<   2011年 03月 ( 18 )   > この月の画像一覧


いい人になりたい症候群

「義援金」や「自粛」がどれだけ日本経済を減速させていることか。
それによって、「被災地」の「復興」がどれだけ遅くなることか。

東北高校出身のダルビッシュ君が義援金を出したくなる気持ちはわかるし、
芸能人が避難所に行ってサービスをするのもとてもいい効果があると思うが、
前にも書いたように、
当面の対策費は政府の予備費1800億でしばらく足りる。

いま集めている「義援金」が「被災地」に行くのは
半年くらい先になるのか。

いまわたしたちが何より「被災地」のためにできることは、
バブルのように、いや、バブル以上に金を使うこと
ではないかと思うが、
メディアを通して伝えられる「義援金」の光景が
どうしていいかわからずに右往左往しているわたしたちの行動を
自意識の世界で完結させようとしているように思える。

[PR]

(まったくの)仮説

いまでは定説のように語られているプレート理論も、
わたしが高校時代(40年前)に雑誌『サイエンス』で読んでいたころには、
先駆的な発想の持ち主だったアルフレート・ウェゲナーさんが思いついた
どこやら「お子さま向けのお話」めいた
キワモノのような扱いを受けていたような記憶がある(だから、
一般向けの雑誌に取り上げられていたような記憶が)。

だが、頭の鈍いわたしには、
そのキワモノがみごとに美しく地球を語ってくれているように思えた。
だから、わたしはそれを読んだときからすっかりその信者になってしまった。

以来、
33年前の宮城県沖地震のときも、
16年前の阪神大震災のときも、
大きな地震があるたびに『サイエンス』で読んだその理論を思い出し、
自分なりに地震のメカニズムを頭のなかで整理しながら、
ずっと揺るがずにその信仰心を守りつづけてきて、
今回の地震が起きたときも、
テレビで速報を見ている段階から、頭のなかでは、
地球をつつんでいる板をいろいろに組み合わせていた。

よくわからなかった。

その後の報道かなにかで
今回の地震の前後で石巻が東へ5m移動し、
その南の、福島の海岸線かどこかも東へ2mだか3m移動した
ということを知ったときには、
頭のなかでうまく、そうした変化が起きるようなプレートの動きを
イメージすることができなかった。

でも、静岡大学の小山さんの記事を拝見すると、
ハッと思った。

太平洋プレートの沈みこみの力はすさまじい。
北西太平洋の海底を見ると、
地球のへそであるハワイから千島列島のほうまでえんえんと
かつての「ハワイ」がきれいに一列につらなっている。
「天皇海山列」と呼ばれる海底の死火山の群れだ。

世界の最高峰エベレストをしのぐ大きさの山体を形成するまで噴き出す
「ホットスポット」ハワイのマグマが
まわりの地殻を押しのけ、押しのけしているうちに、
自分でせっせと築いたその山体まで衝き動かし、
千島列島のほうから現在のハワイまで、
時代を追って昔の「ハワイ」がならんでいるのだ。

これを見ると、
太平洋プレートの日本海溝でのもぐりこみの力がいかに強いかは想像できる。

プレート理論がなかば定説のような扱いを受けるようになった現在では、
テレビなどでも、日本周辺で起きる地震は、
この沈みこむ太平洋プレートの上にのっかった
ユーラシアプレートやオホーツクプレートが
ロールが巻き取られるようにして引きずりこまれているうちに、
途中でその巻きこむ力についていけなくなって、
プチンッと跳ね上がって地震が起こる――
というような解説のしかたがされるようになっている。

でも、それだけで今回のように巨大な津波の発生や、
いくら長い地震だったとはいえ、ものの5分や10分で
石巻の町全体が5mも動くような現象を説明できるのだろうか――
そう思っていた。

小山さんの記事によると、どうやらいまでは、
強烈な力で沈みこむ太平洋プレートと面と向き合う
日本列島の東側のオホーツクプレートの縁は、
「三陸沖」「宮城沖」「福島・茨城沖」といった
いってみれば「サブプレート」に分割してとらえられているらしい。

これまでときどきあった、ふつうの大地震では、
これらの「サブプレート」が別々にプチン、プチンと跳ね上がっていた。

ところが、いまたまたまこのへんにある地殻の結束力が強いのだろうか、
今回の地震では、
この「三陸沖」「宮城沖」「福島・茨城沖」の3枚の「サブプレート」が
3枚同時にプチンといった。

やわらかいベニヤ板をじわりじわりと曲げていったときのことを
想像してみよう。
どんどん曲げていくと、メリメリ、バリバリという音がしてきて、
もう耐えられないというところまでいくと、
表面に貼り合わせた板がバリッと裂けて跳ね上がり、
残りのベニヤ板はぐにゃりと曲がる。

跳ね上がった表面の板は、
上にのっていた水を信じられないほどの高さまで押し上げ、
その水のかたまりが地球の重力に引かれるがまま
東北地方の海岸線まで押し寄せた。

それまで、猛烈な力で沈みこむ太平洋プレートにぐいぐいと引っ張られながら
八つ裂きになるような思いで耐えていた表面の板が裂けると、
一気に力のバランスが崩れ、下の板がぐいと引きずりこまれて、
石巻が東へ5m動いた。

鈍いわたしの頭のなかでは、
そんな図が想像された。

各地で地盤沈下現象が起きているのは、
5mも引き伸ばされた表面の板が薄くなったからではあるまいか。

だとすると……
大勢のかたが亡くなったので、
いまはそんなことを考える場合ではないのかもしれないが、
どうしても、地殻の絵物語を想像した頭は「次」のことを考えようとする。

専門家は「余震」と考えていないが、
あの直後に長野でも大きな地震が起きた。
静岡でも起きた。

オホーツクプレートと太平洋プレートとのあいだで力のバランスが崩れたので、
オホーツクプレートの反対側の縁でも力の調整現象が起きているのではあるまいか。

力の調整現象はエンドレスだ。
エンドレスに循環する。

まだ気が早すぎると怒られるかもしれないが、
情け容赦ない自然現象を前にしてプレートの辺境で国を維持していくには、
救難や復興を急ぐ一方で、
「次」への視点ももちつづけていなければならないのではあるまいか。

[PR]

by pivot_weston | 2011-03-24 03:53 | 自然

原発のお尻

原発事故の影響の可能性が派手に喧伝され、
実感のない数字がたくさん飛び交っている。

たしかに、放射能は怖い。

でも、わたしたちの暮らしのなかで、
たしかに放射能の影響として実感できるものはどのようなものか。

核分裂反応を一気に引き起こす装置である
原子爆弾が投下された被爆地広島では、多くの人が亡くなった。

しかし、そこから
中国の人が「川」と呼んだ瀬戸内海を隔てたわたしの郷里では、
ピカドンの光を見たという話を聞いたことはあっても、
放射能の影響で多くの人が亡くなったという話は聞いたことがない。

わたしたちが生まれてからも、
偏西風の風上に当たる中国では、
さかんに核実験が行われていて、
テレビのニュースで中国がまたやったという報道が流れるたびに、
わたしたちは小学校への登下校時に
「傘ささな、頭ハゲるぞ~」といってふざけ合っていた。

それでも、
全国でわたしたちの世代の寿命がとくに短くなっている
という話は聞いたことがない。

わたしが実感している放射能の影響というのはそういうものである。

もちろん、だからといって、
放射能なんて、いくら出たって平気、恐れることはない――
などといいたいのではない。

わたしたちが「放射線」と呼んでいる物理現象を
なかに入れないようにできている大気圏に生まれたわたしたち人類は、
その「放射線」を浴びると影響を受けるような体にできている。

それでも、そういうものを大気圏のなかでつくり出してまで、
わたしたちは自分たちの暮らしを便利にしようとしてきた。

こうしてインターネットでいろんな情報を交換できるようになったのも、
わたしたちがそうして危ない橋をわたってきたからだ。

いま、その橋がぽろりぽろりと欠けていこうとしている。

わたしたちは、怖い、怖いといって萎縮するだけでいいのだろうか。
あ~、危ないからうしろへ下がろうといって、橋のたもとまで戻ったら、
わたしたちはひとまず無事ですむかもしれないが、
原子力という危ない釣り橋がちぎれて落下していく先に
わたしたちの知らないだれかの家があったらどうするのだろう。

東京電力の福島第一原子力発電所をつくり、利用してきたのは、
日本であり、東京だ。

その、つくり、利用してきた人たちが、
怖い、怖いといって、逃げたり避けたりするだけになったら、
大なり小なり世界に影響をおよぼす原子力発電所に
だれが責任をもつのだろう。

このまま事故が悪化して世界に影響が出れば、
これまで東京の利便性を利用して暮らしてきたわたしたちは、
対世界という観点で見れば、被害者ではなく加害者になるのだ。

勇敢に現場に突っ込んでいった東京消防庁のハイパーレスキュー隊は、
そんなわたしたちの代表にすぎない。

これまでさんざん原発の電力を利用して放送してきたマスコミにも、
もっと落ち着いた報道はできないものかと思う。

燃料がなくて、こごえ、亡くなる人がいても、
ガソリンスタンドに車の長蛇の列をつくり、
コンビニの食品売り場の棚をからっぽにする街・東京。
当座の対策費は政府の予備費でも十分にまかなえると思うのに、
スタジオを煌々と照らしながら、まるで免罪符のように、
義捐金の募集を呼びかけるマスコミ。

なんだか、基本的なことが忘れられているように思う。

わたしたちも、もっとどっしりとかまえて、冷静に現実と向き合い、
文明人なら文明人らしく、
きちんとお尻をふいてからトイレを出るようにしたほうがいい。

[PR]

イシイさんのこと

イシイさんという人がいた。

いまでも「淀橋村」と呼ばれ、
小さな民家がぎっしりとひしめく西新宿の一角の、
奥へ奥へと入っていったところで喫茶店をやっていた。

わたしと同年代(50代)、だったと思う。

いまある西新宿小学校は、
旧淀橋第三小学校と旧淀橋第六小学校が合併してできたものだが、
何度目かにおじゃましたとき、
わたしがヨドロク(第六小学校)の話をすると、
「わたしはヨドサンの出身なんですよ」といって、
どこか誇らしげにも見える表情で笑った。

小柄で、眼鏡をかけ、
やや猫背で、奔放な歯並びが口もとからこぼれていた。

生まれも育ちも四国のわたしには、
ヨドサンとヨドロクの関係なんてわからないが、
その瞬間、
まだ子どもたちが石をぶつけあってけんかをしていたような時代に、
大柄な子どもの陰で、ひょい、ひょいと石をよけている少年の姿が
目に浮かんだ。

店には、あまりおじゃまできなかった。

でも、大通りのコンビニの前の信号のところでは、よくお会いした。

最初は、なんだろう、なにを買いに行くのだろう、と思いながら
「ああ、どうも」と会釈をしてすれ違っていた。

でも、たまに店におじゃましているうちに、
ああ、そうか、と思った。

店に行くと、よくテレビで競馬中継をやっていた。
最初は大リーグ中継のこともあったが、
回を重ねるうちに、競馬中継オンリーになっていた。

「どう、最近当たってる?」
自転車と自転車で横断歩道ですれ違うときにそうたずねると、
「へへ、まあ」と、猫背の背中をさらに深くかがめて笑い、
すぐにコンビニの入口のほうへ真剣な眼差しを向けていた。

そんなイシイさんとも、
こちらが引っ越してその横断歩道を使わなくなってから、
まったく会わなくなっていたが、
先日、今度新宿区議に立候補する青年と話しているときに、
「ほら、あそこの喫茶店、行ってる?」ときいたら、
「あ、イシイさん、亡くなったんですよ」という答えが返ってきて、驚いた。

別に、お悔みにうかがうような間柄ではないが、
まさか、である。

今日、散歩をしていたら、前を行くおばあさんがいて、
うしろ姿を見ているうちにイシイさんのおかあさんであることに気づいた。

だから、少し足を速めて近づき、
「あの、イシイさん、亡くなったそうで……」というと、
「ええ、そうなんですよ。クモ膜下出血で。
なかなかお風呂から出てこないと思ったら……」といって、
いったんこわばりかけた頬をまたゆるめ、柔和に目を細めたが、
その笑顔もじきに、風船がしぼんでいくようにうつむきながら曇った。

この西新宿で
いろいろと手をかけ、気を配りながら育てた息子さんだったのだろう。

失われた命は戻ってこない。

明るい日差しのふりそそぐ午後の日なたを遠ざかっていくうしろ姿が、
どこか、幼い息子をつれているようにも見えた。

[PR]

by pivot_weston | 2011-03-19 21:19 | 西新宿

「東北には温泉があるだろう」

今日、どこでだったか、
だれかにそんなことをいわれた。

そうやな、ホンマや――と思ったことだけを
はっきりと記憶している。

電車の間引き運転が始まって
自転車通勤に切り換えて3日たったところで、
10年ほど前に発症した腰椎ヘルニアの痛みが再発した。

それで、今日は昼間の仕事を休ませてもらっていたら、
ちょっとすわりなおそうとした拍子に太腿がつり、
トイレにはいった拍子にふくらはぎがつった。

それで、あ、これは慣れない運動をしたせいばかりじゃないな、
ということに思いがいたった。

節電で、地震が起こってからずっとエアコンをつけていない。

寒い、寒い、寒いと集中力が落ちるなあ、
などと思いながら自宅での仕事をしていた。

きっと、じゃなく、まず間違いなく、
東北の被災者の人はもっと寒いはずだ。

東京の寒さでも、
わたしのようにヘルニアの痛みが再発し、
脚がつって、つって、こちんこちんになりながら
そろりそろりと歩いている人間がいるのだから、
その東北の寒さのもとでは、
もっともっといろんな体の不調を来している人がいるだろう、
と思った。

だから、冒頭に書いたように、だれかがちょっと口にした
表題の言葉がよけいにはっきりと、胸に残った。

温泉代、1泊1万円としても、1万人泊まって1億円。
今回の災害の場合、
政府の災害対策費としては、1人10泊分を負担しても
それほど大きな額にはならないのではあるまいか。

どんな人間にも、ゆるむことは必要だ。
ましてや、どうしても気持ちも体も凝り固まりがちな
寒中の寒い地方の被災者のみなさん。

犠牲になった家族や友人知人のことを考えて
罪の意識にとらわれる恐れはあるかもしれないが、
しばらくたったらみんなで温泉地へ移動してもらい、
しばし身も心もゆるめてもらうのも一案かもしれない。

[PR]

by pivot_weston | 2011-03-18 23:49 | ブログ

第一の緊急援助物資は燃料

食べ物も大切。
飲み水も大切。
毛布も衣類も大切。
でも、それらを届けるためにも、
今回の地震の場合、
いまなにより援助する側が意識していなければならないのは
燃料ではないか。

自転車通勤に切り換えて2日目。
昨夜は風も強かったし、前夜よりかなり寒さが厳しかった。

でも、東京の寒さ。
東北の避難所にいる人たちの現状を想像し、
「寒い」と言うまい、体をふるわすまいと
自分に言い聞かせながら帰ってきたが、
やはり何度か身震いし、手もポケットに突っ込み、
自宅のある新宿の街に入ったころには、思わず「さむいい~」の声も出た。

義捐金を送るのもいい。
でも、地震発生からまだ1週間もたたない。
政府も予備費が2000億あると言っていることだし、
避難所においてお金のもつ意味は、まだそれほど大きくない。

燃料だ、燃料。
不安にかられて買いだめをするのをやめ、
まず燃料を支援しよう。

[PR]

by pivot_weston | 2011-03-17 06:22 | ブログ

放射線だって

これまでわたしたちの暮らしを支えてきてくれたものだ。
東京の人には、とくにそれがいえると思う。
それが、わたしたちの文明生活の現実だ。

都合のいいときには利用するだけ利用して、
都合が悪くなったらさっさと逃げ出すというのは
どうなのか。

データを理性的に判断して、
ひとりひとりががんばれるところまでがんばるのが、
現場でわたしたちの文明生活がもたらしたものと立ち向かう
作業員の人たちの背なかに送るエールになるのではないのか。

日本人は「和」の精神を美徳とするという。
それなら、いまこそ、
ひとりひとりが自分のポジションで踏みとどまり、
現場の作業員の人たちに、
おれたちもいるぞ、おれたちもいっしょに戦っているぞ、
というメッセージを送ろうではないかと思う。

[PR]

by pivot_weston | 2011-03-16 07:50 | ブログ

不必要な買い占め、買いだめはやめよう

わたしたちが試されているのは、理性だ。

不安のなかで、どう理性を維持するか、
それが、ここまで一面の理性で快適に構築してきた
現代社会を生きるわたしたちに求められている課題だ。

周囲の自然は、
わたしたちが理性的な社会に生きていようが
どういう社会に生きていようが
変わらない。

快適さを構築する理性だけを発揮して、
それと表裏一体で求められるもう一面の理性を発揮するのを回避していたら、
わたしたちの存在は、半面だけの、アンバランスなものになる。

食料品や生活物資などの商品を前にして、
いま自分がこれを買ったらどうなるのか、
買うのがいいのか悪いのか、
いまの自分はそこまで逼迫しているのかどうなのか、
そんな問いかけをする場面が
わたしたちのまず第一のがんばりどころとなり、
そこで理性を発揮できたら、
その結果は間違いなく被災者たちの救援につながっていく。

[PR]

by pivot_weston | 2011-03-16 07:31 | ブログ

わたしたちが試されるとき

今回の地震では、
従来の「被災地」の枠組みの設定のしかたを適用するのは
適切ではない。

とりわけ、福島原発の問題に関しては、
それが言える。

メディアは従来のスタンスで
放射能汚染の問題にばかり注目し、
従来の概念でいう「被災地」福島の避難者の厳しい現実と
行政の対応の悪さばかりを強調しているが、
東電福島原発が生産していた電力の主たるユーザは東京であり、
そこで莫大な電力を消費してきたのが放送メディアである。

つまり、福島原発の問題は福島だけの問題ではなく、
これまで福島の人たちに原発という施設を受け入れてもらって
快適な文明生活を享受してきた首都東京の問題でもあるのであり、
わたしたち東京に暮らす人全員も「被災者」としての意識をもつ必要がある。

今回の地震災害はまだ固定されたわけではない。
いまだに拡大を続けている。

いま、朝から晩までテレビの画面に映し出されている地域に
お金をつぎ込めばそれで乗り越えられるというものではない。
実質的な被災地は、国の心臓部である首都東京を始め、
テレビに映し出されていないところにもたくさんある。

それを自覚し、生活していかなければならない。

エネルギーは、文字どおりわたしたちの生活の活力源である。

放射能汚染を最小限にとどめるために最大限の努力をしながらも、
同時に、限られたエネルギーをフルに有効活用しながら、
決して萎縮することなく、すぐに経済を活性化する努力を始めなければならない。

これは、政府にまかせてやってもらえることではない。
わたしたちひとりひとりが取り組まなければできないことだ。

亡くなった多くのかたがたの命をむだにしないためにも、
日本という国のためにも、
また、これまで少なからぬ部分を日本が支えてきた世界のためにも、
わたしたちひとりひとりが、いますぐに取り組まなければ問題だと思う。

[PR]

タタタタタッ

このところ、毎晩、そんな足音のする
ミニマラソンをやっている。

前を行くのは2歳の坊や。

やれやれ、息が切れる。
だが、それで昼間にたまった頭のなかのモヤモヤも吹っ切れる。

老化防止と健康維持にはベストプラクティスか。

[PR]

by pivot_weston | 2011-03-11 06:49 | ブログ