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雪の日の思い出

 あゝ、この角筈(つのはず)村(現西新宿4丁目)に引っ越しといてよかったな、と感じる朝だ。

 窓をあけると、どこもかしこも真っ白。おまけに、まだまだ、まだまだ、もろもろと雪が舞い落ちている。

 引っ越してきてから、何度か地元の人にたずねてみたことがある。でも、おぼえている人はひとりもいなかった。

 14年前(1998年)の、まだ固定式だった成人の日(1月15日)も、こんな雪の日、いや、もっとすごい雪の日だったか。

 まだあのころは四国に住んでいたけど、その日はちょうど、この東京の角筈村にいた。

 ダイヤモンド社の故・江種敏彦さんが「せっかく四国から出てくるのに、一泊だけじゃあんまりだから」と言ってとってくれた宿。

 新幹線に乗るお金もなく闘病していた妻と(その甲斐性なしの夫の)わたしに、「電車チンを出して一泊の宿もとってあげるから、おいで」と言って、テレビ東京の草野仁さんがやっていた『追跡!テレビの主役』という番組が呼んでくれたときだ。

 東京に実家のある妻に、がんに追いつめられていたのに里帰りもさせてやることができずにいた甲斐性なしの軽薄亭主のわたしは「お、ラッキーっ!」と、すぐにその話にノッた。

 まだ新幹線に個室があった時代。脊椎全体が乳がん骨転移に冒されていた妻には、上体を起こした姿勢で電車の揺れにさらされることにも怖さがあったので、「わたしの姉も骨が悪いんですよ」と言って、個室のなかににわか仕立てのベッドをつくろうとして車内を走りまわってくれたやさしい車掌さんのお世話にもなりながらの上京だった。

 テレビ東京の「一泊」は収録の当日だったので、その日は妻と同じようにがんと闘っていた江種さんのとってくれた、この角筈村のホテルにはいった。

 そのときは、いつもの東京。雪なんて、かけらもなかった。軽薄亭主も、やさしさのかけらもなく、久しぶりの東京で、仲間に誘われるがまま、新幹線でもベッドをつくってもらわなければならないほど体調の悪い妻をひとり宿に残して、飲みに行った。

 帰りは、もう朝になっていたか。ありゃ、大雪だ。どこもかしこも、そう、ホテルの真ん前にある新宿中央公園の樹木すら判別がつかないほどの大雪だ。

 うぃ~と上機嫌の酩酊状態ながら、ホテルに朝帰りした亭主に気づいて、用心しながらベッドから体を起こそうとした妻を見たときには、さすがに「ごめん」と謝ったか。

 それでも、少し寝て、さあ、テレビ局へ行こうとしたときには、まだまだお酒が残っていても、もう冗談ではなかった。タクシーに乗っても、途中でタクシーが立ち往生するのではないかと思えるほどの大雪。妻が足をすべらせるようなことは、絶対に、絶対に、あってはいけなかった。

 ホテルの前はまだよかったが、ずっと、ぎゅうぎゅうとタクシーのタイヤが雪を踏みしめる音を聞きながら、一面の銀世界のなかを進んでたどりついたテレビ東京の車寄せには、あちゃ、屋根がない。妻は、警察に逮捕された凶悪犯のように、迎えに出てくれた番組制作会社の若い人とわたしに右腕と左腕をかためられ、さらには、背後にもひとりがついて、そろり、そろりと局内にはいった。

「やれやれ」と思って控室にはいったら、その若い人のひとりがわたしの顔を見て、「あれ、ちょっと赤いみたいですね」と言う。ありゃ、自分が酔っぱらっていることまで忘れていたが、収録の開始時刻が迫っていたので、よし、水だ、ということになり、グラスにくんできてもらった水を一気にあけて、「すんません、もう一杯」。

 スタジオで草野さんや坂口良子さんや島崎和歌子さんの背後にずらりとならんでくださる予定のかたがたも、半分ほどは雪のために来られないということで、スタッフのみなさんはカメラの向けかたもいろいろと工夫しようという話し合いをしていた。

 妻のいちばんの楽しみは、少しでも貧乏を脱出するための本(闘病記)の宣伝。ところが、「いちおう番組ではそういうことはしないことになっています」という若いスタッフさんのひとことで、ありゃ、なんのために東京まで――という気分になりかけていた。ところが、収録がはじまり、闘病の再現ドラマなどが流れたところで、急に草野さんがわたしたちの闘病記の話を出し、あれ、それはなしじゃないの、と思ったわたしが「まあまあ」くらいに適当に流そうとしたら、もう一度、はっきりと本の話題に戻してくれ、となりにすわっていた妻が「よし、いまだ」とばかりに元気になるのがわかった。

 あとでいただいた録画のビデオを見ると、どうやら軽薄亭主の赤い顔も、内面的にはけっこう克服するのがたいへんだったが、外から見ると、それほど問題になるほどのものでもなかったみたいだ。

 江種さん、新幹線の車掌さん、番組制作会社の若いスタッフのみなさん、草野さん……いろんな人のやさしい心遣いに接した旅だった。心残りだったのは、妻を目黒の実家まで帰らせてやることができなかったこと。自分が育った家だ。病状、先行きを考えると、もうチャンスはいましかないと思えたので、無理して挑戦してもよかったかもしれない。でも、結局、無理はせず、おとうさん、おかあさんに六本木のホテルまで出てきていただくほうを選択した。

 いろんな人のやさしさ、自分のダメさ、みんなのおかげでできたこと、雪のせいでできなかったこと、でも、こうして14年後に同じ場所で、いまだにもろもろと舞い落ちる雪を見ていると、(自分のダメさはともかくとして)みんななつかしいなと思えること、いろんなことを考えさせてくれる朝だ。


by pivot_weston | 2012-02-29 11:38 | ブログ