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ジンツァン

孫が生まれるとなると、
まわりから「おじいちゃんになるんですね」という
言葉をかけられる。

そのとおりだし、
それは自分の選択ではなく、子どもの選択によって生じる変化なので、
あえて抗弁しようとは思わないが、
自分の選択ではないからこそなのか、
いや、そもそも変化とはすべてそういうものなのだろうが、
やはり、なにか変だ。

仕事先でひと足先に「おじいちゃん」になった人は、
「じいじい」をもじって「ジェイジェイ」と呼ばせることにすると言って、
その、周辺から押し寄せる変化に対応しようとしている。

どうもなあ、とわたしは思う。

それで、「大西さんは孫にどう呼ばせるんですか?」と訊かれたとき、
わたしは「ずんつぁん」と答えた。

仙台で過ごした学生時代によく耳にした呼び名だ。

長女が生まれたときも、
最初は家のなかで「とうちゃん」「かあちゃん」と呼ばせていた。

ところが、幼い子どもでも体裁を意識するものらしく、
保育園に入ったとたん、長女は「おとうさん」「おかあさん」という、
こちらからするとなんだか耳慣れない言葉を使いだした。

まあ、孫の場合もとりあえずは「ずんつぁん」あたりからスタートするのが
おもしろいかもしれない、と思っていた。

そしたら、昨日、台湾語の勉強に行ったときに、
この言葉に別の角度から光が投げかけられた。

台湾語では、「すばらしい」を「ジンツァン」と言うのだという。
「真讃」だ。

あ、なんだ、「讃」は讃岐出身のわたしにはゆかりのある文字だし、
これ、いいじゃん、と思った。

ひとつの言葉に時代の経過とともにいろんな角度から光があてられ、
その言葉自体が変化していく。
そんな光景を、わたしはきらいではない。

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by pivot_weston | 2008-11-30 07:47 | 台湾

王身代さん

ひと月ほど前にこのブログに登場していただいた
アルクの元編集長の王身代春樹さん。

みなさんも、このお名前を見れば、
一度は聞いてみたくなるだろう。

この苗字はどうしてできた苗字なんですか?

そんな、誰もがいだきそうな疑問を、
わたしも、この前、
知り合ってざっと30年目にして
ようやくぶつけてみた。

すでにインターネット上でも紹介されているみたいだが、
やはり、王様の身代わりなのだという。
しかも、驚いたのは、
おじいさまの代までは2軒あることを許されなかったという点。
男の子がふたり以上生まれたら、
次男以下は改姓を余儀なくされていたのだという。

つまり、それまではいつの世にも
王身代さんというお宅は1軒しかなかったということ。

言ってみれば、「王身代」さんというのは
固有名詞であって、代名詞だったということ。
「大西」なんていう固有名詞の持ち主が大勢いて、
代名詞の持ち主がひとりしかいない。
そんなねじれ現象がおもしろい。

え、待てよ、代名詞、固有名詞ってなんだ?

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by pivot_weston | 2008-11-29 10:57 | 人物

秋色深く

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雨上がりの秋の日の、
神田川にさす
午後の日差しです。

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by pivot_weston | 2008-11-28 14:53 | ブログ

寝ても覚めても本の虫

そのとき、
子どものころからテレビのホームドラマでよく拝見していた役者さんの目が、
くりくりと、少年の目のように輝いていた。

それまでに見ていたその人の顔とはまるで違う。
懸命に、画面のこちらへ向かって、
わかって、わかって――と語りかけてくるような迫力も感じる。

15年ほど前、NHK-BSの『週刊ブックレビュー』を見ていたときのことだ。

あ、この人に作品を読んでもらいたい、と思った。

もしかすると、ほかにもそう思われた本作りの世界の人が
大勢いらっしゃるのではあるまいか。

『週刊ブックレビュー』の児玉清さんは、
ご自分で「わたしは本が好き」とおっしゃらなくても、
全身からそのお気持ちを発散されていた。

それで、まあ空振りに終わってもいいや、と思い、
ロブ・カントナーという作家の本を1冊お送りした。

すると、驚いたことに、しばらくたってから、
やや淡いインディゴブルーのインクの万年筆で書かれた
ご自筆の礼状が届いた。

力強く、躍動するようで、また同時に、書きなれた感じで、
どこかかわいらしくもあるその筆跡からも、
やはり「わたしは本が好き」の思いが迫ってくる。

「わたしは独文科の出身で、ドイツにあこがれていた」と書いてあった。

わたしも10代のころにドイツにあこがれていた時期があった。
現実を知らない、田舎の夢多き少年として、
ハイデルベルク大学で勉強したい、と思い、
願書を取り寄せたりしていた時期もあった。

だから、またまたうれしくなり、
そんなことを書いて返事を出すと、
今度は、児玉さんがハイデルベルクを訪れたときに描かれた
ネッカー川にかかる橋のスケッチなどが入った
テレホンカードを送ってくださり、
ストラスブールで吉永小百合さんとドラマのロケをしたときの
エピソードなども教えてくださった。

不思議だった。
子どものころからブラウン管を通して拝見していた
はるかな存在のかたが、
手紙の向こうで躍動しておられる。

だから、その後、なんとかあの、
少年のように目をくりくりと輝かせておられる
児玉さんに喜んでもらえるような本を作りたい、
と思いながら本作りを続けてきたが、
残念ながらまだ、わたしの力では、
あのかたのお眼鏡にかなうような本は作れていない。

そんな、児玉さんの本を、
おととい、歯医者さんに行ったときに近くの本屋さんで見かけた。
題して『寝ても覚めても本の虫』。
手にとりながら、あの躍動するようなインディゴブルーの筆跡が脳裏によみがえり、
心中、ふふ、と笑いがもれた。

読みだすと、これがまたおもしろい。
職業書評家のかたの書評やなにかは、
お金をもらって書いている形跡がありありでおもしろくないが、
児玉さんの文章は「本好き」だなどという説明を必要とせず、
読者などそっちのけで(と書くと語弊があるかもしれないが)
夢中になって世界の本の流れをスラロームしていくような観がある。
(それが、あまりにも素直で、躍動感のある文章で表現されているので、
結局、読者はちっとも「そっちのけ」ではないのだが。)

みなさんも、お近くの書店で見かけたら、ぜひ一度、手にとっていただきたい。
新潮文庫。『寝ても覚めても本の虫』
よろしく。

児玉さんは、ダンディにして、少年のようでもあり、また同時に、
とても強い人でもあると思っています。

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歯がはえた

長年、わたしはリスさんだった。

上の歯は2本しかなかった。

それに気がついたチンさんに、
今年の3月、歯医者さんを紹介してもらった。

木下道郎先生が通っている
中野坂上の小椋歯科クリニックだ。

以来、8か月、こつこつと
荒れ果てていた口内の整備をしていただき、
昨日ついに、
まだ仮歯だが、ともかく
2本だった上の歯が6本になった。

つい笑みがこぼれていたのだろう。
「どうしたんですか、大西さん?」
冷やかすような歯科衛生士のかたの言葉も
なんだかうれしい。

上の歯と下の歯があたってカチカチいう感覚なんて
いつ以来だろう。

長く、
自分の体や身なりのことなんて、
頭のなかからすっ飛んでいた時期が続いた。

自分のボディイメージに気を配れる生活もいいものだ。

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by pivot_weston | 2008-11-27 08:47 | ブログ

緊張の糸

誰でも多かれ少なかれそうだろうが、
昔から、
これが切れると猛烈に眠くなる。

昨日もそんな1日だった。

ワイン会社ルミエールの会長
塚本俊彦さんの業績の集大成とも言える本を作りたい――
そう言って協力を頼まれたのは、
去年だったか、今年に入ってからだったか、
ともかく、それから何度も何度も企画書を書き、
サンプルページを作ってきた。

わたしが打診した出版社は
どこもあまり乗り気になってくれなかった。

でも、ここへ来て急に、
塚本さんご夫妻と親交のあるガラス工芸家
由水常雄さんのご紹介で、
ある出版社が乗ってくれそうな雰囲気になってきた。

折りから、
ボルドーのワイン・シャトーの団体、
アカデミ・デュ・ヴァン・ド・ボルドー
の代表団が来日している。

今回の企画は、
その団体が全面的にバックアップしてくれることになっている。

だから、おととい急に、
「明日までに英文の企画書を作ってください」
と頼まれた。

それで、おとといの夜、それをざざざーっと作ったら、
なんだかとてもほっとした気分になり、
昨夜は眠気を制御することができなかった。

ともあれ、一歩前進だ。

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by pivot_weston | 2008-11-27 08:45 | ブログ

去来する風

長く、
いちばんに信頼して話をしていた人が
実は遠い存在だったと気づくときがある。

田舎でまじめに勤めをしながら墓守をしていた父も、
大の仲良しだったいとこが脳梗塞で倒れ、
そのいとこを病院に見舞ったあと、
「風二」の俳号そのままに、風のようにいなくなった。

いまも生きていれば、
ふたりでいい酒が飲めたのに、
と思うことがある。

でもまあ、誰の人生も一歩一歩、
その人その人の決断と前進の繰り返しだ。

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by pivot_weston | 2008-11-27 08:43 | ブログ

失言

麻生さんを笑えない。

わたしも毎日「失言」の山だ。

ちょっと気を抜くと、すぐに失礼な言葉が飛び出す。

なぜだろう。

天秤ばかりを水平に保とうとすると、
右に重しがかかったときには、左にも重しをかけないといけない。
左に重しをかけるのを忘れて、右側で「うーん」と重しをかけていると、
左側がぴょんと跳ね上がり、失言が飛び出す。

では、その「うーん」とはなんだろう?

わたしは思ったことを腹にため込む傾向がある。
それを、言うまい、言うまい、としていると、
おのずと注意は右側に集中する。
でもって、左側が跳ね上がっていても、気がつかない。
そして、つい、話題が右側からそれたときに、
その、知らぬ間に跳ね上がっている左側の竿の先から、
とんでもない言葉が口をついて出る。

だとしたら、いちばんの問題は、
そもそものはじめに、右側に重しをためることだろう。
「口では言えないこと」をなくすのがいちばんだ。

なんでも言える、というのが、誰との間でもいい関係だ。

貯金と違い、「言いたいこと」はためてもろくなことはない。
いや、ためればためるほど、ろくなことはなくなる。

やはり問題は、いかに「ストレート」になるか、だ。

「潔さ」がキーワードになるか。

いいじゃないか、どうせ死ぬときはひとりなんだ、
人に気を遣って自分の時間をしんどくするなんて愚の骨頂。
言いたいことはそのつどさらりと言って、
いつでも自分の輪郭はすっきり、くっきりさせたほうがいい。

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by pivot_weston | 2008-11-25 08:01 | ブログ

絶望と希望

1日のうちに、いろんな人と会い、話をしてきた。

ある人は、絶望のなかで再出発をし、
へこたれてなどいられぬ状況をバネに
猛烈にがんばってきた。

その内面のありようは、はた目にもよくわかる。
心づかいが濃やかで、
ご自分のもっている才気がフルに発揮されているように感じる。

ある人は、絶望のなかでどっしりとかまえ、
目の前の重い現実のなかに
小さな希望や喜びを見出そうとしている。

はた目には、まったくブレがないように見えるが、
それは、ご自分の人生を大切にしたいと思い、
内面から湧き起こるものを懸命に制御しているからだろう。

ある人は、サクセス・ストーリーのなかにいる。
でも、ちょっとした不運もあって、
その背景には絶望をかかえている。

だが、夜のホテルのバーで葉巻をくゆらせながら話をするその人の姿からは、
その人がこれまで「攻め」の姿勢で多くの困難を乗り越えてこられたときと同じように、
子どものような元気のよさや負けん気や心のゆとりのようなものも漂ってくる。

これから用意されているのは、決して絶望だけではないと思う。

わたしはみなさんからいろんなことを学ばせてもらっている。
学ばせてもらったことを糧に、みなさんのそばで生きていけば、
必ずやみなさんが与えてくれたものがご自分にフィードバックされる
ときが来ると感じている。

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by pivot_weston | 2008-11-24 09:56 | ブログ

兆し

もういつからか、
すっかり薄れていた家族の結びつきが、
ほんのかすかにだが、
少しずつよみがえりつつあるように感じる。

もとは、とても結びつきの強い家族だった。
その結びつきが、少し強すぎたのかな、
と反省することもあった。

そういう家族になったのは、
おもにわたしの考えからだった。

昭和30年代から40年代にかけて、
わたしは田舎でカギっ子として育った。

いや、幼いころには、
どこへ行くにもいっしょにつれて歩いてくれた祖母がいた。

その祖母が亡くなってから、
外で遊んで帰ってきても、家に誰もいない日が多くなった。

まだ農業がさかんだった時代だ。
子どもは田んぼで農作業をする家族のまわりで遊んでいた。

西の空が赤く染まり、肌に触れる空気がひんやりしてくると、
友だちの家族が帰りじたくを始め、
友だちも自分の家族のまわりでちょろちょろしだす。

「いっしょに乗っていくか?」
友だちのお父さんがそう言って、耕うん機につないだ荷台に乗せてくれたときには、
ことのほか心が弾んだ。

でも、そのあとは、田んぼのなかの川沿いの道をとぼとぼと歩き、
闇のなかに黒く沈む村はずれの自宅に帰った。

わたしが翻訳業という自宅でできる仕事を選んだのも、
ひとつには、そんな経験があったからだった。

でも、経験のない人間には、
うわべは見えていても、なかに身を置いたときの実感はわからないわけだから、
いざ経験のない暮らしを手に入れたときに、戸惑うことも少なくない。

わたしも、濃密な家族をつくっておきながら、
実はそれに戸惑いをおぼえることが、ままあった。

そして、大きな出来事。

表面的には、それがきっかけになって、いろんなものの歯車が狂い、
家族のつながりが薄れていった、
と考えるのがわかりやすいかもしれない。

だが、ほんとうは、それだけではなかっただろう。

アメリカでは、子どもは、
14歳になると旅に出て、
代わりに、よく知らない子どもが入ってきて、
25歳くらいになると、またもとの子どもが帰ってくる、
と言われているらしい。

わたしは、濃密な家族のなかでの子どもがどうあるかということをよく知らなかった。

だが、子どもたちには、少なくともその一端くらいは垣間見えただろう。
その子どもたちが、いま自分たちの子どもをつくり、
自分の経てきた時間を背景に子育てをしようとしている。

どんな人の人生も、人類の遺伝子の長い歴史のなかの一部だ。
わたしの人生も、右に曲がろうが、左に曲がろうが、
ともかくいい方向に一歩でも前進できることにつながってくれればと思う。

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by pivot_weston | 2008-11-23 10:35 | ブログ