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人間の本能

人間の本能とは厄介なものだな――
春の街を自転車で走りながら、ふとそう思った。

本能のままに生きられたら、いい。
でも、みんながみんなそうすると、
なにかとさしさわりが出てくる。

ひとりだけ本能のままに生きようとした人は
罰せられたりなにかする。

それは、ひとつには、
私たちが自分たちを「悪」とする見方であり、
そうしたことが蓄積されると、
自分たちを罰する生き方が制度化されて定着する。

そんなんでいいのかな――
とぼんやりと思う。

春の思いは気まぐれだ。


by pivot_weston | 2009-03-31 08:53 | ブログ

原辰徳と炭坑節

小学校4年生のころだったと思う。
当時はまだ、高校野球の世界では、
わが香川県の高松商業が強豪、古豪と言われ、
甲子園に出ると、場慣れしていない対戦相手の高校を
3塁ベースのまわりで円陣を組んで始まる試合前のノックのときから、
その手際のよさや球回しの速さの迫力で圧倒していた。

その年も、のちに巨人に入る小坂という左腕投手を擁し、
優勝候補の一角にあげられていた。

当然、三原、水原、中西を生んだ自称「野球王国」
の片隅で育っていたわたしも、
高松商業の優勝への道筋を思い描いていた。

初戦の対戦相手は福岡県の三池工業。
なんや、それ。
炭鉱町の学校かいな。

当時はまだ、その三池や北海道で
ときどき大きな炭鉱の事故があり、
犠牲になった人たちが坑内から運び出される光景が
白黒テレビの画面に映し出されていた。

まあ、悪いけど、
野球では「王国」の高松商業が軽~く勝つやろ。
そう思っていた。

ところが、試合が始まってみると、
相手の三池工業にも、小坂と似たタイプの上田という左腕投手がいて、
優勝候補のはずのわれらが高松商業がなかなか打てない。

結局、終わってみると、延長戦の末の敗北。
「王国」では、ほとんどなんの関係もないはずの片隅の少年までが
落胆と屈辱を味わった。

あの高松商業が、なんで炭鉱町から来た初出場の学校に――と。

でも、逆に、その初出場の学校は、それからどんどん勝ち進み、
あれよあれよという間に優勝し、
小坂に似た上田という投手も南海ホークスに入団した。

子ども心には、監督の名前はどうでもよかった。

だが、それから5年後、
甲子園が松山商業と太田幸司の三沢高校の決勝延長再試合で湧いた明くる年のこと。
春のセンバツに和歌山県から出て優勝をかっさらった箕島高校の島本講平という、
男前がゆえに「太田2世」と言われた注目の選手が
優勝するまでに、確か、グラウンド内でのインタビューで、
あんなやつらに負けてたまるかい、というニュアンスのことを言った。

「あんなやつら」とは、
その年、神奈川県から出てきて注目を集めていた
新興の縦縞ユニフォームの学校、
東海大相模の井尻陽久遊撃手たちのことをさしていた。

井尻選手は、島本選手と同じ和歌山県の出身。
少年野球の世界での活躍が認められ、
はるばる神奈川県の東海大相模からの誘いを受けて同校に入学していた。
島本選手は「郷土を裏切ったやつらに負けてたまるか」と言いたかったのだ。

どうやら、井尻さんにも井尻さんなりの事情があったらしいが、
まだ世のなかのことがなにもわかっていなかった田舎の野球少年としては、
ふむふむ、そらいかん、と島本選手の気持ちに同調し、
全国規模で選手を集め、短期間で強豪校になる学校が続出する時代の流れのなかで、
なお三原、水原、中西の名前にすがって「王国」を自称していた県の野球少年らしく、
スケールが大きくなる一方の人の流れを批判的に見ていた。

でも、やはり、監督の名前は、まだどうでもよかった。

ところが、それからさらに5年ほどがたったころ、
今度はその東海大相模という学校が、
島本さんから敵意をむき出しにされた直後の夏の選手権で、
井尻キャプテンのもとですでに優勝を経験していたこともあり、
出場校中で圧倒的にNo.1の注目校になった。

なんでも、監督の息子が1年生で3塁を守っているという。
まだ『巨人の星』の星飛雄馬が、梶原一騎さん、あ、いや、父親の星一徹に
大リーグボール養成ギプスをつけさせられてから間もない時期だ。

マスコミは原親子を星親子になぞらえて甲子園人気をあおった。

太田幸司以来、甲子園の注目選手はアイドル扱いされるようになり、
マスコミからすっかりアイドル扱いされていたその選手が甲子園に出てきたとき、
この田舎の野球少年も、初めてその選手を鍛えたお父さん監督の経歴を耳にした。

「原監督は、あの三池工業を甲子園初出場で初優勝に導いた監督で……」
NHKのアナウンサーがそう紹介していた。

はっ。
頭のなかに上田投手と小坂投手の投げ合いがフラッシュバックされた。

体格の大きい栄養満点の選手を並べた東海大相模のイメージと、
きゃしゃな上田投手を中心とした炭鉱町のチームのイメージが
うまくひとつにつながらなかった。

原監督の息子、アイドル原辰徳は、
その栄養満点のチームのイメージのままに突っ走った。

東海大学へ進み、巨人に入って「若大将」と呼ばれるようになったのも、
そのイメージそのままだった。

だから、彼にはどこか、逆に、ひ弱なイメージがつきまとう。
だが、今回のWBCの戦いのなかで、わたしには何度か、
彼が、つ~きがあ~、でたで~た~、つぅっきが~あ~でた~、の世界とつながるのを感じた。

彼はあの炭鉱町のチームを優勝に導いた監督のかたわらにいた野球少年だったんだ。
彼がもっているものは、
まだマスコミできちんと取り上げられていないのかもしれない。


by pivot_weston | 2009-03-30 08:00 | スポーツ

異様な光景

「千葉をかっこいい県にしたい!」
当選した候補者がそうぶち上げていた。

40年前のテレビドラマの場面そのままの光景だ。
40年前にしていたことを
40年後も変わらずにしているためには、
どのような条件がそろえばよいのだろう。

この候補者は、
妻と同時期に、同じ学校に在籍していた。
妻からは、
学内で道を訊かれたときの様子も聞いている。

「神田川」の南こうせつさんも
その時期に、その学校に在籍していた。

確か、黛ジュンさんの映画の相手役として選ばれた人だったか。
よもや、東国原、橋下と続く時流に乗ろうとしているのではあるまいが、
どうも先のふたりのタレント知事誕生のときとは違う印象を受ける。

17年ほど前、
当時の社会党から衆議院の和歌山選挙区に立候補した人の話を聞いたことがある。
「ほんま、これはぼろい商売やで。立候補しただけで、金がかぱかぱ入ってくる」
その人は、オフレコのときに、胸にためかねたようにして
そんなニュアンスの話をしてくれた。

今度の知事が先のふたりのタレント知事と同じような視点の持ち主
であってくれればよいのだが、妻が生きていたらどう言うだろう、
とつい考える。


若い輪

久しぶりに、若い輪に加えてもらった。

韓国から研修に来ていた文章源(ムン・ジャンウォン)さんの送別会。

このブログにコメントを寄せてくださっているどこかの誰かさんたちは、
ま、ともかく、
それ以外はみんな娘や息子と同世代の人ばかり。

ご自分たちの若さを内に抱きつつ、
年経る世代に素直に、普通に、対等に、かつ謙虚に接する
その濃やかな内面のありかたにいい時間を過ごさせてもらった。

あ、その前にはちゃんと、
久しぶりにバッティング・センター「ひょうたん島」にも寄り、
イチロー気分にもたっぷりひたったのでありました。


by pivot_weston | 2009-03-29 07:48 | ブログ

カード紛失!

かと思った。

ヨドバシカメラまでUSBメモリを買いに行き、
カードで支払いをしようして財布をごそごそしたところで、
あれっ、ないっ!

ま、別のカードで支払いをしたので、
お買い物自体は成立したのだけど、
それからの時間は
背中を冷気がぞくぞく。

え、この前、カードを使ったのはどこでだったかな――
という疑問ばかりが
頭のなかを何度もかけめぐる。

お店でも、帰り道でも、
何度財布のなかをのぞいても見つからない。

あ~あ、やっかいなことになるぞ、
と覚悟した。

で、アパートに帰るとまずは、
インターネットのカードのページにアクセスしようとした。

拾った誰かがさっそくお使いになっているかもしれないからだ。

でも、そこで、
あ、レシートを見れば、どこで使ったかがわかるか、と思うと、
今度はPCの電源を入れたままレシート箱をごそごそ。

わからない。
どこで使ったのか思い出せない。

でも、そこで、
メガネのレンズが入っていた袋が目に入った。

あ、ここだ。
メガネのレンズを入れてもらったときに確かにカードを使った。

よし、目標はわかったぞ、と思い、
レシート箱をごそごそする手に勢いがついたが、
メガネ屋さんのレシートは出てこない。

その代わり、
メガネ屋の人がそのレンズの袋やなにかを
別のプラスチックの袋に入れて渡してくれたのを思い出した。

あ、あの袋だ!
でも、その袋はどこ? なんでないの?
と思ったところで、月曜日にゴミを出したのを思い出した。

あ~、疲れた。
なんでわたしはこうもバカなんだろう、と思い、
しょんぼりと、もう一度財布を手にとった。

プラスチックのカード類とは別に、
紙の振込カードも入っている。

関係ないように思っていたその紙のカードの間から
なにかがのぞいている。
プラスチックだ。

おい! おいっ! おいっっ!

こうもどうもない、こうなりゃ、超ド級のバカだ。

ともあれ、そんなわけで最後には安心して眠れたのだけど、
どうもこのところ、
携帯、入れ歯と、毎日なにか忘れる。
昨日は、仕事に行く途中で仕事道具の入ったリュックを忘れ、
なんとも軽やかに会社に入っていくという離れ業もやってのけたし。

ま、お若い人には興味のない話でしょうが、
おじさんたちもけっこうハラハラドキドキしながら生きているのですよ。


by pivot_weston | 2009-03-27 08:53 | ブログ

ダルの誤解

「なんでダルビッシュに代えたのー!」
9回裏に1点をとられた瞬間、
食堂の女店員は叫んだ。

でも、これは誤解。
1点をとられたことより、
同点にされたときにマウンドにダルビッシュがいたこと
のほうが大きかった。

すごい、先を読んだ戦術だな、と
あの瞬間に思った。

洪水の水をぴたりと食い止めるのは難しい。
水があふれても、
そのとき、みんなの気持ちが前へ向いていくような存在が
目に見えるところにいるのといないのでは大違い。

ダルビッシュくんは救援に失敗したのではなく、
成功したのだと思います。

なんについても言えることだと思うけど、
プラスの幅を大きくする人もいれば、
マイナスの幅を小さくする人もいるということでしょうか。

なんでもみんなの力を合わせての結果なのでしょうね。


by pivot_weston | 2009-03-26 08:58 | スポーツ

オリーブ橋小脳萎縮症

右往左往の夜だった。

夕方、仕事をしていると
八王子の叔父から電話があり、
いとこ(叔父にとっては甥)といっしょに新宿にいると言う。

いとこの次男が府中の会社に就職し、
いとこ夫婦もいっしょに出てきたらしい。
で、もう、9時半新宿発のバスで帰るという。

じゃあ、もし顔を出せたら、ということになった。

ところが、9時半が近づくと、また叔父から電話があり、
四国行きのバスの乗り場がわからないという。

あわててインターネットで調べ、
夜の歩道にあふれる酔客らをかき分けながら、
新宿の駅まで自転車をぶっ飛ばした。

でも、いつも四国で目にしていた顔を
新宿駅西口で目にするのも新鮮でよかった。

家族や親類には、
仕事、仕事で、不義理を続けている。

数日前から、
大分の四日市に住む姉夫婦に会いに行こうか、
と思いかけていたところだった。

昨日も書いたように、
すごい美声の持ち主で、ギターもうまく、スポーツも万能だった義兄が
オリーブ橋小脳萎縮症という難病を発症している。
姉も、ひとりで家計を支えるため、ふたつの仕事をかけもちしてがんばっている。

20年ほどの歳月をかけて少しずつ体が麻痺していく病気らしい。

もしこのページをごらんのかたのなかに、
同じ病気と向き合っているかたがおられたら、
情報を交換しませんか、と呼びかけてみようかという気持ちにもなった。

妻のがん闘病中には、病気のことばかり考えていた頭が、
なかなか別の病気には向かっていこうとしなかった。
でも、母も心筋梗塞を起こしている。
おまえはいつまで眠っているつもりか、と、
内心で自分を叱咤する声も聞こえてきた。

患者が少ない分、医療関係者にもまだあまりデータのない病気らしいので、
どうかよろしくお願いします。


Fの音

40年近いつきあいだ。
ギターとは、もうそうなる。

初めて手にしたのは高校時代、
どういう流れだったか忘れたが、
姉が町から白いギターを買って帰ったときだった。

さっそくその日、ドレミファ……のポジションを覚え、
やはり姉が買ってきたギター雑誌に載っていた
『ムーンリバー』の旋律をなぞった。

アンディ・ウィリアムズの時代だ。

大学時代には、
結婚した姉の栃木・今市の新居を訪ね、
学生運動世代の義兄の
みごとなギターと歌声に聞き惚れ、
少し小ぶりのフォークギターをもらい、
仙台のアパートでぽろぽろと、
ひそかに音を鳴らしていた。

それでもまず、Fの音が出せない。

しばしの東京時代を経て、四国に帰ると、
町の楽器屋さんで1本1万円也のガットギターを買ってきて、
妻や子どもたちと昔のフォークソングやなにかをうたうようになり、
その後、妻ががんになり、ホスピスに入院すると、
そこにもそのギターを持ち込み、
いつの間にか、人前でもそれを鳴らしながら歌をうたうようになったが、
それでもやはり、まずFの音が出せない。

いっしょにボランティアをやっていた
西讃のフォークシンガー、高畑さんは
本家のシンガーさながらにギターを弾きながらフォークソングをうたえるし、
年に一度の親鸞さんの法事に来た、お寺の若坊さんも
わが家のギターを手にとるやいなやエリック・クラブトンをやってくれたが、
わたしの場合は、とにかくいまだにFの音が出せない。

わかっている。
出せるようになるには、
時間をかけて、練習を重ねるしかないことはわかっている。
40年近い歳月の間には、こんなわたしも、
あ、ここちょっと、おれ、うまくなった――という、
自分にしかわからないかすかな進歩体験をしていて、
だから、それはよくわかっているのだが、
なかなか朝から晩までギターに没頭するような時間や流れがもてずにいる。

ま、欲張りなのだろう。
でも、死ぬまでにはいつか、
うまくなくてもいいから、ふつうにギターの音を出せるようになりたい。

近所の質屋まで、1本4500円也のガットギターを見に行き、
そこのおじさんから、じかに見て歩いた世界情勢を聞かされて帰った
あとの感想でした。


by pivot_weston | 2009-03-25 07:15 | 音楽

祝優勝!

いやあ、イチローくんは不調でもなんでもなかったんですね。
力みや思い入れの強さからきたブレ、ズレだったんだ、
あまり打てなかった理由は。

どうやら、今回のイチローくんは最初から、
肩に力が入っても力が入ったまま野球をして、
そこを突き抜けてやろうと考えていたふしがありますね。

いや、みごと。
力みを感じたら、力みをとろうとするのが常人のすること。
それを平常心、自然体ともいう。
でも、緊張し、力むのも自然なこと。
その自然さをそのままにして、
最後の打席で国民の期待やテレビの視聴率のことなども
頭に浮かんでくるがままに受け入れて、
奔放に、自然に、がちがちになりながら、
目の前に飛んでくるボールに集中し、
それをとらえ、
そこに正確にバットの芯をはこぶという、
よけいなものをすべてそぎ落とした、
究極のわざに到達したんですね、彼は。

いや、それにしても、
イチローくんにかぎらず、日本チームは今回もすばらしかった。
体格では劣り、打球も飛ばず、得点も僅差が多かったかもしれないけど、
躍動感、野球のおもしろさ、かっこよさという点では、
群を抜いてNo.1だった。

こんな時代に生きられた幸せを感じます。
WBC日本チームのみなさん、ありがとう。

とりあえず。


by pivot_weston | 2009-03-24 23:48 | スポーツ

四国の寿司処

夜なかにふと思い出したので、
本日はグルメ案内をひとつ。

なかなかの「本格派」だと思う。
こういうところで紹介すると怒られるかもしれないが、
なんとなく「流れ」を感じたので、書いてみる。

わたしの自宅は四国の香川県・観音寺(かんおんじ)という町にある。
地方の小都市の例にもれず、
中心街は夜になるとゴーストタウンのようになる。

だが、そこに1軒、
全国、いや、ことによると世界のグルメの間でも
ひそかに知られているかもしれない店がある。

何年か前まで、
わたしは母から名前を聞くだけだった。
あ、いや、名前を聞いて、母が買ってくる「太巻き」はいただいていたか。

なにかあると、母はすぐに、
「“みらくる”の太巻きを買うてくる」と言う。

買ってきた太巻きは、ほんとうに太くて、とてもおいしい。
具が端正に区画整理されている感じで、シャリというのか、ごはんというのか、
ま、その部分が節度をわきまえた「地」となり、「背景」となって
上手にその端正に整理された具の味を引き出している。

でも、貧乏なわたしやうちの子どもたちはそこまで。
お店にうかがうことはなかった。

ところが、あるとき、
母がその「みらくる」さんから英語の雑誌記事のコピーをもって帰ってきた。
で、「おまえ、“みらくる”のサイトーさんがこれを翻訳してくれるかと言うんや。
訳してあげてくれるか?」と言う。

おい、こら、なんぼ母親かて、息子の商売、勝手に約束してくな、
と言いたいところだったが、ま、いちおう、「なんで?」と訊いてみた。
「なんかサイトーさんのことが書いとるげな(書いてあるみたいだ)」と言う。
ふぅん、だが、見ると、雑誌『ニューヨーク』の記事だ。
な、なに、どこにその「サイトーさん」のことが……と思ってちらちらと記事に目を走らせると、
ありゃ、どこもそこもない、その記事全体が斎藤さんの話だ。

ニューヨークにクリントン元大統領も食事に行く
「ダニエル」という有名なフレンチのレストランがある。
あるとき、そこにニューヨーク中の名だたるフレンチのシェフたちが集まり、
その前で、日本から来たSaitoという寿司職人が寿司を握った、
とある。

おい、おい、これはえらいこっちゃ。
なんや、観音寺にもとんでもない人がいるんやな、と思い、
あわてて記事を訳し、母といっしょにその原稿を届けに行ったら、
これがまた、なんとも柔和で飾り気のない「かおんじ」(ネイティブは「観音寺」をそう呼ぶ)の人。
「ありがとなー、ひろっさん」と、にこにこしながら大きな声で言う。
で、ついでにちゃっかり、そのニューヨークのシェフたちが舌鼓をうったお寿司をいただいたら、
なるほどな、シャリをつつむネタがまた端正なたたずまいで、
口当たり八分、喉越し十分とでも言えそうな、抑制された味わいがある。

でも、まあ、それはそれとして、
ふむふむ、ほうほう、と言ううちにときは過ぎ、あるとき、
観音寺とはなんの縁もゆかりもない山梨のワイン会社、ルミエールに行ったときのこと。
会長の塚本さんご夫妻が「この前、ニューヨークでワイン会をやりましてね」とおっしゃる。
ん!?――と、ピンときた。でも、まさか、だ。
ところが、その「まさか」がほんとうになり、ご夫妻の口から「ダニエル」の名前がぽろりと漏れた。
しかも、その「ダニエル」のオーナーシェフのダニエルさんも日本に来て、
盛大にワイン会を開いたと言う。

なんや、なんや、そんなことなら「味楽留」の斎藤さんにもはよ知らせんと、と思い、
四国に帰ってさっそく斎藤さんのところへおじゃましたら、
「ああ、そのパーティやったら、わたしらも行ったがな」だって。

てなわけで、なんとも奇遇なことに、
わたしの右前方に見えてきたひそかなスゴ腕寿司職人と、
それより15年ほど前から左前方に見えていた、
ヨーロッパで知られる日本のワイン醸造家の雄が結びついたわけだが、
この斎藤さんの「味楽留」、
四国までお出かけの機会があれば、
どうぞ一度お試しあれ。

ともかく、端正。
四国の海べりの町まで行くと、鮮度だけなら、
町なかでかごを押して魚を売り歩いているおばあちゃんたちのネタだって最高クラス。
斎藤さんのお寿司には、そこに端正な「手」が加えられている。

それをめっけて、
全国からひょっこり食べに来る人たちのなかに、
WBCの監督をやっている人もいたような気がしたので、
夜なかにふっと思い出したわけでありました。

あ、味楽留のお寿司、食べたい。


by pivot_weston | 2009-03-24 08:05 | グルメ