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街が悲鳴をあげている

大震災はまだ拡大を続けている。
新たな大地震が来なくても、実質的な被災地はさらに拡大し、
まもなく首都圏や西日本も飲み込んでいくかもしれない。

大震災の被災地を静かに拡大させようとしているのは、
豊かになった日本で
安定した地位や収入に守られ、
「いい人になりたい症候群」にとりつかれている人たちではないのか。

義援金もいい。
でも、そればかりでは、
増えるのは、プールされ、停滞する金ばかりだ。

いま必要なのは、
流動し、初期災害の被災地の後背地、
すなわち、その復興を助けるべく
フル稼働で回転していかなければならない地域を
元気にする金だ。

なのに、余裕のある人たちの自意識は義援金に向かい、
停滞する金を増やし、
結果的に、二次災害、三次災害の被災地を拡大していこうとしている。

「花見自粛」を口にした都知事候補がなぜ当選するのか。
自粛がどれだけ被災地の苦しみを長引かせ、復興を遅らせるかを
自粛派の人たちは認識しているのか。

東京の街も被災地拡大の波に飲み込まれ、
暗闇のなかで少なからぬ企業や店が、
人知れずあきらめの表情でバンザイをしている。

ボランティアもいい。
初期災害の被災地では、まだまだ人手が不足しているという情報もある。

だが、
まだ被災地の枠に飲み込まれていない後背地で活発に経済活動をするのも、
被災地を支援するために心を用いる行為、
すなわち、ボランティアの一種に当たると解釈できるのではないか。

なのに、
余裕のある人たちは停滞する金である義援金をプールし、
後背地の経済を停滞させるボランティアに走ろうとしている。

今日も東京では、
タクシー運転手たちの「この4月中にたいへんなことが起こる」
という声を耳にした。

「何かイベントをやろうにも、公共の施設がイベントを自粛していてできない」
という声も。

公共の施設で働く公務員は、
景気が悪くなっても国がつぶれる直前まで給料を払ってもらえるので、
簡単に「自粛」なんてことができるのだろうか。

余裕のある人たちの自意識などどうでもよい。

わたしは今回の初期災害の被災地のためにも、
どうか義援金狂騒曲が早く減速し、
自粛の壁がとっぱらわれ、
後背地の国民の多くがせっせと自らの経済活動や消費に励み、
被災地にとって何よりの力となる税の増収に寄与することを願う。

そうでなければ、この国はさらに大きな悲劇の渦中に陥っていくように思える。