ある詩人の死

虎太郎という「おじさん」がいた。

伯父でも、叔父でもない。

祖父・象一郎(しょういちろう)の弟だ。

祖父とそのきょうだいは、子どものころに両親を亡くし、
親類の家にあずけられて育った。

象一郎はそこから指物師になって独立し、
弟子を40人ほどもかかえるまでに、家を大きくした。

虎太郎はあぶれた。

西日本各地を転々とし、
どこかでは極道の道に足を踏み入れたこともあったらしい。

戦争前の話だ。
人の人生はいまよりダイナミックに流動していた。

戦争中には、ひとり息子を四国の親類宅にあずけ、
大阪で働いていた。

皮肉なもので、象一郎と虎太郎の人生はその時期を境にクロスする。

象一郎は、大きくした家を昭和17年に洪水で流され、次男を南方で戦死させ、
わたしが生まれた昭和30年ごろには、
すっかりやる気をなくし、指物道具はほこりをかぶっていた。

虎太郎は、大阪から引き揚げてくると、その象一郎に指物を学び、
田舎で指物の注文に応じながら、本を読み、美を追求し、仏像を彫りだした。

わたしが子どものころ、よくこのおじさんが
大きな荷台のついた自転車でわが家まで来た。
坊主頭に黒ぶち眼鏡だが、しゃれたパナマハットをかぶり、
全身から片意地なまでの美意識がにじみ出していた。

戦争中にひとり四国に残されていた息子は、
父親に代わって大阪へ出て、市の職員として働きながら、
詩を書き、絵を描きだした。

大西宏典(おおにしひろふみ)という。

残念ながら、多くの人に支持されるところまではいかなかったが、
長年にわたって同人誌に書きつづけた詩は、
欧米風のモチーフを盛り込み、知識や教養や美に対する
強烈なあこがれの念を発散している。

わたしはそれを、父の世界に対するあこがれではないか、と思った。

イタリアが好きだ、と言い、
イタリアの光景を詩に書くことも多かった。

だが、とくにイタリアのどこが気に入っている、
という印象も受けなかった。

放たれるものには、起点がある。

宏典おじさんは、その起点から目をそむけたかったのではあるまいか。
そして、なかから湧き起こるものを放つのにちょうどよいターゲットとして
イタリアを見つけた。
だが、放たれたものが実際に向かっていたのは、その先にある、
現実と虚構がないまぜになった父の世界ではなかったのか。

どこかで、この宏典おじさんにシンパシーを感じていた。

数年前には、宏典おじさんがかかえていた問題のひとつを負担し、
楽にしてあげようとしたこともあった。

だが、家族もからむ問題で、そうたやすくはいかなかった。

その宏典おじさんが、今年、他界されたという。

わが家の「一族団結」の時代の写真には、
虎太郎おじさんの姿はたくさん残っている。
だが、宏典おじさんが写った写真は1枚しかない。

洪水後の、家を再建したときの写真だ。
そこには、父・虎太郎おじさんの姿はない。

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