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自縄自縛の愚かしさ(18)

(これは不定期連載でお届けしている記事です。流れがわかりにくい場合は、「自縄自縛」のカテゴリの過去の記事を参照してください。)

 所属していたサークル、園芸部にTくんという同期生がいた。

 文学部――ただそれだけで、第3話に書いたように、10代のはじめから「文学なんぞ、女のするもんぞ。小説なんて、おれは絶対に読まん」といっていたわたしは、あ、こいつとは関係ない、と思っていた。入学したころの話だ。

 文学部のなかでもとくに「文学部くささ」を強く感じさせる男だった。ベレー帽かなにかをかぶり、黒いビロードのジャケットを着て、その襟の内側ではなく、外側に巻いた白いストールを足の爪先あたりまで垂らし、端正な細面の顔の前に垂れてくる長い髪をかき上げながら、文学拒絶症だったわたしにはまったくチンプンカンプンな外国の文学者かだれかの名前を口にし、話をはじめると、そのすばらしい滑舌と通りのよい声で一気にその場にいる人たちの心をつかむのだが、話の中心にいないときには、ふと見ると、愁いを帯びた表情を浮かべて虚空を見つめていたりした。

 印度哲学科に所属する演劇青年、ある市民劇団のリーダーでもあった。

 そんな外見や外的条件がよけいに強く「文学」のにおいを感じさせたものだから、あんなやつには絶対に近づかないと思って、最初のころはサークルのコンパやなにかがあって見かけても、話をすることはおろか、近くへ行くことすらなかった。

 前号に登場した高級クラブのホステス、FさんとKさんのことも、最初は「まったく無縁の人、まったく別世界の人、のように思えた」と書いた。当然といえば当然だろう。実社会との接触を断って、ひとりでひきこもるのは、自分と同じ世界の人をひとりもいなくする行為だ。だから、そこから抜け出すときには、まずもって、世のなかの人全員が「別世界の人」になっている。下北半島まで雪のなかに寝ころがりに行ったわたしを泊めてくれたОさん兄弟も、その帰りにふらりと立ち寄った不思議なラーメン屋のおばさんも、仙台に帰って雇ってもらった「バラ」の大将と弟さんも、そこの仕事の帰りに「ネエ、チョット、アソンデカナイ」と声をかけてくれたおねえさんも、わたしからカメラを奪った前科×犯の詐欺師のKさんも、次のアルバイト先の売店の周辺に出没したおんちゃんも、海洋物理学教室の先生や大学院生のみなさんも、ひと晩、わたしの膝で泣き明かしたYさんも、さらには、タイピスト学校の先生のSさんだって、みんなみんな、わたしがひきこもっていたときには「別世界の人」だった。それが、こうしてひとりひとりの人と出会い、行き来をするうちに、いつのまにか同じ世界の人、というか、とりたてて意識することのない人に変化していた。

 たぶん、そういう「ひきこもり」からの脱出のプロセスのなかで、入学直後に早々と「別世界の人」と決めつけていたTくんに対する認識も、知らず知らずのうちに変化していたのだろう。FさんやKさんと夜ごと飲み歩くようになったころ、なにかの席でたまたまTくんといっしょになると、かつては「絶対に近づかない」と思っていたことなど忘れて、こちらから話しかけ、してみると意外にも、それまで颯爽としていて「別世界の人」のように思えていたTくんにも、どこか自分と同じようにどんくさいところがあるような気がして意気投合し、それからはちょこちょことふたりで会っていっしょに飲むようになった。

 そんなTくんが、あるとき、「おい、おまえ、おれのアパートに遊びに来ないか?」といった。

 わたしは無自覚に、自分のまわりでひとりひとりの人が「別世界の人」から「とりたてて意識することのない人」に変化していくプロセスを体験中だった。そんな、無自覚に身をさらしていた流れの水の感触に、ふとあらためて意識が向かった瞬間、とでもいえばいいのだろうか。そういわれた瞬間、なにやら不思議な気分になった。

 おれがTくんのアパートへねえ……。

 もちろん、下北のОさんのお宅に泊めてもらったのからはじまって、例の男女混合下宿へも頻繁に通っていたし、Fさんのマンションにも泊めてもらっていたくらいだから、このときにはもう、他人の住まいにおじゃまするのはまったく抵抗なくできることだったのだが、その、自分がTくんの部屋へおじゃまするという構図をあらためて頭のなかに思い浮かべてみると、なにやら不思議な気がしてしかたがなかった。「ひきこもり」から抜け出そうとしてから無自覚に自分が歩いてきた道をはたとふり返って見たのだろうか。たまに愁いを帯びた表情を見せることがあるとはいえ、そうでないときは颯爽としていたTくんと、いつまでもあか抜けない自分を内面のどこかで意識していて、とても颯爽としているとはいえなかった自分。もしかすると、そもそもわたしをひきこもらせる原因になっていたのも、そういう比較から生じた強い劣等感だったのかもしれなかった。

 ひとりで部屋にひきこもってテレビや新聞ばかり見ていると、自分と他者との違いばかりが意識されてくる。「生身の人間」として見えるのは自分だけで、テレビや新聞を通して見えるのは、世のなかの人たちの「颯爽とした一面」や「きれいな一面」でしかないのに、ついついそれを「生身の人間」の自分と比較してしまう。そうすると、そもそも「生身」と「一面」ではフェアな比較になどなりようがないので、どんどん自分の点数ばかりが落ちていき、いつのまにか、自分はああいう人たちとは違う、ああいう人たちのようにはなれない、ああいう人たちとは別世界の人間だと思うようになっていく。

 そういうプロセスで、あか抜けない自分と不可分の関係にあるものとして強く意識させられていたもののひとつに、よどんだ空気があった。ひとりで部屋にこもっていると、どうしても自分の吐いた息のぬくもりやにおいのようなものがそこに滞留してきて、それがあか抜けない自分の一部として強く意識させられるようになる。たしかに、それは自分の一部に違いないのだが、だからといって、ほかの人にはないものかというと、そんなことはない。だれもがもっていて、みなひとりひとり違うものだから、そんなものを強く意識して、人と交わるのをためらったりしていたら、人間はみんな、ひとりひとりばらばらに暮らすしかなくなる。それなのに、いったん強くいだいたそういうものに対する意識はなかなか拭えるものではなく、実は、このころ、例の「不思議アパート」から、当時の学生の住まいとしてはぜいたくだった「新築のアパートらしいアパート」に移ったのも、そんな、自分にへばりついているものを思い切ってきれいさっぱりと払拭したい気持ちもはたらいてのことだった。

 そうして、住居を変えてまで、まだしつこく自分にまとわりついてくるものをなんとかこそぎ落とそうとしていたわたしに、かつてはそういうものとは無縁のように思えていたTくんが「おれのアパートに遊びに来ないか?」といっていた。

 もしかすると、Tくんの部屋には空気のよどみのようなものがないのではないか、という思いこみが、まだわたしの頭のなかにはあったのだろうか。彼が住んでいたアパートの建物についたときに、お、なんだ、ふつうのアパートじゃないか、と思ったことと、部屋のなかまではいったときに、ほのかに、かつてのわたしの部屋にあったような空気のよどみを感じ、ほっとして、なにやら伸び伸びした気分になったのをおぼえている。

 いまからふり返ると、当然のことだ。そんなものはだれにもあるもの、という以前に、Tくんは、外でどんな「なり」をしていようと、どんな言動をしていようと、劇団に所属し、その劇団がやる芝居の台本も書いていた。部屋でひとりで沈潜し、自分の内面と葛藤していた時間があったはずだ。そんな生産的な沈潜のしかたではないにしても、同じように沈潜していたわたしの部屋と共通するよどみがあるのはあたりまえのことだったのだ。

「ま、すわれ」そういったTくんは、すぐにうしろをふり返り、「あのさ、あのさ、この前、こういうのを書いたんだ。ちょっと読んでくれないか」といって、いきなり紙の束を差し出してきた。方眼紙の目を大きくしたような罫線がはいった紙に、ぴんぴんと飛び跳ねるような個性的な文字で、新しい芝居の台本が書いてあった。

「この前、徹夜で書いたんだ。それがさ、朝まで一睡もせずに書き上げたら、ちょうど窓をあけたときに、空からはらはらと雪が舞ってきたんだ。わかるか、おまえ? 徹夜して、朝まで書きつづけて、さあ、できたと思ったときに、窓をあけたら、雪がはらはら、だぞ」

 細面の顔の、切れ長の目を、これ以上は無理というくらいに輝かせていう。

 そうか、奇跡の傑作とでもいいたいのだな。そう思ったが、残念ながら、このときのわたしには、読ませてもらってもそれがいいかどうかを判断する能力がないような気がした。でも、そう思って原稿に適当に目を走らせていたら、「なんだ、ほら、ちゃんと読んでくれよ。な。けっこうよくできていると思うんだ。ほら、読んでくれよ、な、ほら」と、その傑作をなんとかわかってもらおうとするTくんの言葉がかぶさってきて、そのつどちらちらと原稿に目を走らせているうちに、どういうわけか、わたしもTくんの発散する空気に飲みこまれたように、とても自由で高揚した気分になってきた。

 人間のなかには、自意識の強い人とそうでない人がいる。そうでない人から見ると、自意識が強い人の自意識は迷惑千万なものなのかもしれないが、自意識が強い人にとって、それを抑えつけておくのはとても窮屈な思いがするものだ。そういうときには、それを心置きなく表現し、発散したほうが、結果的には「そうでない人」にかける迷惑も少なくすることにつながる。

「な、おれは日本一の芝居をつくりたいんだ。つくれると思うんだ。どうだ、おれたちでいっしょに日本一の芝居をつくらないか?」

 Tくんがそういいだしたときには、即座に「おお、やろう!」と答えたい気分に襲われたが、まだその段階では、その衝動の意味に気づいていなかったので、いったんは「え……うん……そうか」と答えて、ははは、と意味もなく笑った。だけど、そう答えたときに、内面でなにかはっきりと手ごたえのようなものがあり、おお、これじゃないのか、おれに必要だったのはこういうことではないのか、こういうときに自分がいいたいことをはっきりということではないのか、と思えたものだから、Tくんがもう一度、「なんだ、どうした? いいよ、いいよ、いっちゃってもいいと思うんだ、おれたちがこういうことをいっちゃっても。だから、いっちゃおうぜ。おれたちで日本一の芝居をつくろう。芝居で天下をとろう」といってきたときには、待ってましたとばかりに、「おお、とろう。日本一の芝居をつくろう」といってしまった。

 なんともいえぬ爽快感があった。ずっと胸のうちにたまっていたものを、一気に吐き出せたような気がした。

 あとはふたりで、2匹のカエルが向かい合って合唱するように、

「おう、日本一だっ!」

「よしっ、とろう!」

 の連呼だ。

 おかしかった。まだ日本の文化や演劇の中心とされている東京に出ていってもいなかったふたりの名もない若僧が、東北の片隅のアパートでしきりに声を張りあげ、「日本一」の言葉を口にしていた。そのおかしさは、頭のなかではわかっていたのだが、このときは、ずっとずっと自分が口にできずに抑えていたたぐいの言葉をついに口にすることができたような気分になっていて、もやもやしていたものが一気に吹き飛んだような爽快感があったので、わたしもTくんといっしょに、思う存分に自意識の発散大会をさせてもらった。なにか、自分の気持ちがどんどん自由に、素直になっていっていくような気がした。

 で、いっしょに「日本一」の唱和をしていたTくんがいった。

「おまえもうちの劇団にはいらないか。来週、稽古があるんだ。みんなで“本読み”をする。来ないか」

 実は、わたしも大学にはいる前から、機会があったら芝居をやってみたいという気持ちをもっていた。大学には、入試を受ける前からほぼ九分九厘、合格する自信があったが、万が一、落ちたときには、わが家に浪人をする余裕がないことはわかっていたので、かりに落ちるようなことがあったら、東京の劇団にでも入れてもらって、アルバイトをしながら役者を目指してみようかと思っていたこともあった。

 結果的に、あとから考えてみると、Tくんは「別世界の人」などではなく、逆にわたしととてもよく似たところをもった人だったのだと思う。ふたりとも、それぞれの考えがあって、まじめでおとなしい学生たちが集まっていた園芸部に所属していた。そして、どちらもそのサークルの状況に物足りないものを感じ、Tくんはほとんど顔を出さないかたちでその物足りなさを表現し、世慣れしていなくて行くところがなかったわたしは、よく部室でほかの部員とトランプやなにかをして時間をつぶしながら、ときおり、なにかもやもやしたものを感じると、急にひとりで黙々と草とりのようなことをして、そうした現状への不満のようなものを表現していた。

 どちらも自意識が強いことは強かった。でも、あの時期に田舎の片隅で「日本一」を叫んでいた人など、いっぱいいただろう。なにしろ、ヘルメットをかぶって学生運動をしていた学生のなかには「世界同時革命」を叫んでいた連中もいたくらいだから。

 わたしにとって問題だったのは、自意識などではなく、したいことをしたいといおうとしていなかったことだろう。わたしは、意識のなかでは、ほんとうに「文学なんぞ……」と思っていた。でも、ほんとうに正直なわたしの気持ち、というか、本能のようなものは、そうではなかった。

 子どもは妙に正直、というか、素直だ。外的な要求に直面し、頭のなかでわずかな人生経験をもとに、こうしたほうがいいかなと思ったことや、しなければならないと思ったことがあれば、そのとおりに行動する。だが、その素直さがゆえに、ときによっては、自分の本能に素直ではなくなることがある。自分の内面の奥深くに眠るもの無視し、むりやりそれを上書きするようなかたちで、自分の行動を決めたりすることがある。そうなると、今回の大震災を引き起こした地殻運動のようなものが起こってくる。プレート、つまり本能は一定の方向へ向かってギシギシ、ギシギシと動いている。そのうえにのっかって、地表の均衡やバランスを保つという役目もにない、そうそうプレートの動きにばかり合わせていられない陸地、つまり日本列島のほうは、なんとかそのプレートの動きに抗してそれまでどおりのバランスを保とうとする。だけど、それには必ず無理が生じる。そして、その無理がいよいよ耐えられないレベルに達したときには、パリンと破断点が訪れる。

 わたしの陸地は、この夜、プレートの動きにのっかって、大きな地震の予兆ともいえる小さな破断を起こしていた。

 もっとも、Tくんから誘われた「芝居」に関しては、1回稽古におじゃましただけで終わった。頭のなかでは、やってみようか、と思っていたものの、実際に台本を読んでみると、感情をこめてそれを読むことなど、とうていわたしにはできなかった。それで、その稽古のときにも、途中からは「おい、ちょっと、これからはト書きのところを読んでくれないか」といわれ、みんなが感情をこめて登場人物のセリフを読むなかで、ひとりだけ感情のこもらない声でぼそぼそとト書きの部分を読んでいたら、稽古が終わったときに、みんなから「いやあ、おまえのト書きはうまいな」「最高だよ」と、おほめだかなんだかわからないような言葉をいただいた。要するに、わたしの芝居の才能はそこまでだった、ということだ。

 Tくんの部屋におじゃましたのも、結果的にはこのとき1回こっきりだったか。別に、芝居がうまくできなかったからといって、さっそく仲たがいをしたわけではない。芝居はうまくできなくても、いったん入れてもらった劇団を抜けることはなかったし、Tくんとも、このときを機にますます行き来が頻繁になった。ただ、彼には、このときつきあっている女性がいた。たしか、彼が書いてわたしに読ませてくれた新しい台本も、その彼女をモデルにしたものではなかったか。だから、彼とはその後もたえずいっしょに飲みながら、ふたりのじゃまをしてはいけないと考え、「いいよなあ、彼女がいるやつは」といってうらやむだけで、もう彼の部屋に行くことはなかった。


by pivot_weston | 2011-10-07 07:04 | 自縄自縛