カテゴリ:自然( 4 )


(まったくの)仮説

いまでは定説のように語られているプレート理論も、
わたしが高校時代(40年前)に雑誌『サイエンス』で読んでいたころには、
先駆的な発想の持ち主だったアルフレート・ウェゲナーさんが思いついた
どこやら「お子さま向けのお話」めいた
キワモノのような扱いを受けていたような記憶がある(だから、
一般向けの雑誌に取り上げられていたような記憶が)。

だが、頭の鈍いわたしには、
そのキワモノがみごとに美しく地球を語ってくれているように思えた。
だから、わたしはそれを読んだときからすっかりその信者になってしまった。

以来、
33年前の宮城県沖地震のときも、
16年前の阪神大震災のときも、
大きな地震があるたびに『サイエンス』で読んだその理論を思い出し、
自分なりに地震のメカニズムを頭のなかで整理しながら、
ずっと揺るがずにその信仰心を守りつづけてきて、
今回の地震が起きたときも、
テレビで速報を見ている段階から、頭のなかでは、
地球をつつんでいる板をいろいろに組み合わせていた。

よくわからなかった。

その後の報道かなにかで
今回の地震の前後で石巻が東へ5m移動し、
その南の、福島の海岸線かどこかも東へ2mだか3m移動した
ということを知ったときには、
頭のなかでうまく、そうした変化が起きるようなプレートの動きを
イメージすることができなかった。

でも、静岡大学の小山さんの記事を拝見すると、
ハッと思った。

太平洋プレートの沈みこみの力はすさまじい。
北西太平洋の海底を見ると、
地球のへそであるハワイから千島列島のほうまでえんえんと
かつての「ハワイ」がきれいに一列につらなっている。
「天皇海山列」と呼ばれる海底の死火山の群れだ。

世界の最高峰エベレストをしのぐ大きさの山体を形成するまで噴き出す
「ホットスポット」ハワイのマグマが
まわりの地殻を押しのけ、押しのけしているうちに、
自分でせっせと築いたその山体まで衝き動かし、
千島列島のほうから現在のハワイまで、
時代を追って昔の「ハワイ」がならんでいるのだ。

これを見ると、
太平洋プレートの日本海溝でのもぐりこみの力がいかに強いかは想像できる。

プレート理論がなかば定説のような扱いを受けるようになった現在では、
テレビなどでも、日本周辺で起きる地震は、
この沈みこむ太平洋プレートの上にのっかった
ユーラシアプレートやオホーツクプレートが
ロールが巻き取られるようにして引きずりこまれているうちに、
途中でその巻きこむ力についていけなくなって、
プチンッと跳ね上がって地震が起こる――
というような解説のしかたがされるようになっている。

でも、それだけで今回のように巨大な津波の発生や、
いくら長い地震だったとはいえ、ものの5分や10分で
石巻の町全体が5mも動くような現象を説明できるのだろうか――
そう思っていた。

小山さんの記事によると、どうやらいまでは、
強烈な力で沈みこむ太平洋プレートと面と向き合う
日本列島の東側のオホーツクプレートの縁は、
「三陸沖」「宮城沖」「福島・茨城沖」といった
いってみれば「サブプレート」に分割してとらえられているらしい。

これまでときどきあった、ふつうの大地震では、
これらの「サブプレート」が別々にプチン、プチンと跳ね上がっていた。

ところが、いまたまたまこのへんにある地殻の結束力が強いのだろうか、
今回の地震では、
この「三陸沖」「宮城沖」「福島・茨城沖」の3枚の「サブプレート」が
3枚同時にプチンといった。

やわらかいベニヤ板をじわりじわりと曲げていったときのことを
想像してみよう。
どんどん曲げていくと、メリメリ、バリバリという音がしてきて、
もう耐えられないというところまでいくと、
表面に貼り合わせた板がバリッと裂けて跳ね上がり、
残りのベニヤ板はぐにゃりと曲がる。

跳ね上がった表面の板は、
上にのっていた水を信じられないほどの高さまで押し上げ、
その水のかたまりが地球の重力に引かれるがまま
東北地方の海岸線まで押し寄せた。

それまで、猛烈な力で沈みこむ太平洋プレートにぐいぐいと引っ張られながら
八つ裂きになるような思いで耐えていた表面の板が裂けると、
一気に力のバランスが崩れ、下の板がぐいと引きずりこまれて、
石巻が東へ5m動いた。

鈍いわたしの頭のなかでは、
そんな図が想像された。

各地で地盤沈下現象が起きているのは、
5mも引き伸ばされた表面の板が薄くなったからではあるまいか。

だとすると……
大勢のかたが亡くなったので、
いまはそんなことを考える場合ではないのかもしれないが、
どうしても、地殻の絵物語を想像した頭は「次」のことを考えようとする。

専門家は「余震」と考えていないが、
あの直後に長野でも大きな地震が起きた。
静岡でも起きた。

オホーツクプレートと太平洋プレートとのあいだで力のバランスが崩れたので、
オホーツクプレートの反対側の縁でも力の調整現象が起きているのではあるまいか。

力の調整現象はエンドレスだ。
エンドレスに循環する。

まだ気が早すぎると怒られるかもしれないが、
情け容赦ない自然現象を前にしてプレートの辺境で国を維持していくには、
救難や復興を急ぐ一方で、
「次」への視点ももちつづけていなければならないのではあるまいか。

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by pivot_weston | 2011-03-24 03:53 | 自然

まさにゲリラ

昨日の雨は不思議だった。

昼間の3時ごろだったか、
アパートで仕事をしていると、
バリバリと屋根をたたく音がしてきた。

続いて、ザーッと
無数の雨の滴があたり一面のなにやかやをたたく音。

猛烈な降りかただ。

「ゲリラ豪雨」という言葉が頭に浮かび、
兵庫や沖縄で下水工事かなにかをしていた人たちが犠牲になった
というニュースを見た記憶もよみがえった。

いつも食事の世話になっている
チンさんの店がある坂の下は、
かつて、遊水池が整備されるまでは、
洪水の名所だった神田川沿いの低地だ。

この分では、
大切な食事処が水没するのではないかと思い、
電話をかけてみた。

自信満々に「すごい雨だろう」と言うと、
「ほとんど降ってないよ」との返事。

え――という声がもれたかどうか、
ともかく、次の言葉が継げなかった。

ほんの500mくらいしか離れていないのに。

夜、店で会った常連仲間のコイケさんにその話をすると、
勤務先のビルの窓から
渋谷のあたりだけが真っ黒い雲に覆われていたのが見えたという。

ふぅん――だ。

子どものころ、視界のきく田舎の家の窓から、
雨と晴れの境目がはっきり見えたことがあったので、
まあ、500m程度とはいえ、
離れていればそういうこともあるのだろうが、
それにしても少し意外な、まさにピンポイントの雨だった。

ああいう雨が怖いのだろうか。

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by pivot_weston | 2009-08-25 08:40 | 自然

地震学者の警鐘

昨夜、四国の室戸沖の海底の、比較的浅いところで、
やや強めの地震があったらしい。

政府の地震調査委員会が
「全国地震動予測地図」を公表したばかりだ。

今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率が
全国各地域ごとに色分けされて示されているという。

2005年から毎年公表されているらしいのだが、
今年は揺れの評価のしかたが変わり、
その予測確率が大幅に変化し、
横浜は32.9パーセントから66.7パーセントへ、
大阪は23パーセントから59.5パーセントへ
大きく値を上げ、
もちろん、先の室戸沖で南海、東南海の
世界最大級の巨大地震が定期的に起こることが、
過去の歴史から見てほぼ間違いないと見られている
四国の値も高いという。

新幹線で熱海のトンネルを抜けると
相模平野が見えてくる。

大学時代に四国と仙台の間を列車で行き来していて、
ここほど断層のかたちがはっきり見えるところは
ほかにないように感じていた。

いまでは、そこにも新しい住宅がたくさん建っている。
ところが、やはり、地主の農家は平地の農地は先に売りたがらないものなのか、
住宅はわざわざその断層でできた山や崖のすそ野を選んだようにして、
断層の存在をさらにくっきりと浮かび上がらせるようにして密集している。

どうしてああいうことになるのか、と思っていた時期がある。

家主はみな、ああいうところに家を建てることの危険性を承知して
家を建てているのだろうか。
新工場を建設するときに多くの従業員の転居をともなう大企業ともなれば、
上層部に多少は地震学の知識がある人もいそうなものなのに、
どうしてああいうことになるのかと、不思議でしかたがなく、
信じられない思いで窓の外を見ていた。

経済原理か。
農村の土地は条件の悪いところから先に売れていく。

でも、そんなのはみな、
地面が揺るがない、安全な状態に限定された経済原理にすぎないのではないか。

神戸でも、震災の前と直後では、別の経済原理がはたらいた。
震災の直後にも連続性をもってつながる、もっと包括的な経済原理を
意識する必要があるのではないか。

地震学者は、こつこつと調査・研究を続け、
つきとめたことをもとに警鐘を鳴らしている。

それを真剣に受けとめない経済があり、
震災が起こると、予知体制が問題にされたりする。

予知は、できない。
予知ができれば、運動選手の疲労骨折も未然に防げる。
わかることを、わかった範囲で、用心の尾ひれをつけて伝えるしかない。

東京電力の柏崎、四国電力の伊方、
あんな、小学生の地図帳にもくっきりと描かれているような大構造線の上に
原子力発電所が建設されているのも、
新しい住宅が断層に沿って並ぶのと同じ原理だろう。

ともに世のなかを形成している一員からの警鐘は、
真剣に受けとめてもらいたいと思う。

(注: 確率の数値は昨日の日本経済新聞から引用しました。)

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by pivot_weston | 2009-07-23 09:02 | 自然

エクリプス

エクリプスの朝だという。

過去に日本で見られた日食は、
意外とたくさんあるらしいが、
記憶に残っているのは、1965年のものだろうか、
子どものころだ。

太陽が隠れる、というので、
家のなかに入り、
どきどきしながら窓の外を見ていると、
ほんとうに、
地面にしゃがんで遊んでいるときに、
背後から大柄な大人が近づいてきて、
まわりの地面が暗くなるように、
窓から見える軒先の道が暗くなった。

真っ暗になることはなかったが、
いつもの夕方や明け方の暗さとは異なり、
どんよりとした闇のなかで無数の光の粒子が
そこここで線香花火のように踊っているような
不思議な暗さだった。

その薄ら闇の時間が経過するうちに、
ああ、このままになってしまったらどうしよう、
と思った記憶もある。

大半が闇の、宇宙のなかにいる自分のポジションが
鮮明になるような体験だった。

わたしたちは
光によって生をうけ、
光によって生を営み、
光によって生を記録している。

この宇宙で起きているさまざまな現象のひとつである
光という現象と一体になった存在だ。

宇宙の研究は進んでいると言われているが、
そこに広がっているのは、まだ、
光というたったひとつの現象からのぞき見る宇宙ではないのか。

あ、「見る」は光と不可分の行為だから、
「見る」にもとらわれない世界へ行かないと、
宇宙に対する理解は進んでいかないということか。

そういう、なんとも表現のしようのない
人間の理解の壁、
人間という存在の壁の向こうにあるものを体験させてくれる
エクリプスの日に、
過去の多くの人たちは宗教的イマジネーションを発揮してきた。

オウム事件のときにも、
どうしてあんなに科学の勉強をしてきた人たちが変な宗教を――
ということがしきりに語られたが、
科学なんて、まだまだその辺縁は宗教でごまかすしかないもの、
一種の宗教の域を抜けていないもの、
いや、どこまで行っても宗教の域は抜けられないもの
なのかもしれない。

この時期に、
たまたまアポロの月面着陸が40周年を迎えていることも、
わたしたちの存在の足もとへの想像力をかきたててくれる。

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by pivot_weston | 2009-07-22 08:31 | 自然