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石段の話

 最近は、自分たちの過去と向き合うのが苦手な人たちがいて、いろいろと困ったことが起きている。それで少し、どうすればいいのだろう、と考えた。過去の自分たちに足りないところや間違ったことがあったことを認めたら自分たちを貶めることになると考えるのは、まったくの誤解だと思う。わたしたちは通過点にいる。なにもなかった出発点から、足りないところのある通過点まで来て、よりよい未来へ向かっている。

 いつも引っ張り出してくる「石段の話」。

 いまかりに、遠い遠い未来に、もしかするとたどりつけるかもしれない理想的な境地を1000段目とする。もしかすると、いまわたしたちは100段目くらいにいるのかもしれない。10段目と言われても、そうかなあ、と思うしかないが、ともかくここでは100段目にいると仮定する。

 そうすると、70年くらい前のわたしたちは75段目くらいにいたと考えてもよいだろうか。世界はみな同時に進んでいる。あちこちから1000段目の頂上まで通じている石段があり、あちらからも、こちらからも、のぼってくる人たちがいて、だから、視界の開けかたはみなそれぞれで、海が見えている人は海がきれいだと思い、川が見えている人は川がきれいだと思い、なにも見えず、林のなかに続く石段をのぼっている人も、それはそれで林のなかの空気はきれいだな、などと、環境も作用して、思い思いの価値観を育んできている。1000段目まで達したら、四方八方が見渡せてなんでも公平に見えるかもしれないが、100段目の、まだまだ了見の狭い価値観だ。まだまだ上にのぼらなきゃならない、ほかの石段をのぼっている人たちに負けたくない、という気持ちもはたらく。だから、どうしてもほかの石段をのぼっている人たちの姿が見えると、お互いにけなし合いをしたくなる。なんだ、そっちの石段の75段目あたりはけしからんじゃないか、と。だから、つい、けなされた側も、なにを、この野郎、うちの75段目は立派なものだ、と言い返したくなったりする。

 でも、そんなことをしていても、自分たちを高めることになるだろうか。自分たちの歩みを早めることになるだろうか。自分たちの歩みを大切にすることになるのだろうか。100段目にいて、75段目が下に見えるのはあたりまえのことだ。かりに75段目が堂々とそびえる立派なところに見えたとしたら、それは道を間違えて下っているからだろうから、それこそ、言い返している場合などではなくて、早く上へ向かう正しい石段を見つけなければならない。

 それに、いまともに100段目にいるほかの石段の人から、自分たちの石段の75段目が下に見られたからと言って、怒っていたら、それはほんとうに自分たちの75段目を大切にすることになるのだろうか。

 子どものころ、家にテレビが来てはじめて、世間に「おやつの時間」というのがあるのを知った。3時なのだという。だから、当時つきっきりで育ててくれていた祖母に「3時や。おやつの時間や。トーキョーの子は、おやつもろとる。ぼくも、つか(ください)」と言うと、「畑のサトキビ、かじっとれ」と言われた。ジュースなんてものも、たまに誰かが「渡辺のジュースの素」を買ってきて、あの袋にはいったミカン色の粉を、あとさきのことも考えずに料理用のボウルに全部ぶちまけ、口のなかにつばがたまってくるのをこらえ、まるでそうしないといけないと決まっている儀式のように「ワタナベノ、ジュ~スノモトデス、モーイッパイ」と、例のCMソングをうたいながら、井戸のポンプを押して、いやダメ、まだ足りない、もっと飲みたいと、いっぱいいっぱい、なみなみと水を入れ、大相撲で優勝した関取が賜杯をあおるようにして飲むときにしか飲めず、それ以外のときは「サトミズ、飲んどれ!」と言われ、たまにはミミズがいっしょに出てくることもあった井戸水に砂糖を溶かしていた。飲み水がそうなのだから、風呂の水などもっと原始的で、一杯一杯、井戸からバケツで運んでは、神社の森でひろってきた薪を燃やして、電燈ではなくロウソクの光で風呂にはいっていた。

 70年前を75段目と仮定すると、80段目か81段目あたりの暮らしになるか。当時も、アメリカ人やヨーロッパ人から見たら、なんとも情けない暮らしに見えたかもしれない。いまのわたしが考えても、井戸のポンプの口から、喉がからからにかわいて差し出したコップのなかに、ポチョンとミミズが落ちてきてはなあ、と思う。足りないところだらけの暮らし。でも、それを現代の誰かに話して、「ウエッ!」という顔をされても、それはそうだろうなと思う。それに、自分でもいまなら「ウエッ!」と思いかねない当時のわが家の暮らしを「ウエッ!」と思われないようなものに虚飾したいとも思わない。

 あるとき、今日も風呂の水汲みかあ、と思いながら家に帰ったら、父が台所と別棟の風呂場とのあいだにひもみたいなものを渡してなにかしているから、なんだろうなあ、と思い、「それ、なに?」とたずねたら、父がやたらにうれしそうな顔をしてこちらを見下ろし、「ホースじゃ。これでもう井戸の水を風呂場に流せるようになるぞ」と言った。毎日毎日、バケツで水をはこんでいたこちらからすると、水はそうやって移動するものという思い込みができていたので、ゴムの管のなかを流れるという状態がにわかには想像できない。「なんで? なんで井戸の水がその管のなかを流れるん?」と問い返したが、「いや、まあ見とれ」と言ってにやにやしていた父の顔が忘れられない。足りないところにいる人の笑顔。でも、足りないところから足りるところへ行こうとしている人の笑顔。足りないところに安住している人の笑顔ではないし、足りないのをごまかして足りているようなふりをしている人の笑顔でもない。だから、わたしはかりにこういう話を欧米の人にしてバカにされたとしても、まあね、と笑い、足りなかったことは認めるが、言い返したりはしない。足りなかった過去があったから、いまがある。わたしたちを育ててくれた大好きな過去だし、足りなかったことをいまの誰かに笑われたからと言って、いや、当時のわたしたちの暮らしはこんなに優れていた、と言い返してごまかしていたら、その足りないところをなんとかしようとして心を砕いていた父の気持ちや努力はどうなるのか。足りなかった過去をきちんと認識するからこそ、過去の人たちの気持ちも理解できる。

 善悪がからむこともそう。昔は、どこでもそうだったと思うが、うちの畑にも、「おやつの時間」になると放課後の中学生たちが大勢集まってきた。たわわに実ったイチジクがねらいだ。黒い制服を着て、学生帽をハスにかぶったその中学生たちがイチジクの木に群がるたびに、テレビの『コンバット』で「もっと引きつけてから撃て」と言っていたサンダース軍曹のようにガラス戸のなかで息をひそめていた祖母が、手に持った箒かなにかを差し上げながら「こっらぁーっ!」と言って飛び出す。とたんに中学生たちは「蜘蛛の子」になる。もちろん、現代の現代しか知らない浅薄なおとうさんやおかあさんたちに言わせれば「れっきとした犯罪」かもしれない。でも、その当時の中学生だったおじいさんと話をしていて、そのことに話がおよんでも、「いやあ……」と言って頭をかきながら恥ずかしそうに顔をしかめるおじいさんを見たら、まあまあ、みんなそうやったもんな、と思う。逆に、「なにを無礼なことを抜かすか。わしはそんなことはしとらん!」と言って怒りだすようなおじいさんがいたら、いくらその人が世間で言う「えらい人」になっていたとしても、やれやれ、こういう人の相手をするのはゴメンやな、と思ってしまうだろう(幸いにして、実際には、そういうおじいさんに会ったことはないが)。

 いまも不完全な時代。まだまだ完全とはほど遠い時代。でも、70年前はもっと不完全だった。なにをしようにも足りないところだらけで、ときには、いまの人に言わせれば「れっきとした犯罪」に当たるようなこともしてくるしかなかった。前に進むのは、そういう過去をきちんと認識したうえではじめてできること。いまは、わたしたちより新しい時代にはいるのが少し遅れ、ついこのあいだまで「井戸からミミズ」のような生活をしていた国の人たちががんばって成長してきてくれたおかげで、欧米も含め、世界は新しい観点に立とうとしている。いまいるところが問題なのではない。いま置かれている状況は、人によって、環境によって、いろいろに異なる。問題なのは、いまいるところからどういう方向へ向かおうとしているか、どうなろうとしているか。それは、どういう過去を背負った人でも共通してフェアに評価できる点。だから、そこを基準にしようという意識が、いまの世界にはひろがっているのを感じる(だからよけいに先の猪瀬さんの発言は残念なのだが)。ほんとうに自分たちの歴史や父祖を大切にし、自分たちを大切にしようと思うなら、恐れず、堂々と、誰にもある「足りない過去」が自分たちにもあったことをきちんと認識することだと思う。それができたときには、きっと、自分から「いい国」だと宣伝しなくても、世界のみんなからこの国のよさを認めてもらえるようになるだろう。


by pivot_weston | 2013-05-11 11:43 | ブログ