カテゴリ:仕事( 24 )


春の知らせ

 昨日、少しいい知らせが届いた。

 翻訳の世界には「トライアル」というものがある。役所の発注事業もできればすべて競争入札で――という時代だから、翻訳の世界でも最近はほとんど、仕事をもらえるかどうかは競争で決まる。その競争でさせられるのがこの「トライアル」、つまり試し訳だ。

 先日、お世話になっている翻訳会社から、またトライアルの依頼が来た。以前はその会社の先兵役をしていたが、最近はたまに引き受けても「値段が折り合いませんで」ということが重なり、もしかすると、営業の人が気を遣ってそう言ってくれているのではないか、などと勘ぐるようにもなっていた。

 背後にある大きな仕事をとるために、その断片をちょびっとやらせてもらう仕事。だから、収支は厳しくなる。たとえば、富士山を描く人を決めるために、その裾野の一部を描かせるようなもの。ほんのちょびっとだからといって、適当にどこの山だかわからない山裾を描いたら、選んでもらえない。だから、まずそれが富士山の山裾だということをつきとめて、富士山の山体がどういうものかも把握し、いかにも富士山らしい山裾を描かなきゃならない。必然的に手間がかかり、今回も3日かけた。で、それだけなら、わたしの売り上げは2480円。おいおい、日給800円かよ――なのだが、ここを通らなければ広々とした原っぱに出られないとしたら、通るしかない。ま、正直、こんなことをしていて、いつまで生きていけるんやろ、という思いも湧いていた。

 でも、どうやら、今度のお客さんはこちらを選んでくれたらしい。誰かと気持ちが通じるのはうれしい。お客さんの目的や考えや会社のイメージや、いろんなことを考えてつくった訳は、ほんのちょびっとでも、こちらの気持ちのかたまり。それを認めてくれたということは思いが通じたということだろう。とくに、今回のお客さんは、営業の人だけでなく、現場担当のこちらとも会って話がしたいと言っているらしい。ご自分たちの考えを伝えたがっている人――最近、そういう人が少なくなった気がしているけど、考えを表現する側にとっては、おし、望むところ、そうこなくちゃ、だ。

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by pivot_weston | 2012-04-11 10:15 | 仕事

伝える行為の変質

週末に頼まれて、
観光ガイドの翻訳をした。
(みんな、週末に頼んで
週明けにできてたら
都合がいいと思って
そうするのだろうけど、
みんなが遊んでいる間に
こっちは汗かきかき
なんだからネーッ!
ったく、モーッ!)

原文がひどい!
英文がひどい!
事実関係も間違っている!
――というわけで、
時計とにらめっこしてる間は
カリカリしていたのだけど、
これはもう、やはり、
文字(活字)で伝える
という行為の内容が
変質してきてるんじゃないか
と思えてきた。

事実関係に多少おかしな
ところがあってもいい。
情報の送り手のほうは、
とりあえず思いついた言葉を
文章のいい悪いなんて
どうでもいいから、
とりあえず雰囲気にまかせて
書きつらねていく。

情報の受け手のほうも、
そういう時代になってきた
ことを心得ていて、
とりあえず書きつらねられた
言葉の集合のなかから
自分に関係することや
自分が関心をもっていること
を判読していく。

過ぎし日々に
微妙な言いまわしや表現で
伝え、受けとられていた
ニュアンスや味わいは
忘れられていくかもしれない
けど、一見荒っぽく思える
新しい情報のやりとりからも
なんやら、
やってるうちに浮かび上がる
ものがある。

だから、それでいいじゃない
か――ということかな。

スピード。
効率。

重んじられるものが
そちらへシフトし、
わたしたちの情報伝達の
スタイルは
新しい時代へと変容しつつ
あるのかも
――なんて思う。

さ、
ドンガメのおじさんは
このままじゃ
とりえなしになっちゃう。
オタオタと時代に
ついてかなきゃ。
(でも、ホント、雰囲気だけ
で書きつらねられてる英文て
訳すのがホネなんだよね、
これが。)

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by pivot_weston | 2011-08-08 12:03 | 仕事

翻訳の醍醐味

昨今では、
わたしたち翻訳者の仕事は、
おもに各方面の専門文献を訳す仕事に変化している。

小説などの場合にも、
ほかの誰でもない原作者の内面世界を描いている
という意味で、一種の専門文献と見ることができる。

最初に読んだときには、
目で字面を追うことはできても、
厳密には、なにを書いているのか、よくわからない。

気体の状態だ。
文献を構成する要素が気体の分子のように拡散している。

でも、
仕事だからお客さんが待っているし、
自分も食べなければならないので、
とにかく、ええい――と、ひとつの言葉から置き換えを始める。

自分のフィルタを通す作業だ。
気体がそこで凝結して液体に変化し、
ぽたり、ぽたりと自分の内面にしたたり落ちる。

気体とは違い、
液体には、確かな手ごたえ、というか、
内面で感じるものだから、「腹ごたえ」とでもいえばいいのか、
いや、感じているのは脳だから、「頭ごたえ」といえばいいのか、
ともかく、そのナントカごたえがあるし、
滴下する量が、ひと粒、またひと粒とふえるにつれて、
重みも増してくる。

でも、最初は、その滴をどこにころがすのがいちばんいいのかも
よくわからない。
とりあえず、心のなかの地面のまんなかあたりにころがしてみる。

囲碁の序盤の石の置きかたなどにも通じるだろうか。
こちらに一滴、あちらに一滴とたらすうちに、
それがひとつの池になり、かたちをとってきて、
ああ、これ(原文)を書いている人が言いたかったのはこういうことだったのか、
というものが見えてくる瞬間が訪れる。

そうなると、
気体の分子をつかんでフィルタに通す作業も加速する。
池のかたちが見えてくればくるほど、
次の気体の分子はフィルタのどこらへんに通せばいいかもわかってくる。

最初の、わけのわからない状態から、
池のかたちがぼんやりと見えてくるとき――
この瞬間が、この仕事をやっていて最大の快感が得られるときだ。

もちろん、世のなかには、
頭のいい人も、外国語の達者な人も大勢いるので、
そんな翻訳者ばかりでもないのだろうが、
わたしのように、頭が悪く、英語も不得手な英語翻訳者にとっては、
その瞬間がいちばん心地よい。

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by pivot_weston | 2009-11-06 18:19 | 仕事

ふとしたこと

人生の経路というのは、
ふとしたことで変わることがある。

先日、
30年ほど前の同僚と会い、
その当時からずっと経営者の座にいる社長といっしょに
つくっていた雑誌やなにかを見ていたら、
その会社の当時の所在地が出てきた。

〒150 東京都渋谷区広尾3-……

これが、わたしにとっては、
その会社から次の経路へ向かうきっかけだった。

いまでは社員何百人かの大所帯になっているが、
その当時のその会社では、
社員20人ほどが3階建てのマンションの3つの部屋に分かれて、
ごそごそと仕事をしていた。

わたしは編集者を希望して雇ってもらったが、
面接のときに「なんでもできますよ」と大ボラを吹いても、
実際には、まったくのトーシローだったので、
ひとりひとりが自立して動けなければならない少人数所帯では
編集者軍団の一翼をになうことはできず、
その当時は営業の人ばかりで構成されていた広告部に配属された。

で、なにをやったかというと、
まだ専門の制作者がいなかった広告の制作。

書籍広告なので、派手なことはできないが、
新聞や競合誌など、広告を出すところはけっこうあって、
2日か3日でひとつつくったら、また次のをつくらなければならなかった。

最初のうちはそれでも、
へえ、と勉強することばかりだった広告制作の仕事が
徐々に自分の無意識の領域に入ってきて、
いろんなことを考えてできるようになるのがおもしろかったし、
自分の書いた原稿があちこちの新聞や雑誌に載ることもあり、
会社にいても、家に帰っても、徹夜をしても、
夢中になってその仕事に取り組んでいた。

でも、あるとき、ふと思った。

まだワープロ専用機もろくに出ていない、手書きの時代だ。

技量が上がって「2日か3日で」が「1日で」になったら、
あれ、おれ、毎日この住所を書いてるなあ――と思った。

来る日も来る日も、必ず
原稿の最後には、先の
〒150 東京都渋谷区広尾3-……
を書いていた。

あ、30年たったいま、キーボードで入力していても、
なんか他人(?)とは思えない感覚がある。

そう、パソコン時代なら、流れは違っていたかもしれない。
でも、手書き時代のわたしは、
毎日毎日こんなことをしていてどうなるのだろう――と思った。

若者は、経てきて、見渡せる時間が短い分、
成長を急ぎたがる。

その前に、その会社に勤務しながら
アルバイトで本を1冊訳していたこともあった。

だから、見渡せる時間が短いだけでなく、
すぐに自信過剰になりがちな若者としては、
よし、こんなことをしている場合じゃないわ、
もうやめて、フリーの翻訳者として生きてってみよ――と思った。

ふとしたこと、だ。

結局、その後、定年までいた当時の先輩社員もいて、
とてもいい会社だったので、
当時の同僚と会うと、
ああ、おれもあのままあそこにいたらどうなっていただろうな――
などと思うことがあるが、
それはあくまで経てきた道を振り返って思うことであって、
経ている最中の、リアルタイムの心の揺れはどうしようもない。

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by pivot_weston | 2009-10-23 11:41 | 仕事

やっと終わった

ドイツ語圏の人が書いた
ハチャメチャなドキュメントの翻訳
7件がやっと終わった。

納期から3日も遅れてしもうた。
また3日分、収入が減ったわけだ。

ほんと、
つくったやつがそばにいたら、
ドツキまわしてやりたくなるようなドキュメントだった。

まあ、
コミュニケーションの仲立ちをする翻訳者なんか、
勝手に陰で苦労させときゃええ――
というご意見もあるかもしれないが、
意味や気持ちの伝わらない製品は売れまへん。

みなさんもドキュメントをつくるときには、
ご自分の領分でせいぜい気持ちを入れてつくりましょう。

トゲのある表現かもしれませんが、
いまの気持ちはトゲだらけ。
さ、遊びに行って、
トゲの先っちょを鈍らせてくるといたしましょう。

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by pivot_weston | 2009-10-11 11:07 | 仕事

間の10cm

前に少し触れた
ドイツ語圏の人が書いた英語のドキュメントの翻訳に
つかまっていた(いや、まだ完全に足が抜けたわけではないのだが)。

30年前、
わたしが大学をやめて翻訳学校に入ったころには、
英語は論理的だが、
日本語は論理的ではない、
とよく言われていた。

日本語という言語そのものが論理的でない、
というのだが、とんでもない話だ。

論理的でない人が書いたら、
何語で書いても文章の論理は伝わりづらくなる。

いや、
「論理的でない人」という表現では
抽象が勝ちすぎるか。

要するに、
人とのコミュニケーションにあまり心を砕かない人、
とでも言えばいいのだろうか。

言葉の意味をひとつひとつよく考えてみない人、
と言ってもいいかもしれない。

その手の人が行うコミュニケーションは、
ひと口に言って、粗雑だ。

インターネットが普及し、
世界中の人と人とのコミュニケーションが飛躍的に増大するのにともない、
その手のコミュニケーションが増えている。

今回の原文のドキュメントも、
すでに堂々とWeb上に掲載されている。

それでいて、誤字脱字の山、わけのわからない言葉のオンパレードだ。
ある装置を売らんがためのカタログなのだが、
こんなドキュメントをつくって、
しかも人目にさらしているようでは、
果たしてほんとうに売りたい気持ちがあるのかどうか、
疑いたくもなる。

なんの製品でも同じだろうが、
10ある機能のうちの9の機能が伝わってくる製品と
100ある機能のうちの1しか伝わってこない製品では、
いくら機能に10倍の開きがあっても、
前者のほうを買いたくなるのが人情というものではあるまいか。

わたしたちの商売は、
言語の異なる人と人との間に立って、
そのコミュニケーションの仲立ちをしている。

人と人との距離を30cmの物差しにたとえると、
うまくコミュニケーションが成立するのは、
その30cmの目盛りが両者の気持ちで余すところなく塗りつぶされたときだ。

まあ、ふつう、異言語・異文化間のコミュニケーションでも、
情報の発信者が本気でコミュニケーションをしようと思っていれば、
そちらのほうで最初の10cmくらいは塗りつぶしてくれている。

こちらはその次の10cmを塗りつぶし、
最後の10cmを塗りつぶしてくれる人、
つまり、商品の購買者が現れるのを待つことになる。

しかし、今回の原文のドキュメントを書いた人のように、
最初の10cmをろくに塗らないか、まばらに塗るか、
あるいは薄くしか塗らないような人がいると、
仲立ち役のこちらが自分の領分をはみ出してそちらまでさかのぼり、
塗り足したり、すきまを埋めたり、塗りを濃くしたりすることになる。

それでどうにか発信者と仲立ち役の気持ちの合計を20cmまで届かせ、
あとの10cmを差しのべてくる消費者との気持ちの握手が無事に成立し、
商品が作り手から使い手のもとにわたったとしたら、
おい、こら、売り上げの一部もこっちの仲立ち役によこさんかい――
と言いたくなるのは、おそらくこの偏屈仲立ち役だけではないだろう。

でも、よこしてくれることは、ない。

言葉なんて、適当に並んでいて、まあなんとか伝わりゃいいんだ、
くらいに思われていて、
消費者から見える商品の鮮明度が
そこに空気のように並んでいる言葉の選びかたや並べかたや
視覚的効果の仕上げかたなどに大きく左右されることには、
たいして注意を向けてもらえない。

その結果、
仲立ち役は、なか10cm分の仕事を
10cm分の報酬をいただきながら20cm分の時間をかけて仕上げることになる。

いや、なにも、わたしひとりの不平不満を言っているのではない。
いまの世のなかのありかたを言っている。

商売、つまり、人の営みはみな、、
つきつめれば一種のコミュニケーションになっている。

いまという時代が、
そのプロセスを支える「人間」の要素をずいぶん軽視し、
末端にある「物」にばかり注目する傾向を強めていることには、
大田区あたりの町工場の職人さんも同感してくれるだろう。

このままじゃ、
人の営みを支える「人間」の要素が
ひとつ、またひとつとつぶれて、消えてなくなる。

そのときには、世のなかは虫に食われた洋服のように
穴だらけになるのだろうか。

ともあれ、
やはり子どもの目の前で親がズボンにツギをあてるような土壌が必要なのか、
と、ドイツに向かって、むなしく思う。

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by pivot_weston | 2009-10-06 17:03 | 仕事

困ったときはひとつずつ

頭と体がバラバラだ。

このところ、
頭のなかで生活のスケジュールを描いても、
体がついてこないことが多くなった。

よく眠れることは、
ひところの状況から考えると、とてもいいことだと思うのだが、
「とてもいいこと」だけでは暮らしがまわっていかない。

頭のなかのスケジュールの描きかたを変えなければならない
のかとも思うが、
そんなグランドプランを考える前に、
目の前に迫ってくる課題をこなしていかなければならない。

10時間の仕事に20時間もかけるような仕事のしかたも、
自分の分や能力を心得て、
あらためていかなければならないのかもしれない。

ともあれ、
ちゃんと焦点を絞って目の前のものを見ようとすると、
いつでも見えるのはひとつの課題だけ。

困ったときは、四の五の考えるより
その課題をひとつずつ見て、ひとつずつこなしていくのがいちばんだ。

昨日も、ある若いスポーツ選手の言葉に
自分のヒントになりそうな言葉があった。
それを頭のなかで唱えながら、ひとつ、ひとつ、
といくとしよう。

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by pivot_weston | 2009-09-28 08:39 | 仕事

ジャーナリストの勘

テレビでジャーナリストの人が話すのを見ていて、
ふと、
ある作家兼ジャーナリストさんのもとで
太平洋戦争開戦前の状況を描き出す本
の制作を手伝っていたときのことを思い出した。

その少し前、
わたしは友だちのトムさんが運転する車で
アメリカのカリフォルニア州の太平洋岸に沿って
州道1号線を走っていた。

風向明媚な岩石海岸ビッグ・サー
を過ぎたあたりだったか、
それとも、スペイン風の美しい町
サン・ルイス・オビスポにさしかかる手前だったか、
ともかく、なにもない砂地の海岸線が続いているあたりで、
いきなり現れた「ゴルフの打ちっぱなしのネット」にぎょっとした。

あ、いや、
わたしがそう感じただけで、
実際には「ゴルフの打ちっぱなしのネット」など
あるはずもない場所だったのだが、
「なーに、これ?」と尋ねたわたしに
トムさんは「レーダーだよ」と答えた。

そういえば、海岸線に並んだその「ネット」は、
みな海、つまり太平洋のほうへ向いている。

だから、あっ、と思い、
「もしかして、対日本軍用の?」と訊いたら、
「そう」と言う。

へえ、と思った。
戦争中、アメリカは余裕でかまえていたのかと思っていたので、
海岸線に巨大な「ネット」を立てて、
日本軍機の襲来に備えていたというのは
とても意外だった。

おもしろい、
これはどこかで使える情報だと思った。

だから、その本の制作スタッフの合宿のときに、
中心になるその作家兼ジャーナリストさんに
その話を伝えた。

「そんなの、ウソだ。
ウソに決まっているじゃないか。
あの時代にレーダーなんてなかったよ」
と言う。

む。

おもしろい情報だと思っていたところへそう来ては、
ちょいと不満が頭をもたげてくる。

「いや、でも、ほんとに……」と反論を試みたが、
結局、そのネタは使われずに、風と消えた。

たぶん、トムさんがウソ、というか、
間違って仕込んだ話をしてくれたのだろう、
と、いまでは思っている。

ただ、このときの作家兼ジャーナリストさんとのやりとりは、
どこかでジャーナリストさんを見たり、
ジャーナリストさんの書いたものを読んだりしているときに
よくよみがえってくる。

そして、そのつど、
わたしも若いころに雑誌記者をしていた時代があったが、
あのまま記者になろうとしなくてよかった、と感じる。

わたしは、ことの真偽よりおもしろさにひかれる。
要するに、早い話が、かなりいいかげんな人間だ。

その点、ジャーナリストとしてひとり立ちしている人たちは、
みなkeenな嗅覚をもっている。
もちろん、なにごとについても、あとでウラをとるのだろうが、
まず最初に遭遇した場面で、
こら違う――と判断できる嗅覚をもっている。

ジャーナリストになる人のいちばん大切な特性のひとつだろう。
わたしもできればそういうものをもてるようになりたい、
と思っていた時期もあるが、
そう思う端から
根も葉もない(かもしれない)おもしろさにひかれていってしまう。

まあ、そういう人間も
生きていってはいけないとは誰も言っていないだろうから、
しかたないか、と思っているのだが。

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by pivot_weston | 2009-09-26 07:38 | 仕事

壊れていく言葉

言葉が壊れている。

世間では、それほど認識されていないかもしれないが、
いま、猛烈な勢いで、言葉が壊れている。

インターネットの時代を迎え、
さまざまな言語を母語とする人たちが
ひとつの枠のなかでコミュニケーションをしている。

齟齬が、生まれる。

でも、齟齬は、
人と人とのコミュニケーションにあってはならないものではない。

むしろ、齟齬を容認しないと、
人と人はコミュニケーションができないかもしれない。

結果的に、必然的に、
齟齬を多くはらんだ言葉が
人と人の間を行き交うようになっている。

世界中の人のコミュニケーションの量が増せば増すほど、
その齟齬の量と程度は増大している。

それでも、多くの人は
「通じればいい」と、その齟齬をさらに容認していく方向へ動いている。

言語、コミュニケーションの必然、宿命だ。

齟齬が、論旨の枝葉末節にとどまっているうちは、
それでもコミュニケーションは成立し、
それぞれの言語が少しずつ変化し、
新しいインターナショナル言語誕生の方向へ向かっていく。

だが、いまはコミュニケーションの量の増加の勢いが
その変化の勢いを超えて増大しようとしており、
齟齬が、論旨の主幹、要点にまでおよぼうとしている。

論理不明確、ならまだいいが、
論理のでたらめな言語までが
人と人の間を飛び交いだしている。

「通じればいい」との思いからだろうが、
それは、通じているとはいえない。

人と人の間の言語の置き換え作業の現場にいて、
このところ、まかされるドキュメントには、
まるで論理の筋が通っていないドキュメントが多い。

英語を母語としない人たちが書いた英語を
日本語に置き換える作業だ。

こうなるともう、
英語を日本語に置き換えるという
単純な言語の置き換え作業ではすまない。

まず第一に、論理の究明と再構築の作業が求められる。

自動翻訳ソフトウェアが普及し、
人と人の間のコミュニケーションの流れはますます加速し、
流量を増しているが、
それを好ましいものとして受け入れる一方では
大洪水を招く可能性もある。

もっとも、
伊勢湾台風に襲われた名古屋が立派に復興しているように、
大洪水に見舞われたからといって、
人の営みが変わるものではあるまいが。

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by pivot_weston | 2009-09-23 07:33 | 仕事

秋眠を起点に

そんなに暑い夏ではなかったのに、
肌がさらさらしてくる時期が来ると、
よく眠れる。

いや、眠ってしまう。

あまり長い睡眠時間を想定して
築いてきた人生ではないので、
こういう時期が来ると、
いつも戸惑ってしまう。

少し欲張りなのかもしれない。

まあでも、食っていくためには――
という面もあるので、
欲張りのせいばかりでもないのだが、
そういや、
仕事の面でも、このところ、
焦らず、腰を据えて資料を読むことの大切さを
あらためて思い知らされている。

話を聞き、ネタを仕入れると、
どうしてもさっさと書きたくなる。

でも、そこで通信文やなにかが出てきて、
そちらに目を通しだすと、
それまで10ピースのパズルだった話が
100ピースのパズルに変化するようなことが起こる。

「わきの下が埋まっていくような感覚」でもあるか。

いずれにせよ、
自分の欲深さ、せっかちさ、小心さばかりが見えてくる。

そんなとき、
いまは第一線で活躍するかつての同僚の名前などを目にすると、
ああ、彼はこういうところを乗り越えてやってきたのだろうな、
と思う。

いったいいつまで「あすなろ若僧」をやっているつもりなのか。

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by pivot_weston | 2009-09-13 10:08 | 仕事