人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日本人であるということ

「オウム」の「最後のひとり」がつかまったらしい。

「地下鉄サリン」がなければ、「9.11」もなかったという説がある。

 ふと思い、「岡本公三」のことを調べてみた(若い人たちにとっては、誰のことかよくわからないかもしれないが、この人たちが起こした事件も、わたしが高校2年生のときだったか、田舎の高校生にとっては、ある日突然、とても大きな衝撃をもたらし、「日本人」というものを考えさせてくれたし、世界の「テロ」の流れにも大きな影響を与えたと思う)。

「岡本公三」も「麻原彰晃」、つまり「松本智津夫」と同じ熊本県の出身だという。「岡本」の出身地、芦北町は水俣病の「震源地」水俣の北隣に位置し、「麻原」の出身地、八代はその北隣で、そもそも「麻原」に世界に対する敵意や支配欲をいだかせるきっかけになったとされる「視力障害」の原因は、水俣病だったという話があるという。

 それではやはり、今回の「福島第一原発」の事件と同じように、つねに欲望やなにかにまかせて「護送船団方式」という「顔のない集団」で突き進みながら、なにかが起こっても、ほんとうの責任ははぐらかしてきた戦後のこの国の政治家や官僚の体質に、戦後の「テロ」の歴史のトップリーダーを務めてきたこの国の根源があるということか。

 だから、これまでのような政治家や官僚ではダメ、ということも言えると思うが、同時に、やはりふと、「戦後」はまだ終わっていなかったのかもしれない――ということも考えた。

 世界の歴史の流れのなかで600~700年くらい前から優勢に立ってきた西洋(欧米)に対して、初めて東洋が本格的にはむかったのが、「先の戦争」だったのではないかと思う(アヘン戦争などもあったが、ああいう戦争はどこか「縄張り争い」の域を出なかったように思えるし、のちのベトナム戦争は、ソ連という後ろ盾が原因となり、戦力となった戦争だった)。

 ヨーロッパの「極西」の島国、イギリスに集まった流れがアメリカという新天地を見つけて世界に向かって膨張・拡散していったときに、その流れのなかでアジアの「極東」の島国、日本に凝縮されていったものが暴発した。

 もしかすると、「岡本」も、「田宮」も、「森」も、「麻原」も、口では現代のこの国とたもとを分かつようなことを言っていたが、実際には、大きな流れのなかで見ると、彼らこそ昔の人たちとつながる人たちだったのかもしれない。

 そうか、考えてみると、そもそも「テロ」という言葉自体が欧米社会や欧米文化に対してはむかう行為をさすものとして生まれたものだろうから、日本が戦後の「テロ」の世界をリードしてきたといっても、それはそれほど不思議なことではないのかもしれない。


by pivot_weston | 2012-06-15 12:03 | ブログ