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ひとつの問題整理

昨日、朝日ニュースターというチャンネルの
宮崎哲弥さんの「トーキング・ヘッズ」という番組でやっていた
憲法論議がとてもおもしろかった。

そう、そこまで踏みこまないと
この国に澱んでいるものの問題はなにも解決しない――
という思いで見ていた。

で、終わってみたらまた、
あの、どこもかしこも一色の原発報道。

最近は、若いアナウンサーや早朝の番組で原稿を読む女の子も含め、
かつてよりテレビで時事問題について「コメント」や「観測」
らしきものを口にする人がふえたような気がするが、
人がふえたらそれだけ多様な「コメント」や「観測」が語られるようになったか
というと、どうもそうなっているようには思えない。
気軽に「コメント」や「観測」らしきものを口にする人たちが、
まだ局から自分の意見をいうことを認められていないのにいっているせいか、
ほとんど同じことしかいわない。
しかも、局が違っても同じことばかりをいっていて、
近ごろではニュース番組がふえてきているような気がしていても、
わたしたちがひとりひとり自分の判断を下すためになにより提供してほしい
「多様な意見」などには、なかなかたどりつけない。

そこで、宮崎さんのおかげで鈍い頭が少しはすっきりしていたせいか、
この「福島第一原発」にまつわる問題についても、
一度、関係するプレーヤーたちのポジションを確認するために、
表形式で責任関係を整理してみようかという気になった。


管理者(経営者)責任・・・東京電力
             民主党・菅政権
             経済産業省、文部科学省
製造者責任・・・・・・・・東京電力
             自民党・旧政権
             通産省(経済産業省)・科学技術庁(文部科学省)
利用者(受益者)責任・・・東京電力の電力ユーザ
             (東京で暮らしているわたしやマスコミのみなさんは
             ここに含まれる)

実際の工事に携わった企業まで含めると、
こんなものではすまないが、
そんなことをしていたら表がややこしくなるし、今回の事故ではまだ
この事故の決定的因子となる工事ミスがあったような話は出てきていない
と思うので、それはこのさい割愛する。

たぶん、多くの避難民という被害者を出している「福島第一原発」の問題は、
こういう構図を踏まえて考えていかなければならないのだと思う。

自民党政権の場合には、
1号機の運転開始後40年近くにわたって国の管理・経営の責任者でもあったわけで、
去年の3月に東京電力が許認可期限が来る1号機の運転延長申請を出したのも、
半年前に政権をとった民主党というより自民党と話をつけた結果なのだろうから、
「管理者(経営者)責任」のほうにも含めてもよいのかもしれないが、
表がややこしくなりそうなので、それはやめておく。

わたしたちは、やはり、マスコミのみなさんも含め、
ひとりひとりが自分の立ち位置を確認し、
いい立場だろうが、悪い立場だろうが、ともかくそれを踏まえて、
それぞれの立場から、この問題を考えていかなければならないと思う。

それなのに、永田町はまたぞろ、
永田町歌舞伎のヒーロー登場を待望する姿勢になりつつある。

永田町は政・官・業のみなさんが
歌舞伎のように固定化された世界で、
独特の価値観を共有しているところだ。

「実力者」も、そうでない人も、
すべてはそういう独特な価値観で判断されていく。

でも、現代は無定形の時代だ。
決まった「形」などにこだわっていたら、
大切なものを見逃してしまうかもしれないし、
判断を誤ることもあるかもしれないし、
なによりその無定形の時代にフレキシブルに対応していく主役は、
社会の基本的な構成要素たるわたしたちひとりひとりだ。

乱世になればなるほど、
人は「安定」や「懐古」に走る傾向がある。

人のありようとしては、それが自然でも、
結果的にわたしたちを、なかではより幸福な境地に導くのは、
関係しているプレーヤーたちがそれぞれ自分の立場を踏まえ、
そこからそれぞれに建設的と思える一歩を踏み出していくことではないかと思う。

冒頭に書いた宮崎さんの「トーキング・ヘッズ」でも、
日本の憲法問題でまずなによりも求められるのは、
憲法の内容をどうするかではなく、
国民ひとりひとりが憲法起草者になること、のようなことが語られていた。

そのとおりだと思う。

追記:
テレビに出ると人前で話をすることになり、
出た人たちがどうしても「いい人」になろうとしてしまうので、
テレビというのはつくづく当てにならないメディアだと思う。