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ツイン・イシューズ

 週刊メールマガジン『米国政府情報』第83号「大統領が見学者に入口で「カモン!」」は、このあと23:30配送予定です。

 オバマ政権も2期目にはいって徐々に色が変わりはじめているなかで、1期目の最後に、目の前に逃れようもなく大きく立ちはだかった深刻な課題「銃規制」と、例によってどこか「気のいいおやじ」的なバイデン副大統領が、その近づきやすそうなキャラを前面に出して取り組んでいます。

 ……と、それを見ていて頭に浮かんだこと――もしかすると「体罰」は日本の「銃規制」のような一面があるのではないか、ということ。

 このところ、体罰の問題を考えていくと、その裾野の広がりのあまりの広大さに暗然とした気分になっていました。決して学校だけ、教師と生徒だけの問題じゃない。この国の社会は「体罰」を通過した人たちが構成している社会。誰も発言しない村の寄り合いにも、個性のない年功序列型の企業風土にも、いろんなところにその通過儀礼が影を落としているような気がしてきて、そういうものの上に、差別や排除を舞台の裏や袖に隠した平和な「どうも、どうも」の社会ができあがっていたような気がしてきました。

 米国の銃社会も、銃社会という側面だけを見ると悪一方みたいだけど、かつてはそれと、いまの大統領を差別するような仕組みやなにかが合体した基盤の上に、「スーパーマン」や「パパは何でも知っている」や「ディズニー」や「アメリカン・グラフィティ」のような世界ができていたわけです。

 世のなかは対流するもの。日本の周辺で台風がいっぱい発生してはいけないからといって、かりに日本周辺の気候を力ずくで、人工的に台風が発生しないようなものに変えたとしたら、ほかの地域でそれと連動して、そら恐ろしい気候変動が起こることが予想されるように、すべてのもの、分子や原子は相関しています。

 ということは、体罰の風土を変えるということは、一般にこの国の美点とされているものも変えていくことになります。たぶん、この風土をほんとうに変えていこうとしたら、べリベリベリと、全身の皮膚をはがしていくような大手術になるのでしょう。でも、それをしないと、21世紀の国際環境のなかで外国とコミュニケーションする能力を失っていくのではないかという気もします。

 折りから、27日は国際ホロコースト記念日。また世界ではドイツと日本の違いが語られています。いろんなところに影を落とす体罰、もの言わぬ文化、インタラクションせず、ひとりで是非の結論を出してしまう風土……こりゃ、ほんとに大手術が必要だなと思うと、とても暗然とした気分になってきたのですが、ひとつ、ちらっと見かけただけですが、アルジャジーラのニュースを見ていたら、お、いいなあ、と思う光景もありました。どうやら、アフガニスタンで子どもたちがアフガニスタン・ナショナル・オーケストラを結成して練習に励んでいるらしいのです。その音が、また、うっとりするような――と言いたいところだけど、現実には、もちろんそういうわけにはいかず、でも、そんな音よりもっと貴さを感じさせてくれる、とても愛らしい音色なのです。いいなあ、ああいうの。日本は真っ先に呼んで、いちばん立派なコンサートホールで演奏してもらうといい。それがわたしたちにできる、いちばんわたしたちらしいことではないかと思うのですが。