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15年目の喜び

 最近あった、うれしいこと。

 ある生保会社のルーキーのSくんが、いつも首にタオルを巻いて仕事をしているわたしの自宅にしきりに顔を出してくれる。年金型保険の勧誘だ。かつては農業を始めとする一次基幹産業の人たちの年金制度で、呼び名もその実質にふさわしかった国民年金制度も、いまでは厚生年金制度からこぼれて受け皿を失った人たちを受け入れ、すっかり「失業者年金制度」のようになって破綻確実と言われている。どこやら、集団で生きようとする人たちの心根が表れているような気がして、そんな人たちには一顧をお願いしたい気もないではないが、そんなことを言っていても現実は変わらないだろうと思うから、わたしも積み立てておかなきゃいけないかなとは思いつつも、それよりなにより、目の前の暮らしをなんとかしなきゃいけないので、わが家の狭い玄関口に立ってきらきらと目を輝かせているSくんには、「ひまなときに来てくれるのはいいけど、おれは金がないから、仕事としては無駄足になるぞ。気晴らしとか、息抜きとか、そういうつもりで来るならいつでもおいで」と言っていた。

 そのSくんが、またやってきた。ちょうどお昼どきだったので、じゃあ、いつもメシを食っているところへ行こうか、と言って、いっしょにチンさんのお店へ行った。

 するとSくん、席についたところで、「実はこういうものを……」と言って意外なものを取り出してきた。四国の乾いた空気のなかで見慣れていたもの。15年前に出した亡き妻の闘病記『妻をガンから取り戻した記録』だ。

 おゝ、まだおれに対して営業する気か――と思ったが、虚をつかれると、なつかしさというのは増幅されるものらしく、つい、ぱらぱらとそのなつかしい本をめくってみると、あっちのページにも、こっちのページにも、いっぱいアカ線が引いてある。「なんだよ、こんなに一所懸命に読んでくれた人の本をどこかの古本屋で……」みたいなことを言って、ちょいとカマをかけてみると、「いや、この線はぼくが入れました」と真顔で言ってくる。

 なんか、うれしくなった。

 発売直後に版元のダイヤモンド社が「闘病記物」からの撤退を決めたので、初版の部数以上に売れることはなかったが、その部数は完売し、担当の編集者のかたから聞いた話によると、あの年の日本エッセイストクラブ賞の最終選考に残り、大佛次郎賞でもいいところまで行ったということだった。テーマがテーマだけに、また書けばいいというようなものでもないし、命もかかっていたので、わたしたちの気持ちのこもりかたもほかの訳書などとはくらべものにならず、評価されていること、わたしたちの言葉に真剣に目を向けてくれている人たちがいることがわかると、いつもジンとくる。

 わたしの人生も、いずれそう遠くないうちにとぎれる。いま、目を輝かせて世のなかへ飛び出していこうとしている若者がいるなら、その若者になにかをリレーしていくのも悪いことではないだろう、と思い、ま、トロいおっさん、ということになるのかもしれないが、月々2万円ばかりの年金がもらえる契約をしてしまった。リレーするものを彼が生かしてくれればいいのだが。


by pivot_weston | 2012-09-14 16:35 | ブログ