空に星があるように

もう1週間ほど前になるか、
夜なかにラジオをつけていたら、
久しぶりに聴く、このフレーズが流れてきた。

子ども心に、
独特なものを感じていた。

歌詞に、
当時ブームになっていたグループサウンズの歌のように、
なるべく大勢の人の感性に網をかけようとしている気配がない。
大御所といわれる演歌歌手の人たちの歌のように、
パターン化された人情の世界を押しつけてくる気配もない。
かといって、
この歌より少しあとに群れを成して登場してきた
世のなかにタテつく歌のように、
違う方向を指し示しているようでもない。

斜にかまえている、というのとは違うのだが、
どこかに余裕のようなものがあって、
まわりに大勢の人がいるのは変わりがないのだろうが、
そういう環境のなかでも、別にいいんだ、ともかく、
ボクがいいたいのはこれだけ、と、
さりげなく個の世界にたたずんでいる気配が伝わってくるような歌だった。

とはいえ、それでも大衆向けの歌は歌。
いまあらためて歌詞を確認してみても、
とくに大勢の人の感性に挑戦しているような気配のうかがえる言葉は
含まれていない。

それでも、引っかかる。
言葉の爪のようなものが、心に引っかかってきて、
重いわけでも、特別軽いわけでもない存在感のようなものを
こちらの胸に残していく。

で、ふと、テレビなどでときたま耳にする
最近の若い人たちの歌を思い出した。

ちっとも言葉が胸に引っかからない。
というより、clicheといえばいいのだろうか、
ひとこと聴けば、あとはもういいやと思えるような
決まり文句ともいえない、個もなく喚起力に乏しい日常言語の山。

それでも、ステージの前は、荒木一郎さんはおろか、
美空ひばりさんや北島三郎さんのステージでもそうそうなかったと思われる
スタンディング、全員総立ちの繰り返し。

聴く人たちが与えてもらう一方だった時代が終わり、
うたい、奏でる人たちが発するサウンドをひとつの起爆装置のようなものにして、
聴く人たちが能動的にサウンドを楽しむ時代、
と考えればよいのかもしれないが、
では、ウッドストックなども、そんな現象のハシリにすぎなかったのか、
と思うと、なにやらちょっと、違う構図を望みたい気もする。

ともあれ、
サウンドのことはよくわからないが、
歌詞という言葉に関して感じる、この、
かつての半メジャーのはやり歌の歌詞が
ちょっと新鮮な感覚をともなって心にひっかかってくる現象、
もしかすると、わたしたちの世代の人たちの多くが
感じているものではあるまいか。

もしかすると、
春日八郎さんや田端義夫さん世代の人たちにも、
わたしたちの世代は同じように「心にひっかかりのない言葉を操る世代」と
映っていたのだろうか。

若い世代の人たちにももっと……と
期待を口にしたい気持ちもあるが、
自分の思いを別の世代の人たちに満たしてほしいと願うのは
しても意味のないことなのかもしれない。

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by Pivot_Weston | 2011-05-30 03:53 | 音楽