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違いからの随想

 違いは心地よい。子どものころ、近くの町まで遊びに行くと、「田舎の子じゃ」と言われ、町の大人や子どもたちが新鮮に見えた。だから、いまでも自分のことは当時と同じように考えているが、いまは60階建てのマンションが建とうとしている西新宿に住んでいて、ここはまたここで居心地がよい。まあ、ここもその昔、古畑任三郎さんのおとうさんの阪東妻三郎さんが生まれたころまでさかのぼらなくても、吉永小百合さんが精華女子高に通っていたころにもまだ、池のほとりに花柳界の広がるところだったらしいので、ため池のほとり育ちの血がしっくりくるのかもしれないが、国籍も職業も趣味や趣向もさまざまな人たちが暮らしていて、なかなか居心地がいい。

 ホワイトハウスのWebサイトに「Our American Stories」という動画がアップされた。We are a nation of immigrants.の一文で始まる動画。世界中からの移民の子として育った若者たちが次々と出てきて、そのOur American Storiesを短く語る。オバマさんたちがいま取り組んでいる入国管理制度改革を後方から盛り上げる動画で、アメリカ全体の最高技術責任者(CTO)のトッド・パクさんが口火を切り(この人は、客観的には「若者」とは言えないかもしれないが)、いっとき、中東情勢に変化が起きたらいじめられるのではないかと心配だったダルビッシュ選手と同じイラン系の若者も出てくる。

 なんかみんな元気はつらつとしていていい感じなので、今度はつい、immigrantつながりで、若かりし日に一時、毎日のように聴いていたレッド・ツェッペリンの『移民の歌』を思い出した。初老になって聴いてもなかなかいい。だから、ついでに、その曲といっしょに毎日のように聴いていたグランド・ファンク・レイルロードの『ハートブレイカー』とディープ・パープルの『スモーク・オン・ザ・ウォーター』も聴き、あ、サンタナの『哀愁のヨーロッパ』もあったなと思い出し、それも聴いた。学生時代に、顔も姿も拝見したことはなかったが、サークル部室がならんだところで毎日それを練習していた人がいた。あの人は、おそらく当時は自分の世界に浸っていて、誰が聴いているかなんて気にしていなかったのだろうが、毎日、4、5本ほどならんでまっすぐに伸びた樹木の上の空まで響きわたっていた自分のギターの音を、話したことも会ったこともないのにこんなに長く記憶にとどめているやつがいることを知っているだろうか、と考えると、もしなにかであの人に会う機会があれば、お礼を言いたい気分にもなった。

『移民の歌』は、イギリスを始めとするヨーロッパ人の好きなアイスランドサガの世界の歌だと思う。その昔、ユーラシア大陸の極西の島・グレートブリテン島へ北から渡ってきた人の歌なのだろう。極東の島・日本も、縄文から弥生への切り替え期には、a nation of immigrantsになっていたのかもしれない。征夷大将軍を先頭にして、そのnationは領地を広げ、わたしたちも知っているアイヌの人たちのなかには、そのnationのほうへ逆流して同化した人たちもいた。

 違いはホワイトハウスの動画からみなぎっているような活気を生み出し、わたしたちの世界を広げてくれる。いまは日本中どこも、人の移動が一ラウンド終了し、地方はやや均質化しているような気がするが、わたしが子どものころには、戦地などからの引き揚げ者が選択肢もなく全国に分散して定住したせいか、地方にも多様な人がいた。何度か書いてきたが、「田舎の子」のわたしのまわりも同様で、となりに住んでいて、家族のように面倒を見てくれたおばちゃんはアイヌ人。そのパートナーのおっちゃんは、もとはとなりの阿波(徳島)の人で、毎日朝日に向かって殊勝に手を合わせていたが、樺太でおばちゃんと知り合ったころには、背なか一面に入れ墨を入れてサイコロを振っていた。でまた、そのふたりの娘のおねえさんがまるでバービー人形のように目がくりくりしていて、日曜日ごとに同じように目のくりくりしたわたしより少し年下の女の子をつれて遊びに来るのが楽しみだった。反対側のとなりには、朝から晩までぶらぶらしていて競輪しかしない少し若めのおじさんが住んでいて、その向こうの海外航路の船長さんは、パイプをくわえて夕日を見ながらアメリカの話をしてくれ、また別の方向から池のほとりへやってくるベレー帽のおじいさんは、絵を教えてくれた。そうか、もしかすると西新宿が居心地いいのは、田舎と大都会の違いはあっても、本質はわたしが育った環境と似ているからかもしれない。

 いわゆるLGBTの人たちにとっても、ここは住みやすい街なのだろう。先日も仕事仲間と外で立ち話をしていたら、わきをかなり長身の女の人風情の人が、おいおい、いくらなんでもそれはちょっとやりすぎだろう、と思えるようなかっこうで歩いていき、どきりとした。でも、メッカと言われる新宿二丁目については、少し違った思いもある。翻訳学校に通っていた30年くらい前には、よく男女の先輩につれていってもらっていた。自由で伸び伸びしていて、なるほどな、ここならインスピレーションが湧いてきそうだなと思える街だった。だから、ああいうふうになるのだろうが、人とまとまるのも、まとまった人を見るのも苦手なわたしにとっては、いまのあの街はどうも足を踏み入れる気がしない。難しい。世のなかに違いを受け入れてもらうためには、まとまってムーヴメントを起こす必要があるのかもしれないが、まとまると、それはまた別の違いを息苦しくさせるものになるのかもしれない。

 ともあれ、違いは楽しい。そんな楽しさを盛り上げようとしているロワーミドルエイジの某店主がいて、おとといの夜もひとしきりその盛り上げかたをワイワイと話してきたので、ついこんな随想にふけった。


by pivot_weston | 2013-06-13 15:07 | ブログ