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朝の風景

まんまるいお尻がふたつ、
こちらを向いている。

新宿中央公園のわきにある
(あ、いや、本来は公園のほうがわきにある存在だったのだろうが)、
熊野神社の社殿の前の朝の光景である。

朝の散歩のとき、
この熊野神社の境内のなかに窪地があり、
そのまわりを縄で囲っているのが気になった。

神社の周囲をめぐる方南通りと十二社通りには、
「十二社池の上」「十二社池の下」というバス停がある。

その窪地が、もしや、その「池」なのか、
と思い、境内のなかまで入っていった。

どうやらそうではないらしかったが、
窪地の前に立つ石碑を読んでいたときだ。

境内にふたりの女の人が並んで入ってきて、
社殿のほうへすたすたと歩いていった。

こちらは石碑を読んでいる。
江戸時代に、そこを江戸の名所のひとつとして紹介した人の碑文だ。

気がつくと、
入ってきた女の人ふたりが社殿の前に正座して、手を合わせている。
なかなかに念の入った祈りの光景だ。

と思いながら、また石碑に目を戻し、少し読んで社殿のほうを振り返ると、
そう、冒頭の光景、
まんまるいお尻がふたつ、こちらを向いていた。

正座して手を合わせていた女の人ふたりが、
社殿の前でひれ伏していたのだ。

なにを祈っていたのだろう。
家族の病気の快癒だろうか、一族の繁栄と幸福だろうか、
それは尋ねてみないとわからないが、
しばらくそうしてひれ伏していたふたりは、
顔をあげると、また、なにごともなかったように
無言ですたすたと歩き去った。

ともあれ、早朝、そうして社殿に参り、神を拝み、祈っている人たちがいる。
それが、今朝のささやかな驚きだった。

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by pivot_weston | 2008-12-31 09:18 | 西新宿

TとJ

毎日、TとJの相手をしている。

Tは10歳、Jは4歳。
ゆえあって、ママと別れて暮らしている。

行くと、飛びつき、じゃれてくる。
無理もない。
わたしが行かないと、ずっとふたりきりだ。

子どものころを思い出す。
わたしもよく、姉とふたりきりでいた。

何歳のときだったか、
家で姉とふたりでいると、
父がいつもの帰宅時刻でもない時刻に帰ってきて、
ただでもぎょろぎょろした目をさらにぎょろりとさせて、
「おかあちゃんが事故を起こして入院した。××へ行くぞ」
と、母の実家の在所を口にした。

そんなことの繰り返しだった。
幼いころ、家で家族みんなでのんびり過ごした記憶は
あまりない。

そのころの、姉とわたしの姿が、
TとJを見ていると、二重映しになる。

だから、帰りかけ、
手を振るわたしを見つめるふたりの姿を見ると、
もう一度引き返し、ちゃんと音も出せないギターを弾いてみたりする。

「家族」に対する渇望は、人一倍だった。
だから、自宅でできる翻訳の仕事も選んだ。

でも、一度、わたしも子どもをひとりにしたことがある。
次女が生まれるときだ。
「家族」に満たされていた妻は、わたしの考えに理解を示しながらも、
「家族」についてやや無頓着なところがあり、
出産で入院する期間、10日間だけ
乳児院に長女を預ける手続きをしてきた。

驚いたが、わたしは黙って従った。
そして、妻が入院して5日目に、1回だけ許されていた面会に行った。

ほころぶ長女の笑顔。
わたしの手を引くと、それまでの乳児院内での様子を見ていたわけでもないのに、
横顔から、はずむ足取りから、安心感やうれしさやなにかが伝わってくる。

誰かにいじめられ、目の下に小さな傷をつくっていた。
締めつけられる胸。

いつでも感情を素直に出せた姉と違い、
人一倍の「家族」への渇望を胸にかかえながら、感情を殺し、
非人間的なふるまいをする大人になっていたわたしの胸にも、
父親らしい感情があることを、そのとき実感した。

だが、手をつないで小さな池のまわりを歩いているうちに
定められた面会時間はたちまち過ぎ、
父親が立ち去るときの子どもの反応を予期して長女を抱きかかえる職員。
指示されるがまま、あたふたと立ち去るわたし。
逃げるようにして門をくぐろうとしたとき、
背後から、予期せぬほど大きな泣き声が追いかけてきた。

なんてひどいやつなんだ、おれは。
なんてひどい親なんだ、おれは。

そう何度も何度も口のなかで繰り返し、
バスのなかでうるんでくる目に、見るものを見つけようと、
秋の冷たい雨でくもった窓をぬぐった。

TとJの目からは、いろんなことがよみがえってくる。

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年の瀬

このところ、ちょっとショックなことが続いている。

年の瀬だ。

続くなら続くで、せいぜいいまのうちに続いて、
年が明けたら、一転して明るい話が次々と舞い込んでくるようになってくれるとありがたい。

西新宿の街を歩く人の顔にも、
中央公園のブルーシートで暮らす人たちの顔にも、
それぞれの状況、それぞれの思いが浮かんでいる。

高層ビルが林立する西新宿も、
十二社(じゅうにそう)通りを越えると、悪くない。
小さな住宅が軒をつらね、
家の前をほうきで掃く人が
お互いの「年の瀬」を語り合っている姿なども
なんだかいい。

人は無意識のうちに自分の住む場所を選ぶのかもしれない。
独身時代に住んだ新宿・住吉町(曙橋)も、
新婚時代に住んだ武蔵小金井駅前の、
大家さんが薪でごはんを炊く煙が見えたアパートも、
その後に住んだ東中野の静かな住宅街も、
そしてこの、西新宿から初台にかけての下町のような雰囲気の漂う町も、
みなどこか、とてもしっくりくるところがある。

まだ来て1年と2か月。
でも、もうこのへんの路地という路地はあらかた歩き尽くし、
あちこちで知り合いと会う。

いい町だ。

昨日はこの町のすぐとなりでなつかしい集まりもあった。

住み心地がよくて、
なにかあっても、ちょっと行ってこられる
というところもいい。

いろんなことがあったとき、
自分がほっとできるところがあるのはありがたい。

そういえば、
狂い咲きかと思ったこの前の桜、
無類の物識りの国井さんによると、
ちゃんと「10月桜」というのがあり、ちっとも珍しいものではないらしい。
あたりまえのことに驚けるのも、悪いことではないだろうが。

新しいPCを買って、2日ほど、中身の引っ越し作業に時間をとられた。
さ、そちらもおおかた終わったことだし、
「冬休みの宿題」もたんまり持って帰っていることもあるので、
そろそろ落ち着いて日々の営みを再開しなければ、だ。

この歳になると、なにがあろうと逆に関係ない。
残されている時間は短いし、
自分の生きていく方向はだいたい角度が定まっているし、
これまでの人生で出会った人たちから託されていることもわかっている。
あと必要なのは、その、だいたい定まった方向へ向かって、
残された時間だけ、自分にできることをやっていくだけだ。

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by pivot_weston | 2008-12-29 15:09 | 西新宿

ん! 春?

f0196757_7333755.jpg確か、
近づいているのは
早い春ではなく、
新しい春のはず。

なのに……

木の枝についているのは
決して紙吹雪などでは
ございません。

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by pivot_weston | 2008-12-26 07:38 | 西新宿

ちょっと変

おとといと昨日、2日続けて道で会った人がいる。

おとうさんもおかあさんも四国出身ということで、
前に食事中にお会いしたとき、
いろいろとお話をした人だ。

「おしゃべり」と言われるわたしをはるかに上回る、
ちょっと異様なほどおしゃべりな人だ。

この人の様子が、ちょっとおかしい。

おとといは気がつかなかったが、
昨日よく顔を見ると、あざができている。
開いた口にも歯がなくて、
あれ、そうだったかな?――と思った。

あと、前にも言われたことがあるが、
昨日も「翻訳してもらいたい手紙がある」と言われた。
手紙の受け渡し方法を指定しておいたが、
前回同様、肝腎の手紙は届かない。

なにか、変だ、明らかに。
虐待、けんか、クスリ……いろんなことが考えられる。
クリスマスだというのに……。

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by pivot_weston | 2008-12-25 07:53 | 西新宿

冬の公園

f0196757_8361589.jpgすっかり見通しのよくなった公園。

でも、暖かい日が差し、
陰の寒さが同居しながらも、
落ち着いて体をやわらげる
ことのできる散歩でした。

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by pivot_weston | 2008-12-24 08:37 | 西新宿

みな着々と

ドイツのヒュルトゲンバルトに住み、
四国へ遍路に来られたときに知り合った
ルドルフ&マーガレット・シュミット夫妻から
毎年恒例の日本語の年賀状が届いた。

アメリカのデトロイト郊外のノーバイで翻訳会社を経営し、
デトロイトを舞台にしたロブ・カントナーの探偵小説を訳すときに、
道路の構造などについて助言をしていただいた鈴木いづみさんからも、
毎年恒例のクリスマス・カードが届いた。

息子さんは弁護士とアニメーター、娘さんはバレリーナ。
みな着々と、安定した営みを続けている。

わたしはもうずいぶん前から揺れに揺れ、
揺れを止めようとしても止まらない時期が続いた。

だが、彼らの年賀状やクリスマス・カードを毎年見て、
ただうらやましく思う気持ちは感じられなくなってきた。

いくら遅かろうとかまわない、
いつでもいまがいちばん早い。
これからわたしもまた、築く人生を生きていきたいと思う。

あ、でも、郵便局の養老保険の引き落としが残不足でできません、だって。
あ、そういや、またやさしい言葉をかけてくれたロブへの返事も忘れてる。

ヤバヤバ、しっかりしなきゃ。

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by pivot_weston | 2008-12-23 23:55 | ブログ

大きな心

誰の人生にも、
あのとき自分がもっと大きな心をもてていれば、
と思うときがあるのではないだろうか。

そういうときは、挽回しようとしてもいけない。
必要なのは切り換えだ。

文章を書いていても、
あ、ここはなにかおかしいな、と思うことがある。
その気持ちを引きずり、
早く挽回してすっきりした文章に戻そうとしていると、
一方向のずれが、次に逆方向のずれを呼び、
またそのずれが、さらに逆方向のずれを呼ぶ、
というように、サイン曲線のように
延々とずれて揺らぐ文章になることがある。

そういうときは、いったんその文章の流れから離れてたっぷり睡眠をとり、
もう一度、ふんわりほんわかした頭で考えてみる。
そしたら、それまで見えていなかった大きな視野が開けてきて、
ディテールをどう修正すればよいかも、いっぺんに見えてくることがある。

微視的なずれは、結局のところ、
巨視的な視野に立たないと、根本的に修正されることはないのかもしれない。

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by pivot_weston | 2008-12-22 08:57 | ブログ

いい1日

いい1日だった。

朝から晩まで、出ずっぱりの1日だった。

楽しかった。
これからしばらく、
この日の余韻を大切にしながら過ごさなければならない。
この日の余韻を大切にし、
その「しばらく」の間にどういう人間に変貌できるか、
それがこれからのわたしの人生のチャレンジになる。

絶望することに慣れていた。
自分の人生にはつねに絶望が待ち受けている
と考えることに慣れていた。

でも、昨日、8か月がかりでとうとう
ほとんど歯のなかった口に歯のフルラインナップがそろったこともある。
今日1日でもらった希望をもとに、
これからは希望をいだき、ささやかでもそれを育てる毎日
を送るとしよう。

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by pivot_weston | 2008-12-21 23:45 | ブログ

球体

なんでも人の言いなりになる人がいる。

でも、本人にはわからない。
人を疑うことをよしとしないから、わからない。

落とし穴は「強さ」にある。
強くありたい、と願っている。
誰にも支配されたくない、自立していたい、と願っている。

自己完結する思考は円を描く。
いつでもいつでも円を描いていると、
その結果は球になる。

完全な球体は壊れにくい。
でも、外からなかに向かってはたらく力には強くても、
それ自体は、地面に少しでも傾斜がつくと、簡単にころがる。

自己完結した思考を守り、
なおかつ、誰をも疑いたくないと願っているから、簡単にころがる。

大仏さまの手のひらの孫悟空のようなものか。

それでいいのか、と思う。

でも、他人にころがされながらも、自己完結しているから、
まわりの声は耳に入らない。

強い、強いはずの人間が、いつでも誰かにころがされる。
いつでも誰かにもてあそばれる。
それでも球体は自分の自立を信じて疑わない。

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by pivot_weston | 2008-12-20 09:42 | ブログ