる日が来るのだろうか。

借りたお金を返すにはお金が必要で、
そのお金をつくるにはまたお金を借りるしかない
という堂々巡りが繰り返され、
現在の世界を支えているふたつのため池があふれようとしている。

あふれたときにどうなるか、
自然界は素知らぬ顔で、その翌日にも能天気な日差しを降り注ぐだろうが、
昭和17年にその自然界のほうで
ため池が決壊して家屋を流された家の子孫としては、ちと恐ろしい。

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by pivot_weston | 2011-06-29 12:11 | ブログ

細野さんのこと

細野豪志さんが原発事故担当の大臣になったという。

首相補佐官として原発事故対応・広報担当になったときから
いい人事だと思っていた。

国会に出入りしていたころ、
民主党の内部で選挙戦術の研修会があり、
閣僚経験者のMさんと細野さんが話をしてくれた。

最初に前に出たMさんの話はおもしろかった。

不動産の営業などもなさったことがあるらしく、
まるでどこかの企業の営業マンの全国大会で、
今年のトップセールスマンに選ばれた人が
誇らしげに自分のやりかたを披露しているように、
上手に抑揚をつけた話しぶりで、
適当にユーモアも交えながら、
どんどん聴いている者の心をつかんでいった。

ふむふむ、ふぅーん、そこまでやるかあ――という感じだ。

そして、講演者が細野さんに代わったとたん、
その、力感あふれる抑揚豊かな言葉が響きわたっていた会場内に
なにやらシーンとした雰囲気がひろがり、
そこに、あの、聴いている人の喉まで撫でていくような
細野さんのひっかかりのいい声がやや物足りないボリュームで響いた。

おや、やはりMさんのほうが一枚上手なのかな――
正直なところ、最初はそう感じた。
だが、そこは大勢の人に票を入れてもらって当選してきている人だ。
細野さんのほうもなんだかんだと話を聴かせていく。

そして、気がついてみると、
いつのまにかわたしはその話にじっと耳を傾けていた。

Mさんがディズニーランドのようになにもかもつくった感じなら、
細野さんのほうは対照的に、
素朴で、自然な人だ。
わたしより若いだけあって、
そういうところにはところどころ、
やや若さを感じさせるところもあったが、
なにより印象に残ったのは、
お、この人はなにがあっても逃げないな、
と思わせてくれたところだった。

その研修会が終わってしばらくして、
がらんとした国会議員会館の廊下を歩いていたら、
目の前をとぼとぼとうなだれて歩いていくもっそりした人のうしろ姿が見え、
議員会館のなかではあまりそういううしろ姿を見かけないものだから、
誰だろうと思って近づいてみたら、細野さんだった。

なぜだろう、このときも、
やたらと自分をどう見せるかばかり考えている議員が多いからだろうか、
だれもいないと思っていたからかもしれないが、
ひっそりとした廊下をもそもそと歩いていく細野さんのうしろ姿に、
お、こいつは信用できるやつかもしれないな、と思わせるものを感じた。

そりゃあ、国政の一翼を担う身となれば、
補佐官であろうが、大臣であろうが、
1000人や2000人の人は下に従える。

そのうちのだれかが失敗をしてもすべて責任を負う立場にあるのだから、
こら、なにやってんだ――と怒られることはある。
そういうときに、なにがあっても「逃げない」という要素は大切だ。

いつもわたしがたとえる金比羅山の石段にたとえると、
500段くらいまで上がっていて、一気に下まで転げ落ちたりしたら、
そりゃあ、みんなから非難の嵐を浴びせられてもしかたがない。
でも、500が0になったのは、たしかに取り返しのつかない大きな失敗
かもしれないが、
そこでわたしたちにできる最善のことは、
立ち止まって泣いたりわめいたりペコペコしたりすることではなく、
いまある状況を少しでも好転させること、
つまり、たとえ500段が0段になったとしても、
また目の前の1段に足を踏み出すことだ。

どんな状況でも、わたしたちにできることは、
そうして目の前の1段に足を踏み出し、
それを積み重ねていくことしかない。

あくまで限定的な見聞にもとづく私見にすぎないが、
細野さんという人は、そういうことができる人のような気がするので、
今回の人事もいい人事だと思う。

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by pivot_weston | 2011-06-28 22:00 | 政治

うわっ! 気がつけば……

寝ちゃられないのに、寝ちゃってた。

1日のうちに
ピカソをやって、
積算熱量計をやって、
スマートグリッドをやって、
電気自動車をやって……
それでもまだまだ仕事にbeckoningをしないと
食べていけないのが、
いまやどこでもコスト削減でギューギュー絞られている
フリー翻訳者の実態――
ではあるまいか。

もしかしたら、もっと上手に
生きられている人もいるのかもしれないが、
少なくともそれが、
わたしの30年間のフリー翻訳者人生の実感。

つーわけで、
タイトルの「気がつけば……」は
直後の「寝ちゃってた」ではなく、
そう、

かつてのいつもの暮らしに戻っていた。
オシオシ、調子が出てきたゾ……

と続くのでありました。

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by pivot_weston | 2011-06-28 12:05 | ブログ

ロシア語とウクライナ語の翻訳の仕事

農水省からこんな調達(入札)情報が届いています。

・ 「放射能汚染に関する国際文献(ロシア語)和訳業務」
・ 「放射能汚染に関する国際文献(ウクライナ語)和訳業務」
(上記……案件問い合わせ先:大臣官房経理課調達班……)
http://www.maff.go.jp/j/supply/nyusatu/buppin_ekimu/sonota2/index.html

たぶん、いま旧ソ連圏への出張を繰り返している知人が取り組んでいる
放射能汚染対策に関する文献だと思います。

われこそは――と腕に自信のあるみなさんは、
どんどん入札に参加してください。
(知人のためにも、いい翻訳原稿があがることを願っています。)

もっとも、こういう省庁の入札に参加するのは
そう簡単にはいかないみたいです。
だからこその情報リレーでもあります。

日本の行政官庁からは、
総額にすると恐ろしい金額の仕事が出ています。
しかし、これまでのように
その入札参加のハードルを軽くクリアできる特定の人たちばかりが
入札に参加していると、
国家予算の流れがいびつになり、また、
むだが生じる原因にもなります。

そういう意味でも、
これまであまり公官庁の事業に目を向けてこなかった民間企業のみなさんにも、
あきらめず、どんどん省庁入札に目を向けていただきたいと思います。

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by pivot_weston | 2011-06-27 16:45 | ブログ

人生の1ページ

さっ、1週間のはじまりだ!

3月までは慣れない国会議員の秘書なんてものをやってきて(ほんの半年だが)、
4月は生まれてはじめて選挙なんてものにも関係し、
地元・西新宿の「淀橋村」の雰囲気を大切にしたいという点で意気投合した
若者候補者をボランティアで応援し、
その月の末からは心臓バイパス手術を受けた母親のほうのフォローに走り、
5月はそのフォローを続けながら、
ヤバイッ! 稼がなきゃ――の思いでコツコツ仕事に打ち込んだが、
月末になると、その仕事もそんなに定常的に出ないことがわかり、
はて、この先どうしたものか、と
母を迎えるために少し広いところへ移した自宅で考えあぐねた6月。

当面は本の仕事もしているので、
さしたる有効な手立ても見つからないままだが、
いくつか前向きに手を打つことは打ったので、
よしっ、明日からは気分一新、バリバリ行くぞ――
と思いながら眠りの世界にはいった昨夜。

あらっ、目がさめてみると9時をすぎている。

なんや、歳をとってくると気合の入りも悪くなるのだろうか。
でも、なんやろう、変やな、と、いぶかる思い。
(たぶん、心のどこかで、
5時か6時くらいに目をさまし、朝のうちにいくつか仕事をかたづける、
というような「気分一新の朝」を期待していたのだろう。
その「期待」に沿わない流れに
(そんなの、自分の責任以外のなにものでもないのだが)、
なにかよからぬものが向かってくるのではないか、
と身構える姿勢が、心の底にはある。)

こういうときにはほんとうに世のなかというのはよくしたものだと思うが、
コンピュータを立ち上げようとすると、
買ってひと月もたたないコンピュータが立ち上がらない。

ちっ、よりにもよってなんで今日?
新しいスタートの日にしようとしていたのに、
なんでおれの人生はいつもこう――と、
若いころのわたしなら間違いなく考えていた。

でも、いぶかる思いはまっすぐそちらへは向かわない。
いまは、似たような「新しいスタートの日」を何度も体験し、
現実の流れにうらみめいた気分をぶつけることの非効率も実感し、
触角の先っちょが鈍くまるまったふてぶてしいオッサンになっている。

へっ、と吐き捨てる気分で
思うように行かない時間の流れと斜に向き合っていたら、
いよいよ、プッと吹き出した。

元気になって一時的に四国に帰っている母が電話をかけてきて、
「前に頼んどいたこと、やってくれてないやんか。不都合が起きとる」
という。
え、そんなばかな、と思い、その頼まれていたことの手続きを
もう一度チェックしてみる。

そうこうするうちにも時間はどんどん流れていき、
「新しいスタートの日」もいつしか午後に突入した。

でも、プッと吹き出したので、
運命、といっては大げさすぎるだろうが、
目の前の現実の流れをうらんだりする気にはならない。

調べてみると、母の案件はたしかにこちらが意図したとおりに処理されている。
だから、母に電話をかけてそれを伝えると、
「なんや、やってもらう先が間違うとる。
そこにしてもらっても解決せん。
別のところにしてもらいたかったんや」
という。

なら、はじめからそう指示せんかい――だ。
やれやれ、都合の悪いことはすべてほかの人の非として処理する
きわめて健やかな内面の持ち主だ。

そこで、思った。

ははは、「新しいスタートの日」なんて、そんな、
特別な日を自分でクリエイトできるような気分になってはいけない。
結果的には、そういう言葉で形容できる日もあるかもしれないが、
基本的には、今日も昨日と変わらぬ1日。

地球は昨日と同じように、
太陽のまわりをぐる~っとまわりながら、自分でくるくると自転している。

しかも、その動きも周期的なもののように思われているが、
絶対的な座標軸の見つかっていない宇宙では、
ほんとうにわたしたちが思っているように周期的なものかどうかわからない。
(昨日調べたところでは、来る「July 4th」、つまり、
アメリカの独立記念日には、すごい歴史上の符合もあるみたいなので、
そういうことを知ったときには、ふぅん、
やはり地球は周期的な運動をしているのだろうか、とも思いたくなるが。)

つまるところ、
わたしたちはなにがなんだかよくわからないところを
てくてくと飽きもせずに歩いて生きている。
そのどこかで、よしっ、今日をスタートの日に――と
ひとり決めにするのはいいのだが、
だからといって、
自分の頭のなかで勝手につくったイメージを自然界さんに押しつけてたら
自然界さんもいい迷惑だし、
自然界さんに迷惑がられるこちらも疲れるだけだ。

そう、よけいな雑事に煩わされようがどうしようが、
スタートの日ならスタートの日で、スタートすればいいだけの話、
それだけだ。

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by pivot_weston | 2011-06-27 16:20 | ブログ

ハッピーな時間――『紫雲の人、渡辺海旭』

Twitterのほうではすでにつぶやいたが、
前田和男さんの『紫雲の人、渡辺海旭――壺中に月を求めて』(ポット出版)
という本を読んでいる。

500ページを超える大著だ。
ただでさえ本を読むのが遅いわたしには、
そう簡単に読み通せるものではない。

でも、心地よい。
この本を開き、その世界にいる時間がとても心地よい。

著者の前田さんは、翻訳の世界の先輩に当たる人で、
わたしなどから見ると、
ある種の天才ではないかと思えるほど、
あふれるように言葉の湧き出してくる人だ。

以前、いっしょに翻訳の仕事をしていたときには、
その前田さんの、内なる言葉湧出力のほうが原作の世界を待てず、
どんどん躍りだして原作をベースにした前田ワールドが展開する、
という場面に何度か遭遇した。

若い人にはわからないかもしれないが、
いまや伝説の「安田講堂」の残党だ。

今度の作品は、そんな前田さんが若いころから書きたかった本なのだろうか。
かつての前田さんの文章を知る者からすると、
拍子抜けするほど語り口に抑制がきいている。

あれ、あれ、どうしたの、前田さん、そんなありきたりな表現でいいの?――
と思ってしまうところがあちこちにある。

でも、もしかすると、
書き手と題材がうまく整合し、ハッピーな関係で結ばれたときというのは、
こういうものなのかもしれない。

食い足りない教師ばかりに出会い、荒れに荒れていた少年が、
あるとき、お、なんや、このセンコー、こいつちょっとちゃうなあ、
と思う教師に出会ったとたん、
あらゆる方面に向かって素直に才能を開花させていく――
そんな現象にたとえてもよいのかもしれない。

そういう生徒が背後にかかえている世界というのは、
恐ろしく豊かだったりする。

前田さんが背後にかかえている世界が恐ろしく豊かなのは、
そういう例から類推するまでもなく、
わたしはじかに、肌で知っている。

にわかには暮らし向きに跳ね返ってこない、
緻密で長い調査や取材の裏打ちもあるのだろうが、
題材と整合し、ハッピーな関係で結ばれた前田さんの繰り出す文章は、
明治初期の浅草界隈や本郷の風景を
そこに吹く風の感触や、日に照らされた空気の感触のようなものも添えて
伝えてくれる。

明治20年の前後。

山梨では、
わたしがフォローしてきたルミエールの塚本俊彦さんの曽祖父、降矢徳義さんが
京の守護から戻って、はて、なにをしよう、と考えたところで、
西洋伝来の葡萄酒の醸造をはじめたころ。
四国では、
わたしの祖父・象一郎の祖父・竹造が博打で全財産をすって、
のちの子孫一同から、なんだかなあ、と思われる顛末を起こしていたころだ。

なるほどな、と思う。
当時の日本は、こういうふうにして動いていたのか、とも思う。

のちに高僧にして稀代のアイデアマンの渡辺海旭になる、
浅草の没落士族の流れを汲む貧乏所帯の子倅、渡辺芳蔵が
激動する社会の片隅で自分の生きていく道をさがしながら、
浅草や本郷の道を歩いていたときの足音までが伝わってくるような気がして、
現代の、ビルの下のきれいに舗装された歩道を歩いていたのではこうはいくまいな、
などとも思う。

ともあれ、楽しい時間。
大著なだけに、まだしばらくそんな時間が味わえるのはうれしい。
本を読むのが遅いことにも、いいところはあるわけだ。

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被災地産品フェア

少し遅くなりましたが、
農水省からのお知らせのなかに
次のような被災地産品フェア開催のお知らせがありました。
リレーしておきます。

◇第5回 つながろう日本 風評被害を吹っ飛ばせ! 被災地・農家さん応援
直売会(東京都:6月25日(土))
http://www.maff.go.jp/j/press/soushoku/ryutu/110615.html
◇横浜南部市場 チャリティアクション (神奈川県:6月25日(土))
http://www.maff.go.jp/j/press/soushoku/ryutu/110525.html
◇白河地方原発風評被害一掃キャンペーン販売会(第2回)
(東京都:6月25日(土)~26日(日))
http://www.maff.go.jp/j/soushoku/eat/sirakawa2.html
◇「食べて応援しよう!」畜産フェア(東京都 大井競馬場:6月28日(火))
http://www.maff.go.jp/j/soushoku/eat/tihoukeibajyou.html
◇元気ハツラツ市「東北物産展~がんばっぺ東北~」(岐阜県:7月3日(日))
http://www.maff.go.jp/j/press/soushoku/ryutu/110603.html

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by pivot_weston | 2011-06-25 16:17 | ブログ

やっと新創刊メルマガのバナーが

貼れた。

前のメルマガのバナーが右側のサイドバーのいちばん上にあって、
だけど、その貼りかたなんて、もうとうに忘れていたものだから、
ずいぶんいい場所に貼ってあるけど、どうやって貼るんだろう、
どうやって消せばいいんだろう、と、
まるでそれが他人の仕業であったかのようにずっと悩みながら、
前のメルマガのバナーを消すのを1日延ばしにしていたけど、
今日、新しいメルマガのバナー設置の案内が来たものだから、
しかたなく、よっこらしょと腰をあげてごそごそしていたら、
なんのことはない、「スキン設定」で「マイスキン編集」をすればいいのだった。

自分で前にやったことがおぼえていられない時代が来たね、
最近は。

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by pivot_weston | 2011-06-25 15:09 | ブログ

もういいかげん

早めに寝て、目がさめたら、朝生テレビをやっていて、
相変わらず、相変わらずの顔ぶれがそろって、
どうすれば菅さんをやめさせられるのか、
の一点について、ああでもない、こうでもないと、
現実の事態を打開することよりも
いかに自分の優秀さや正当性を主張するかのほうに
意識が向かっているような発言を繰り返していた。

みんながおかしくなっているときは、
だれもそのおかしさに気づかなくなるものだろうか。

ただのひとつのテレビ番組と考えればそれでよいのかもしれないが、
何人もの国会議員が出ている以上、
あれが実際の暮らしとまったく無縁の現象ともいっていられない。

いまの日本の停滞のなによりの原因は、
ああして、この国でそれなりの地位を得ている人たちが
緊急事態にいたっても自己主張を繰り返していることにあるのではないか。

必要なのは、黙ってやること、人、モノ、カネを動かすこと、
なにが正しいかとか、
だれが正しいかとか、
だれがトップにいるかとか、
そんなことはみんなどうでもよいのではないか。

65年前に大東亜共栄圏を叫んでいた国内が
「耐えがたきを耐え、しのびがたきをしのび」のひとことで
民主主義の世のなかに変わったときにも、
ああして自分の暮らしを守られているような人たちが
思い思いに自己主張を繰り返すような現象が起きていたのだろうか。

先日も近所の食堂のおばさんと話をしていたら、
「もう日本全国が被災地。とにかく政治家がああだこうだというのをやめて、
やることをやってほしい」
とそのおばさんが声を張りあげた。

余裕のある人たちが「義援金だ」「ボランティアだ」といって、
日常生活の場での消費活動を縮小させれば縮小させるほど、
疲弊する地域がひろがっている現実もある。

みんなが自意識の世界でいい人になることにかまけるより、
必要なのは、これからも国全体が元気でいられるように、
しばしはなにがいいか悪いかなど忘れて、
日常生活のなかで黙々と人、モノ、カネを動かすことではあるまいか。

家族や家をなくした被災地の人たちは気持ちが弱っている。
なんの問題がテーマであれ、どんな悪人がテーマであれ、
人がむなしく言い争いをする姿など、いちばん見たくないはずだ。

何党の人であれ、どういう派閥に属している人であれ、
これまでの自己主張を捨ててみんなで協力している姿が見えてきたときに、
はじめて暮らしの現場からそういう人たちを見ている人たちにも、
ああ、あの人もがんばっているんだなという気持ちが芽生えてきて、
共感の絆ができてくるのではあるまいか。

とにかく、豊かな時代の緊急事態への対処のしかたは難しい
ということをあらためて感じる。
被災者は戦後の焼け跡と同じ環境にいる。
なのに、政治家や評論家たちは豊かな時代にいすわっている。

ちなみに、谷垣さんは、あれはあれで、
やはりひとつの運命を「もっている」人といえるのかもしれない。
背後から押し寄せてくる流れのなかで
政府の震災対策に待ったをかけざるをえなかったのかもしれないが、
いまは深い悲しみや喪失感のなかにいると思う。
こういうときには、みんなのいろんな思いをくんで、
黙って動くことが必要だ。

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by pivot_weston | 2011-06-25 05:16 | ブログ