「東大」という闇

ここ5年くらいで初めてではないかと思うほどの非常識な寝坊をして、
そのためにまた募った現実の厳しさをどうにか心のなかでクリアして、
Twitterを見たら、
今日は茂木健一郎さんが「東大」のことを問題にしていた。

これもこの国の根幹や本質や全体にかかわる
重要な問題、深刻な問題だと思っている。

わたしはしばらく四国の田舎でひとりプレハブの仕事小屋にこもり、
自営業の翻訳者をやっていた。
野良道を散歩していても、なかなか東大の人に会うことはない。
だから、この問題の裾野の現実は目にはいっていたが、
頂点の現実は遠景にかすんでいて、
まあ、テレビでだれかが話しているのを聞く程度にしか
問題に思っていなかった。

でも、去年、
ちょっとしたきっかけがあって国会に出入りするようになり、
う~んとうなった。

あまりにも広い。あまりにも深い。
政治マスコミでは、官僚組織や官僚体質のことが大きな問題にされているが、
わたしはもしかすると、それは
「官僚」の問題ではなく、「東大」の問題なのではないか
と思った。

いや、東京大学というひとつの大学だけに問題があるのではない。
その大学に関係しているかどうかにかかわらず、
国民の多くが「東大」という虚像を共有し、
この日本列島全体に、その「東大」という虚像を頂点とする
目に見えない意識のピラミッドのようなものができているのではあるまいか。

たとえば、
将来の総理大臣候補と噂されているある若手議員と話をしていたとき、
わたしが自分の出身高校のことを口にしたら、
とたんに「あ、そこはうちの大学(東大)にはあまり来ないところだよな」と、
そう、なんといえばいいのだろう、
ちょっと顔がうつむきかげんによじれて、
下からひねり出すような、隠微な笑顔を浮かべていった。

はっ?――だ。
いちおうわたしは、そういう話は受験勉強に励んでいる
子どもたちの世界の話だと思っていて、
それが常識ではないかとも思っているが、
そういう話が、国の頂点の近くにいる、
若手とはいえ、40を過ぎた「国会議員」の口から真っ先に出たことに、
軽い衝撃をおぼえた。

また、
しばらく国会で仕事をしているうちに、
官僚も含め、そういう人たちが互いに、
「あの人は……の同期なんですよ」「昔の同僚なんですよ」
「応援してください」「がんばってください」
という言葉でつながっていて、
それがただのその場かぎりのあいさつやなにかではなく、
現実にそういうつながりのなかで
政治の動きや細かな予算配分が決まっているのも垣間見た。

そして、さらに深刻に感じたのは、
「東大」という範疇のなかには属していなくても、
その「東大」という範疇に属する人たちの周辺にいて、
ただその人が「東大」という範疇に属しているというだけで、
その人を「優秀」ともちあげ、
それによってその人に付き従う自分の立場を確保し、
国の中心の政治の場に、
そういう心の動きを積み上げた大きなピラミッドを築こうとしている
人の数の多さだ。

そういう人たちは、ただ
「あの人を知っているんですよ」「話をしたことがあるんですよ」
「名刺をもらったことがあるんですよ」
という程度の事実をもとに、ピラミッドの上に仰ぎ見る人たちに近づき、
互いにそれでいい気持ちになった者同士が
現実の国のお金の動きをともなう話を決めていく。

そういう場面を何度も垣間見た。

大きなピラミッドの頂点に「東大」という文字がくっきりと浮かび上がっている
わけではないのだが、
そんなわたしの経験では、
「官僚」の問題はこの、茂木さんのいう「東大」の問題の
ひとつの枝葉に過ぎないように思う。

でも、この問題は、
だからといって「東大」の人を責めたり追及したりしても
それだけでかたづく問題ではない。
とても深く、深刻な「国民的共依存」の問題とでもいえばいいだろうか。

ひとりひとりの個人の内面の問題が
国全体でひとつに結びつき、
目にも見えないし、手でふれることもできないが、
ひとつの大きな大きなピラミッドを形成し、
それが、ひとりひとりの暮らし向きを左右する現実のお金の流れや
技術の行方やなにかを左右している。

ここをきちんと明確にし、乗り越えていかないと、
アフリカ系の人の流入やなにかで価値観と価値観の衝突に直面し、
たとえしかたなくであったにせよ、
そこからより普遍性のある共通の価値観を見出して生き延びていこうとしている
いまの世界のなかで、
この日本という国が伸び伸びと生きていくのは
きわめて難しくなるのではないかと感じている。

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by pivot_weston | 2011-07-02 16:22 | ブログ