自縄自縛の愚かしさ(1)

 3年前からこのブログに書いてきた記事も気がついてみると800本を超えている。

 このまま日々たらたらと、思いついたことを書きつらねていくのもいいかもしれないが、父が唐突に亡くなった年齢まであとひとまわりほどに近づいてきて、自分の体に不安を感じないわけでもなくなっているので、そろそろテーマを明確にした書きこみもやってみようかと思う。

 といって別に、いまの段階で、これとこれとこれ――というふうに、書きたいテーマが明確になっているわけではないのだが、とりあえずは、自分でかなり前から、これはいまの若い人たちのなかにも当てはまる人がいるのではないか、と思っていることがあるので、そのへんのことからはじめてみよう。

 もう15年ほど前になるか、このブログにもときどきコメントを寄せてくれている長女が中学生のころ、学校から帰ってきて印象的な話をしてくれた。

 1年先輩の女の子の話だ。その子は毎日帰宅すると、両親の監視下で勉強しているのだという。その子の勉強部屋の、その子が勉強している背後に、いつも両親がひかえているというのだ。両親のねらいは、その子を特定の高校に入れることにあるという。

 異様な光景が頭に浮かんだ。

 とんでもないことだ。どうせ表では「子どもの将来を思って」とかなんとかいっているのだろうが、ほんとは自分の都合で子どもを利用しているだけだ――とかなんとか、そんな反応をしたと思う。

 でも、内面では、うしろ暗い気分になった。

 両親の監視下で勉強させられるというそのときのその子の状況もたいへんなものだっただろうが、それ以上に、そういう状況を体験したことによって、その子がそれから長く、えんえんと引きずることになると思われるもののほうに気持ちが向いた。

 わたしもちょうどその子と同じくらいの年のころに、進学のために自分を強度に縛ってしまい、その縛りが破綻したはたち前後のころからいままで、えんえんとその破綻した縛りの糸を1本、また1本ととり除きながら生きてきたからだ。

 いや、別に、わたしの場合は、背後に両親がついていたわけではない。わたしの内面を縛ったのは、わたし自身だ。

 子どもの内面なんて、というか、だれの内面だって、自分で縛らないと縛れない。

 かりに自分の気持ちは伸び伸びしたままで、だれか他者に縛られる一方の子どもがいたとしたら、他者の縛りなんて、すきがないわけはないので、いつかは必ずそのすきが生まれて脱出できるときが来るだろう。

 いや、そこまで待たなくても、他者に一方的に縛られている場合には、当然、反発心やなにかも頭をもたげてくるだろうから、その反発心で正面突破、縛りを断ち切って、ジャカッシャイ、これがおれなんや、という生きかたをはじめる子どももいるだろう。

 長女が話してくれたその子のようすからは、そういう健全な内面が保存されているようには思えなかった。

 あゝ、おれのような人生にならなければいいけど――そう思った。

 そういう子どもの話を聞くたびに、そう思う。

 だから、足しになるかどうかわからないけど、自分でもどういうことだったかをよく考えてみたい気持ちがあるので、少しそんな時代のことやなにかを文字にしてみたいと思う。

(この記事は、これから不定期で連載していくことにします。)

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by pivot_weston | 2011-07-22 10:50 | 自縄自縛