兆し

もういつからか、
すっかり薄れていた家族の結びつきが、
ほんのかすかにだが、
少しずつよみがえりつつあるように感じる。

もとは、とても結びつきの強い家族だった。
その結びつきが、少し強すぎたのかな、
と反省することもあった。

そういう家族になったのは、
おもにわたしの考えからだった。

昭和30年代から40年代にかけて、
わたしは田舎でカギっ子として育った。

いや、幼いころには、
どこへ行くにもいっしょにつれて歩いてくれた祖母がいた。

その祖母が亡くなってから、
外で遊んで帰ってきても、家に誰もいない日が多くなった。

まだ農業がさかんだった時代だ。
子どもは田んぼで農作業をする家族のまわりで遊んでいた。

西の空が赤く染まり、肌に触れる空気がひんやりしてくると、
友だちの家族が帰りじたくを始め、
友だちも自分の家族のまわりでちょろちょろしだす。

「いっしょに乗っていくか?」
友だちのお父さんがそう言って、耕うん機につないだ荷台に乗せてくれたときには、
ことのほか心が弾んだ。

でも、そのあとは、田んぼのなかの川沿いの道をとぼとぼと歩き、
闇のなかに黒く沈む村はずれの自宅に帰った。

わたしが翻訳業という自宅でできる仕事を選んだのも、
ひとつには、そんな経験があったからだった。

でも、経験のない人間には、
うわべは見えていても、なかに身を置いたときの実感はわからないわけだから、
いざ経験のない暮らしを手に入れたときに、戸惑うことも少なくない。

わたしも、濃密な家族をつくっておきながら、
実はそれに戸惑いをおぼえることが、ままあった。

そして、大きな出来事。

表面的には、それがきっかけになって、いろんなものの歯車が狂い、
家族のつながりが薄れていった、
と考えるのがわかりやすいかもしれない。

だが、ほんとうは、それだけではなかっただろう。

アメリカでは、子どもは、
14歳になると旅に出て、
代わりに、よく知らない子どもが入ってきて、
25歳くらいになると、またもとの子どもが帰ってくる、
と言われているらしい。

わたしは、濃密な家族のなかでの子どもがどうあるかということをよく知らなかった。

だが、子どもたちには、少なくともその一端くらいは垣間見えただろう。
その子どもたちが、いま自分たちの子どもをつくり、
自分の経てきた時間を背景に子育てをしようとしている。

どんな人の人生も、人類の遺伝子の長い歴史のなかの一部だ。
わたしの人生も、右に曲がろうが、左に曲がろうが、
ともかくいい方向に一歩でも前進できることにつながってくれればと思う。

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by pivot_weston | 2008-11-23 10:35 | ブログ