人気ブログランキング | 話題のタグを見る

新卒一括採用の問題

脳科学者の茂木健一郎さんが
日本企業の新卒一括採用の雇用慣行を問題にしている。

脳の組織や機能を研究する人が
社会という脳を構成する細胞のような存在である人間を
ひとつの枠に押し込めるような制度を問題にするのは、
しごくもっともなことだと思う。

企業の「採用」も、
その組織の維持・存続のために行う生命活動の一種だろう。

現在の組織の一部を成す採用担当者が
目の前に現れた新しい細胞をよく見て、
なかに取り込むかどうかを決める。

組織の維持・存続に役に立ちそうなら雇うし、
役に立ちそうになければ雇わない。
それだけならごく自然なことなのに、なんでそこに、
時期をかぎって「新卒であること」などという条件をつける必要があるのだろう。

いわゆる「処女願望」の表れなのかもしれないが、
なにをするときにも、相手に条件をつけるということは、
それだけ自分の責任を相手に転嫁することを意味する。

なにやら、ものぐさな世のなかが
小学校→中学校→高校→大学→会社と流れるベルトコンベアの上で
機械的に人を仕分け、
仕分けられる側もおとなしく従ったほうが自分に利があると判断してそれに従い、
うまくお互いの調和がとれて成り立っている制度のような印象も受けるが、
内々で調和がとれていればそれでいいというものだろうか。

わたしたちは自然界に生きている。
人間の世界だけにかぎっても、
そんな制度を自然と見る世界に囲まれているとは思えない。
それなのに、これまで日本がこんな不自然なシステムを
生み出し、維持してくることができたのは、
世界にゆがみがあったからではあるまいか。

日本で新卒一括採用という制度が一般化したのは20世紀になってから
といわれているが、
その時期にはまだ、帝国主義だの植民地支配だのというものが存在し、
ある国の人たちがまわりの国の人たちと
腕力を背景に等価の価値交換をせず、
自分たちにより多くの利益を引き入れ、
その余裕で自分たちに都合のよい不自然なシステムを構築することができた。

国家の枠組みが地理上の枠組みとほぼイコールで、
国民の視野が狭く、
海外を望む目の先に高い壁が立ちはだかっていた時代には、
国家の先頭に立つ人物が、いってみれば「神の視座」に立ち、
国家のなかだけでうまく帳尻の合うシステムをつくっていればそれでよかった。

だが、それは地球全体から見ると不自然なシステムなので、
時間がたつにつれて周囲とのあいだで軋轢が生じ、
そんな、自分たちに都合のいいシステムを構築していた列強同士が
正面から衝突する事態にいたった。

戦争だ。

本来なら、その戦争が終わったとき、
アメリカという、やはり自分たちに都合のいいシステムを
世界中に押しつけようとしていた国にねじ伏せられた日本は、
そこでその国の不自然なシステムの不自然さを吸収する側に
立たされるところだったのかもしれないが、
なんとも要領がいいことに、
負けたとたんにそのアメリカの傘下にはいり、
その戦略にくみしてそれを支えることによって、
また自分たちに都合のいいシステムを保てる側に立った。

以来、アメリカの戦略のもとに人の血が流されれば流されるほど、
その戦略を支えるためのものづくりを担当していた日本の社会では、
一見、血なまぐささとは無縁に思える産業の現場で、
人がきらきら光る汗を流して豊かさを手に入れ、
新卒一括採用というベルトコンベアシステムのもとに、
その富の分配を受けてきた。

でも、そうこうするうちに、
日本企業もコストの安い労働力を得るために海外に出るようになり、
かつてゆがんだ富の対極に置かれ、
そのゆがみを一方で支えていた
中国、韓国、台湾、ベトナムといった周辺国を豊かにしたことで、
平均化された環境のなかで自国の不自然なシステムと向き合うことになった。

そんなところではあるまいか。

いまのわたしたちは交通手段や通信手段の面で技術的なブレイクスルーも果たし、
新しい時代に突入している。

これからの国家の枠組みは、
それに属する人たちの営みをなぞるかたちでできてくる。
国家という枠が先にあって、
国民がそのなかに用意された升に乗ってベルトコンベアの上を動くのではなく、
国民の行動の総計が国家を形成する時代だ。

事故を起こした福島原発から飛び出した
放射性物質の飛散域をシミュレートした図は、
時々刻々、風の向きや強さにしたがって大きく揺らいでいるが、
大勢の人が海外旅行に行き、海外に投資したりなにかするようになった
現代の国家の枠組みも、あのシミュレーションチャートと同じように
時々刻々、アメーバのように揺らいでいる。

いまさら国家をかつてのように
固定された枠のなかに閉じ込めることはできない。
どこの国も、剛直なかつての国家の殻を抜け出し、
アメーバ型の国家に変身しようとしている。

これからの制度は
国家の構成細胞である国民ひとりひとりに目を向け、
その営みをサポートし、それに沿っていくものにしていかなければならない。

なんといっても、国民そのものが国家になるのだから。

そんなときに、
これから世に出る若者に一定の条件を課す
新卒一括採用のような制度を堅持していてどうするのか。

その制度に合わせるために、
自由に生きていれば世界を驚かせるようなアイデアを思いつく
潜在能力を秘めた若者が
伸び伸びと自己を表現することをためらい、自己を制御したことによる
国や社会の損失はどれほど巨大なものになるだろう。

国家が国民を機械の部品のように動かして
最大の成果や効率を得ることをめざした時代は終わっている。

そういう人間部品の時代に一定の成果をあげた日本も、
新しい時代に対応しなければ、
確実に「盛者必衰」のことわりを実証していくことになるだろう。

最近よく耳にする「スマートグリッド」や「温室効果ガスの排出量削減」も
なにもエネルギーの世界にかぎった原理を伝えようとしているのではない。

世界はぶかぶかの羽織袴や裃や十二単をまとっていた時代を抜け出し、
ひとりひとりが肌にフィットしたウェットスーツをまとって生きる時代に
変貌しようとしている。


by pivot_weston | 2011-06-22 18:31 | ブログ