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コブクロ

いまごろ、こんなことを書くと笑われるのかもしれないが、
コブクロというのはいいね。

今日は朝から腰が痛い。

それでも、締め切りがあるから
がんばって机に向かっていたけど、
鈍い、でも、消えない痛みが
間接的に体のまわりに倦怠の蔓を這わせてきて、
どうにもやり場のない疲労のようなものを感じたので、
しかたがないから床に横になって
テレビを見ていたら、
コブクロというふたり組が歌をうたっていた。

確か、前に息子や娘がこの人たちの話をしていたか――
という程度の認知はしていたが、
ちゃんと歌を聴くのははじめてだ。

床にへばりつくように寝ているしかない腰の痛みが
その歌に聴き入らせてくれた。

へえ、こんなふうに言葉を使う人たちがいるのか、
と思った。

まるで9月19日付の「西行の富士」に紹介した
西行の言葉のように、
言葉がべったりと1列には並ばず、
ひらひらと空間を舞い落ちる木の葉のように、
右から左から、また、上から下からと
くっつき合い、重なり合い、また、適当にすきまも保ちながら、
聴き手を取り巻く空間にひろがって、
その空間全体をひとつの表現にしている。

感心した。
『蕾』という歌は紅白歌合戦でもやったらしいので、
もうとっくに国民に認知されている人たちなのだろうが、
わたしもこれからそんな国民の仲間入りをするとしよう。

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by pivot_weston | 2009-09-29 16:29 | 音楽

今日の日経から

1面の「底入れ景気 持続に関門 成長復帰 政策が支え」。

道理だ。
でも、もうやめようよ、そういう考えかたは、とも思う。

人が幸福に生きていくことは必要と思えても、
「成長」は、必ずしも必要とは思えない。

人がひとりひとりよく考え、
肌身に合った生きかたを営んでいく。
そして、その結果、
経済をひとりひとりの人生にぴったりとフィットさせ、
経済のスマートグリッド化をはかる――
これからの時代に求められるのは
そういう姿勢ではないかと思う。

3面の「鳩山政権と景気 指導力発揮なら需要回復」
という、イー・モバイル会長兼CEO千本倖夫さんの談話記事。

へえ、この人、いいこと言う。

「鳩山政権の政策に成長戦略が見えないとの声があります」との問いに、
「政権が変わっただけでも効果がある」。

同感、同感、まったく同感。

この人はこれからの時代を引っ張る力があるな、と思う。
みなさんもぜひこの記事をご一読を。

6面の「台湾企業が電気自動車 最大手の裕隆集団傘下 来年末にも量産」。

おゝ、やれ、やれ。
これまで世界の経済を裏で支えてきた台湾だ。
表に出てやれないことはなにもないさ。

12面の「がん、幹細胞狙い再発防ぐ 「元凶」の研究 相次ぎ成果」。

あ、なるほど、そこを攻撃する手があるのか、
という記事。

みんな、人の命を長期化することに努力している。
結局のところは、その結果ではなく、そのプロセスが重要なんだ、
と大切な命を失った経験者は思う。

21面の「実践女子大学・短大 渋谷移転で受験生確保」。

え、あ、実践女子大は渋谷の学校ではなかったのか。
いまからおよそ30年前、
実践女子中・高と東京女学館と聖心女子の女の子のなかに埋まって
「学バス」と称する広尾行きのバスで会社に通った者としては、
意外や意外の記事。

30~31面の「五輪レース 最終決戦 魅力アピール 最高潮」。

なんでいま東京、なの?
地球温暖化ガスの排出量削減にも新興国の協力が必須と思うなら、
どうして新興国で開催させてあげて、
それを全面的にバックアップしようとしないのだろう。

「東京五輪招致の計画専門委員会のメンバー」とやらの
京都造形芸術大教授の意見が紹介されているが、
この人、1959年生まれのせいか、
1964年の東京オリンピックがどういうイベントだったか、
もしかすると、まるでわかっていないのではないか、と思う。

「先進国」がたらいまわしで利用するイベントではない、
と思う。

あのときの聖火最終ランナーの坂井義則さんはどう言うだろう。

フジテレビの部長時代、
新宿のちっぽけな飲み屋さんでお会いしたとき、
「あのときはつらかったでしょう」と言うと、
坂井さんは涙を流して泣いた。

あの人にもう一度聖火最終ランナーをやらせてあげたい、
とは思うが、
東京も大人になったのなら次に譲れ――とも思う。

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by pivot_weston | 2009-09-28 23:54 | 日経新聞

困ったときの視野

困ったときのことを書いたら、
もうひとつ頭に浮かんだことがある。

困ったときの視野、だ。

よく、
人は困ったことにぶつかると
視野狭窄に陥ると言われる。

たとえば、
なんで自分ばかりがこんな目に――と思い、
狭くて暗いツボのなかで、クソッタレ、クソッタレと
つぶやいているような状況だ。

ちょっと不健康、
なんとかしたほうがいいよ――と言って、
まわりの人は声をかける。

確かに、そういう一面はある。

でも、わたしは、
全部が全部、悪い状況とは思わない。

世のなかの広さは、
いつでも、誰にとっても、変わらない。

問題は、自分の世界と外の世界の境界線をどこに引くかだが、
上に書いた視野狭窄に陥っているような人は、
自分の世界の境界線が極度に収縮し、
狭くて暗いドツボに陥っている。

でも、ほら、世のなかの広さは変わらないわけだから、
振り返ったら、その分、
外の世界は視野狭窄に陥っていない人よりひろがっている。

「かごめかごめ」にたとえられるだろうか。

オニになった子は、
輪になった友だちたちのなかでひとりしゃがんでうつむき、
手で目をふさいでいる。

クソッ、クソッ、なんでおれが――で、
まわりの子たちは、イヒヒ、ちょっと意地悪をしてやれ――
といったところかもしれない。

で、パッと目をあけて振り返る。

いろんな子の顔が見える。
いろんな子の性格も見える。
いろんな子の自分に対する姿勢も見える。

でも、「いろんな子」はほとんどオニの自分しか見ていない。

お、なんだ、こっちのほうが広い世界を見てんじゃんか
――そう思える瞬間が訪れる。

妻ががんを発症し、ほとんどつきっきりで伴走していたころ、
よくこれに似た経験をした。

6月14日付の「思い出すままに」に書いたKさんのように、
困った状況でプレーンな視野をもって生きていこうとする人たちに
お会いできたおかげかもしれない。

そう、困った状況に陥り、視野狭窄に陥ったときというのは、
振り返ると、案外、とても広い視野を見渡せるのだ。
その視野は、困っていなかったときより広い。

そういう意味では、チャンスなのだ。

世間で困った状況をくぐり抜けてきた人の話を聞いていると、
これに類する話をしていることが多い。

昨夜のテレビでも、王さんと長嶋さんをやっていた。
ふたりは、困った状況に陥るときまでセットで
わたしたちになにかを語りかけてくれる運命にあるのかもしれないが、
どちらも、やっぱりすごい。
やっぱり、われらの背番号1と3だ。

ふたりがスーパースターの壇上から降り、
それぞれひとりの老人として人間性に円熟味を増していくのを見ると、
なんだかうれしくなる。

で、要するに、なにが言いたいのかと言うと、
先のKさんの言葉の引用になるが、
「ま、ええがな。ええがな。さ、みんな、今日もがんばっていこーぜー!」
なのだ。

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by pivot_weston | 2009-09-28 11:08 | ブログ

困ったときはひとつずつ

頭と体がバラバラだ。

このところ、
頭のなかで生活のスケジュールを描いても、
体がついてこないことが多くなった。

よく眠れることは、
ひところの状況から考えると、とてもいいことだと思うのだが、
「とてもいいこと」だけでは暮らしがまわっていかない。

頭のなかのスケジュールの描きかたを変えなければならない
のかとも思うが、
そんなグランドプランを考える前に、
目の前に迫ってくる課題をこなしていかなければならない。

10時間の仕事に20時間もかけるような仕事のしかたも、
自分の分や能力を心得て、
あらためていかなければならないのかもしれない。

ともあれ、
ちゃんと焦点を絞って目の前のものを見ようとすると、
いつでも見えるのはひとつの課題だけ。

困ったときは、四の五の考えるより
その課題をひとつずつ見て、ひとつずつこなしていくのがいちばんだ。

昨日も、ある若いスポーツ選手の言葉に
自分のヒントになりそうな言葉があった。
それを頭のなかで唱えながら、ひとつ、ひとつ、
といくとしよう。

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by pivot_weston | 2009-09-28 08:39 | 仕事

今日の日経から

2面の「ダムが映す政治の景色」。

このところ毎日テレビのニュースをにぎわせているダム問題だが、
この記事を読むと、
景気対策としての公共工事がなぜ問題かがよくわかる。

支持率が低下してきた前政権の麻生首相は、
なにかというと「景気対策」「景気対策」と言うようになったが、
これまでの公共工事のような創作事業、
つまり、自発的な需要や発想を前提としない事業では、
いつまでたっても国民の経済単位としての自立性は育ってこない。

政治家や官僚が大所高所から国民を
ただ流し込んだ金を循環させるパイプのようにしか見ていなかった
ことがよくわかる。

多くの人が認めているように、
戦後の日本は資本主義国家というより社会主義国家に近く、
世界でもっとも社会主義に成功した国が日本だ。

レーニンや、スターリンや、毛沢東がやろうとしてできなかったことを
この国は軽々とやってのけている。

でも、それはアメリカの庇護があったからできたことだし、
許されたこと。
アメリカの庇護から抜け、国民ひとりひとりが
自立した経済単位となっていくには、
これまでの公共工事のようなお仕着せの景気対策を繰り返していてはいけない。

いつまでたっても国民ひとりひとりの自立した経済推進能力は育ってこない。

リーマンショックのようなことが起こると、
いつもすぐに資本主義が問題だとか、市場原理主義が問題だとかと言われるが、
あれは、市場原理主義の問題ではなく、
どんなに大企業の経営者が手にする巨額の金も、
すべては現場で働く人たちの努力によって生み出されたものだという
資本主義の解釈に厳密さが欠けているがゆえの問題だと思う。

政治家や官僚が国民の経済推進能力涵養効果のない経済対策を繰り返す
ようなことをしていたから、
ベンチャービジネスが育たないこの国の体質もできたのだと思う。

3面の「北極海新航路の波紋」。

これはおもしろい。

地球温暖化の影響か、
かつては氷に閉ざされていた北極海に海上輸送航路が開け、
ヨーロッパとの間で物資のやりとりをするのに、
もうスエズ運河はいらなくなるかもしれないのだという。

なにやら、これまでの世界のパラダイムがきしみを立てて
大きく動きだしているような印象を受ける。

最初に書いた公共工事問題も含め、
これまで重苦しい平衡状態を続けていた固溶体が
いちどきにその平衡を脱し、新たな平衡状態に移行しようとしているようにも見える。

シベリアには、永久凍土に覆われている地域が少なからずあるので、
気温が上昇したからといってすぐに開発可能になるわけではないだろうが、
いざという場合、人間が居住地域全体を極地方寄りにスライドさせて
温暖化に対応するという手もあるか、とは思える。

同じ面の「米銀に追加出資 三菱UFJ発表」。

このところ毎日、
三菱UFJフィナンシャル・グループの社長の畔柳信雄さんが
日経の紙面に登場している。

大きな資金を委ねられる人には、
大きく、かつ複雑な舵取りを求められているのがよくわかる。
不良債権処理に窮したアメリカ地銀ユニオン・バンクへの追加出資は
巨大化した青写真の「穴ふさぎ」か。
世界に張り巡らしたパイプラインの1点の穴にまで気を配るのは
たいへんだ。

7面の「双日、中国で工場排水浄化」。

へえ、双日という会社なんて知らなかった。

あ、ニチメンと日商岩井が経営統合した会社なのか。
なるほど。

これでいよいよ、
「北水南調」(水量豊かな長江の水を水不足に悩む北部に引く計画)という
やや劇画じみた計画をもっていた中国も、
現実的な水対策に動きだすのだろうか。

水処理ビジネスがこれからの世界の巨大ビジネスのひとつになる
と言われているのを裏付ける
最初の事業になるかもしれない。

11面の「頭で念じてモノを動かすブレイン・マシン・インターフェース
「脳信号で操作」実用へ前進」。

どういうわけか、わたしは
オリーブ橋小脳委縮症と
先天性ミオパチーという、
いずれも体の自由を奪う病気を
家族の問題として考えていかなければならない立場になっているので、
これは興味深い。

いまは脳に直接電極を貼りつけているらしいが、
なんとか頭の外側から貼りつけるだけですむようにはならないものか、
と思う。

23面の「ソイル&ピンプ、ジャズ界に旋風 爆音がもたらす高揚」。

すごいな。
日本にこんなバンドがいるんだ。

でも、残念ながら、パンクをしのぐ破壊力には興味があっても、
年をとったせいか、いや、年をとる前からだが、
「爆音」はどうも生理的に苦手だ。

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by pivot_weston | 2009-09-27 21:38 | 日経新聞

おとといの日経から

このところ、
あまり新聞に目を通す時間がなかったが、
たまっていた新聞をぱらぱらとやっていたら、
またしばらくぶりに、原真子さんの
フィギュアスケートの高橋大輔選手の取材記事が載っていた。

どうやら、
原真子さんという書き手は、
日経の社員なのか、フリーのジャーナリストなのか知らないが、
ずっと高橋選手のことを追いかけて取材しているらしい。

この前の高橋選手の記事もそうだが、
ちゃんと高橋選手自身が書いた題字まである。

日経がどうして高橋選手に目をつけたのか、
そのへんに興味をひかれるが、
この原真子さんという書き手も、
サッカー記事の阿刀田寛さんと同様、
なかなかの文章家だ。

阿刀田さんの記事が言語感覚にすぐれているとすると、
原さんの記事は取材の密度がなかなかのものだ。

これだけの記事は、
かなり密着して、しかも、
かなり細かいところまで気を配っていないと
書けない。

今回の記事でいちばん印象に残ったのは、
「充実してるから1人でも落ち着いていられる」
という高橋選手の言葉か。

おそらく、一字一句、忠実に書きとめたものだろう。

取材対象の口からこういう言葉がぽろりと漏れたときに、
すかさずそれをキャッチし、その言葉の主旨ではなく、
表現の意味をつかみとるには、
取材対象に対する深い理解が必要だろう。

「スピンのやり方は「遠心力とスピンに入るスピードを
キャッチな感じで、ヒュークイッ、ですかね」
という高橋選手の言葉の引用もおもしろい。

前にも書いたが、
高橋選手は、浅田真央さんをはじめとする
ほかのフィギュアスケートの選手からは感じとれないものを
発散している。

それがなにか、明確にはまだ言えないが、
おじさんたちの新聞、日経も
そこらへんに目をつけたのかもしれない。

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by pivot_weston | 2009-09-27 08:58 | 日経新聞

うしろ姿が物語るもの

昨日は珍しく、
あるところで
前を歩く人のうしろ姿に見入ってしまった。

自分のうしろ姿を
客観的に把握して生活している人は、
おそらくそう多くはないだろう。

それだから、
と言えるのか、
うしろ姿には、
いろんなものが表れている。

性格、
気分、
来歴、
……。

わたしが見入ったうしろ姿に、
とくになにが表れていたというわけではないのだが、
なんとなく、
なるほどな、という気分にさせられた。

うしろ姿が物語るものの多い人と少ない人の
どちらになりたいかと訊かれれば、
答えは「多い人」になるか。

近ごろでは、
道で前を行く人のなかに
背が高くて脚のすらりとした若い女の人が多いが、
ああいううしろ姿は、ひと目見れば充分だ。

見た目のバランスがとれても、
おもしろみ、つまり、物語るものの豊かさがないのでは、
つまらない。

「均整」は「豊かさ」の敵かもしれない。

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by pivot_weston | 2009-09-27 08:32 | ブログ

ジャーナリストの勘

テレビでジャーナリストの人が話すのを見ていて、
ふと、
ある作家兼ジャーナリストさんのもとで
太平洋戦争開戦前の状況を描き出す本
の制作を手伝っていたときのことを思い出した。

その少し前、
わたしは友だちのトムさんが運転する車で
アメリカのカリフォルニア州の太平洋岸に沿って
州道1号線を走っていた。

風向明媚な岩石海岸ビッグ・サー
を過ぎたあたりだったか、
それとも、スペイン風の美しい町
サン・ルイス・オビスポにさしかかる手前だったか、
ともかく、なにもない砂地の海岸線が続いているあたりで、
いきなり現れた「ゴルフの打ちっぱなしのネット」にぎょっとした。

あ、いや、
わたしがそう感じただけで、
実際には「ゴルフの打ちっぱなしのネット」など
あるはずもない場所だったのだが、
「なーに、これ?」と尋ねたわたしに
トムさんは「レーダーだよ」と答えた。

そういえば、海岸線に並んだその「ネット」は、
みな海、つまり太平洋のほうへ向いている。

だから、あっ、と思い、
「もしかして、対日本軍用の?」と訊いたら、
「そう」と言う。

へえ、と思った。
戦争中、アメリカは余裕でかまえていたのかと思っていたので、
海岸線に巨大な「ネット」を立てて、
日本軍機の襲来に備えていたというのは
とても意外だった。

おもしろい、
これはどこかで使える情報だと思った。

だから、その本の制作スタッフの合宿のときに、
中心になるその作家兼ジャーナリストさんに
その話を伝えた。

「そんなの、ウソだ。
ウソに決まっているじゃないか。
あの時代にレーダーなんてなかったよ」
と言う。

む。

おもしろい情報だと思っていたところへそう来ては、
ちょいと不満が頭をもたげてくる。

「いや、でも、ほんとに……」と反論を試みたが、
結局、そのネタは使われずに、風と消えた。

たぶん、トムさんがウソ、というか、
間違って仕込んだ話をしてくれたのだろう、
と、いまでは思っている。

ただ、このときの作家兼ジャーナリストさんとのやりとりは、
どこかでジャーナリストさんを見たり、
ジャーナリストさんの書いたものを読んだりしているときに
よくよみがえってくる。

そして、そのつど、
わたしも若いころに雑誌記者をしていた時代があったが、
あのまま記者になろうとしなくてよかった、と感じる。

わたしは、ことの真偽よりおもしろさにひかれる。
要するに、早い話が、かなりいいかげんな人間だ。

その点、ジャーナリストとしてひとり立ちしている人たちは、
みなkeenな嗅覚をもっている。
もちろん、なにごとについても、あとでウラをとるのだろうが、
まず最初に遭遇した場面で、
こら違う――と判断できる嗅覚をもっている。

ジャーナリストになる人のいちばん大切な特性のひとつだろう。
わたしもできればそういうものをもてるようになりたい、
と思っていた時期もあるが、
そう思う端から
根も葉もない(かもしれない)おもしろさにひかれていってしまう。

まあ、そういう人間も
生きていってはいけないとは誰も言っていないだろうから、
しかたないか、と思っているのだが。

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by pivot_weston | 2009-09-26 07:38 | 仕事

殺処分

昨夜、テレビをつけていたら、
フジテレビの滝川クリステルさんのニュース番組で
飼育放棄された犬の殺処分の現場の映像を流していた。

ほんとうに、
何頭もの犬がかたまって狭い部屋に閉じ込められ、
二酸化炭素を吸い込まされて
動きを止めるまでの映像だ。

犬を物かなにかのように買ってきて、
飼育放棄する人たちに変化を求めて
効果があるかどうかはわからない。

ただ、その一方で、
いまの世のなかが寛容さをなくしているのも事実だと思う。

わたしたちが子どものころにたくさんいた野良犬は、
いまはいてはいけないことになっている。

犬は、「かわいいペット」としてしか
存在を認められないことになっている。

クリステルさんは
いまにも涙ぐみそうな顔で
その映像にコメントをつけていたが、
その局は、毎朝「今日のわんこ」とかいって、
犬を「かわいい」イメージに押し込めるような
映像を流している。

犬にだってナチュラルな表現機会を与えてやってもいいのではないか。
犬に起きていることは人間にも起きている。
いま考えないと、
いずれは人間も、死刑囚に限らず、殺処分することになるかもしれない。

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なんで怒り?

八ッ場ダムの工事中止問題で
地元の町長さんやなんかが怒っている。

マスコミの人もその怒りの言葉を
「重い言葉」とかなんとか言っている。

でも、どうなのだろう。

戦後の自民党政治は、
ともかく国民を豊かにすればいいということで、
自然発生的に仕事の需要が湧いてこないところにも、
そんな需要が湧いてくるのを辛抱強く待たず、
果たして必要かどうかわからない工事を創作し、
お金をまわしてきた。

そして、その見返りとして、票を得てきた。

実体のない経済というのは、
こういうものも言うのではないだろうか。

資本主義ではなく、
社会主義がもたらした富だ。

わたしの自宅がある四国などでも、
田圃の畦道のようなところまで舗装が進み、
それに類する富が生み出されている。

もう世界の先頭に立ち、
他国の庇護を受けていられなくなった日本は、
なにごとにも自立を求められ、
そういう実体のない経済を支えている余裕はなくなっている。

そんなことは、
町長という政治職にある人ならわかっているはずではないか。

怒っているひまがあれば、
これまで実体のない経済に安住し、
政権が変わったら消えてなくなるような事業に依存し、
自然な経済を養ってこなかった
政治家としての不明を顧みるべきではないのか、
と素朴に思うのだが。

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