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帰郷

 久しぶりに四国に帰ることになった。

 20年ほど前、東京で仕事をもらい、四国でやるという、わたしのような無名の人間にとってはけっこう危なっかしいことに挑戦してまで、向こうに帰って住んだのに、どうしてまた東京に戻ってくることにしたのか、と、ときどき思うことがある(帰ったら、わたしなどよりさらに15年ほど早く、同じ翻訳の仕事でそういうライフスタイルを確立していた篠原勝さんという猛者がいたが)。

 自分のなかで、当時はまだ「本宅」だった四国の家に帰る気がまったくなくなっていることに気づいたときがあった。

「本宅」の裏の畑をアスファルトの駐車場に変える工事が始まったのを見たあとだ。

 近くにできた公園に来る人のための駐車場。

 その公園をつくるときも、いちばん近い家のひとつのはずなのに、わが家には事前になんの相談も連絡もなかった。

 そういうところなのか――という思いが、そのときに生まれた。

 それで、また、わたしが知らないうちに、裏庭にあるわたしの仕事小屋から5mほどしか離れていない畑を駐車場に変える工事が始まった。このときは、わたしの留守中に母が市の職員から連絡を受けていたらしいが、それでも、知らずにいたらいきなり裏に人が来て、工事を始めて、生まれたときからなじんできた光景が変化していくのを見たときの感覚は変わらない。

 当時はまだ「単身赴任」状態だった東京に戻り、「本宅」のことを思い返したとき、自分の気持ちのありようがそれまでとまったく変わっていることに気づいた。

 好きにすればいい――という気分も湧いてきた。かたときも休まずに変化し、変貌していく東京で生まれ、育ち、生活している人たちにとっては、自宅の周辺が変化していくことなど日常茶飯事で、いちいち気にしていられないだろうが、そう考えて頭のなかを整理しようとしても、演繹的に導き出した考えではなく、帰納的に湧いて迫ってきた気分は重かった。誰かが自分たちだけの考えで、そこに住んでいる人たちの話も聞かずに風景を変えていく――そういうありかたを考えると、町に対する吐き気に似た感情も湧いてきた。

 300年あまり、ひと筋に遺伝子を紡いできた土地だ。若いころに満州に行っていた父は、晩年、64個の墓石がならぶ墓地を守るのに夢中になり、そこに入った。ふたりでそこへ散歩に行ったときに「悪いけど、わたしはあまりここに入りたいとは思わない」と顔をしかめていた妻も、成り行きで入った。わたしも、子どもたちはどうにかこのしがらみから解き放ってやりたいとは思っていたが、自分は入るものと思っていた。でも、いまは「山頭火」式でもいいかな、と思っている(実際には、山頭火は庵で亡くなったみたいだが)。

 用事があっての帰郷。いま確かめても内面はちっとも変わっていないのだが、しかたないから帰ってくるか。


by pivot_weston | 2012-10-20 07:29 | ブログ