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年長だからおごる――それ、ホント?

 楽しいクルージングだった。

 レインボーブリッジの下をくぐり、その下にレインボーカラーの東京タワーが見え、一見するとなんということはなさそうなのだが、それでいて、リュブリャーナの街の構図にもたとえられる無数の人たちの巧まざる秀作とも言えそうなビル群のスカイラインがほの白んだ夜空を区切る風景を、雨上がりのひんやりした風を顔に浴びながらながめるのは、悪くなかった。

 若者たちが大勢でわたしたちを招待してくれた催し。ふだんはほのかな風が神経にさわるのも毛嫌いしてこういう催しを避けている「うるさおやじ」なので、少しは不安もあったが、どうにか楽しく2時間ほどのみなさんとの楽しい宴を乗り切ることができた。

 で、そのあとは、わたしを招待してくれた若者との折り入っての宴。

 そこで、思った。

 勘定は、わたしが年長者だから、もつべきか。いや、今宵はわたしが招待されている身だから、相手の若者にもってもらうべきか。

 いやいや、たぶん、そういう考えかたは、数学の公式を丸暗記するにも等しいことなのだろう。

 楽しい時間には、いろんな要素がある。これから伸びていこうとしている若者たちを「いいなあ」とながめる要素。かつてそんな時間を過ごしてきた自分の若いころの時間を「そうだったよなあ」と振り返る要素。トータルで見れば、年長者のほうが長い時間を過ごしてきている分、ものごとを感じるレセプター(受容器)のようなものも多いはずで、同じ時間から感じとる要素は、絶対に年長者のほうが多いはず。

 ならば、より多くの楽しみを味わわせてもらった者が、その時間の費用を負担するのが当然のこと。大学時代に、なんか、なんでもいいから公式を丸暗記するという勉強のありかたにカチンときて、試験に出た積分計算も筆算を積み重ねてやっていた「うるさおやじ」はそう思った。

 なるほどね。年長者がおごるという「公式」の背景にも、こういう原理があったわけだ。いまごろになって気がつくのは遅いのかもしれないが、またひとつ勉強になった楽しい一夜だった。些少ではあるが、若者たちの背なかをたたいて「がんばれよ」と送り出しているようなものだと思ってくれればいい。夜ごと、紅灯の巷で繰り広げられている「年長者のおごり」の背景には、案外、公式で理解されているより多くのものがこもっているのかもしれない。

 さ、今日は講演のお手伝い。また背広か。短パンにランニングシャツで、タオルを首に巻いて出かけられるといいんだけどなあ(危ない、危ない)。


by pivot_weston | 2012-10-04 13:47 | ブログ