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いい感じ

なにやら、
政権交代が実現する見込みになって、
まだ一夜明けたばかりだけど、
いい感じ。

夜なかに田原総一郎さんの討論番組を見ていたら、
民主党の人ばかりか、
自民党の人までが
どこか長年の憑き物が落ちたみたいに
いい感じで、
静かに議論ができていた。

みんながしきたりや習わしとして存在するのではなく、
ふつうの人として、
素の言葉でやりとりする時代が来てくれたらいい。

楽天的すぎるのかもしれないけど、
今朝はとにかくそう思う。

固定化された枠組みは、
その内側にいる人も縛るものだということが
よくわかった。

世のなかには、
どちらが勝ったとか、負けたとかではなく、
素の人と素の人が織りなす自然な変化のダイナミズムが
つねに必要なのだと思う。

子どものころから50年、
動かぬ存在だった自民党が動くものである
ことがわかっただけでもうれしい。

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by pivot_weston | 2009-08-31 08:42 | ブログ

騒いでいる場合か

さっき、テレビを見ていたら、
「歴史の変化」とかいう言葉が飛び交っていて、
ずいぶん騒いでいたみたいだけど、
そんなに騒いでいる場合だろうか。

歴史は変化するのがあたりまえだし、
この国の政治が、この世のなかではしごくあたりまえな
その変化という現象をようやく受け入れようとしている
というだけの話ではないのか。

アフガニスタンやイラクでは、
今日も殺傷兵器によって人が死んでいる。

選挙に勝ったら万歳をして大騒ぎをする――というのは、
がんばってきた人にとっては、やはり避けて通れないことなのかもしれないけど、
どこか旧時代の自民党のパターンのような気がするし、
変化はその周辺にいる人たちに注意を喚起し、
その人たちを繊細にするものだと思う。
大騒ぎをしている周辺にも、
きっといま現在、深刻な問題がいっぱいころがっていると思う。

新しい時代には、ひとりくらいは、
当選後にマスコミになにを訊かれてもさらりと受け流し、
「さ、仕事、仕事」と言うような人がいてくれてもいいような気もする。

きっと、これからは、大方の予想どおり
素人集団の民主党やそれがらみの大失態や混乱がいろいろと起きてくるだろう。

そのとき、わたしたちは
政治家の責任と国民の責任をきちんと区別することを覚えなければならない。

これまでの自民党固定型政治は、
そんな根本的なことまで見えにくくしてしまっている。

いま、世のなかでaddictと言えば、酒井法子さんのことになるのかもしれないが、
なにかにaddictしてきたのは、酒井法子さんだけではない。
彼女が覚醒剤へのaddictから抜け出せるかどうかを問われているように、
わたしたちも不自然な固定型自民党政治へのaddictから抜け出せるかどうかを
問われているのだと思う。

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親ゆずりの異変――か?

このところ、
少し自分のキャラクターが変化してきたように感じている。

赤ん坊に好かれる。

おかしい。

姉ひとり、弟ひとりの末っ子として育ち、
たえずいっしょに遊んでいた母の実家のふたりのいとこと合わせても、
4人きょうだいの末っ子のような存在として育ったせいか、
3月23日付の「友の死」に書いた「ひさっさん」のような人はいたけど、
どうも年下、とりわけ赤ん坊は苦手だったはずなのに。

まあ、自分の子どもを3人も育ててきたのだから、
こうなるのも無理はないのかもしれないが、
娘の子どものダイゴーくんはともかく、
また、毎日会っているチンさんの子どものヨシカーツくんもともかく、
昨夜は、
木下先生の建築事務所の宴会に来ていた
元社員さんの娘さんにまで、にこっとほほえみをふりまかれた。

まだ5か月の赤ん坊。
おかあさんにだっこされ、べそをかきそうになっていたときに、
目が合うと、にこっ、だ。

やれやれ、どうしたことか。

思えば、わたしの「子ども苦手」に変化の兆しが見えてきたのは、
大学時代に、おととい会ったいとこと四国で合流したときだったか。
このいとこ、マサトくんともうひとり、別の叔父さんの息子のマサオくん、
このふたりをつれて歩いていると、なぜか受けがよかった。

同じ大学生の別のいとこの友人に、
つれていたふたりのことを「お子さんですか?」と訊かれたのには、
さすがに、おい、年が10歳ちょいしか違わないのに、それはないだろう、
と思ったが、なんとなく、子どもをつれていることに違和感を感じなくなった
始まりかもしれない。

そういや、父も3人兄弟の末っ子だったせいか、
あまり子どものことが得意ではなさそうだった。

いつも、わたしには距離を置いて接しているように感じていた。

もちろん、PTAの参観日などにも、来ることはなかった。

ところが、4年生のころだったか、
参観日に、どうせうちの親は来ていないだろうと思ってうしろを振り返ったら、
ギョロ目がトレードマークのおやじがいた。
黒い革のジャンパーに黒い革のズボンをはき、
髪をオールバックにして、両手をポケットに突っ込み、
着物姿のおかあさんたちのなかで、カッとその目を見開いている。

ギャッ、と思い、肩をすくめて前を向き、
もうあとは決してうしろを振り返ることはなかった。

どうも、子どものいる場にはそぐわない人だよな――そう思っていた。

ところが、その年の夏休みだったか、
神社の集会場で開かれた地域の子ども会の集まりに、
いきなりそのおやじが司会者として登場した。

家では、なにも言っていなかったので、
ほんとうに驚いたが、
その、子どものいる場にはそぐわない気がしていたおやじが、いきなり、
「おっさんはのう、あんまりこういうことには慣れとらんけど、なんでも言うてくれよ」
と言って、集まっていた子どもの心をつかんだ。

「えー、それでは、ただいまより……」
という紋切り型のあいさつで始まるのが恒例の会だ。
いきなり方言で、ふだんの暮らしのなかの言葉のままで切り出したおやじに、
みんなの注意が一気に吸い寄せられるのがわかった。

ありゃ、この人、こんな芸もできるんやないか――
息子はそう思った。
自分に距離を置いているように思えていたおやじを見直したときだ。

無理もない。
当時のおやじは、あとで事情を知ってみると、
結核を患い、銀行での昇進の話も断ち切られて退職し、
いっしょに事業を始めようとしていた仲間にその資金を持ち逃げされていた。

別に、子どもが苦手だったのではなかったのだろう。
もしかすると、わたしもそんなところなのかもしれない。

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by pivot_weston | 2009-08-29 19:25 | ブログ

今日の日経から

6面の「サウジ有力王族狙い自爆テロ」。

アルカイダ系の武装組織の仕業らしい。

ビン・ラディンはなにがしたいのか。
まともなことを画策しているのなら、
堂々と人前に出てくればいい。
陰でこそこそやっているようなやつに
ろくなやつはいない。

世界を支配するヨーロッパ系の論理に対する反発
をねらっているのかと思っていたが、
9.11以後にしていることを見ていると、
既成の権力者との勢力争いが目的のようにしか見えない。

おれがいちばん、
いや、おれがいちばん――の争いだ。

まわりにいる人はたいへんな迷惑ばかりをこうむっている。
このままだと、
アラブ世界の指定暴力団に落ち着くことになりそうだ。

同じ面には、
「カンボジア軍 一部が撤収開始 タイとの国境紛争」
「ミャンマーから大量難民 中国に1万人規模か」
「日本の大陸棚延伸反対 中国「沖ノ鳥島は岩」」と、
国境線がらみの記事が3つ載っている。

誰が、誰の幸せのためにやっているのか。
現地に暮らす人にとって、実は国境線なんてどうでもいいのではないのか。
自分の欲求充足のために他人を不幸にしている連中は、
アルカイダ以外にもたくさんいる。

40面の「全共闘見つめる30~40代」。

わたしは50代だけど、
全共闘のことはよく知らない。

大学時代に活動家たちが、
生協にカラーテレビを置くことを要求するのを見て、
テレビカメラの前でだけ勇猛さをアピールするのを見て、
また、運動組織が暴力団組織のようになっているのを見て、
あほらしくなって、まったく興味が湧かなかった。

それに、第一、人とつるむのがいやだった。

連合赤軍事件を見ても、
多発していた内ゲバ事件を見ても、
人がつるむとろくなことはないと思えた。

でも、世のなかを見ていると、
思うことはあった。

だから、
「若い人がまだ気楽な立場から世のなかにさかんに異議申し立てをしていた時代」
とくくると、わたしもあの時代にそれほど悪くないものを感じる。

ただ、あの時代を振り返るのに、
この記事に紹介されているようにややこしい手続きや議論を経る必要があるのだろうか。

インターネットが普及し、
みんなが思い思いに不満やなにかを表現できるようになった時代だ。

「全共闘」という組織的な運動なんてどうでもいいから、
もっともっとみんなが思ったことを言い合おうよ――
それだけのことでもいいのではないかと思う。

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by pivot_weston | 2009-08-29 18:39 | 日経新聞

人生の景観の変化

しばらくぶりに「父親」のところへ行ってきた。

まだ病院にいる。

思えば、「風邪をひいて具合が悪い」と聞いたのが
7月の初めだったか。

毎日病院に通うその妻、つまり、わたしの娘を見ると、
なにもそんなところまで親といっしょにならなくても――
という思いは、
こちらも親だから、当然湧いてくる。

でも、過ぎたことは過ぎたこと。

最近では、なにごとにつけ、そう考えるようになっている。

人とともに生きられている証しと言っていいかもしれない。

とまれ、昨日、「父親」は胃に穴をあける手術を受けた。
暗いほうへばかり行っているわけではない。
退院の準備だ。

気管切開し、鼻から管を入れて栄養をとっていたが、
それでは自宅で日常生活を送るのに支障があるらしい。

自宅で使用する小さな人工呼吸器も与えられ、
その慣らし運転も始めている。

2年前まで、毎年春になると、
人工呼吸器の取扱説明書の翻訳の仕事をいただいていたことがあった。

あれも、わたしの人生の「伏線」と言えるのか。

道を歩いていると、
遠くに見えていたものが徐々に近づいて、大きく見えてくる。

でも、たとえば、
わたしの自宅がある香川県の観音寺から財田(さいた)町の山をのぼり、
猪鼻峠というところまで行くと、
急に、それまでとはまったく違った景観、
高校野球で有名になった徳島県の池田町の景色が眼下にひろがる。

先天性ミオパチーにかぎらず、
病気というのは、生活のそこここに、
ああいう突然の景観の変化の可能性を秘めたものなのだろう。

高校時代には、
友だちと3人で自転車をこいでその猪鼻峠まで行き、
行きには長い長い時間を要したその山越えの国道を、
ああ、もう日が暮れるぞ――と思って
引き返しにかかってからは、
まったくブレーキを締めず、
それこそものの5分ほどで一気にかけおりた。
爽快だった。
いままででいちばん爽快な体験だったと言っていいかもしれない。

でも、この場合は、もう元の自宅に帰るわけにはいかない。
そう、これからはもう池田町に住もうと考えればいいのだ。

全国の大西一族のルーツはそこにある。
わたしの祖母の実家もそこにある。
おととい会ったいとこの母上の実家もそこにある。

まったく変化した景観が
また新たな楽しい人生を提供してくれることもあるだろう。

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秀逸なポスター

都営地下鉄に乗った。

大江戸線は車両が小さい。
天井も低い。

座席が埋まっていたので、
立っているうちに、
ある中吊り広告が目にとまった。

「ぐる~り東京乗り放題」の
「~」のところが1回転しているのが気になったが、
最初はとくに興味をひかれたわけではない。
ただ目が向いたほうにあったから
そのポスターを見ていただけだ。

でも、このポスター
よく見ると、なかなかおもしろい。

まあ、プロの仕業だから当然のことかもしれないが、
画像と画像のつなぎ目がうまく処理してあるし、
雲の配しかたもなかなかいい。

久しぶりに感心する広告に出会えた。

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by pivot_weston | 2009-08-28 19:12 | ブログ

今日の日経から

1面の「銀行の国債保有、最高水準 6月末の残高111兆円 預金、融資に回らず」。

わたしたちは、望むと望まないとにかかわらず、
銀行という資金運用者の手によって、
借金政治を応援させられているわけだ。

111兆円の0.000001パーセントでも融資に回していてくれたら
つぶれずにすんだのに――
と思う企業家の人もいるかもしれない。

同じ1面の「日鉱金属やGSユアサ リチウム回収網整備」。

これも、
リチウムイオン電池車という製品が
市民権を得るプロセスのひとつだろう。

でも、「輸入依存脱却」というけど、
やはり循環させるだけでは需要は満たせないだろう。

日本のリチウム資源は海にしかないのだろうか。

8面の「ダライ・ラマ訪台へ 中台関係の火種に」。

ダライ・ラマさんが台湾の台風被災地にお見舞いに行きたいと言い、
台湾の馬総統も、じゃ、どうぞ、と言ったらしい。

同じ面の「台湾、台風対応で外交部長辞意」にもあるように、
どうしたことか、馬さんは、
被災地救援に行くぞ――という外国からの申し出を断っちゃって、
さんざん非難を浴びているものだから、
馬さんの好きな中国がきらいなダライ・ラマさんの申し出を
今度は断るに断れなくなったということらしい。

中国は、ダンコハンターイ、と言っているらしい。

中国も、ここまで世界に影響力のある国になったのだから、
あまりせせこましいことは言わず、
このさい、アメリカ合州国にならって、
地方分権型の中華合州国でもめざしてみてはどうなのだろう。

17面の「カシオ社長 「来期は最高益目指す」」。

デジカメ業績の停滞に直面しているカシオが
まだ秘密の新事業を来期には立ち上げ、
過去最高益をめざすという。

バブルの時代だったが、
わたしもしばらくカシオで仕事をさせてもらったことがある。

古い企業や大きな企業にはない気楽さや率直さがあり、
とても仕事のしやすい環境を提供してくれた会社だった。

さて、「秘密の新事業」とはなんなのだろう。
同じ初台の住民としても興味深い。

ところで、今日のイチオシ記事は
8面の「地球回覧 シリコンバレーの「1Q84」」。

これ、おもしろい。

村上春樹さんとシリコンバレーの猛者どもをからめて、
うまく書いている。

あれ、でも、アップルのジョブズのファースト・ネームは
「スティーブン」じゃなく「スティーブ」なの?

いつだったか、
日本版『エスクァイア』の初期の編集をしていたときに、
でかでかとした彼のインタビュー記事が載ってきたのも、
なつかしい。

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by pivot_weston | 2009-08-28 11:55 | 日経新聞

再会

久しぶりに、あるいとこと会った。

大学時代には、
向こうはまだ小学生で、
四国のわが家に遊びに来ては
物珍しい林野でちょろちょろしていた。

頭のいい、思うところのあるやつだ。

10代には、
少々道をそれて、
お父さん、お母さんを悩ませることもあった。

だけど、
やがて不動産会社に就職し、
道をそれるだけのエネルギーを仕事にぶつけだした。

あるとき、
そんな彼が風邪をひいた。
ウイルス性の風邪だ。
そのウイルスが頭のクモ膜下かどこかに入った。

医師は、
生体機能をほとんどすべて停止させる(つまり、
死んでいるのとほぼ同じ状態にする)治療法を提案し、
両親ものんだ。

臨死をくぐり抜けてきた男は、
いま、下町の不動産会社の取締役部長になっている。

たいしたものだ。
笑顔を見ると、感慨深い。

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by pivot_weston | 2009-08-28 09:37 | 人物

今日の日経から

1面の「惑星探査や災害監視向け 新型ロケット開発」。

こういう記事を書くときにも、
別に文字にする必要はないだろうが、
これが洋上の漁船やなにかにある程度の脅威を与える行為であることは、
書く人が念頭に置いておいたほうがいい。

でないと、北朝鮮の「ミサイル」報道はアンフェアなものになり、
アンフェアなものは説得力をもたない。

2面の「寸言」。

野田聖子消費者行政担当相が
「戦っている候補は民主党ではない。
政権交代という意味のわからない言葉と戦っている」
と言ったという。

「政権交代」という言葉の意味がわからない政治家は、
一部の有権者と政治家が癒着した、
固定化された政治ルートを是とするのかもしれない。

フェアじゃない。
自分たちの視座以外にも世のなかの視座は存在することを
受け入れられない政治家が世のなかをよりよい方向へ導ける
とは思わない。

政治家は、誰もみな、それぞれ
国民が保有する複数の政治ルートの
いずれか1本にのっかっているだけの存在にすぎないと思う。

8面の「E.ケネディ上院議員死去」。

あゝ、ケネディ兄弟の時代も終わったか。

エドワードさんは、どこか「イマイチ」の印象を受けていたけど、
にいちゃんふたりを衆人環視のなかで殺された人の人生とは、
どんなものだったのだろう。
案外、とても魅力的な人だったのかもしれない。

13面の「リチウムイオン電池 三菱重、300億円投じ量産」。

当然、三菱自動車の電気自動車などに使う電池かと思ったが、
違う、フォークリフトや建設機械用だという。

なんか、ますます、
三菱自動車の益子さん、がんばれ!――と応援したくなる。

41面の豊田泰光さんの「個性はにじみ出るもの」。

そうだ、そうだ、そのとおり――
と言いたくなることばかりが書いてある。

最近の野球選手のあの「長ズボン」、なんだろなあ。
わたしたちの時代には、
ストッキングの下の輪っかをちょん切って、
間をパンツのゴムでつなぎ、
カリフォルニアのスペイン植民地時代の伝道所の柱廊のアーチのように引っ張り上げ、
アンダーストッキングを膝の下くらいまで見せるのがはやっていた。

そうすると、
作新学院のストッキングのように、
白地に1本や2本の横線が入っているストッキングはかっこよく見えた。

半白、半紺のツートンだけど、
三沢高校の太田幸司さんも
その「パンツのゴム式」ではなかったかと思う。

ま、そっちのほうがかっこいいからといって、
また誰も彼もがそっちへ走っても豊田さんの趣旨にはそぐわなくなるが、
ほんと、豊田さんの記事は、いつ読んでも、
そうだ、そうだと思うことばかりだ。

個性は「かっこ」じゃない。
「個性というのはむしろ、絶対負けられない、
絶対生きて出塁しなくてはという、縛りのかかった状況から
にじみ出てくるものだろう」と書いてある。

つまり、「かっこ」のことなんか忘れて、
自分がちゃんとズボンをはいてるのかどうかも忘れて、
無我夢中になって取り組んだときに――というニュアンスでしょうね。

一方、そのとなりの「スペインリーグ29日開幕 中村、持ち味どう発揮」
はつまらない。

(ロンドン=時事)の記事はいじれないのかもしれないが、
これじゃ、読者の知識とその周辺を満たす想像力の範疇内で、
あってもなくても変わらないような記事だ。

これをネタに、またいつもの阿刀田さんが書けばよかったのに、と思う。
阿刀田さんの記事がないと、日経のサッカー記事はつまらない。

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by pivot_weston | 2009-08-27 17:05 | 日経新聞

仕事における愛と別れ

どんな仕事にも言えることだろうが、
わたしたちの仕事(翻訳)でも、
やっていると、その対象(原文に描かれているものや原文を書いている人)
に愛情が湧いてくる。

小説の仕事の場合はわかりやすいだろうが、
たとえば、ポンプの取扱説明書の翻訳をしているようなときでも、
そのポンプやその説明書を書いている人に愛情が湧いてくる。

頭に浮かぶポンプの鋼の肌が
なんとも自分に馴染んだものになり、
自分と不可分のもののように思えてくるし
(それはそうだ、日本語で語られるそのポンプは、
自分の内面から湧いてきた自分の言葉で語られているのだから)、
説明書を書いている人の言いまわしなどにも、
あ、ここはこう書いているけど、この人だから
ほんとうはこう言いたいのだろうな、と、
理解を示し、懸命に理解しようとする姿勢が湧いてくる。

でも、仕事における愛は、
いくら深くなっても、そうそう抱きつづけるわけにはいかない。

たとえば、アガサ・クリスティーを訳しつづけた
わが師の師、中村能三さんや、
フォーサイスを訳しつづけた篠原慎さんのように、
同じ作家の作品を何作も続けて訳せるときは別だろうが、
たいていは、そんなに同じ作家の作品や製品の仕事はもらえず、
移り気でも、食わんがため、
すぐにまた別の作品や製品や書き手を愛することになる。

愛しては別れ、愛しては別れ――
それが仕事の現実というものだろうか。

もっとも、人を愛する場合とは違い、
仕事の場合は、俗に言う「愛憎」の「憎」のほうはなかなか湧かない。
だから、1年後に再会しても、10年たって再会しても、
またすぐに昔のように愛せる。

ただ、残念なことに、
自分の名前を訳者として出す出版物の場合を除けば、
たいてい仕事は人の手を経る。

かたときでも、
自分が愛したものが人手にわたって思わぬ扱いを受けるのは悲しい。

ま、でも、
自分のもとから巣立っていった子どもたちのことを考えると、
どうってことはないのだが。

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by pivot_weston | 2009-08-27 08:52 | 仕事