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可動部分をよぎる像

 とりあえず、選挙には行ってきた(西新宿の角筈出張所の一隅を使った投票所はこじんまりしていてなかなかいい感じ。お世話をしてくださっているみなさん、ありがとう)。

 昨夜はまったく余裕のない状態(食事は完璧に忘れていたし、もしかすると、もっとバイタルな機能も忘れていたかもしれない)。これまで自分のやってきたことを要約しなければならないのに、やりだしたら、なんだかどの情報にも愛着があってそう簡単には切れない。あゝ、おれはやっぱり編集者には向いてないなあ……などと、つぶやいてもしかたのないことを心のなかでつぶやきながら、岩かなにかのようにかたまったノーミソのかすかに残った可動部分をはたらかせていた。

 でも、そのあいだにも、何度もその可動部分をよぎる像があった。

 黄川田徹さんという人。

 どんな人か、ほとんど知らない。話をしたこともない。もしかしたら、よくあるパターンのいやな政治家なのかもしれない。でも、とても印象に残っている光景がある。

 民主党の、ある会議。その黄川田さんという人の秘書さんとは、同じ理科系出身ということもあって、何度か話をしていた。で、その日も、ひそひそ、こそこそとふたこと、三こと。たしか、前で話す司会役の議員の横に、端っこだったと思うが、その黄川田さんという人もならんでいたと思う。そういうポジションだから、会議でなにかを発言するわけでもない。ただ黙ってすわっていたと思う。

 で、会議が終わって、みんなが立ち上がったとき。どういう脈絡だったかは忘れたが、その秘書さんが「家族を亡くされて……」というようなことを言った。「……奥さんも、息子も……」と、さらに言う。

 大震災の直後だった。そういう情報にまったくうといわたしが「えっ!?」と言って、すぐに前の席にいた黄川田さんのほうを見ると、まだ立ち上がらずにぽつんとすわっている姿があった。

 その後、わたしはじきに政治の世界を離れてしまったが、震災対応のことで民主党が批判されているのを耳にしたときも、よその政党の人が「わたしも被災地の議員なんですが」と言ってメディアに出て話をしているのが目にはいったときも、たいてい決まって、このときの黄川田さんの姿がよみがえる。家と事務所が流されて、奥さん、おとうさん、おかあさん、息子さん、それに秘書さんまでを亡くしていたのなら、逆に、「被災者」の立場を口にする気になんてならなかったのかもしれない。

 ほんとうにまったく知らない人。応援しようと思って書いているわけではない。でも、この2年弱、わたしなりにたまたま居合わせたポジションからいろんな光景を見てきて、印象に残っていることを書いておいても悪くはないだろう(わたしも、妻を亡くした直後に、亡くしたホスピスへボランティアに行っていて、新しく入ってきた、まだご自分の状況を受容できていなかった患者さんに「おまえなんか、なにもわからんくせにっ!」と、目をひんむいて言われ、うっと胸の詰まる思いをしたことがある。現政権の政治はダメなところが多かったかもしれないが、一部には、そういう思いをかかえての、コンチクショー、コンチクショーの政治もあったと思う。そのときどきの空気を読んで、うまく立ちまわろうとする人ばかりになったら、大津と同じで、忘れられてしまうものがあると思う)。


by pivot_weston | 2012-12-16 16:30 | ブログ