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ふたつのF

ひとつの符合に気がついた。

「フテンマ」と「フクシマ」。

どちらも、
もちろん現地からの誘致ベクトルもはたらいたとはいえ、
基本的には、
日米が沖縄へ
関東が東北へ
押しつけて生まれ、存在してきたものだ。

朝鮮で戦争が起きても、
ベトナムで戦争が起きても、
中ソ間で紛争が起きても、
中越間で紛争が起きても、
中台間が緊迫しても、
わたしたちはロカビリーやビートルズやグループサウンズに浮かれ、
家族がこたつを囲んで一家団欒のときを過ごす
ホームドラマの世界に標準的な日本人像を見てきた。

1968年の夏の甲子園大会で
沖縄の興南高校が長野県の岡谷工業を破ってから、
あれよあれよという間にベスト4まで勝ち残ったときには、
甲子園のスタンドが「判官びいき」に沸いた――とマスコミは伝えた。

しかし、いま、オジサンになってからふりかえると、
判官びいきとはなにごとか――と思う。

平和な甲子園大会は、
実は沖縄あっての大会だったのだ。

甲子園大会、いや、日本全体を支えていた地域の子どもたちだったのだから、
彼らは「判官」、つまり源義経のようにあわれまれるべき存在などではなく、
日本一の「縁の下の力持ち」の地域の代表、
尊敬され、仰ぎ見られて当然の人たちだったのだ。

去年、念願かなって母校を春夏優勝に導いた我喜屋さんたちが
まだパスポートをもってベスト4まで行ったときも、
わたしたちは「判官びいき」などせず、
ずっと、だれよりもお世話になり、
おかげで平和な日々を過ごせていたのだから、
感謝の念をいだきつつ、
そんな日本一の大役を果たしながら野球も強くなってきたことを
称賛すればよかったのだ。

わたしたちの社会では、
きわめてずるいすり替えが行われてきたように思う。

その結果がみんな、去年、鳩山さんに向かってぶちまけられた。

たしかに「抑止力」発言には唖然とさせられたが、
基本的に鳩山さんはそのねじれを正そうとすることをいっていた。

ところが、それを支持する声はいつの間にか小さくなり、
どうするんだ、どうやって実現するんだといって叱責する声と、
沖縄の人たちの心情にすり寄る声ばかりがふえてきて、
具体的に沖縄の負担をよそが分担しようという声は、
大阪の橋下さんがちらりと発した以外は、
ほとんど聞こえてこなかった。

そしていま、
フクシマについても、
政府や東電に対する叱責の言葉と
フクシマに対する同情や心配の言葉が並行して聞こえてくるが、
それ以外の言葉はあまり聞こえてこない。

わたしたちには、もっとほかにも考えることがあるのではあるまいか。
わたしたちはいま、ずっと核心をすり替えてきて、
闇の部分で処理してきたふたつの大きな
この国の本質的な問題にぶつかっているのではあるまいか。
これを機会に、自分たちの内面の奥深くをのぞいてみないといけないのではあるまいか。
この問題からいつまでも逃れていてはいけないのではあるまいか。

また、この問題の根をたどっていくと、
わたしたちの共通の意識のなかに構築されているピラミッド構造のようなものに
突き当たるような気もする。

ふたつのFの問題に直面している日本。
いまが積年のゆがみを是正するチャンスのようにも思える。

(しかし、昨夜見た松本復興相の態度、あれはひどい。
この4か月、あの人はなにをしてきたのか。
脅しにせよ、この状況で「なにもしない」という言葉が口から出ることが信じられない。
あれが旧社会党の人権擁護派とは。
こうなったら、復興相は早く若手に代えて、
これを機会に戦後の見直しもやったほうがいい。
もう国全体が生まれ変わるつもりにならないとだめだ。
フロントは東北だけでなく、日本全国にひろげたほうがいい。)


by pivot_weston | 2011-07-04 06:47 | ブログ