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ワッ! ギャッ!

と言っても、多くの人にはなんのことかわかんないか。

今日、お世話になっている小椋歯科クリニックにちょいとおじゃましたら、
ネット検索をしていたらこのブログに行き当たり、ワッと思いましたよ、
とおっしゃるので、
それでは今度は「ギャッ!」と言わせてしんぜましょう、
と軽口おやじが軽口約束をしたわけで……。

どだ、これで「ギャッ!」と言ってくれたかな。

ま、それはともあれ、
小椋歯科クリニックは、「ナオキ先生」をはじめ、
接点の心地よいかたばかりで、
はじめて虫歯の治療をしてから40年、
なかなか思うような歯医者さんにお会いできずに
いつしか歯なしおやじとなり果てていたこのわたしが
ふと気がつくと、いつのまにか機嫌よく入れ歯おやじをやっています。

これもそもそもは、
紹介してくださったわれらがワインアーキテクト、K先生のおかげ。
やっぱりいい建築家はいい歯医者さんを知っている――
なんて、ホントかな。

まあ、とまれ、とまれ、ほかのみなさんも、
いいですよ、小椋歯科クリニック。
心地よく歯医者さんに通いたいかたはぜひ「ナオキ先生」のもとにご参集あれ。


by pivot_weston | 2009-04-30 19:50 | 健康と美容

中島みゆきさんと松田聖子さん

近ごろ、テレビでこのおふたりの出ているCMを目にする。

……
そんな時代もあったねと
……
あんな時代もあったねと
……

すごいフレーズを考えだしたものだ、
若い小娘・中島みゆきさんは。

誰もが一度は口にしそうなフレーズ。
でも、それをあのメロディにのせて、
ひとつの固有の、それでいて共通の言語にした功績は大きい。
いまはやや大衆音楽の世界に埋没している観もあるけど、
遠い将来には、そこから少しはみ出してくる人かもしれない。

一方の松田さんもこんなに大きな存在になるとは思わなかった。

はじめて見たのは『平凡パンチ』の巻末のカラーページでだった。
確か、3人組で、どこかのラジオ番組のDJかなにかをやっているということで、
水着姿だったと思う。

おいおい、ずいぶん痩せてるねえ、この人。
アイドルにはやはり、あまり色気があってもナンなのかな――
わたしの田舎では、痩せてる人を「火箸のような」と形容するが、
まさに火箸のような手足のその少女を見て、そう思ったのを記憶している。

本人も、まわりの人も、それと気づかずに通過する。
でも、時代がたつうちに、おや、あれは――と思わされる。
そんなところにも、時代がたつおもしろさや、人間のもつ才能の豊かさの一端が
あるのかもしれない。


by pivot_weston | 2009-04-30 08:12 | 音楽

臆病者

悪いが、そういう人の内面は、
声や表情で手にとるようにわかる。

自分は無知でいたくないと思っている。
自分は無知であるはずがないと思っている。

でも、そう思うことそれ自体が
なにより無知の証拠なのだ。

知は背景をもつ。
土壌をもつ。
しっかりと根差した知は、
ちょっとやそっとの風が吹いてきたくらいでは
揺るがない。
決して葉全体をざわめかせ、
うわっつらで仕入れただけの知のかけらを
ばらまいたりはしない。

知は、語れば語るほど、無知を明らかにする。

吹いてきた風に合わせて
そよと葉を揺り動かす――
それが知の本質ではあるまいか。

知を語り、装いたがる臆病な人たちには(前にも書いたが)、

なんでも知っているけどなにもわからない人と
なにも知らないけどなんでもわかる人
のどちらになりたいかと問われれば、
わたしは後者を選ぶ――

という、故・吉行淳之介さんの言葉を贈りたい。

裸になり、自分の無知という土壌をさらす勇気をもてなければ、
決してそこに根差すほんとうの知を吸収することはできない。


by pivot_weston | 2009-04-29 10:59 | ブログ

ある便り

ある編集者のかたから定年退職のお便りをいただいた。

一度しかおつきあいをしていない編集者のかた。
でも、その一度が、とても印象深い一度だった。

2000年7月19日。
前夜に子どもたちと妻を看取ったわたしは、
葬儀社の人たちが白黒の幕を張ったりなにかして葬儀の準備をする家のなかで
あたふたと時間を過ごしていた。

柱の電話が鳴った。
初めて聞く、恐縮したような女の人の声。
少し前に、ある本の翻訳を依頼してきた出版社の人だった。

そのときすでに、近いうちに妻がいよいよのときを迎えることは見えていた。
だが、生活の資はほしい。
だから、一部の訳だけを引き受け、
あとは知り合いの翻訳者を紹介し、その人にやってもらうことにしていた。

その翻訳者が「ぼくには内容が難しすぎる。みんなに迷惑をかけるといけないから、
ぼくには本をまとめる作業はできない」と言って途中で仕事を投げ出した、と言う。
「だから、申し訳ありませんが、どうか8月末までに本をまとめる作業をしてくれませんか」と。

まさか、と思った。
8月末までに仕上げるとしたら、もうその日からかからなければならない。

その出版社にも、翻訳者にも、わたしのほうの状況は伝えていた。
それなのにそう言ってくる非常識さやなにかに、驚きを通り越して、
信じられないような、いきなり別世界に投げ込まれたような気分を味わった。

それでも、しばらくは冷静に応対した。でも、通じない。
8月末の原稿アップの期限は延ばせない、と言ってすがるように頼み込んでくる。
あとをお願いしていた翻訳者は鬱病を病んでいた。
自分のことしか考えられない心的傾向は理解していた。しかし、それにしても――と思い、
最後にはとうとう「わたしの知ったことですか。いまをなんだと思っているんだ」
と怒鳴った。

自分を取り巻く環境が急転していく予感はあった。
妻の闘病期間中の状況は、あれ以上を望もうとしても望めないくらいのものだった。
主治医の外科医が開設をはたらきかけていたころから患者やその家族として応援し、
開設した1か月後に入ることになったホスピスでも、
志あふれる看護師さんや医師たちに囲まれ、
妻だけでなく、まわりの患者さんたちにとっても、また、わたしたちにとっても、
目の前を過ぎていく一瞬一瞬を、少しでも、よりよい、生きた甲斐のあるものにしようと
お互いがお互いを思いやり、盛り上げていた。

自分で書いてはいけないかもしれないが、
当時、ホスピスの現場からCancer Talkというメーリングリストに定期的に投稿していた
「瀬戸内ホスピス報告」には、そのメーリングリストの参加者のみなさんも含め、
みんなが勇気をもって、ユーモアも交えながら、目の前の時間に立ち向かっていた様子が
よく表現されていたと思う。

でも、妻の死の前日、いよいよ臨終を迎えたとき、
ある近親者に電話で連絡をして、慄然とした。
「じゃあ、もう死ぬということでしょう。だったら、行ってもしかたないよね」
返ってきたのはそういう言葉だった。

目の前で画面が180度ローテーションしていくように世界が急転していくのを感じた。
この人がいなくなったら、まるで違う世界に投げ込まれるのだ。
そう感じながらも、逆に、ここが勇気の見せどころと考え直し、がまんしていたところだった。
その近親者にも葬儀の連絡をしたら、「いまから行っても意味がないから行かない」
という趣旨のことを言われていた。

なんだ、この世界の変わりようは。
心のなかで、思わずぷっと笑いがもれてしまいそうな、絵に描いたような変わりようだった。

編集者は泣きだした。
泣きながら「どうか、どうか」と懇願を始めた。
ふつうの日常生活のなかではかなり追いつめられていることは理解できた。
ただ、こちらが「ふつうの日常」ではないことはどれだけ考えているのか、とも思ったが、
こうなったら、もういいか、と思った。
仕事のことを考えながら葬儀を出すのは妻に対してとても申し訳ないことに思えたが、
もういるのは、わたしだけだ。
あれだけいろんな条件に恵まれ、いい時間を過ごしてきたのだから、
その反動というものもあるのだろう。
そして、その反動にはわたしひとりで耐えなければならないのだと思い、
8月末の納期を約束した。

その夜から、徹夜だった。
妻の病室に子どもたちがかけつけ、最後の会話を交わしたあとで意識をとる処置をするときと、
火葬場で、それまでいっしょに緊迫した時間を過ごしてきて、みなたまりかねて泣いていた
子どもたちと点火のボタンを押すときの2度、泣きかけたことはあったが、
あとは約束どおり8月末に原稿をあげるまで、毎晩毎晩、妻のためにお経をあげながらも、
泣くことも、泣きかけることもなかった。

わたしはひどい人間なのかもしれない、
もしかすると、人間的な感情をもち合わせていないのかもしれない――という
子どものころから心の片隅にあった疑問も、頭をもたげてきた。

初めて心の底から制御のきかない感情があふれ出し、嗚咽したのは、
それからひと月ほどがたち、上京中に朝まで新宿で酒を飲み、
そのままふらふらと、かつて住んでいた東中野まで歩き、
すでに廃園になっていた、子どもたちが通っていた保育園のなかまで入っていき、
かつて子どもたちの小さな靴を入れていた下駄箱を目にしたときだった。

黒い革ジャンパーを着て、鬚ぼうぼうの男が
まだ明けきらない朝に、すでに廃園になっている旧保育園の園庭で
肩をふるわせ、声をあげて泣いている姿は、
誰か見ている人がいれば、さぞ不審に思えたのではあるまいか。

でも、いいことだ――
そのころ、メールを通してわたしの心のサポートをしてくれていた人はそう言ってくれた。
わたしの心のサポートを――と言っても、その人自身が
認知症でがんを発症したお母さんを看取り、認知症のお父さんのお世話をしていた。
気がつくと完全に心のバランスを崩していたわたしは、
混乱のなかでその人を深く傷つける言葉を発していた。

いろいろなことがあった。
妻の葬儀の前に、いったん引き受けた仕事を投げ出した翻訳者は、
妻の2年半後に、自宅の階段の上から転落して亡くなった。

足かけ10年。
もうそんなにたったか。
もうわたしの人生には、妻の知らないことがたくさんある。

定年退職された編集者のかたも、先ごろ亡くなったタレントの清水由貴子さんのように
当時はお母さんのお世話をされていた。
どうかよりよい第2の人生が訪れることをお祈りしたい。


by pivot_weston | 2009-04-29 10:01 | 人物

還流・循環

昨日書いた野村克也さんは次々と夢や望みを実現している。

秘密はどこにあるのか?
わたしは奥様ではないかと思っている。

野球の試合を分析し、
そこにひそんでいるデータをさまざまな角度からひろい、収集し、
それらを互いに組み合わせて新たな知見にまとめ上げ、
それを新たな試合に生かしていく作業というのは、
ま、野球好きなら、あ、いや、もしかすると野球好きでなくても
誰でもできる。

野村さんの「ID野球」が有名になってから
まねをしている人もいっぱいいる。

問題はそのプロセスをいかに簡略化し、短縮するかだ。

人生は短い。
むだを省いて、素早く要点から要点に移るには、
ほかのどんな仕事にも共通して言えることだろうが、
手段であるデータのほうに引き寄せられ、そこに埋没してしまうのではなく、
つねに目的である生活や暮らしのほうに足場をかまえておく必要がある。

目的地・生活の現場のほうからデータをながめると、
だいじなデータだけが目につくということはよくある。

その意味で、わたしは、もしかすると野村さんはあの奥様との会話から
多くのヒントを得て、多くのことを学んでいるのではないかと思っている。

しかも、そうして膨大なデータの海を一気にショートカットして要点に素早くたどりつけば、
自分が求めているものにも素早くたどりつけることを覚えた野村さんは、その結果、
マスコミに露出する頻度が増し、一般の人との交流がふくらむにつれて、
ますます多くのヒントの泉を得たと言える。

野球というのもひとつの営為である以上、
めざすものは必ず暮らしのなかにある。

奥様のためにわが「砲丸投げのお姉さま」の大好物の球団を追われて辛酸をなめたというのは、
まわりの人の目に映る、ただの表面の現象に過ぎない。
その奥様のおかげで暮らしのなかからヒントを見つける目を養っていた野村さんにとっては、
それもまた、新たな視野をひろげる好機でしかなかった。

還流し、循環することは大切だ。
還流しないものは、一面どんなにすぐれた行為に見えても、
ただの「大人のママゴト」に過ぎない。


by pivot_weston | 2009-04-28 06:59 | 人物

おいしいのはいいのだが……

西新宿7丁目の「広島焼き」の「ぶち旨屋」。
生麺を使っていて、ネギが山ほどのっていて、
小麦粉の皮もぼってりと自己主張せず、薄くてほどほどにパリパリで、
とてもいいのだが、
調子にのって頼みすぎて、朝までつきあわされると
おなかのほうがちとクッチイ。

あ、でも、それは「ぶち旨屋」の問題ではなく、
こちらの理性の問題か。

ともあれ、春の戻り寒気のなかでいっしょに時間待ちした、
半蔵門から横浜のお宅に帰る途中で立ち寄られた
定年後アルバイトの紳士ともお話ができたし、
おなかにも、心にも、いい養分はとり込めたか。

帰りに自転車に乗ろうとしたら、
わきのほうで立ってて「ここは会社の駐車場なんだけど」とかなんとか
ひとりでつぶやいていた背広姿のにいちゃん。
ルールはルール、守らなアカンけど、
人のいい時間をちびっと濁すほどのルールか。
幸せになれよ。


by pivot_weston | 2009-04-28 06:55 | グルメ

時代は野村

プロ野球の東北楽天イーグルスの野村克也監督が
あと1勝で監督通算1500勝になるらしい。

上手に年をとってきたな、と思う。

よく、V9時代の巨人はおもしろくないくらい強かったと言われるが、
根っからのパ・リーグファンだったわたしにとっては、
野村さんのいた南海ホークスのほうが、さらにそれに輪をかけて、
おもしろくないくらい強かったような印象がある。

投手陣に杉浦、皆川、新山という豪華メンバーがそろっていて、
野手にも出色の韋駄天、広瀬がいた。
そして毎年、毎年、判で押したように
野村さんが打点王やホームラン王をとる。

どういうわけか、月見草のみならず、ひまわりのヘルメットまで
つや消ししたように光沢をなくしていた時代だった。

細い足首で軽快にホットコーナーを守る長嶋さんに比べると、
そのつやのないヘルメットをかぶってのっそりとバッターボックスに入り、
ドカーンとホームランを打つだけで、
勝ってむっつり、負けてむっつりの野村さんこそ、
パ・リーグがもっと人気を集めていれば、
大勢の「アンチ」を生んでいたと思われる存在だった。

ある年、パ・リーグが前後期制をとっていて、
前期に優勝した野村さんの南海ホークスが
プレーオフで後期に優勝した阪急ブレーブスをかる~く片づけ、
あれは「死んだふり」などと言われたときには、
この人は、力はあるけど、時代についてこられていないな、と思っていた。

だが、それは、まだ世のなかのことがなにもわかっていなかった
若僧の底の浅い見方というものだった。

時代は虚飾を排し、中身だけに目を向ける方向に向かっている。
で、野村さんも、実は虚飾にとらわれず、というか、
とらわれるような虚飾をまとわせてもらえず、
野球という中身だけに打ち込んできた人だった。

わが家に長女が生まれたころだから、もう27年前になるか。
当時入社してまもなかった編集プロダクションで、
『ログイン』というパソコン雑誌の取材をしていたカメラマンの人が
野村さんのお宅へ取材に行くと言いだした。

そう、まだわたしたちが手で原稿を書いていたその時代から、
野村さんはすでに、世に出てまもないパソコンを手に入れ、
ひとりで大好きな野球のデータの入力をしていたのだ。

時代についてこられないどころか、時代の先端を行っていたわけだ。

だけど、2年前に現役を引退していた当時の野村さんは
まだそういう面を評価されておらず、
この新米記者がそのカメラマンについてお宅にうかがっても、
あのつやなしヘルメットの姿そのままに、
暗い表情で、背なかを丸めて部屋の片隅のパソコンに向かっていて、
撮影中にいきなりどこからか出てきてカメラの位置やなにかを指図した
恐ろしくパワフルな女の人(失礼! まさか奥様とは思わなかった)
の印象ばかりが強く焼きついた取材となった。

でも、この新米記者が生意気にも、
それまでさんざんメディアに露出していた野村さんに対し、
緊張をほぐしてもらおうと思って、ひとこと、野球の話をしたときに、
きっとこちらをにらんだ野村さんの目は
そのパワフルさにも決して負けてはいなかった。

おまえみたいになにもわかっていない素人がなにを言う。
分を心得ろ――
その目はそう語りかけていた。

たぶん、いまでも、家庭での野村さんはあの当時のままなのだろう。
でも、その後の野村さんは、そうしてせっせと自分でパソコンに入力したデータをもとに、
監督になったチームを強くして、
古田選手のような大スターも育て、
著書も売れ、理想の上司像にも選ばれ、
テレビでにこやかに軽口もたたくようになった。
いまや、野球界のみならず、国民に愛される人気者のおじいちゃんだ。

これは、実はムース野村さんがとても現代的なセンスの持ち主だったからだろう。
時代はアカウンタビリティ(説明責任)を果たせる人を求めている。
野村さんはずっと、はた目にはどう映っていたかわからないが、
データを用いてものごとに筋を通すこと、つまり、アカウンタビリティを果たすことに
心を砕いてきた人だ。
時代はまだまだ野村さんに学ぶものがあると思う。


by pivot_weston | 2009-04-27 07:57 | スポーツ

朝の散歩

近所の八百屋では、
いつ前を通っても、
店主のおやじが誰かを相手に碁を打っている。

トマトやキュウリやなにかが並ぶ棚の奥の壁ぎわの薄暗がりに
縁台のようなものがあり、
その上に平たい碁盤を置いて、
片脚だけあぐらをかき、
もう一方の脚は縁台の下に垂らし、
あぐらをかいた脚の膝に肘をついて、
「だけどよ~、あのアソウはよ~」とかなんとか言いながら
碁を打っている。

なつかしい。
わたしは指物師だった祖父の細工場でよく遊んでいた。
天気のいい日に誰かが前を通りかかると、
「お~、どうな、一番」という言葉が細工場の内か外から飛ぶ。
すると、碁盤の上に載っていた木製の丸い容器が下におりて、
パチン――と、あの第一手の音がする。
もちろん、指物師の祖父の碁盤は手製の、脚もある、うんと厚みのある立派な碁盤だ。

わたしはそのかたわらで、
魚の形に切り抜いた紙にクリップをつけ、
それを、磁石をつけた釣り竿で釣りあげたりして遊んでいる。

大人の会話はおもしろい。
碁を打ちながら碁のことはほとんど語らない。
たまには「ほー、そーくるかあ」という言葉が漏れることもあるが、
たいていは「あちゃっ、そらいかん、ちょっと待って」という言葉が唐突に飛び出すまで、
四方山話の連続だ。

その話の流れや声の調子が心地よかった。
はたで意味もわからずに聞いていると、揺りかごに揺られているように心地よかった。

ああいう空間は子どもの生育にとてもよいと思う。
わたしも、幼稚園のころ、祖父が碁仲間のひとりだったとなりのおじさんから借りてきた
全ページ金髪の女の人のオールヌードの写真集をひろげ、
「へえ、この人ら、なんで裸なんやろ。寒ないんやろか」と思っていた。

でも、いまはこの人間味あふれる街・西新宿でも、
そういうスポットは先の八百屋くらいしかない。

コミュニティを取り戻す――とかなんとかいう掛け声だけは聞こえてくるけど、
現実にあるのは、日向ぼっこをしているだけでも不審者と間違われかねない
ご都合主義の街だ。
作られたベンチだけでなく、道端でも自由に人が日向ぼっこできる街。
そのほうがずっと安全で楽しい街になるんじゃないか――
と朝の散歩をしながら思った。


by pivot_weston | 2009-04-26 11:15 | 西新宿

裸の王様の家来

おもしろい話を聞いた。
この世の人たちがどうやって生きているか
ということに対する理解が
また一段と深まるような話だ。

なるほどな、と思う。

こういう商売をしていると、
表面でやりとりしている言葉が
内面で感じていることと必ずしも一致せず、
え、ふうん、ほんまかな――という
「すきまの思い」をいだいていることがある。

そういうときに、その思いを看過せず、
いちいちいだいたときにそのよって来たるところを慎重に調べ、
すきまを埋めて、より実感に即した言葉を繰り出していくのが
正しい文字や言葉の使い手ということになるのだろうし、
おととい紹介した猪瀬直樹さんあたりは、
押し寄せてくる言葉や事実の洪水のなかで
そういう作業を慎重のうえにも慎重を期して進めているのだろうが、
どうやら、わたしの場合は、以前から多くの人に言われてきたとおり、
かなりお粗末で軽薄な文字や言葉の使い手らしく、
何度もそういう「すきまの思い」にぶつかりながら、
長い年月を経た末に、ようやく、人に言われて、
あ、なんだ、これがほんとうだったんだ、と気づかされる
結果となりそうな雲行きになってきた。

なんだ、これでは自分が大本営と変わらなかったんだな、とも思う。

「裸の王様」というお話がある。
あれは、たいてい王様のありようにばかり焦点を当てて語られるが、
同時に、なにもないただの空気を
さもそこに立派な衣装があるかのように着せていた家来たちの問題でもある。

さて、では、
自分が裸の王様の家来のポジションにいることに気づいたときにどうするか
――これもまた、取り組みがいのある人生の新たな課題かもしれない。

若いころ、どういう経緯でだったかは忘れたが、
ロッキード事件で表舞台に出てきたある右翼の大物さんのところから
年に1000万出すから社史を作ってくれないか、と誘われたことがあり、
それを「やだ」と断ったら、狂屈兄に「なんで断るんだ。
なんでも入り込んで現場を見てくるんだよ」としかられたことがあったが、
気がついてみると、無自覚にそういう現場のひとつに入り込んでいたわけだ。
自覚して入り込むのと、無自覚に入り込むのでは、まるで違うだろうが、
ま、この世はいろんな人のいろんな波動が渾然一体となって寄せては返す大海だ。


by pivot_weston | 2009-04-25 10:51 | ブログ

事件の衝撃

あ、いや、テレビによく出ていた草なぎくんが
素っ裸で騒ぎまくっておまわりさんにつれていかれて
仕事を失ったことを言っているのではない。

昨日、仕事先で30過ぎの女の子とその話をしているときに、
「こういうことはあるよ、四六時中、人目にさらされていたらね。
しかも、この人は子どものころからそうなんだろう」と言ったら、
真顔で「いや、でも、いけないことはいけないことだと思います」
と言われたことだ。

不気味な真顔だ。
また例によって戦争中の「一色」に思いがおよぶ。

この事件の前にも、仕事先ではなにかとSMAPの話が出ていた。
要するに、テレビで見て、話題にしていたということだ。
利用するだけ利用して、相手のぶれは許さない
という姿勢にも不気味さを覚える。

ふだん、実質的には自分となんの関係もない、遠くで起きた事件について、
ただマスコミという媒体でつながっているというだけで、
「ひどい」「許せない」などと、あたかも当事者であるかのように語る
テレビのコメンテーターに感じていた不思議さにも思いがおよぶ。

すでに起きてしまった事件について、
遠くにいる人間が感情をぶつけてなんになるのだろう。
事件が起きたところから、わたしたちにできることとはなんなのだろう。
そう考えると、はて、他人を批判する人間の心理の裏側にはたらくものとはなんなのか、
ということにも思いがおよぶ。

また生半可な知識で怒られるかもしれないが、
この世には、なんでも乱雑さの度を増していくというエントロピー増大の法則がある。
そこで、多くの人たちはコンクリートの枠に囲まれて暮らす生活を選んでいて、
風が吹けば木の葉がそよぎ、砂ぼこりが立つのがあたりまえの自然のなかで、
ゴミひとつ落ちていない状態をよしとしながら
環境保護、自然保護を叫んで生きている。
病理は、草なぎくんだけでなく、多くの人のなかに存在しているように思う。
あ、もちろん、わたしのなかにもバリバリに……なのだが。


by pivot_weston | 2009-04-24 09:01 | ブログ