物差しが右へ左へ動く人生(あるおじさんの感懐)

いま、目の前に30cmの物差しが
横に(つまり、一端を左へ、他端を右へ向けて)置かれていたとする。

その物差しが右へ10cm動いたとする。

それまで接していた左側10cmの空気の感触は失われる。
その代わり、右側10cmは新しい空気と触れることになる。

そんな動きが、
また右へ10cm、5cm、あるいは15cmと繰り返され、
ときには左へ5cm戻ったりする。

わたしたちの人生は、
たとえばそんなふうにして時間の流れのなかを進んでいるのかもしれない、
ということを、いま、
ある店に置いてあった1975年講談社刊『ドイツ・オーストリア』
という世界の文化誌シリーズの1冊を読んでいて思った。

活版印刷の肌触りも、
刊行当時は薄っぺらな紀行文くらいにしか思わなかっただろう
文章の密度も、
いまの時代には失われている。

でも、その代わり、
いまはこうして、
そうして感じたことをすぐに活字にして、
全世界に向けて発信することができる。

なにがいいとか、悪いとかではなく、
わたしたちはそうしてこの宇宙を感じながら生きているのかもしれない。

そして、空港の外には降り立ったこともないドイツの、
会ったこともない人たちであるにもかかわらず、
そこに掲載された写真に写っている当時の若者たちの表情や姿に
なんだかな、いまの若い人たちみたいにかっこよくはないけど、
近しいもの、極端にいえば、旧知の友人に感じるようなものを感じる。

自分の人生が過ぎ去ろうとしていることの証しであると同時に、
自分が生きてきた証しともいえるのだろうか。

物差しをビヨ~ンと伸ばして、
時間がたてばたつほど長い幅を生きられるようにする
なんて欲張りなことはできないのだろう。

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by pivot_weston | 2011-07-21 22:53 | ブログ