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防衛相問責、ひとつの視点

 ずっと前から思っていたこと。メディアを見ていても、誰も言わないから、よほど少数派の思いなのかもしれないが、またぼそぼそと書いておこう。

 いまの防衛相がバリバリのやり手大臣かどうかについては、まあ十中八九以上、みんなの意見は一致するだろう。だけど、わたしがずっと疑問に思っていたのは、そんな防衛相を国会で追及していた人、自衛隊出身の議員さんのことだ。なんであんなことをするのだろう、といつも思っていた。

 自衛隊の人というのは、国になにかがあったら命をかけなければならない。有事というのは、いつ起こるかわからず、いま底抜けに平和だからといって、5秒後に起こらないとはかぎらない。で、起こったら、防衛相は最高司令官ではないが、その下あたりに位置する司令官なので、自衛隊員は防衛相の命令で命をかけなければならない。そのとき、ちぇっ、なんでえ、あの、先輩がボロクソに言っていた大臣の命令で死ななきゃならないのかよ――と思ってしまう後輩隊員が出てくる可能性があるとしたら、不憫に思わないだろうか。

 かりにわたしが国会議員になった先輩自衛隊員だとしたら、追及しない。追及する必要があると思ったとしても、自分ではしない。後輩も見ているかもしれない国会では、情報提供やなにかを通して、裏方として応援や手伝いはするにしても、表立った追及はほかの議員にまかせる。後輩たちが有事に直面したときに上記のようなシチュエーションが生じる可能性があるとしたら、後輩たちの頭のなかにある司令官のイメージを地に落とすようなことは、自分ではやらない。

 平和を前提とする一般の企業などでは、指導者が不適切と判断されたときに、時間をかけて経営陣の交代を求めるようなことをしてもよいだろう。でも、自衛隊や軍隊というのは、世のなかで唯一、その平和というものを前提とせず、なにかあったらただちに、そのときの指揮官を是としようが非としようが、その号令一下、機能しなければならない組織だ。いくら民主主義の世のなかといっても、あの大臣はダメ大臣だから命令に従わない、とひとりひとりの隊員がばらばらに判断していたら、存在意義そのものがなくなる。

 そして、いまも空爆のやまない南スーダンに自衛隊員がいるように、潜在的に危険な状況と直面している隊員たちはいる。それなのに、かりにやめさせるまでだとしても、ああいうことをしていいのだろうか。あの自衛隊出身議員さんは人のよさそうな議員さんなので、もしかしたら「党利党略」にのせられているだけなのかもしれない。だとしたら、人の命よりも党利を優先する党のようにも思え、原発を管理する能力もないのに管理しているふりをして、その利益にばかりたかってきた党だから、もしかすると、防衛力についても、真剣に考えているふりをしているだけではないのかとも思えてくる。

 ともかく、いまの大臣を能天気なおっさんと見る人は多いかもしれないが、わたしには、なにも能天気なのは大臣だけではないように思え、日本における防衛論議にいちばん欠けているものがあぶり出されているようにも思える。この問題も、一見単純そうに見えて、実はわたしたちひとりひとりが自分の内面をふり返ってみなければならない問題を含んでいるように思える(遠い夏の日に、南方の海に散った、会ったこともない伯父のことを考えても、そう思える)。


by pivot_weston | 2012-05-09 15:27 | ブログ