カテゴリ:ファッション・インテリア( 1 )


個性

またまた、書いたあとで思ったことがあった。
大人が介在する世界で育った人たちのことだ。

前から、自転車で街を走っていて、
(はなはだ大雑把な印象だが)最近の若い人は同じようなかっこうをしている人が多いな、
と感じていた。

で、昨日の「少年野球に思う」を書いたあとで、また街を走っていて、
あれ、もしかすると――と思った。

もうずいぶん前から「個性の時代」と言われている。
で、多くの人は、思い思いに、そうなのかな――と思わせるかっこうをしている。

でも、どうも、実感として「個性の時代」が伝わってこない。
で、昨日、「大人が介在する世界」を意識したところで、
あ、これは、もしかすると、若い人たちが誰か他人の意見を物差しにしている結果かな、
と思ったわけだ。

いつの時代でも大なり小なりそうだろうが、
世に出たばかりの若い人たちはまだ自分に自信がもてない。
だから、ついつい、誰か他人が雑誌やテレビで言っていることを物差しにする。

だから、ディテールはいろいろと違っているように見えても、
全体として見ると(とくに化粧をした若い女の人は)みな同じように見えるのかな、と思った。
化粧品業界や服飾業界の売らんがための「個性」の影響もあるかもしれない。

でも、誰かの言うことに素直に従って他人との違いを出そうとするのは、
表面的な、瑣末な違いを出すには近道かもしれないが、
自分の個性と言えるものを引き出すには、逆に遠回りになるのではあるまいか。

そう思いながら、膝のあたりが引き裂かれたジーンズをはいている人を見ていると、
ああ、この人たちは他人の人生をお金で買おうとしているのかな、
とも思えてきた。

裂けたジーンズをはいた人をかっこいいと思うなら、
新しいジーンズを買って、それが裂けるまではいてみるといい。
そしたら、ほんとうに裂けたジーンズをはいている人のマインドまで到達できる。
でも、きっと、裂けたジーンズをはいているのはかっこいいけど、そうするのは大変だから、
裂けた状態で売っているジーンズをはいて、うわべだけそれらしく見えるようにしてみよう
としているのだろう。

別に、裂けたジーンズに抵抗があったわけではないが、
そう考えると、なんだか少し哀しくなってきた。

鳥かごのなかで育ち、その鳥かごから出るすべがわからずにいる人たちは、
もしかすると、なにをしようとしても最後には他人との間にあるそのかごがじゃまをし、
とても孤独を味わっているかもしれない。

まだ「個性の時代」なんていう変な言葉がなくて、
野球場が白いワイシャツ一色に染まっていた時代のほうが
よほどみなが生き生きし、個性的だったような気がする。

遠回りこそが人生で、個性や他人への近道なのではあるまいか。

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