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ペニーとルイス(5)

 近ごろ、ペニーが妙に警戒心が強くなっている。

 誰かになにかをされたのか。それとも、季節柄、体の内奥から湧き起こるものを、喉が土管に変化したのではないかと思えるような声にしてご近所中に轟かせているオスたちの肉迫に脅威を感じているのか。

 以前は、階段の下を通りかかると、上から鉄の柵に体をすりつけながら、ニャーニャーと、逆に彼女がご近所中にアピールするような声を発しながら降りてきて、こちらが階段の上にこぼしたごはんを、わたしの真ん前で、ときには無警戒にまんまるいお尻をこちらへ向けてぽりぽりと食べていた。

 近ごろも、「ご近所中にアピールする」ところまでは同じ。でも、階段の上にこぼしたごはんをわたしの目の前では食べようとしない。ごはんをこぼすと、いったんは目の前でそれを鼻先で確認する。しかし、確認すると、すぐに階段ととなりのビルとのすきまにすとんと降りて、階段の陰からこちらを見ながらニャーニャーと鳴く。

 なんだ、なにもしないよ、食えばいいじゃないか――と思うが、たまに通りかかるだけのわたしなどの知らないときに、それを思いとどまらせるようなできごとがあったのかもしれない。

 だから、こちらはビルのなかへはいって、ガラスのドアの内側から、ほら、大丈夫だよ、と目で合図をし、すると、またすとんと階段の上に飛び上がり、ちらちらとこちらをうかがいながら、少しは幸せそうな表情ものぞかせ、のぞかせ、ぽりぽりを始める。なんだ、そんなに怖い思いをしたのなら、ご近所中にアピールするような声で鳴くなよ、とは思うが、どうやらそういう加減も、彼女には難しいらしい。

 受験のシーズンに、そんな彼女の姿を見ていると、思い出すことがあった。

 このおじさんが大学受験を控えていた時代。同年代の香川県出身者のかたには、ご記憶のかたもいらっしゃるかもしれない(こちらも、もうけっこううろおぼえの記憶になっているが)。

 あるとき、地元紙『四国新聞』の読者投稿の欄に、受験勉強に疲れたうえでのことだったのか、のんびり日向ぼっこがしたいという高校生くらいのかたの投稿が載った。「猫といっしょに」という付帯条件もついていただろうか。

 そしたら、それに対して、今度は、なにを日和見的なことを言うか、戦え、と批判するような投稿が載った。

 なんで、ぽかぽかする日にのんびりと縁側で日向ぼっこをしたいと思う気持ちなんて、誰もがいだく自然なものじゃない、という再反論も載ったみたいだったが、そんなことが論争のタネになる時代だった。

「日和見」を許さず、戦うことを求めていた人たちは、戦争というものに対して批判的だったと思うが、案外、実際には、人一倍戦争の心理が染みついていた人たちだったのかもしれない。それとも、意識の世界では、みんなに戦いに気持ちを向けることを求めても不自然ではないくらい、無意識の世界には、ぽかぽかの世界が満ちあふれていたということだろうか。

 わたしも、裏庭(といっても、当時のわが家には、三方に「裏庭」があったので、そのひとつ)に面した縁側に布団をひろげて、その上に寝っころがって日向ぼっこをするのが好きだった。だから、その論争の話を知ったときには、なんでいかんのかいな、これが、と思ったものだが、そのころには、人が通りかかることすらまれな田舎ということもあって、ニャーニャーとアピールするなんて面倒なことはせずに、黙って縁側の上の布団の上に上がってきて、すやすや寝ているわたしのとなりでまるくなっていたタマがいた。

 そういや、それから30年ほどが経過し、同じ家の別の裏庭に建てたプレハブの仕事小屋で仕事をしていたときには、寒い夜になると、外で過ごしていた7匹の猫と1匹の犬がかわいそうだと思ってなかに入れてやっていたのだが、そしたら、こちらが仕事でへばって横になると、みなゴネゴネとすり寄ってきて、両脚、両腕、おなかの上では足りずに、目がさめたら顔の上にお尻をのっけてるやつまでいたか。

 寒い日に神経をとがらせ、ハードボイルド人生、あ、いや、ビョーセイ(猫生)を生きているペニーの姿には、なにやら現代人の一端が見えるような気もする。