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感謝――西本幸雄さんへ

 とうとうお亡くなりになりましたか。

 もちろん、一面識もあろうはずもないけど、プロ野球という、裾野が遠くて遠くてかすんで見えないほど遠くまでひろがっている仕事をしてきた人には、わたしのように、亡くなったときに、一面識もなくても言葉を繰り出したくなる者がいるものです。

 1960年の大毎の優勝は、西本さんのお名前も知らなかった子どもの頭をぼんやりと通過したできごとでしかなかったけど、1967年の阪急ブレーブスの初優勝は、わたしの身のまわりにいた人たちには存在すら知られていなかったあのチームの動向を、友だちにはないしょで見つけた自分だけの宝物を物陰でひそかに箱のふたをあけてのぞきこむような気分で、ずっと、新聞の活字や写真を通して、勝てよ、勝てよと念じながら追って、でも、毎年秋には、そんな思いなど通じるはずもないことを思い知らされて、それでもまた次の年には、あの西本さんの阪急ブレーブスの、ほかのチームにはなかった雰囲気がいちばん魅力的だったし、積もれば積もるほど強くなるものも手伝って、テレビではめったに見ることのできなかったあのチームを追い、そういうことを性懲りもなく何年か繰り返して、もうダメか、やっぱりダメかという思いが定着しかけてきたころに、まさに、子どもがいつのまにか大人の力が宿っている自分の手を見つめるときのように、信じられないことを体感しているような気分で見守った、それまでの世界が一変するようなできごとでした。

 ああいう思いには、自分の境遇も反映されているものなのでしょう。貧乏だったということもありましたけど(いまでもですが)、住んでいた地区も田舎の小学校区のなかでもひときわ人家や人口の少ない地域で、頭で勝負ができる勉強はともかくとして、体を使ったり人数をかけたりする運動では、なにをやってもダメで、毎年、運動会の地区対抗リレーになると、周回遅れで走ることになり、年によっては、屈辱的にも、子どもの数がたりないからよその地区へ子どもを借りに行ったりしたこともありましたか。

 いつかなにかで、自分たちだって勝てるのだということを証明したい、という気持ちがずっとあって、そう、ちょうどあの1967年には、5年生だったわたしが毎年恒例の地区対抗のソフトボールの大会の前に、上級生にも声をかけて「練習試合」をしようということにしたのでしたか。地区は4つ。いつもは、やる前からうちの地区がビリと決めつけられていたし、自分たちでもそう決めつけていたフシがあったけど、そういうのがなんとしてもがまんならなくて、あの年は、事前に練習なんてする地区はなかったのに、それをやったら、その「練習試合」に全部勝って、どや、おれたちだって、やったらできるんや――胸を張ってそう思えた年でもありました。もっとも、そう思っていささか増長して本チャンに臨んだら、全部負けて、しかも、わたしが最後の試合の最後のバッターになって、最後の球を見逃して三振したら、ピッチャーだった6年生がにやりと笑ったものだから、あんまりにも悔しくて、みっともなくホームベースにへたりこんで大泣きしちゃったので、やったらできることを実証できたと同時に、現実の厳しさをあらためて思い知らされた年でもあったのですが。

「フェア」は、なかなか世のなかでは実現しないことかもしれないけど、あのころの西本さんの姿勢には、いつもどこかに信頼できる空気が感じられるような気がしていました。今回、お亡くなりになったと知ってWikipediaを見て、その点もなるほどと思えました。

 いや、わたしが人生をすごすあいだにいてくださって、ほんとうによかったと思います。お疲れさまでした。ありがとうございます。(元四国の一野球少年、いや、一阪急少年より)

(あ、いま気がついた。大学時代、わたしが仙台の旅館の布団敷きをしていたとき、その旅館を仙台で試合があるときの常宿にしていた近鉄バッファローズの監督は、西本さんだったんだ。杉浦さんとは廊下ですれ違ったけど、そうか、西本さんともすれ違える可能性があったんだ。)


by pivot_weston | 2011-11-26 12:59 | ブログ