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またひとつの死

自宅の近所の同級生の奥さんが亡くなったらしい。

がんだ。

もしかすると、
彼らの闘病のプロセスでは、
10年ほど先んじた、わたしたちの影もちらついていたかもしれない。

亡妻と仲のよかった奥さんでもあった。

同級生は、奥さんが追いつめられてきたとき、
3度ほど、道路に大の字になって自殺を試みたのだという。

小学校5年生のころ、町の学校から転校してきて、
「よそ者」といじめられることへの怒りをわたしにぶつけてきて、
理科室の前で20発ほど、わたしの頬を張り飛ばしたやつでもある。

最初は「なんでや」といって、
目尻をつり上げてなぐってきたが、
3発目か4発目には、もうその目に涙が浮かんでいて、
20発ほどなぐってへとへとになったころには、
もう泣きじゃくって、ぐちゃぐちゃになっていた。

近所では、「大の字」が奇行と受けとめられているらしい。

そんなことはない。
そんなもんだ。
不謹慎かもしれないが、
人間的な同級生の存在に
救いやうれしさを感じる。

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by pivot_weston | 2010-08-18 05:51 | ブログ

時代の傾向

ひとつの時代の傾向が見えてきた。

いまは学校やマスコミやその他の出版物の価値基準や価値判断を支えに生きている
大人ちゃんたちの時代だ。
多くの人が、そういう基準だの判断だのを自分に都合よく寄せ集め、
積み木のように組み立てて、
自分というものを形成している。

でも、学校もマスコミもその他の出版物も
みな所詮は疑似的なものだ。
現実の人生の参考や肥やしにするのは問題なくても、
そっちを中心に現実の人生を構築しようとすると、
そっちの枠と現実の人生とのあいだには、いっぱい、あちこちにすきまがあって、
おかしくなる。

むりやり、
現実を自分のオツムのなかにできあがった枠組みに押しこめようとしている人がいる。
自分のオツムのなかの枠組みにおさまりきらないものはちょん切ろうとしている人もいる。
自分のオツムのなかの枠組みにおさまりきらないものにぶつかると、
その枠組みの安寧を保つため、
懸命に闘争をはじめる人もいる。

みな、ごくごく自然なこと。
学校をちゃんと卒業し、世のなかもちゃんと生きてきた大人ちゃんたちは、
自分の積み木が崩れてしまってはたまったものではないので、
そんな小役人的な心の動きを疑問に思おうともしない。

でも、
この世のなかの実態を構成すると思われる無数の人と人との境界線は、
積み木のように硬直してはいない。
みな、本来、とらえどころがなく、ふわふわで、あいまいで、ぐちゃぐちゃしている。

平和になり、教育が進み、豊かになるというのは、
ひとつには、こういうことなのだろう。
のびのび、ぐんぐんとふくらんでいた集団の独創性や潜在能力というのは、
勝手に内部からブレーキがかかって衰微し、霧消していくものなのだろう。

平和で豊かな時代に大量発生する大人ちゃんたちは
本来のびのびとした人間集団の成長や発展の阻害因子だ。
若い人たちはどんどん大人ちゃんたちのチンケな積み木をぶっつぶしていったほうがいい。

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by pivot_weston | 2010-08-18 05:49 | ブログ

見残していた分野へ

ほんとうに、人生とは、いろんなことがあるものだ。

月曜日から、いっときのピンチヒッターではあるが、
衆議院議員の政策秘書をやることになった。

そうして、生活しているうちに頭のなかでなにかにぶつかるたびに、
あ、これからこういうことはしなきゃいけないんだな、とか、
あ、これからこういうことはしちゃいけないんだな、などと考えていると、
これまでも同じ議員の応援をしてきたが、
立場が秘書に変わるだけで
視野、というか、目の向けかたを180度近く変えなきゃいけないことを感じる。

20代のころには、3年間に8回転職したことがあったし、
その後のフリーランス人生でも、
やる仕事やる仕事がそのつど新しい仕事のようなところがあったので、
ずいぶんいろんな世界をのぞいてきたような感覚があったが、
あ、そういや、政治の内側の世界はまだ見残していた分野のひとつだったか、
という気がしないでもない。

いずれにせよ、わけあっての「いっときのピンチヒッター」だから、
相変わらず、一方で生活を確保しながらの綱渡り人生はそのままだ。

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by pivot_weston | 2010-08-01 11:54 | ブログ