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ポートレイト

正面を向いている子どもの写真。

付随情報から判断すると、1980年前後のものか。
すでにわたしは成人しており、
皮膚に残る、当時着ていた服やなにかの感触の記憶のせいか、
ふつうはその時代の子どもの写真を見ると、
間遠な印象を受ける。

自分の子ども時代の、
丸首の襟の横っちょのところに、ボタンふたつか3つで閉じる、
切れ口のようなところがあった、毛糸のセーターの、
粗い編み目を通して入ってきた「ひやっこい風」の感触のようなものが、
ああ、1980年ごろか、と思うと、よみがえってこず、
編み目もなにも密になり、ソフトになった服を着て、
遠目に子どもを見ていたころの感覚が、
目の前の子どもに接近するのをさまたげる。

だが、その写真は違う。

説明はできないが、ポイントは、
じっと、名状しがたい内面がにじみ出すような目でこちらを見つめる
その子どもの鼻から口にかけての輪郭にあるだろうか。

いい写真だ。
粗い編み目を通して入ってきた風の感触がよみがえり、
つい見入ってしまう。

思えば、その時代には、
その写真が撮影された地域と仕事上の取引があった。
一度、その取引先から、それほど大柄ではないが、とても恰幅のいい、
すこぶるエネルギッシュなおじさんが、
当時のわたしの三鷹の勤務先まで来たことがある。

ああ、生きていこうとする活気にあふれたところなんだな。
そんな印象を、強く受けたことがある。

この子どもの写真にも、
家族、一族の写真がついている。

なつかしい写真だ。
一族が団結して生きていこうとする気持ちがみなぎっている。

かつては、わたしもそんな空気のなかにいた。
「一家再興」がわたしに与えられた至上命題だった。
高校時代まで、それがわたしの考えていたことのすべてだった。

だが、そのころ、長髪や、長いもみあげや、幅の広いネクタイや、パンタロンの時代が来て、
何度も心のなかでハンス・ギーベンラートの軌跡を追いかけた。

でも、反発することも、拒否することも、また、否定することもなかったんだ。
そんなことを、その子どもの写真と家族の写真は教えてくれる。

わたしにも「一族団結」の時代のなつかしい集合写真が何枚かある。

なんだ、もっとシンプルに、プリミティブに、みんなのことを思って、
楽しくやっていけばいいんだ。

いまごろになって、そんなことも思っている。


by pivot_weston | 2008-11-15 07:10 | ブログ