個と組織

組織のなかで個を出すことの難しさを訴える人の問いかけを目にした。

「どうしたら変わっていくでしょうか」と問いかけていた。

「変わっていく」の主語はなんなのか。

「個」だとしたら、勇気を出せばいい。
「組織」だとしたら、「待ち」の姿勢を意味する。
「組織」を構成するみんなが「待ち」の姿勢なら、
そういう「個」が構成する「組織」は、
いくら「個」で構成されていても流動性は生まれてこず、
いつまでたっても変わるわけはない。

わたしたちは無色透明な存在ではない。
なにかすると、出る杭は打たれるからといって、
よけいなことはなにもせずにいよう、
そしたら、自分は多少しんどい思いをするにしても、
少なくとも他人に害をおよぼすことはないと考えても、
現実はそんなわけにはいかない。

わたしたちはとんがった山の稜線のようなところにいる。

稜線の幅は数学の概念上の直線の幅と同じ、
つまり、ゼロと考えていい。

つまり、どっちつかずの稜線の上を歩いていくのは事実上不可能と考えていい。

どちらかに自分のウエートがかかる。
「個」を出す側にかければ、組織はそれだけそちらへ動いていくし、
「個」を出さない側にかければ、組織は「個」の感性を失い、鈍磨する。

かつてのように、
アメリカの指示に従って注文生産をしていれば豊かになれた時代なら、
「個」のない「組織」でもどんどん無表情な紙幣を獲得することはできた。

でも、もうアメリカにそれだけの基本的な富がない。
自分の論理で世界を押さえておくだけの力がない。
日本も自分の力で生きていけといっている。

現代の力を生み出すものは、いかに人の内面に密着できるか。
いかに理解し、理解されるか。
それは、「個」が発動しないと、どんな組織にもできないこと。
だから、世界は「個」を押し出す方向へ動いている。

先に「組織」があってそこに「個」が入り込む式の組織は
しだいに時代や世のなかへの対応能力を失っていく。
もともと、この地球上で自然なのは、
先に「個」があってその集合体として「組織」が成り立つかたち。

世界の「組織」は、
そんな自然なありかたを取り戻していく方向にある。

日本でも、「個」の意思が「震災」に対応している。

国が動かないのは「長幼の序」を気にしているからだとわかった。

「長幼の序」も、最初に生み出されたときには、
目の前の現象を的確に表現した言葉だったのだと思う。
でも、それが、なるほど、と感心され、言葉としてひとり歩きをはじめたときから、
その場その場の「個」の判断を縛る軛に変わった。
あとに残るのは、国家の非常事態に先頭に立って対処する立場にありながら、
その非常事態さえものどかな日常感覚のなかに押し込めて平然としている鈍感さだけだ。

「個」の意思が発動されないと救われない被災者がたくさんいるように、
わたしたちが「無難」を信じて「個」を出さない側にウエートをかけると、
圧殺される人や救われない人がたくさんいる。

わたしたちは、みな、つねに、ふたつにひとつの判断を求められている。
「組織」に埋没するのか、
「個」を出してフレキシブルに日々変化する「組織」をクリエイトしていくのか。
選ぶのはわたしたち「個」でしかない。
「革命」の毎日だ。

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by pivot_weston | 2011-07-05 12:28 | ブログ