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国会見聞記(12)

(これは不定期連載でお届けしている記事です。流れがわかりにくい場合は、右の「カテゴリ」の「国会見聞記」をクリックし、前の記事を参照してください。)

 彼の秘書をしていたあいだには、2度ほど、政治的に印象深い体験をさせてもらった。

 1度は、予算にからむ体験だ。

 彼は、党内の会議にあまり出ない議員だった。わたしも、たまに国会に行って、彼の活動を通して政治の世界をのぞいているうちは、そこでどれくらいの会議が開かれているかを知らなかったので、そんなものか、そんなものでいいのだろうか、と思っていた。

 だが、秘書になり、そこに腰を据えてみると、とんでもなかった。

 考えてみれば、しごくあたりまえのことだ。

 現体制がいいかどうかはともかくとして、日本の政治(行政)は長い歴史のなかでわたしたちの暮らしの要請に合わせて1府12省庁の管轄に分けて管理されるようになっていた(いまは復興庁も追加されている)。だから、当然、それに対応して政策の議論や立法化をしなければならない民主党の内部にも、省庁の数だけ「部門会議」というものが設けられている。それだけでもけっこうな数で、全部が同時に開かれたらえらいことになりそうだが、実際の政治の問題はそんな大ざっぱなくくりでは話し合いにならないので、どの部門会議の下にも各部門の個別の問題を扱うワーキングチームがいくつもつくられていて、さらに、そんな縦割りでは複雑に入り組んだ現実の問題に対応できないということで、複数の部門にまたがる問題を扱う部門横断的なプロジェクトチームという合議組織も問題ごとにつくられている。つまり、民主党のなかでは、つねにその13×α+αのチームが同時並行で会議を開いていたのだ(これをもっと公開してやればよいと思うのだが、あまり見られたくないことがあるのか(わたしが出席した印象では、なさそうだったが)メディアは閉め出して開かれることが多かった)。

 それでもまあ、国会閉会中なら、昼間の時間があいているので、わりあいのんびりと開くことができる。でも、国会開会中となると、党内の議論に使える時間は朝と夜しかない。だから、おのずと朝の8時ごろから5つも6つもの会議が同時並行して開かれることになる。

 議員のほうも(参議院議員のほうはともかく、「代議士」と言われる衆議院議員のほうは)、それぞれあらゆる分野の問題を内包する地域の代表として永田町に来ているわけだから、「ぼくはこの問題がやりたい」「わたしはこの問題が専門」と言ってひとつの問題にだけ集中しているわけにはいかず、いくら専門とかけ離れていても、地元から「なんとかして~」という悲鳴があがれば、専門以外の会議にも出なければならない。

 結果的に、彼らは同じ時間帯に開かれる会議をふたつも3つもかけもちし、ひとつの会議で言うべきことを言ったら、また別の会議室に移り、そちらでも言うべきことを言うというように飛びまわることになる。

 そこで問題になるのが、それらの会議が開かれる会議室の場所だ。

 この連載の前半でも紹介したように、国会議員会館は「衆議院第一」「衆議院第二」「参議院」の3つに分かれていて、その3つが(建物の中心と中心の間隔で言えば)50mほどの間隔でならんでいる。だから、たとえば、端と端の「衆議院第一」と「参議院」で同時に開かれる会議にどちらにも出席し、どちらでも意見を言わなければならない議員は、それぞれの会議について何分ごろにどういう話になるかを予想し、そのうえでまずどちらか一方に出席し、そこで意見を言ったら、すぐにもうひとつの会議の場所へ向かい、その移動中にも、会館改築時に地下の連絡通路に新設された動く歩道の上で駆け足をしながら携帯電話で移動先の会議のようすをうかがわなければならなくなったりする。

 へえ、なんだ、みんなすごいじゃん、国会議員が仕事をしてないなんてウソだな、なんだ、国会のなかはまるでスポーツジムみたいじゃないか――秘書になったばかりのころは、動く歩道の上に立って、次々と追い越していく議員たちの背なかをぼんやりと見ながら、そんなことを思っていた。それが、国会内のいつわらざる光景、一面だった。

 ところが、彼は違った。なんだ、こういうことなら、彼ももっと会議に出席しなければならないのではないかと思ったが、そうはしていなかった。

 最初は、なぜだろう、と思った。これは出たほうがいいのではないかと思う会議がある日にも、「ちょっと地元で人と会うので」と言って東京に来ないわけを説明されると、国会議員が国会内の会議に出席せずに会う人というのはどういう人なのだろう、とも思ってしまう。でも、そのうち(あくまで推測だが)もしかすると逃げているのではないか、という気もしてきた。人前に出る人には、往々にしてありがちなことだが、彼も基本的には気の弱い人だ。民主党にかぎらず、国会議員のなかには、弁舌さわやかなエリートが多い。そこへ行くと、彼はお国訛りもまったく抜けず、知識や論理的な展開力にもやや難がある。だから、もしかすると、ちょっと気おくれして逃げているのではないかと感じたのだが、そうであれば逆に、どんどん出るべきじゃないか、とも思った。なにもびくびくしている必要はない。国会議員は国民の代表であって、いろんな国民のなかから選ばれた人が国会を構成するのがいちばんいい。彼には、とりわけ民主党に多いエリート議員とは違う、エリートには理解できない国民の気持ちを代弁することができる。そういう意味では、掃いて捨てるほどいるエリート議員より希少価値があるのだから、むしろそんな自分の存在意義を意識し、どんどん会議に出て発言をすればいいと思ったのだが、どうやら彼にはそういう気持ちはなさそうだった。

 そうして彼が地元かどこか、東京以外にいたある日、夕方になって、第一次産業のある部門の業界団体の代表としてロビイ活動をしている人が事務所にはいってきた。そのかたとお会いするのは、それが2度目か3度目だったか。いつもは努めて紳士的な態度をとっているその人が、その日は少し血相が変わっていて、口から飛び出した言葉にも、かすかな怒気が感じられた。

 民主党内で予算配分の話し合いが行われていて、第一次産業のほかの部門にはある程度の予算が配分されているのに、自分たちの部門には配分されていない、このままでは全国の従事者がたいへんなことになる、なんとかしてほしい、と言う。

 わたしも民主党の政策を少しは勉強していて、自民党時代の第一次産業への補助金を欧州式に従事者への直接支払いのかたちに変更しようとしていることは知っていた。で、その人に見せられるまま、党内会議の予算配分の資料を見ていくと、たしかに、ほかの部門には直接支払いの予算が割り当てられているのに、そのかたが代表してロビイ活動をしている部門にだけは、その予算が盛り込まれていなかった。

「あら、なんで?」というのが第一印象。予算と言っても、まだ細かいところまでは考えず、言ってみれば、来年使う塩をどこかからどさっともってきて、こっちはまあこれくらい、そっちはまあそれくらいと、手で大ざっぱに取り分けた段階だ。だから、その最初のたたき台の資料を作成した農水省か財務省かの担当者がうっかりその部門の予算を落としてしまったのかなと思った(でも、いま思い返すと、そんなはずはない。あの資料にしたって、ひとりが作っていたわけではないだろう。おそらく、省内の各部門の希望を総合して作成していたのだろうから、あんな、ひとつの産業の核となる予算がたまたま抜け落ちるなんてことはないだろう。だから、いま思えば、なにか意図のあるものだったのかもしれないが、真相はよくわからない)。

 その人は、翌日に関連部門の会議があるので、その会議に出席してこの点を指摘してほしいと言う。わたしも、それはしないといけないと思った。ほかの一次産業の従事者には直接支払いの支援をして、その部門の人にだけは支援しないというのは、どう考えてもおかしい。

 ところが、彼のほうは、その日も東京にはおらず、翌日も出てくることにはなっていなかった。会議に出るのは秘書でもいいが、秘書は会議のなかで発言権がない。どうすればいいのか、と考えた末、「文書を出すか」と思った。

 紙っぺらを一枚出したところで、「はいはい、どうも、承りました」で終わってしまうのではないかとも思ったが、こちらはまったくの門外漢から秘書になったばかりで、人脈もなにもないわけだから、それ以外にできることはなさそうだった。

 どうやら先のロビイストのかたは彼の携帯電話の番号も知っていたらしく、しばらくすると、地元かどこかにいた彼から電話がかかってきて「来たやろ」と言う。「どうしよ」とたずねると、「代わりに会議に出て、発言してくれるか」と言う。お、こらこら、それはできない相談だよ、とは思ったが、「じゃあ、文書を出しとこか」と言った。

 力がはいった。それまで30年間の自営業者のあいだも、自分や家族の暮らしを背負って文章を書いてきたし、読んでくれる不特定多数のかたのことも考えながら書いてきたつもりだったが、このときは、まあ、大げさに言うと、日本全国のある産業に従事しているみなさん全員の暮らしを背負って文章を書いている気分になった。ただ、そうして気合いがはいった分だけ頭のなかもよく整理されたのか、自宅に帰って書きはじめると、ほとんどなんの苦もなく、一気に書けた。読み返してみても、なかなか政治的な発言の文書らしい力もこもったものになり、言わんとすることもストレートに伝わるものになっていた。

 そして、翌日には、問題の会議が開かれる会議室に行き、会議がはじまってしまうと秘書はなにもできなくなるので、はじまる前に座長さんのところまで行き、「すみません。うちの先生は地元で用事があって来られないんですが、こういう文書をつくりましたので、よろしくお願いします」と言ってその予算措置を求める文章を書いた紙をわたした。座長さんは、そういうことがそんなによくあることではないのか、ちょっ戸惑って「え、え、それはどう処理すればいいんですか」と問い返してきたが、さらさらと文面を目で追ったところで趣旨を理解してくれたらしく、「あ、そうですか。わかりました」と言ってその文書を受けとってくれた。

 まあ、できるのはそこまでだ。わたし自身も、議員本人が出席せずに文書だけを出すのでは迫力がないし、ひとつの産業の核となる補助金がまるまる抜けているのだから、会議中にほかの議員からも同様の予算措置を求める発言があるのではないかと思ったので、あとはその会議の進行を壁ぎわの秘書の席からじっと見守っていた。で、結局、どの議員からもその予算措置を求める発言が出ないまま会議が終わろうとしたとき、急に座長さんが「その前に、××議員のほうからこういう文書をいただいております。読みあげます」と言って読みだした。おいおい、だ。その座長さんは、わたしが書いた文書を読み終えたあと、「これは重要なご指摘ですから、こちらのほうでも検討させていただきます」と言って、会議をしめくくった。

 驚いたのは、その次にそのワーキングチームの会議が開かれたときだ。新たに修正された予算配分案が作成されていて、それを見ると、なんと、その部門に5××億の予算がついていた(「××」のところの数字は忘れたし、その後、予算審議が煮詰まる過程で変化したので、ここではこの表現にさせていただく)。あら――だ。こんなに簡単に500億もの金が動くのか、と思った。もちろん、最初に書いたような民主党の基本政策があったので、まったく予定外の予算ではなかったはずで、だから、こちらで掘り出した予算とは言えないだろうが、これは彼の功績としてアピールできるな――とは思った。

 ロビイストのかたも安心してくれた。もちろん、こちらが安心してもらいたかったのは、ロビイストのかたではなく、現場の従事者のかたがただったのだが、このときにはロビイストの存在をちょっと見直した。それに、こういうことがあって、議員会館のなかでよく見かけるそのロビイストさんのようすに注目していると、彼はただ強引に議員に利益の配分を迫るのでなく、国会議員会館に常駐して、関係のある会議にほとんど出席し、議員の話もよく聞き、資料も細かいところまでよく読み込んでいるようすだった。

 国会に必要なしかけと言えるかもしれない。誰もなにも言わなければ、国家予算は議員や官僚の恣意で決まる。それでは、いかに賢明で炯眼の議員や官僚が担当しても、ほんとうにそのときそのときの日本の国情に即した予算配分にするのは難しい。だから、国家予算を必要とする人たちがあちこちでかたまりになって声をあげる。そこでアンフェアなことがあってはいけないが、どんなにドスのきいた声だろうがなんだろうが、みんながそれぞれフェアに声をあげた結果として予算が決まっていくのであれば、それがいちばんいいのだろう。

 ディベートだ。いまではよく耳にするようになった言葉だが、わたしが1981年にアルクという会社にいたころ、社長が「よし、これからディベートというものをはやらせるぞ!」と言いだし、「英語道」の松本道弘さんの指導を仰いで、切れ者の女性編集者が編集したビデオ教材を売り出したときには、まだ「ディベート」と言っても「なんのこっちゃ」という顔しかされなかった。

 大勢の人が集団で生活していくうえで必要になる合理的解決策を絞り込む作業だ。どちらが正しいかを決める議論ではない。この世のなか、なにが正しいかを争っていたら、みなばらばらで、きりがなくなる。どの人の「正しい」も、集団全体には当てはまらないし、当てはめてはいけない。人がかかえている事情はみな異なる。価値観も違う。では、集団の意思を決めるときにどうするか?――ということで考え出されたのがディベートであり、この場合、とりあえず、なにが正しいか、なにが間違っているか、という判断はさておく。そうしてともかく、相対立する命題をふたつ立て、それぞれの命題を割り当てられた者同士が、論理の整合性だけを守って互いの論を闘わせていく。そうすれば、たぶん、結果だけを見ると多少意外なものになることもあるかもしれないが、いろんな価値観をもった人たちの集団としての意思はよりフェアに決定することができるだろうということで行われている作業であり、裁判の仕組みなどもそうした考えにもとづいていると思うが、日本の場合にはまだ、誰が正しいか、なにが正しいか、というやや依存心の強い姿勢を抜け出せない風土があるので、政治にしてもなんにしても、合理的な策をすぱっと打ち出すのが苦手なのだろう。

 国家予算の配分は、国内のあちこちから国庫にスポットライトを当ててみて、その結果としてバランスよく決めていくのがよいのだろうが、ロビイストもそういうスポットライトを当てる装置のひとつであり、なくてはならない装置と言えるのかもしれない。

 のちに、議員会館内のある喫茶店にはいっていったとき、柱の陰の席でじっと会議の資料らしきものに読みふけっている人がいた。よく見ると、顔をしかめた例のロビイストさんだった。だから、「あ、どうも」と声をかけたら、いつもロビイスト然としているその人の顔に、一瞬、あ、しまった、というような、ちょっと恥ずかしそうな表情がよぎった。ほんの一瞬のこと。でも、わたしはその一瞬で、あ、なんや、この人もおれとおんなじことをしているんやな、という親近感のようなものをいだいた。


by pivot_weston | 2012-03-11 07:36 | 国会見聞記