夢――Kitchen Physics

前にも書いたと思うが、
若いころにやってみたいと思っていて、
いまだに折りにふれて、ときどきその思いがよみがえってくることがある。

Kitchen Physicsの本をつくること、
あ、いや、台所で起きる物理現象の本ではなく、
台所で語れる物理の本をつくることだ。

日本語で「物理」と書くと、
画数が多くて角張った漢字の影響もあり、
なんだかとても難しいことのように思える。

でも、本質はただ物の道理を考えるだけのことだから、
別に難しいことでも、特定の人にしかできないことでもない。

高校時代はたいそう鼻息が荒く、
よし、大学に行って物理学者に――と思っていた。

でも、いざ大学にはいったら、
その、好きで好きでたまらなかったはずの物理が
な~んも理解できなくなった。

教科書をはじめ、いろんな物理の本を読んだが、
どれを読んでも書いてあることがよくわからない。

これはもう、自分の頭の限界だな――と思い、
けっこうジボージキになった。

でも、理科系教科の単位を1単位もとれないまま物理学科の3年生まで上がり、
それでもまだ物理の本に書いてあることがよくわからずにいたころ、
仙台の丸善でちっちゃな本を手にとった。

黄色いちっちゃな表紙に黒いちっちゃな文字で
「Physics」とだけ書いてあった。

アメリカのお子さま向けの物理の本だ。

もうそのころには、本を開いてもなにも期待しない気分になっていたけど、
開いたその本の冒頭の数行がすっと頭にはいってきたので、
そのままその本を読みはじめた。

あらっ? あらっ?
書いてあることがみんなわかる。
というか、どんどん向こうから、
頭のなかの視界に形を成してくる。

そりゃあそうだろう、お子さま向けの本だもの――
と思われるかもしれない。

そうだろうか?

たしか、その本には、
お子さま向けといっても、量子力学のことやなにかも書いてあったと思う。

お子さま向けの本にどうして量子力学のことを?――
と考えるのもひとつのヒントになるかもしれないが、
ともかく、それまでの物理の本の読書体験との違いに驚いた。
これなら、オレもまた物理学者にチャレンジできるんじゃないか、
と勘違いまでしかけた。

なんだろう、あれは?

ひとつには、漢語――なのかもしれない。
物理にかぎらず、この国の学問は、
ふだん、キッチンやなにかで家族と話すときにはあまり使わない
漢語をいっぱい使って語られていることが多い。

でも、それは、そもそもは、
外来の知識や考えかたをいっぺんに日常言語に直すのが難しいから、
その前にワンクッションをもうけてつくられた世界ではあるまいか。

とりあえず、便宜上、
抽象的な概念を地肌感覚に乏しい漢語に直した。
あとでじっくり時間をかけて地肌感覚の言葉まで直そう、
と思ったかどうかは知らないが、
ともかく、そうやって、ひとつの学問用語ができ、ふたつの学問用語ができ
しているうちに、その世界はその世界で整合性や調和をもって独立してきて、
さらに、あとからあとから新しい概念がはいってくるものだから、
もういちいち地肌感覚の言葉に直しているひまなんてなくなった。

で、隔絶された学問の世界ができあがった。

でも、学問の世界も循環しなければならないと思う。
地球の地肌や日常生活を営むわたしたちの地肌から吸収し、考え、編み出したことが
また自然とその地肌に戻るようにしておかないと、
だんだん学問の世界が宙に浮いたものになってしまう。

もちろん、英語の世界にも、
ラテン語やギリシア語の占める一角があり、
似たような現象が起きているのだろう。

人間の自尊心というのは、えてして、
本筋からそれているのはわかっていても、
そういう世界をつくりたがることがあるものだ。

でも、とにかく、わたしはその『Physics』という本で、
英語の世界には、そうして、
キッチンでおかあさんが子どもに話しかけるような言葉で
物理が語られている世界があることを知った。

それに、日本でも、いろんな人と会っているうちに、
物理をきちんと理解していて、つねにその本質を考えている人は、
わたしにもわかるような、とても平易な言葉でその本質を語ってくれることも知った。

それなら、やはり、
Kitchen Physicsの本を、つくれる機会があればつくりたいと思う。

少し前に、
むだが多いといわれる日本の行政組織のむだのひとつの原因は
「言葉」にあるのではないかということを書いた。

子どもや一般の人にはわかりにくい漢語やなにかで語られている物理
などの学問の世界も、
いってみれば、一種の官僚主義に陥っているのではあるまいか。

漢語多用の世界が、ひとまずワンクッションの、途中経過の世界であるとしたら、
その世界の用語を知っているだけでそこにいつづける人がいるとしたら、
そんなのは本質と関係のない、まったくむだな存在といえるのではあるまいか。

子どもや、わたしたち一般の人間の暮らしの地肌、
そこから吸い上げたものを極めて極めて到達した高み、
そこからまた地肌の世界へ情報が還流するようにしておかないと、
高みの意味も薄れてくるし、
Kitchen Physicsの本をつくれる国とは、
地肌の土壌に差がついてきて、
気がついたらそれが挽回不能な遅れになっているのではあるまいか。

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by pivot_weston | 2011-07-21 14:30 | ブログ